第十九話 融解
「──────さて、今日は何したい?」
あの日から数日後。月明かりが差し込むソラの部屋の中で、ルクバトはそう呟いた。
学校にいる時とは違う、ソラと初めて会った時の形態だ。
「この世界のどこにもないお祭りに行くのもいいし、全てがめちゃくちゃな演劇場ではちゃめちゃになっちゃうのもいい」
月の光の只中にいると、その美貌は幼さが中和されて目に毒なほどだった。幻想的で、性別の垣根を超える美しさが見るものの目を焼くのだ。
しかしソラはルクバトを見つめたまま黙りこくって、ベッドの上で三角座り。ラフな寝間着の腹部の辺りに色濃い影が生まれる。
ルクバトは少し困ったような表情を浮かべ、その顔を覗き込む。
「ねーえ、」
「……じゃあ、あんたに関して教えてよ」
「僕?」
「そ。 別に教えられないってんならできる限りでいいからさ」
ソラは足を組み換えてそう言った。
あの一件から関係性は元のように戻り、以前と同じように話せるようにもなった。
しかしルクバトとの一件が解消されても、学校での見方が改善されるわけではない。他者を傷つけてはならないと言った手前、都合よく記憶改ざんを頼むのも気が引ける。
それに何より、ソラはあの日からずっと、ひとつのことで悩み続けている。
「(ルクバトを、本当に信じていいのか)」
未だに覚えている、影狼の言葉。すべてを信じはしない。十中八九罠だったのだろうと思っている。
だがしかし一度産まれた疑念は解消されずに、今も少しずつソラの心の中で育ち続けている。
「(……だって私、ルクバトのこと何にも知らない)」
局地的ブルー、とまでも言わない。若干重たいだけの気分。
しかし、せめてルクバトに対する認識だけは今、はっきりとさせたかった。
信じていいのか、悪いのか。
「そもそもの常識から違うから、説明もしにくいんだけどなぁ」
「あ、できる限り論理的な口調で。 いつものはわかりにくいから」
「えー……んー……、」
ルクバトは頬を掻いて、そしてソラの隣にふわりと座った。
「まあまずわかっていると思うけど、人間ではない」
「まあそりゃそう」
「年齢や性別の概念はない。 本来喋る方法も声じゃないし、そもそも肉体の組成が違う。 元々この世界の生き物じゃないしね。 今使ってる身体はあくまで錬成したもので、姿の年齢を変えるのは毎回分解と錬成を繰り返してる。 一気に受けられるダメージ量には限りがあって、それを越すと再生ができなくなる。 あと三大欲求は完全になくて、単為生殖……になるのかな多分」
「……生々しい」
「人間で言うところの『感情』はほとんどないに等しい。 こっちはないわけではないんだけどね。 基本はシミュレートとエミュレート、あとは毎回の学習を通して行動に反映してるような感じ?」
「それを『ない』って言うんでしょ……」
「ええ? きみたちのものと同じかはともかく、学習はしてるんだよ? その時点で大分違うと思うけどな」
絶賛成長中です。
真顔でピース。ルクバトのその顔が憎たらしくて、ソラはむすっとしたまま彼の肩をめちっと押した。くすくす笑いながら華奢な身体が横へと倒れ、すぐに起き上がる。
「あとは……そうだな、この前きみの前で溶けたことがあったでしょう」
「ああ、あれ……普通にトラウマなんだけど」
「ごめんね。 あれはちょっと色々コントロール効かなくなっちゃって。 出てた金色の紐っぽいの、あれが本体の一部だよ」
「一応聞くけど、食おうとしてた?」
「それに近しいことはしようとしてたな」
でもちゃんと踏みとどまったよ。
そう言ってルクバトはふふんと得意げに胸を張る。
被害者の側からすれば未遂であれ褒められたことではないが。
「今まで使ってた力は大体自前。 想像次第では割となんでもできるけど、しちゃだめだからしてない」
「ダメなの? なんで?」
