第二十六話 いずれまた
がくんがくん。揺らす手が、不意に止まる。
ルクバトははてなマークを顔に浮かべ、ソラを見た。
「なんで、私なの」
眉尻は下がり、まるで迷子になった子供のようだった。
ルクバトのことはわかった。
星を集めにきたわけではない。言葉通り、『ソラに会いに来た』別次元の存在。
星が理由でないとはっきりわかった今、ソラは彼の好意を疑いはしない。
しかし、ではなぜそこまでの好意を向けられているのだろう。
途中で言った、「見た目や人格は関係ない」と言ったのも、今考えれば嘘ではないのだろう。
だからこそ、その時は教えてくれなかった理由が知りたかった。
だってソラは創作物だ。繰り返しているということを知っている以上、ソラが認知していない他の世界線のソラにも会いに行っているのだろう。微妙な差もあるようだが、結局は何度も何度も同じシナリオを繰り返す存在。たったそれだけの、つまらない存在。
どうしてそんな自分に、そこまでかかずらうのか。
「……君たちってこういう時、『好きになるのに理由はいらない』とかいうんじゃないの」
「人間だから理由を欲しがるんだけど」
戯言で着飾った言葉じゃなくて、簡潔に、もしくは素直に、ソラにもわかる基準で理由をつけてほしかった。
ソラのその不可解を湛えた眼差しに、ルクバトは少し気まずそうに頭をかいた。
「んー……」
「……」
「……なんて、言えばいいんだろう。理由って言われたら、本当にないんだ。 だから、言うなれば経緯になってしまうけど」
元々、ルクバトがいた世界に『個』という概念はなかった。
そこに存在する全ての生命に差異はなく、また自我と呼べるものもほとんどなかった。
三次元で言うところの大気のようなものだ。酸素などの原子としてそこかしこに存在はしているものの、全体で見ればそれは大気として存在しており、個としては存在しない。
群体という形ですらない。ひとつの大きな生命体として、食事や排泄などの生命活動を必要としないまま、ただ在るだけの存在だった。
しかし時折空気が漏れだすように、ルクバトは別の次元へ行くことがあった。自身の意思からではなく、単純に偶然ではあったが。
ありとあらゆる次元を行き来する中、ホワイトノイズのごとく来ては流れていく情報の海の中。
ふと、ただの文字列であったソラを見つけた。
「ひとめぼれ、っていうの? その時、確かに僕は今までとは違う僕になった」
火花が散った。「これだ」と思った。
起伏にかける小説のプロットの中で、言い知れない不安を斜に構えてやり過ごしていた『花崎ソラ』という登場人物。完璧な聖女でも救国の女傑でもない、心の優しいただの女の子。
取るに足らないその存在が、何故か意識に爪を立てて離してくれなかった。
だから、会いに行った。理由なんて必要なかった。自分の存在を切り離し、次元を超えて、世界の層を超えて、その世界に合わせて身体を形作った。そうして今の『ルクバト』になって、居眠りをしていたソラの部屋の窓を叩いたのだ。
「でも君は、どこまでいっても『物語』だった」
この世界は、あくまで『物語』。隅から隅まで全て作られたものであり、同時に単体で完結しているものだ。他の作品との関連があったとしても、物語として独立したものであることには変わりない。
つまり、『発展性』がないのだ。執筆された物語の筋書から大きく離れた出来事は起こせないし、物語の『その後』がない。
現にルクバトが会いに行くまでのソラはずっと、ルクバトではない人に恋をして、星を集めて、満足げな顔で散っていた。
「だから、変えた」
だから、ルクバトは物語を捻じ曲げた。
心情の動きを中心とする、少しのファンタジー要素で彩った今時ありきたりな学園モノ。
友人との交流や恋をするたび増える『星』を集めることで、柔らかな心を取り戻していくソラ。しかし最後大切な人を助けるためにその星を使い、「悔いはない」とそれらしいことを言い残して消滅する。
そんな物語の中に自分という存在をねじ込んだ。
本来は、この世界自体から連れ出すつもりであった。
この世界以外にも世界は文字通り星の数ほどある。そしてルクバトなら、人間一人連れ出す程度わけはない。そのはずだったのだけれど。
「……君を連れ出したら、物語が崩壊した」
主人公を失った物語は崩壊し、連鎖的にソラ自身もその影響を受けたのだ。
