第二十話 旅行はどう?
「ッ花崎、」
朝。
登校し己の席へと座ったソラに、木下は気まずそうな顔でそう声をかけてきた。
木下が学校へ来るのは数日ぶりだ。首など命に関わるようなものではないが、『どこかにぶつけられたように』全身打撲状態で安静を取って休んでいたらしい。
「あの日、その……ッなんか、お前の手? 掴んだあたりから全然記憶なくてさ、……なんか覚え」
「おはよう」
ソラは視線も向けずにそう言った。
「……おはよう」。木下もまたそう返し、会話はそこでふつりと途切れた。
クラスメイトの数名がひそひそと二人の方を向いている。
どこまで話が進んでいるのかはわからない。誤解は解けているのか、そのままか、それとももっと悪化しているのか。
なんにせよ、ソラは既に面倒くささを感じ始めていた。
そりゃあこれみよがしに陰口を叩かれていればそちらに意識は向かう。居心地の悪さは健在だ。持って生まれた気質はそうそう変えられるものではない。
が、しかしそれにしたって馬鹿らしい。理由を突き抜けて目の前の存在、そしてそれを気にしすぎる自分も。
斜に構えた未成年の諦観と笑ってくれるな。いつか見直せばありふれたものだって、その時には鮮やかで何より大切な葛藤なのだ。
というわけで、ソラはひそひそとする者をじっと見てみる。何の感情も込めることなく、ただじっと無表情で見返すのだ。そうするとちらちらこちらを見ていたものは皆一様にびくりとして、前へと向き直る。結局たったそれだけ、それだけのものなのだ。
誰だってゴシップは好きだが、その相手が平然としていればおどおどしているより叩きづらい。
そういう者には重さのない殺意だけ向けておけばいい。無責任には無責任な感情が似合う。
あの一夜の強制開示カウンセリング()から、ソラはなんだか本当にすっきりした気分になっていた。
ルクバトに対しての疑念も、学校での扱いも、それまでに降り積もってきた自己肯定感の低さも、なんだかすべてどうでもいい。勝手に背負っていた馬鹿みたいに重い荷物を下ろした気分だ。清々しい。
「おはよう」
そういう沈黙の中でソラがぼうっとしていると、ルクバトが教室へ入ってきた。
だからソラは挨拶をする。これもまた、結局はそれだけのことだった。挨拶ひとつに陰キャがどうだとか、クラスのカーストがどうだとか関係ない。
そうして平然としたソラのその様子に、ルクバトはにこっと笑って、「おはよう、ソラ」と返すのだった。
木下の持つ好きと、ソラが持つ好きは違った。少なくとも、ソラ自身がそう感じている。
彼が持つのは普通の『好き』だ。いかにも一般的、この世界における平均的な幸せの形で、結婚とか、子供とか、そういう普遍の温かさに満ちたもの。ありふれていてわかりやすい、記号化することができる『好き』。
だけどそれではソラは息ができない。身体の芯がそのおぞましさに耐えかねて、きっといつかどこかでぼろぼろと崩れてしまう。
だから、いらない。
性欲は生々しくて気持ち悪い。けれど気を許した人とは溶け合うように触れ合っていたいし、そんな曖昧な関係のまま揺蕩っていたい。
みっともない自分なんて何があろうと晒したくないのに、それも含めて全肯定されてしまいたい。
そうしてきるきると甘く締め上げられた心臓に、涙が出るほど苦しめられていたい。
ソラはずっと思っている。
きっとこれは、恋じゃない、と。
恋にするには熱が足りない。本来分かり合えない他人を分かろうとがむしゃらに手を伸ばす、そんな熱は二人の間にはない。
本音を隠す必要性がなくて、何を言っても絶対に肯定してくれる。自分のみっともなさも十分に分かった上で、揶揄うためだろうがなんだろうが、優しい言葉を時折囁いてくれる。そんな都合のいい夢みたいな相手に、そも恋なんてできようはずもない。