「ルール違反になっちゃう、って感じ。 あ、最初に出してた『門』だけは借り物」
「門……ゲートなんとかって言ってたあれか。 誰から借りてんの」
「秘密」
細い指が一本、彼の唇の前で建てられる。月の光が瞳に差し込んで乱反射。アニメティックな色合いだ。紫の中に白や黒、果てには青やピンクが見えて美しかった。
「……マジでアンタ何者……?」
「惑星ホロロの第三衛星、オムニルヴァで生まれた科学的生命体」
「オム、……それ本当?」
「さあどうでしょう」
これは嘘だ、と思った。根拠はない。そんな謎の直感があった。
ソラは足を組み換え、重たい息を吐く。触れていた皮膚が外気にひんやりと冷やされる。
ちゃんと情報が欲しいとは思っていたが、いざこうして与えられてみると混乱する。内面的なことも多少は知れたが、目的やらソラに対する感情など、重要なところはぼかされたままだ。
「あ、なんなら触ってみる?」
そう、思い切ってべたべた触るくらいの気持ちでいかないと何もわからな────……
「……えっ」
「わかりやすいかなと思って」
そう言ってルクバトはおもむろに、自分のシャツに手をかけた。
「ッわ、ぇ、あ!?」
驚くソラを放って、ぷち、ぷち、とシャツのボタンが外されていく。
柔らかい材質のシャツはあっという間に寛げられ、平たい胸板が顕になる。白く、そして滑らかで、無駄な肉がないくせに見るからに柔らかそうだった。
「待ッ、え、えっ!?」
「手、貸して」
「へぇあ?! ッいやいやいやいや、そんなだ、」
裏返った『だめ』ごと、ルクバトはソラの腕を引いた。
近づき、指先が触れて、ふつり。皮膚があるはずのそこは薄皮を破るように、ほとんど抵抗なくソラの手を受け入れる。
「ぇあ、わ、ぁああ、ぁ」
「もっと、……ほら」
慌てふためくソラを気にせず、ルクバトは掴んだ腕を離さない。それどころか抱きしめるように、更に深くまでずぶずぶと突き込んでいく。
ひんやりとした泥の中を掻きまわしているような感触。
進んで、進んで、明らかに腕が突き抜けるであろうところまで突っ込んでいるというのに、肩口から見える彼の背中は平らなままだ。ソラの鼻先に鎖骨が触れる。
あ、のまれる。
一瞬の知覚。あの時、体育館裏の出来事がよみがえる。指が引き攣り、しかし抵抗する気が起きない。怖いくせに、気持ちがいい。どこまでいくの。こわい、やめて、やめないで。このまま、────……
「あン♡」
「なぁッ!?」
突然あられもない声を出すから、ソラは一気に腕を引き抜いた。
じゃぶっと水中を掻いたような音がして、宇宙色の水滴が跳ねる。
「あはは、冗談だよ」
敵を前にした瀕死の猫のようなソラに、ルクバトは前を閉めながら笑ってそう言った。その胸板は既に元の肌の色を取り戻し、波紋のひとつも浮かんでいない。
センシティブだわバカタレが、などと叫んで空気を壊せればいいのに、あぐあぐ開閉するだけの口は何の言葉も形作ってはくれなかった。
「気、紛れた?」
その一言に、ソラはルクバトを見る。
「えっ、なに、まさか今の気ぃ使ってたの……!?」
「うん。 学校での不遇と僕への疑い。 そこまで気にしてるわけじゃないけど、完全に普段通りってわけでもない。 だめだった?」
「……へたくそ」
「ごめんね」
その顔には微笑が浮かんでいるが、何の感情も読み取れない。
つまり逃避である。何かひとつにかかずらってマイナスな気分になっている人間がいるとして、その気分を紛らわせるためにはどうすればいいか。無論問題そのものを解決するなど方法は様々だけれども、一番簡単なのはそれ以上の別のことに意識を向けさせることだ。そうすれば少なくともその問題からは目を逸らせるし、それによって気分にも余裕が出る。
「(だからって……)」
ソラは唇をへの字に曲げた。荒療治、あとだいぶとセンシティブ。