何度も試した。試行錯誤した。しかしそのたびにソラの身体は崩れ、精神は崩壊し、例外なく無へと帰した。
この物語の『核』であった彼女なしには物語は続けられず、逆説的に彼女も物語なしには生きられないのだ。
「だから、通った」
ルクバトは捻じ曲げた物語を繰り返すことにした。
窓をノックしソラと出会って、影狼を退けつつ星を集めて、最後弾ければまたあの夜へ。
この物語が開かれるたびに、『はじめまして』と『さよなら』を繰り返した。
『星を集めて最後には弾ける』というストーリーの基盤はどういじっても変えられなかったから、せめてその中でもソラが楽しくあれるように。
「……というか、そもそも影狼って物語には存在しなかったんだよね」
「は? じゃあなんで、」
「僕が来たから、物語のバランスをとるために生み出されたんだよ」
『ルクバト』が物語のキャラクターとして取り込まれたことによって、物語は変質した。控えめだったファンタジーがその勢いを増し、ジャンルの濃度を塗り替えた。
影狼はその変質によって生まれた生物である。ゆえにずっと、自身が生まれる原因となったルクバトを恨んでいる。
「繰り返すのは、ずっと、?」
「いや、タイムリミットはある。 それこそ本当に終わり」
「終わったらどうなるの」
「擦り切れすぎた本が読めなくなるように、この物語の存続が不可能になる」
ソラがルクバトの存在をすぐに受け入れ安堵していたのも、結局は繰り返しているが故だ。
繰り返し巡ったお気に入りの本ほど色褪せていくように、繰り返すたび『花崎ソラ』の恋はじわじわと積もっていく。読むたびに物語は擦り切れて、いつかその日はやってくる。その時が来ればもう、ソラの今までの記憶を押しとどめてはおけない。
積もり積もった恋が溢れ、『一人の女の子が初めて、全て投げ打っても良いと思えるような恋を知る物語』は崩壊する。
「作者が元凶なんでしょ? じゃあ、作者をなんとかすれば……」
「……生物としての格は明らかに僕のほうが上。消すことも多分できる。……でも『物語』という媒体において、作者って肩書は神より重い」
作者は物語における最後のアンカー。物語を物語として確立させている大きな鍵だ。
小説は、否『創作物』は作者なしには存在できない。『詠み人知らず』も結局は作者がいたからそこにあるように。
逆に言えば、作者さえ生きていれば物語はどう崩壊しようときちんと元に戻る。物語を多少いじっても、作者がペンを握っている限りどうとでも帳尻を合わせられる。ソラを『生きたまま』連れ出したいが方法がなく、試行錯誤をしなければならなかったルクバトにとって、ある意味安全装置とも言えるだろう。
「現に元々の物語の中に、映画館のパートも含まれていなかった」
つまりこの空間は影狼と同じく、ルクバトが介入したからこそ作られるようになった空間であるということ。
物語を破壊し得る存在が介入しても、この世界においては作者がルールだ。どれだけの暴挙であろうと、作者が世界にかける修正力が優先され、肯定される。
何せ、『創り主』であるのだから。
少しの焦燥を持って、ソラは嘆息した。
取り返しのつかないことをしてしまったと実感する、あの時のため息だ。
正直に言うなれば、まだ実感は出来ていない。
情報として理解はしたけれど、感覚が理解を拒んでいる。
壮大なものを見た時に人が何も言えなくなるように、衝撃は得てして人から理解を奪うのだ。
だからこそ、今ソラの中にあるのは。
「……こんなの、」
「うん」
「こんなの知らなかった。多分、知らなきゃ良かった」
揺蕩うだけ。眠っているか起きているかも定かでないような日常が、一息でひっくり返される。
重だるい天幕を引き剥がして、その先に広がる青空が美しいように。初めて見つけた感情は、泣きたくなるくらい綺麗で、ほんのひとつまみくらい切なかった。
それなのに、全部『ここまで』だなんて。
「ごめんね、全部僕のせいだよ」
ソラを見つけて。その瞬間、名もない彼は『ルクバト』になった。
だから全て、ソラの安寧さえ踏み躙った。
知らなければないのと同じだ。元々の物語のままなら、ルクバトがソラに会いに来なかったなら。そうしたらソラはこんな思いも知らずに、のうのうと短い生を繰り返し続けられていただろう。
「それでも、君に会いたかったから」
「……ふ、ざけんな」
あんたが起こさなきゃ、私は眠ったままであれたのに。
恋なんて知らなきゃ、平凡な文字の塊のまま死ねたのに。
