表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
8/28

第七話 襲撃

 


「てかさ、ルクバトくん部活どこにすんの?」



 きゃらきゃらした声が耳を掠めた。

 ルーズリーフを纏めていたソラの指が一瞬、引き攣るように反応する。

 クラスの女子だ。ホームルームが終わった途端、くるりと身体を後ろへ捻ってきた。前髪と甘ったるい声、心もち短くしたスカートが可愛らしい。



「決めてない。 どこがいいとかあったりする?」

「えーとね、うちの学校陸上とテニス強くてぇ、」

「ルクバトくん行くならサッカーじゃね?」

「あー、ぽい!」

「顔がもうサッカー部」



 傍で聞いていた他の女子達が次々と会話へ混ざっていき、あっという間にソラの隣は賑やかになる。

 目線のひとつすら向けず、ソラは教室を立ち去った。





 ルクバトの脱法転校事件から一週間と少し、ソラの日常は比較的穏やかだった。


 影狼の襲撃も今のところはなく、ルクバトの奇行もまだマシにはなっている。収まったというよりかは、適度に問題を起こしてソラの反応を楽しんでいる印象はあるが。



 彼は普段、そこまでソラとべったりというわけではない。

 昼食は共に食べ、帰りは姿を戻してついてくることもあるけれど、逆に言えばそれだけ。クラス内の衆目の前でなれなれしく話しかけてはこないし、会話に核心を混ぜることもしない。


 ソラにとって、これは非常にありがたかった。

 誰が相手であろうと、他者と居ると疲れてしまう。コミュニケーションをとるという行為そのものが苦手なのだ。ソラは一人の時間がなければならない人間だった。

 それに表立って本当のことを話せない状況下、何を話しても薄っぺらくなって会話に困る。



「(……それに何より、)」



 人気者と率先して話していると、目立つのだ。


 認識阻害を施しでもしたのか、クラスメイトは今までの奇行を彼の所業だと知らない。そのため、彼らにとってルクバトは恐ろしいほど美しいだけの『人間』だ。

 また、人間みの薄さがその美に拍車をかける。脂ぎっていなくて、木陰のような柔らかい静けさが彼の周囲を漂っているわけで。それは現役の高校生達には『大人っぽい』に見えたし、ある種の憧れを感じさせるには充分なものだった。


 つまり、どう見てもクラスの中で浮いているのだ。もちろんいい意味で。

 故にクラス内でも、彼の周りには自然と人が集まる。彼から何かを発信することがないにも関わらず、誰からも話しやすい人間という認識を得て、うっすらとした憧憬を抱かせている。




「やっほー」

「……人気の転校生様が何の御用で」

「あれ、妬いた?」

「馬鹿なの?」



 夕暮れの一室。写真部の部室として使われている小さい教室だ。

 在籍は三年が三人、二年生は存在せず、一年生がソラを含めて二人。しかし三年生は受験を見据え引退し、もう一人の一年生は幽霊部員でめったに姿を見せない。

 恐らくなるたけ活動の少ない部活として選んだのだろう。今日は気分で立ち寄っただけで、本来ソラだってそうだ。

 現に部活動として破綻したそれは、ソラの代で幕を閉じることが決定している。顧問にだって入部届を提出して以来会っていない。


 入ってきたルクバトは鞄を消し、棚に置かれているカメラを手に取る。カメラのレンズが陽光に白く光った。三年生か、それより上の世代か、誰かの寄贈品(忘れ物)だ。

 人知を超えた美貌とカメラというのはなかなか絵になるもので、他に手元にカメラがあれば撮ってみたいものだった。本当に撮れば調子に乗るだろうから、ソラは結局何もしなかったが。



「外面につられてまぁちょろいことと思っただけ」



 ソラはそう言って椅子に座ったまま、机にでろりともたれかかった。

 別にルクバトが人気になることには疑問はない。結局のところ、頭と顔と人当たりのいい人間の周りには人が集まる。人間関係を面倒、煩わしいと感じるソラからすれば、あの人気も「すげぇな」と思いこそすれ、嫉妬の対象にはならない。


 ただ、事情も知らずに群がって、とも思うのだ。

 当たり前だが、クラスメイトはルクバトの本性を知らない。正体という意味でも、性格という意味でも。仕方のないこととはいえ、そのしらじらしさに呆れすら湧いてしまうのは仕方のないことだ。



