第六話 戸惑いと
「あんたほんといい加減にしなよ!?」
さて放課後、人気のない空き教室に怒号が響く。
初対面から一日と少し。ソラはやっとひとつの結論に至っていた。
「(こいつ、色々と危なっかしすぎる……!)」
というのもこの男、何かとやらかしまくるのである。
休み時間には、物珍しさに群がってくるクラスメイトがうるさいからと、彼らの口を物理的に開かなくさせてパニックを起こし。
昼休みの購買で、人が多いのが面倒だからと自分たち以外の存在を一瞬消し。
授業の最中に「あれ間違ってるよねぇ」と言い放ち、見えない力でチョークを動かして暗号のような数列を書き連ねた。それも数学や理科などの理系科目ではなく、現国の時間にだ。
つまるところ、超常現象のオンパレード。馴染む気ゼロの独断専行。
最初は気のせいで済ませていた人々も、チョークが一人でに動いた時にはてんやわんやの阿鼻叫喚。後方へ逃げようと席を立って転び、見事保健室送りになった馬鹿もいる。パニックになって授業が中断されることまであった。
「だってぇ……」
「だってもクソもない」
うりゅうりゅと瞳のきらめきを増してかわい子ぶるルクバトの頭を、ソラはチョップで容赦なくしばき倒す。
うすうすわかっていたことではあるが、ルクバトにはあまりにも常識と倫理観が欠如している。
そもそも『そのほうが楽だから』とはいえ、新しく作り出すという選択肢の前に『既存の人間を消し去る』を選べる精神性は現代日本では普通にアウトなのだ。というより埒外、法外すぎてルールが追いついていない。
馴染む気がある、なんて少しでも甘い見方をしたソラの落ち度であった。
「とにかく!」
「うん」
「何かするときは、できる限り一回私に聞いてからやって。 判断するから」
目は覚めた。もはや夢だ何だと言っている暇はない。とにもかくにもこの危険生物を、何とかして制御下に置くしかない。
そうして少しずつ常識を覚えさせていくしか、ソラの平穏な学校生活を守る方法はないのだ。
昨夜のファンタジー気分はすっかり抜け落ち、ソラはもはや飼い主の気分だった。
誰かに頼ることはできず、手綱を握ることができるのが現状自分しかいないというところが、どうにも頭痛を促進させるが。
「んーいいけど、緊急の時は? 聞けない時もあるかもだけど、その時はどうすればいい?」
「あー……、」
「いちいち聞くのも楽しいけど、まどろっこしいのは嫌だろ?」
優先順位を決めてほしいな。
ルクバトはなんら変わりない表情でソラを見返した。
しかし難しいことを聞く。
ソラはくっと考え込んで、先ほどまでの剣幕が嘘のように押し黙る。
まず、『常識の範囲で』という言葉は使えない。そもそも常識がない奴だからだ。
しかしなにもかも全てを細かく説明していたら、日が暮れるどころではすまない。
そもそもありとあらゆるパターンをいちいち予測して説明など出来ようはずもないわけで。
「えー、と」
「うん」
「……と、りあえず、私の安全が最優先。 で、あと周囲への被害は極力ない方向で、人間も消しちゃだめ」
結果。
ソラは「非常に不本意」を顔に滲ませながらそう結論づけた。
何をするにしてもまずはソラの命を優先。これは保身もあるけれど、この男の手綱を握る者がいなくなることを懸念した結果だ。野放しにしていたら、冗談抜きで何をしでかすかわからない。
そして周囲への被害。これは簡単だ。人命は大切にすべきである。
直せるにしたって、見ている方は心臓に悪い。それに散々壊して後で「やり過ぎて直せない⭐︎」なんてケースがないとも限らない。
「注文が多いね」
「うるっさい、普通でしょ。……でも、」
「ん?」
「なるべく、そういう状況にもさせないで」
できるでしょ?