本当の自分は、『彼に恋をした花崎ソラ』は、このエンドロールにしか存在できない。ひとたびここを出れば、この場所に記憶の何もかもを置いて生まれ変わってしまう。この場所でだけ存在できる、生きても死んでもいないもの。それが主人公『花崎ソラ』だった。
「ッ、こんな、こんな、さあ、」
声が湿り気を帯びる。流れていく文字がじんわりとぼやける。
何度繰り返したんだろう。
何度目の、恋だったんだろう。
「なんとかできたり、しないの」
「しない」
無情な肯定だ。
前提を崩せばその上に成り立つ全てが崩れる。『物語』として在るこの世界から主人公を連れ去ってしまえば、全てが崩れ落ちてしまう。
ルクバトの服にかけられた手に、ぎゅっと力がこもる。
細い肩は可哀想なほど弱々しく震えていた。
「わすれちゃうの、やだよぉ……」
何度も繰り返しているとしたって、今のソラにとってはこれが一回目。
最初で最後の恋だ。出会って、揺れて、ときめいて、時折つらい思いをしながらそれでも手放さなかった、大切な感情だ。
忘れたくない。忘れたくなかった。経験した『今まで』が、誰かに作られたシナリオであってもいい。そんな『今まで』を大切に持ったまま、二人でエンドロールのその先へ行きたかった。
涙でぐしゃぐしゃになった顔を、ルクバトは真正面から見つめた。白魚の手が頬を滑り、べたつくそれを丁寧に拭っていく。
「忘れない」
真摯な声だった。
「君が忘れても、僕が覚えてる」
「、……」
「何度だって会いに来る。あの日、あの夜、あの部屋で、何度だって『はじめまして』を言うんだ。そうして、」
肩へうずめたソラの顔に、手が添えられる。
そのまま柔らかく持ち上げられる。視線がぶつかる。
「何も知らない君の運命を、何度だってまた変えてあげる」
「……ああ、もう終わりか」
ルクバトが指さす先を見る。射干玉のスクリーンを陣取る、『The End』の文字。
それと同時に、身体が動く。ソラはわめきたてることすら出来ない。悪役が最後には倒されるように、物語の最後に『めでたしめでたし』がつくように、これがセオリーだからなのだろう。
意識ははっきりとしていて、何かに操られているという感覚もない。ただ淡々と、自分の意思で、この空間をあとにしようとしている。
「(……出たく、ない)」
なんの問題もなく動く足とは裏腹に、心の髄からそう思った。
立ち上がった視界は粛々と階段を登り、すぐに出入り口の前へと辿り着く。
ソラは振り返らない。また、席に座ったままその後ろ姿を見ているルクバトも、ソラを止めることはない。
「(ねえ、……待って。 待ってってば、)」
扉は世界を隔てる境界線だ。ここをくぐれば、そこはもう元の世界。ひとときの夢は終わり、またいつもの日常に逆戻り。
あそこを潜って外に出ると、もう夢はなかったことになってしまう。
「いや、なくならないよ」
背後から、言葉が投げかけられる。
「ただ……そうだな、眠ってるだけだよ、誰かが読み返すまでね。少なくとも、今までのすべてがなくなっちゃうなんてことはない」
「……そう、」
ソラは振り返らない。振り返れない。
「待ってて」
ルクバトのその声を背に、ソラは歯を噛みしめ、そうして扉を押す。
光が視界を占領する。
踏み出した先、シアターの暗さは夜の暗さへ。散らかった部屋、微かに乱れたベッド。
塗り変わるように世界が変わっていって、見えた時計の針はもう十二時三十六分。
薄れていくその姿に、霞んでいく記憶に、どうしようもなく縋りつきたくなる。こんな物語ぶち壊れたっていい、だからいかないで、って、まるでまだ寝たくない子供みたいに。
ページが捲られる。世界が眠りにつく。
繰り返すしか出来ないゴーストは、そうしてまた全てを忘れていく。
「(────さよなら、)」
目を閉じ、心の中で呟く。
さようなら。数か月限りの大好きな人。
きっとまた会える。居眠りから醒めたあの部屋の窓を、何度だって叩いてくれる。
出会って、恋をして。塗り替わった日常の中、優しい夢を見せてくれる。
どれだけつらくたって、悲しくたって。本編の後のエンドロール、終わりと始まりの狭間。
私が私になれた時、またここで必ず会える。
さようなら、何度目かもわからない初恋。
いつかまた、誰かの手で目覚めるその時まで。
だから、ちゃんとまた会えたら、その時は。
何度目かの『はじめまして』を。




