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第四話 不法侵入

 



 意識が泥濘から浮上する。

 とろっとした眠気が未だ身体中に残っているのに、意識だけが『覚醒』という感覚に引っ張られて妙に鮮明だ。揺れるカーテンの隙間から降る、朝の白光が目に染みた。


 朝。時間は六時と数分。

 むずがるようにソラは身体を起こした。


 頭を掻きながら部屋を見渡す。

 寝乱れた布団、どこか散らかったような部屋。普段とそう変わりない、日常的な自室だ。着ているのは寝間着用のTシャツにジャージで、地味な色合いが寝ぼけ眼に優しかった。


 ソラはベッドから降りて、壁にかけたセーラー服を手に取った。


 ハンガーを抜き取り、ひとまずベッドへ放り投げる。寝巻きを脱いでそれもまた同じように。

 生白い肌を陽光が滑り、微かな産毛がちらちらと光った。

 シャツに袖を通し、スカートのジッパーを上げる。赤いスカーフを結ぶのはまだ少し慣れない。しかしああ無情、かつての憧れも今ではただの流れ作業だ。


 貧しく悲惨な思考を放り投げ、ソラは階下へと降りる。

 そこでは祖母と母が揃って料理をしていた。



「あれソラちゃん、おはよう」

「おはよー」

「あんた今日早いね、何かあるの?」

「いや別に、目ェ醒めただけ」



 歯を磨き顔を洗って、戻ってみれば机にわかめおにぎりがふたつと茹でた冷凍ウインナー、そして甘い卵焼き。

 受け取って食卓につき、スマホを見ながらおにぎりを頬張る。

 通知として来ているのはSNSでフォローしたアカウントのツイートだけで、特に知人からの連絡は来ていない。友人が少ないゆえの気楽さだ。多い人は返信だけで時間が潰れていくというが、ソラにはかくも縁遠い。



「ご飯食べる時は?」

「へーい」



 スマホを触らない、ね。

 朝から変にごたついて空気が悪くなってもしょうがない。ソラは母の小言通りに大人しくスマホから手を離し、手持ち無沙汰にニュースへ目をやった。

 ニュースキャスターは素晴らしい笑顔で一日晴れの予報を告げており、ポップでミニマムなキャラクターがそれに相槌を打っている。


 おにぎりの最後の一かけ、そしてほかの二つも口に放り込むと、ソラはお皿を片付け、洗面所へと向かった。

 歯を磨き、顔を洗う。セミロングの髪は大きな寝癖がないので、手櫛で軽く梳かす以外はノータッチ。今時の女の子のような頓着がないわけではないが、それよりも面倒臭さが勝ってしまう。ソラの髪には元来癖があるが、長さゆえの重みでたいして問題になったことはない。



「出るの早いねソラちゃん」

「まあ、たまには」

「私ももう出るわ、おばあちゃん戸締りよろしくね。 ソラいってらっしゃい」

「いってきます」



 カバンをしっかりと持ち、ローファーを鳴らして家を出る。

 学校までは歩いて約二十分。走れば十五分、自転車ならば十分だが、余裕のあるこんな日にはしたくない。

 それにソラの住む家は、自転車通学が許される地区のギリギリ範囲外なのだ。

 おまけしてくれればいいのに。ちよちよ鳴く小鳥の横を抜けながら、ソラはいつもそう思う。


 まろい暖かみを帯びた朝の空気。

 にこやかに挨拶をしてくれる近所のおじいさんに軽く会釈をして、どこか夢見心地に歩を進める。

 夏に移り変わる間際の陽光は、痛いほどの熱さこそないけれど、些か白く眩しい。

 だからソラは名前も知らない広葉樹の下へ入った。足元には落ち葉と、少しすり減った黄色いタイル。


 すると不意に、ひら、とまだ青い葉が舞い落ちて、ソラの胸元のリボンに引っかかった。



「、……」



 思わず一瞬、足が止まる。

 柔らかな風がとりとめもなく落ち葉を踊らせ、スカートの裾をいたずらにくすぐる。重なり合う木漏れ日の静寂。しっかりと地面についた筈の足の裏が、一瞬ふわりと浮いたような心地がした。


 無論ただのデジャヴだ。止まった足もすぐに動き出す。光はズレて風はやんだ。今この世界は紛れもなく現実である。

 しかし記憶を思い起こさせるには充分で、ソラの脳はぼんやりと昨夜の顛末を思い返しだしていた。






 もぬけの殻のソラの自室。

 静かだったそこに、次第にサイレンのような叫び声が近づいてくる。ドップラー効果のお手本のようなそれは、窓のすぐ近くで急に止まった。

 ひとつの影がカーテン、そして部屋の床に映り込んでいる。



「はい到着」



 影はそう言って肩の荷物を下ろした。

 荷物は先程のものからは考えられない、まるで蝶が止まるような緩やかな速度で部屋の中へと侵入。ベッドにその身体を下された。

 ソラだ。ぐったりとしていて、少し顔が青い。完全なるグロッキーである。


 ジェットコースター飛行で夜空を蹂躙したルクバトは、ぐったりと脱力しているソラを見おろし、「もう大丈夫」と言った。



「流石にもう今夜は来ないよ、多分ね」

「……それ、明日は来るかもって事じゃん……」



 っていうか多分って何……?