その挑発するような問いかけに、ルクバトは笑って「我儘~」と言った。その目は「当然」とでも言いたげに細められている。
「まあ、まだあいつらも本格的に来たりはしないだろうし、大丈夫だろうけど」
「……え、あれ時期とかあるの?」
「うーん、というより『成長』、みたいな?」
とにかくまだ完全体じゃないんだよ。
つまり、一撃でルクバトの腕を消し飛ばしたあれが、まだ本調子ではない威力だということだ。ぞっとして、ソラは顔を顰めた。まだ当分は大丈夫そうだとはいえ、完全体の力は想像したくもない。
「……てか、あれなんなわけ? なんで心臓狙ってくんの? おいしいの?」
「そうかも。 肥大したモラトリアム、死ねなかったピーターパン、あの日夢見たファンタジーの残りかすに、慢性的な孤独をひと匙。 そういうものが捻れ捻れて今やあのザマなわけだし」
「言い回しが回りくどい。 まったくわからん」
「慣れてよ」
「あと『星』だっけ? あれはなに? なんで集めてるの?」
無意識に胸元を摩りながら、ソラはそう聞いた。
心臓に溜まるあのきらきらした物体。入れられるような箇所もなかったし、そもそもあれを集めてどうなるというのか。
「んーとね、この世界で言うところの……ときめき? ワクワク? ドキドキ?」
「はぁ?」
「甘酸っぱい震え、乙女ティックな困惑感情、……うーん言語化が難しい。 とにかく、そういうプラスの感情の揺れ動きで生まれるのが『星』だよ」
ソラは視線を上にずらして、「呆れた」という感情をこれでもかと詰め込んだため息をついた。
基準があまりにも曖昧過ぎる。これでは星を集めるのは苦労するだろう。なにせ肝になるのは感情。基準にするには曖昧で、身体の動作のようにコントロールもしづらい。いくらこの男が人知を超えた力を持っているとはいえ、……
「……ん?」
ソラはそのまま硬直した。思考がスロウになって、嫌な予感が背筋を駆け上がる。
星。ワクワク、ドキドキ、ときめきなど、感情の揺れ動きで溜まる。しかも言い方からして、随分甘ったるい類のものだ。
そして昨夜、出会ってから何度か星が溜まっており、それをルクバトも認識している。
つまり、
「割とドキドキしやすいよね、きみ」
「心を読むなァ!!!」
大声が空き教室に響いた。窓から見える夕焼けが美しかった。
最悪だ。ソラは頭をかかえ、その場にしゃがみ込んだ。
どういうところでときめいたか、どんなことで胸が高鳴ったか。そういう人には知られたくない機微全て、このノンデリならぬノン常(ノン常識)人外にリアルタイムで筒抜けということである。なんという恥辱。
そもそも思い返せば、ところどころ心を読まれているらしい返答の仕方すらあった。
つまり、ファンタジーの訪れに内心子供っぽくはしゃいだのも、「会いに来た」の一言で好意を感じ少し照れていたのも。というかあの『会いにきた』発言も、結局のところあの時予想した通り、すべてすべて。
「可愛くっていいんじゃない? 心臓が素直って感じ」
「……ッこの、」
声を絞りだしながら、ソラは立ち上がりルクバトに掴みかかる。殴ろう蹴ろうというわけではなく、溢れた羞恥の行き場がなかったからだ。どうしていいかわからずに、ただ目の前にいる乙女心弄びクソ野郎に何かしらくらわせてやらないと気が収まらない。
この男、つまり本当にソラのことをなんとも思っていない。他より幾分か効率的な星の貯金──貯星箱程度にしか思っていないのだろう。予想はしていたし、何か別の感情を期待していたわけでは断じて。断じてないが。
心臓がはちゃめちゃで、情緒はめちゃくちゃ。生白い顔に宿る赤みは、夕焼けのせいにはしきれない。
「わわ、危ないな」
「おちょくるな!」
こちらは純然たる被害者だ。主にプライバシーの侵害、あとは精神的な被害がひと掬いほど。
そんな思いで伸ばした手はするりと避けられ、もちゃもちゃと子供っぽいもみ合いになる。
となると性差、それも運動不足からくる非力さを上乗せしたソラがかなうはずもなく。
「はーい観念して~」
「んぎ、……ッ離して!」
「離したら殴るだろ、きみ」
抵抗虚しく、むぎゅ、と抱きしめるように抑え込まれた。
ソラはしばらくじたばたともがいていたが、どうにも動きがつかない。細身な外見に見合わず、筋力はあるのだろう。これ以上どうともならないことを悟ると、仕方なく少しずつ力を抜いていく。
「……殴らない、離して」
「んー、もうちょっと」
「ッあのねえ、……」
呑気な声だ。セクハラという言葉を知らないのか。
呆れを全面に滲ませつつ、ソラは沈黙。そうしてなんとなく目を伏せた。
目の前が黒で埋まっている。脇から入った斜陽で、真鍮のボタンが一瞬きらめいた。
部屋はすっかり橙色で満ちていた。
微かな衣擦れと、遠くから聞こえる野球部の掛け声。トランペットの旋律がうわごとのように耳を擽る。
ノスタルジックな静けさがどこかじれったくて、心地いい。
「(──────なんで、こんなに安心してるんだろう)」
ソラはぼんやりと、不思議に思う。
だって、目の前に居る男は明らかに危険だ。なんの予備動作もなく人を消せるし、記憶や認識を改変することもできる。時間も止めていたし、あの光眩い門だって得体が知れない。