「んーでも、パッケージが綺麗だとその分購買意欲も湧くんじゃないかな。 一目惚れなんて言葉もあるわけだし」

「相変わらず例えが俗っぽい……まあいいんだけどさ、それより」



 ソラは机に座ったまま胸元に手をかざし、するりと取り出した。


 空想器官『心臓』。金の蔦を幾筋もまとった半透明の球体。

 内部には白銀に煌めく星があり、かすかに揺れるたびしゃろしゃろと音を立てている。



「星、どうすんの」



 星は現在四分の一程度。以前溜まった分から大きな増加をしていない。

 溜まる方法だって曖昧だというのに、現状ルクバトからは何も解決策は出されていないし、ソラも何も思いつかないままだ。そもそも生活の大部分を占める学校という場で頻繁にコンタクトを取ってない時点で、まったく当たり前のことではあるのだが。

 このままでは上限まで溜まるのはいつになることやら。



「そうだなぁ、毎回夜の空中散歩じゃ芸がないし……」

「いやそもそもあんなん毎回やってたら死ぬ。 絶対やめて」

「あはは」



 ルクバトは手に持ったカメラを弄びながらそう笑う。真剣さは見られない。

 この男はいつもそうである。重要そうなことを煙に巻き、実際ソラには核心を突いた情報は与えない。星を集める方法を教えても、その目的や自身の正体を教えないように。



「(……まあ、うまいこと聞きだせない私もダメなんだけどさ)」



 目を伏せ、ソラはそう自省する。

 正面から聞いてもはぐらかされるが、かといって適当に聞くというのもソラには難易度が高い。うまい話の回し方なんて知らないし、そもそも最初会ってすぐの頃に聞けなかったからタイミングを失ってしまった。

 ……などと考えてしまうあたりに、コミュニケーションにおける偏差値の低さが見て取れる。


 ため息をつくソラ。

 それを気にせず、ルクバトはカメラを弄っている。



「このカメラってさ、ソラも使ってるの?」

「いや、別に。 っていうか写真自体撮らない」

「もったいなーい、何か撮ってみたらいいのに……あ、なんなら僕とか撮ってみる?」

「やだ」

「えー、こんなに最高の被写体なのに」



 それとも元の姿の方が好み?

 生理的な瞬き。瞼が遮ったその一瞬で、彼の姿が切り替わる。ソラと同年から、出会った時の十歳程度まで。服装までも元の通りになったせいで、高校の校舎にいるにはいささか違和感がある。



「誰かに見られたらだめでしょ、撮んないからさっさと戻って」

「んー残念……あそうだ、なら僕が撮っていい?」



 そう言ってルクバトは自身の姿を戻し、同時に無から自身のスマホを手に取りだす。

 向けられた小さなレンズ。それを押しのけるようにソラは手で遮った。



「えぇ、嫌?」

「嫌っていうか……なんか、毎回写り悪いから」



 ソラはそう言ってルクバトのスマホを押しのけ、部室を出た。することもないし、このまま帰るつもりなのだ。

 ルクバトもまたその後を追い、廊下へと出る。


 写真写りの悪さ。その原因を、ソラ自身も十分に理解していた。笑おうとすると、どうしても頬が引き攣るのだ。

 表情筋の衰えか、そもそも面白くなければ笑えないのか。とにもかくにも、笑ってと言われてすぐに笑顔を作ることができないのだ。試行錯誤をする間にシャッターが切られ、結果写っているのは仏頂面か、微妙な顔をした自分。共に映るのが家族であろうが友人であろうが、それは変わらない。


 そして大抵、その写真写りの悪さは直後の話のネタになる。かろかろ笑う人たちの中で、一人だけ不機嫌になれば空気を壊してしまうだろう。だからずっと、ソラは曖昧に笑ってやり過ごしてきた。