 ソラはくらくらする頭を抑えながらそう聞いた。あんな化け物、寝込みを襲われてはたまったものではない。襲ってくる相手そのものによるとはいえ、ある程度基準が発覚しているのならば共有しておいてほしい。

 それに対し「獲物の睡眠時間を削るほど相手も馬鹿じゃないってことだよ」という返事が返される。



「? 普通逆じゃない、? 獲物を弱らせるために……」

「それは普通の獣が普通に狩りをする時の普通だろ」

「?」



 ソラはクエスチョンマークを表情に浮かべた。

 意味がわからない。そりゃあ『あれ』が普通の獣でないこと、したがって普通に狩りをするわけではないことくらいわかる。しかし獲物を追いつめるなら、その対象の生命活動に必要なもの──食か、睡眠あたりを絶てれば、獲物は弱り狩りやすくなるというのに。



「まあ、何かしら対策は考えておくから」



 だから今日はおやすみ。

 そう言って、ルクバトは頬を柔く撫で、消えた。ソラが瞬きをした次の瞬間には居なくなっていたのだ。


 ソラは寝転んだまま、暫く窓を見つめていた。そうして何か言おうとして、口をつぐんだ。文句を言うには遅過ぎたので。


 そうして彼女は立ち上がり、部屋を出る。ドアは数十分前のことなどなかったかのように、何の抵抗もなく開いた。

 身体はどっと疲れているが、まだもう少しもってもらわねばならない。なにせ夕飯を食べていないし、風呂にも入っていないのだ。


 すっかり冷めてしまった夕飯を最低限必要なものだけ温め直し、腹に詰め込む。そうして風呂に入って歯を磨き、やっとの思いで寝間着に着替えてみれば、時間はもう一時二十九分。

 ソラは疲れにあらがうことなくベッドに倒れ込んで、今度こそ朝まで泥のように眠ったのだった。






 回想から立ち返り、朝の歩道。

 ソラは眉根を顰めてため息をひとつ。

 ここまでの体験をした今でも、正直信じられない。夢だと誰かに言われたら「だよねぇ」と同意を返してしまいそうだ。

 だが、それにしたってしかし。



「なんていうかもうちょい、夢にしたって穏当にいってくんないかな……」



 情けない声だった。

 年齢に見合わず精神が枯れているのだ。突発的な急展開にすぐ順応できるほど、心はもう幼くはあれない。


 広葉樹の影を抜け、新しくできた美容院を横切る。静かな住宅地の間の細い道を抜け、少し歩けば校舎の屋根が見えてくる。

 ソラはその手前にある信号を、手持ち無沙汰に眺めながら待った。伸びた影がコンクリートの上に淡いシルエットを残していた。



「(大体、ファンタジーの導入にしたって随分荒っぽかった)」



 寝起きに空飛ぶ美少年が襲来。星を集める協力を要請されたと思ったら、不気味な敵に命を狙われる。

 複雑ではないが、説明が足りなさすぎる。

 おまけに突拍子がない。トラックに撥ねられたわけでも猫を助けたわけでもないのに、あまりにも展開が急だ。


 信号が青に変わる。思考を一瞬止めて、ソラは足を進める。幼い頃は白の部分だけを飛んで伝って渡っていたっけ。


 信号を渡りきり、敷地内へと入る。白を基調とした校舎のすぐ隣には体育館とテニスコートがあり、そこでは既にテニス部が朝練の片付けを終わらせかけていた。

 昇降口はもう人がそこそこに居る。その緩やかな流れに習い、ソラは校舎内へと足を踏み入れた。


 かこん。未だ固さが抜けないローファーを下駄箱へ入れ、室内履きのスリッパへと履き替える。

 教室は最上階だ。エレベーターは生徒の使用を禁止されているから、毎回三階まで階段をのぼらなければならない。


 光を白く反射する無機質なリノリウム。階段の隅の方に、掃き損ねたらしい埃が灰色に詰まっていた。

 まだ始業時間には少しある今、階段には人通りが多い。登るソラを追い越す者、または下へ向かいすれ違う者。軽やかな挨拶の声が耳に入る度、微かに思考が揺れるのが煩わしい。



「(それで、何を……ああそうだ、説明がなさ過ぎてわかんないって話だ)」



 階段を登り切れば、教室はすぐそこだ。

 窓から見えるに、人はもうそこそこいるらしい。

 視界の端でぼんやりとそう把握しながら、無造作に扉に手をかける。


 どうせなら、曲がり角でイケメンとぶつかるくらいの安全かつわかりやすいテンプレートであってくれれば、なんて────────



「あ、おはよう」

「 」



 絶句する。

 食パン咥えて走って登校、曲がり角でぶつかった謎のイケメン。不愛想な彼に「なによ!」と目を瞬かせながら学校へ行くと、季節外れの転校生がくるというアナウンス。現れたのはまさかの今朝ぶつかったアイツで──────……なんてべたべたの少女漫画的展開を、彼はいともたやすく超えてきた。


 しっかりと着こなした黒の学生服。窓からの陽光にちらちらと煌めく髪。初対面よりも幼さが薄れた、しなやかな躯体。


 昨夜数十分ばかりの大冒険を共にしたルクバトが、あたかもこのクラスの一員でございと言わんばかりの顔で、ソラの隣の席へ座っていたのである。



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