ソラに危害を与えることだってきっと容易だろう。星を集めるだのなんだのと言っていたって、その可能性があることは否めない。
「(なのに、)」
可能性は十分あるのに、不安が伴わない。
『こいつは自分を傷つけない』という謎の確信が、身体の中に浮かんでいるのだ。母国語を見れば意識せずとも意味が脳裏に浮かぶように、あるいは遠い波の音で、ふと足元の覚束なくなる郷愁が滲むように。
不思議な安堵が心を満たして、不安や疑念を押し流していく。
「あのさ、」
「ん?」
体勢を変えず聞き返す声。
すぐには答えずに、ソラはじっとその首筋を見つめる。
「(……もしかして私も、干渉されてんのかな)」
存在をクラスに捩じ込んだ時のように、自分自身も神経のどこかを弄られたのだろうか。だからこいつに抱きしめられて、こんなに解れるような心地になっているのだろうか。
ソラは口には出さないまま、ふ、と視線を動かした。ルクバトは何も言わない。きっと心の声は聞こえている筈なのに。
「……なんでもない」
「そう」
「……っていうかまだ満足しないわけ? そんなに抱き心地いい?」
「んー割と。 肉と骨で出来た身体って不思議な感触だよねえ」
「こいつ……」
言わなかったのか、言えなかったのか。
とにかく、ソラは口をつぐんだ。そうして普段の空気を装えば、ルクバトも止めずに乗ったから、疑問は宙ぶらりんのまま心の奥底へ仕舞われた。
その代わりとでも言うように、胸の奥では、忘れていたはずのなにかがぎゅるぎゅる渦を巻いている。脳味噌は静かに空回って、ちりちりと底の方が静かに炙られ始める。
しゃろ、と控えめに星が落ちる、その音ひとつすら気恥ずかしい。なのに幸福感は沈むように増して、そのまま目を瞑ってしまいたくなる。
「(……我ながら、ちょろ過ぎるでしょうが……!)」
こうして抱きしめるのも、誤解しそうな言動をしたのも、星を集めるための手段。そうでなくたって十中八九からかい。それ以外の理由なんて見当たらない。
そう思ったって、灯った熱は冷めやらないのだ。ソラは密かに唇を噛み締める。
だってこんな、こんな風に抱きしめられたことなんて一度も────────……
「お、ッごめん花崎、邪魔した?」
「だぁッつあ!?!??!!!??!」
がたがたがたっ!
がちん、と嵌まるように世界が明瞭になって、ソラは突き飛ばすようにしてルクバトから離れた。ルクバトは転びこそしなかったけれど、たたらを踏んで少し後ずさる。
扉を開けたのは木下だった。ソラとルクバトを交互に見て、少し気まずそうな顔をしている。
「いっ、やいやいやいや! 全然!?」
「そう? それなら、よかったけど……」
見られた、見られた、見られた!
ソラの頭の中は羞恥の暴風が吹き荒れていた。
今入ってきたような態度をしてはいるが、木下の態度は明らかに先ほどの光景を見た者のものだ。気まずそうで、申し訳なさそう。「お取り込み中かな〜」の表情と声。
転校してきて一日目の美青年とクラスの陰キャが空き教室でハグ。どう見たって釣り合っておらず、見た者の違和感は必然的にソラへ向かうだろう。それも『身の程知らず』という形で。
「(無理無理無理死にたい死にたい死にたいッ!!!)」
もはや過剰ともいえるほどの卑下と想像で、ソラの羞恥は加速する。
先ほどまでの安心感は霧散し、今はただただ気恥ずかしい。最後の矜持で平静を保とうとしているが、震え逸った声に隠し切れない動揺が表れている。
沈黙、およそ十秒。ソラにとっては永劫にも感じる十秒だ。
羞恥の波は少しずつ落ち着き、その代わりに気まずさが段々と現れてくる。
その気まずさを振り払うように、ソラは木下に対して口を開いた。
「……っそ、ういや木下、今日部活は?」
「今日休み」
「あーね……で、ごめん、何か用だった?」
「あー、えと、荷物忘れて帰ったんかと思って。 ラインも既読つかんし」
「あっマジで? ごめん、全然置いといてくれてよかったのに」
「いや花崎いつも秒で帰りよるから……」
普段の自分を思い返しながら、ソラはあきれ顔で差し出される鞄を甘んじて受け取る。
実際、彼女はホームルームの終わりと共に席を立つ。誰かと話したりすることはなく、脇目も降らずすぐに帰路につくのだ。先生に声をかけられた時も、そのまますぐに帰ることができるように必ず鞄を持って行っていた。
それが放課後しばらく経ってもぽつんと置かれたままともなれば、優しい木下は心配にもなるだろう。
「ソラ、もう帰る?」
「へっ、え、? ッあ、ま、まあ、用事もないし」
「そう。 じゃ、また明日」
ソラににこりと笑ってそう挨拶をし、ルクバトは木下の横をするりと抜けて教室を出た。
二人きりになる教室。その場を満たした沈黙の中、今度は木下が先に話を切り出す。
「早速仲いいんだな、転校生と」
「え、? あ、……いや違くて、……なんていうか、外国人だからあれ、パーソナルスペースバカ狭いんだよマジで」
「……ほーん」
確かに、近かったな。
煮え切らないような声色で木下はそう言った。少し上にある彼の顔をソラは見上げたけれど、その表情からは何も読み取れなかった。
なんとなく気まずくなって、二人はまた黙りこくる。
そうしてどちらからともなく教室を出て、神妙な面持ちのまま帰宅するのだった。
次回の更新は1/24(金)の予定です。