「……だからまあ、私撮んのはナシ。 そんな良い被写体でもないし」

「ふーん、……ねえソラ」

「何」



 振りむいた瞬間、かしゃ、と音がした。

 少し先、スマホのカメラレンズがこちらを捉えている。

 ソラは唖然として暫し沈黙。変わらない橙色の夕日、遠くで聞こえる野球部の掛け声。



「……あんた今話聞いてた……?」

「聞いてたよ」



 悪びれの欠片も見当たらない態度だ。ソラは眉間を押さえ、ため息をついた。

 逆鱗というほどのものでもない。だから激高もしない。が、しかし。

 ソラは少し意外さを感じていた。ルクバトは確かに常識が欠けているが、こういった「嫌だ」と人が言っていることをわざわざするタイプではない、と思っていた。



「……消して。容量の無駄でしょそんなん」

「いやいや、めちゃくちゃ綺麗に撮れたと思うけど」

「そういうのいいから……、」

「ほら」



 撮られた写真を見て、ソラは口をつぐむ。


 柔らかな茜色のバストアップだ。

 揺れた髪が所々白く光っている。窓に背を向けるように振り返ったから、顔には薄く影がかかっていた。しかしそれでも気の抜けた、柔らかな表情は充分に見て取れる。

 加工がうまいだとか、そういうちゃちな変化じゃない。この期に及んで、自身の顔の良し悪しもてんで問題ではなかった。

 それはまるで一枚の絵のようだった。起こった奇跡がありったけ閉じ込められて、一番いい一瞬で切り取られている。言葉が安っぽく思えるくらい、その写真は美しかったのだ。



「どう?」

「……なん、て、いうか、その……」

「うんうん」

「……他のよりかは、マシ、って感じ」

「ふふん」



 素直にすごいと出てこない口がむなしい。しかしそれを気にせず、ルクバトは得意そうにしながらスマホを弄っている。

 不意に通知音。ソラがスマホをポケットから出すと、LINEでその写真が送られてきている。初期のままのアイコン、送り主の名前はR。



「……私LINE教えたっけ」

「ううん、今追加した」



 ソラはインスタやってないしね~。

 そう言って笑い、ソラを抜かして前を行くルクバト。

 足を止めたまま、ソラは送られてきた写真を改めて見つめる。切り取られたソラは相も変わらず、惚けた顔でこちらを見ていた。


 笑顔、ではない。しかし無理矢理作った笑顔よりずっと自然で、ずっと写真として美しい。



「(……我ながら気ぃ抜けすぎでしょ)」



 彼が危害を加えないことくらいは、ソラ自身もうわかっている。敵意がなく、むしろ校内での距離感など、性格を尊重してくれていることも。

 だがしかしそれはそれとして、こんなにも早くほだされているのが何となくむず痒い。自分はこんなにもちょろい女だっただろうか。やはり精神干渉、そして顔か。顔がいいとここまで人間ほだされるものなのか。


 そんな甘酸っぱい悔しさが目頭に滲んで、ソラは思わずスマホを構える。被写体は勿論、少しだけ前を行くあいつ。

 自分ばかり撮られているのは癪だから。どうせ残念な出来になってしまうけど、多分笑って許してくれるだろう。



「、ソラ?」



 いつまでも追ってこない足音に気付いたのか、ルクバトは少し前で振り返る。

 その瞬間、ソラはカメラのシャッターを押した。


 かしゃり。



「……ん?」



 アルバムを開き、先ほど撮った写真を出す。

 技術もくそもないような写真だ。アングルだってただ写しただけという印象がぬぐえない。

 しかしそれだけで片付けられる違和感ではなかった。なにも不思議なことはないはずなのに、先ほどルクバトが撮った写真と比べて、ソラが撮ったその写真は何故か暗い。



「(陽が翳って光が薄れたかな……?)」



 そう思って視線を上げて。

 ぞわりと総毛だつ。


 廊下の奥、ルクバトがいる場所よりさらに向こうに、不自然なほどの暗がりがある。

 橙色の差す廊下はいつの間にか薄暗く曇っており、まるでその暗がりを中心にして闇が拡大していっているようだ。漂う禍々しさは冷気となって、地を舐めるように這いずり回る。項の産毛がちりちりと逆立ち、その中心にいる存在の危険性を物語っていた。



「……影狼、!」



 ルクバトが飛び、ソラを抱え上げ地を蹴った。前へと吹き飛ぶ視界。聞くものの鼓膜を、空気を震わせる咆哮。

 それこそ鳴りを潜めていた影狼の、二度目の襲撃の狼煙だった。


次回の更新は1/31(金)の予定です。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