だから考えるのはやめた。ここからは信じるだけでいい。
自分の好きになった人を、何があろうが最後まで信じとおす。
影狼の言葉だって未だ真偽はわからない。わからないままそれでも信じる。わからないまま想い続ける。彼女のそれは、そういう覚悟だった。
「そういえばさ、三連休、ソラはどこか行くの?」
「?」
昼休み。お決まりになったあの空き教室にて。
以前、まだソラが周囲の目線を過剰に気にしていたときよりかは近くなった距離で、ルクバトがそう聞いた。
はてなマークを浮かべるソラに、ルクバトはスマホの画面を見せる。
カレンダーアプリ。青の土、赤の日、次いで祝日の文字が書かれた月曜日。今日から約一週間後、夢の三連休だ。
「あー別に。 特にイベントごともないし」
「そう、じゃあ……」
ルクバトはスマホを操作し、ある画面をソラに見せた。
「どう?」
「どう、って……」
見せられた画面には世界一有名なテーマパーク。
雲一つない快晴の空の下、まろやかな白と水色で構成されたお城のコントラストが美しい。ソラも一度、家族と共に行った覚えがある。随分昔のことで詳しいことはすっかり記憶から抜け落ちてしまっているが。
「というかなんで遊園地」
「だってデートと言えば、遊園地じゃない?」
「でっ、」
ソラは固まった。
明確にそういった単語が出ると、やはり動揺は隠せない。
「(だってそれ、……)」
どうやって親を説得すればいいんだ。
ソラの親は一般的なタイプだ。つまり未成年の男女が外泊をすることに否を唱えるタイプ。
ソラ自身それを説き伏せられるだけの語彙力はない。
しかしそんな心配は杞憂に終わった。
「誰と?」
「女友達、あの……あれ、前に話さなかったっけ、委員会で……」
帰宅後、夕食時。
ソラは食卓に乗ったお肉をつつきながら、恐る恐る切り出した。
勿論嘘である。委員会のメンツとは必要最低限の会話しかしたことがない。
しかし男友達と行く、とは流石に言えない。反対されるのはわかりきっている。
「(……でもそれはそれとして……)」
旅行中はどうしよう。
バレる可能性はゼロではない。誤魔化してくれるような友達もいない。
どうしたものか、と悩んでいると。
「ああ、あの花火大会一緒に行ってた子?」
「、え?」
固まるソラに、母は怪訝な顔を向ける。
「え? あのすごい綺麗な子でしょ」
「えっ!? あ、ぁ、うん。 そう」
「お土産はいいからね、楽しんできて」
ごちそうさま、と母はそれっきり。キッチンに洗い物をしに引っ込んでいった。
ぽかん……としたソラはそのまま自分の分を口に押し込み、皿を片付けてからふらりと二階の自室へ向かう。
「先に言え……」
恐らく、というかほぼ完全にルクバトの仕業だ。許可が下りやすいように、花火大会の時の記憶を変えたのだろう。
言っておいてくれればこんなに緊張せずに済んだのに。
さて、そんなわけで親の問題は解消された。
しかし間髪を入れず、ソラの前に別の問題が立ちはだかる。
ソラは微妙そうな顔で、クローゼットを覗き込んだ。
大量に存在する色違いのスウェットとジーンズ。色味だって黒か白。灰色や濃い青、緑がマシなくらい。女性らしいだなんだの御託を並べるつもりはないけれど、彩に欠けるというのは明確な事実。
つまり、服がない。あるのはざっくりとした部屋着同然のものばかり。
ルクバトが気にしないであろうことはソラ自身よくわかっている。
しかし、『デート』と銘打たれたからには意識の一つもしてしまうというもの。
スマホを見る。銀行提供の公式通帳アプリ。開くとそこそこの数字がお目見えする。
使い道がなくてたまりにたまっていたお年玉だ。それを見て、ソラは密かに決意を決めた。
「……買う、かぁ……」
次回の更新は4/4(金)の予定です。