「……そういうの、しなくていいから」。その言葉の陰で、意識が感情の波にフォーカス。荒れた思考が先ほどの大波を経て、平静を取り戻していく。
実際、先ほどよりかは毒気が抜けているのも腹立たしい。
「慣れてる、……ってわけじゃないけど、でも別に、わざわざそういうの、いいから、ほんと。普通にしてて」
「えーやだ」
「なんでよ」
「好きな子がしんどい思いしてたらなんとかしたくなるでしょ」
息がつまる。フラッシュバックする花火の光彩。
あまりにも当たり前に告げられた好意。温度がなく、かといってその瞳に嘘はない。
「……簡単に好きとか言わないで」
ソラは絞りだすように言った。
ああ、まだ普通の範囲内だったのに。先ほどの暴挙で、それなりに収まったはずなのに。
「そんなさ、会ってちょっとじゃん私ら。 性格とかわかるもくそもないっていうか」
「だって、君は好きでしょう。 こういうのが」
ルクバトはきょとん、として言う。
その一言にきちりと軋むソラの心臓。
そうだ。そういう言動がソラは好きだった。
ファンタジックに回りくどくて、時々びっくりするくらい真っ直ぐ。距離感を弁えつつたまに踏み越え、根底には好意が見える。そんな優しい軽口が好きだった。
暖かいのにどこかさっぱりとした好意は、慣れない心にはちょうど良く、そしてその分麻薬のようだったのだ。
「……星のことがなかったら、私のことなんかどうでもいいくせに」
膝を引き寄せ、顔を埋めるように俯く。
あれから、ソラも色々と考えた。
『好き』ではあるけど、『恋』ではない。今に至っても、ソラはそれが夢のように、どこか自分から離れたものだと認識してしまう。セックスは欲しくないし、かといってプラトニックかと聞かれればそれすら違う気もしてしまう。恋と名付けるほどの熱量がなくて、愛というには身勝手すぎる。
国語の成績は悪くないのに、自分の心情になんと名前を付けていいかわからない。
ただ、他と違うことだけが明白なのだ。
恐ろしい力を持っていることだって知っている。クラスメイトを消すことを提案されたとき、十分なほど再確認した。ルクバトの抱く感情が人間基準のものでないことも。
価値観も違う。いつもなあなあにしているだけで、根本的には相容れないことを理解している。
それでも。
それでもあの時の写真に滲んだ優しさは純粋で。
影狼に襲われたとき、庇う腕に覚えた安心は事実で。
別れ際に、その袖を引きたくなる気持ちは嘘ではなかったから。
「(……ああくそ、めんどくさい。 我ながらめちゃくちゃ)」
「……きみって本当に、こんがらがるよねぇ」
さみしい静寂を、そんな声が破った。
ソラは視線を上げる。ルクバトはただまっすぐにソラの目を見ていた。その顔に呆れはなく、むしろ感心の色すら見て取れる。
「人から好意を向けられると理由がわからなくてぞっとするのに、その色とりどりを『好意』ってラベルでひとまとめにするのは申し訳なくなっちゃうんだ」
「そんな良いもんじゃない」
「物事は結局捉えようでしょ。 僕はただただそんなきみが好き」
「嘘」
「嘘じゃない。 嘘をつくメリットが……と言っても、星の件がある限り、君は信じられないか」
それじゃあまあ、言葉を尽くすしかないね。
そう言って、ルクバトはソラに向き直る。二人の目が交わった時、ルクバトの身体がざぶっと溶けた。
「ッ、!」
「大丈夫。 身を任せて」
金色の糸に縁どられた大気が周囲を渦巻く。優しく締め上げるように、ソラの身体が包み込まれ、傍目には見えなくなっていく。
平面的なのに立体的、あり得ないはずの状況にも関わらず、柔らかな布団に身を任せているような安堵感が心を緩めかす。
「……本当の姿?」
「そう。 声まで戻しちゃうと君が聞こえなくなっちゃうから、完全にではないけど」
ルクバトの声が、甘やかにとろけた質感でもって響いてくる。
ソラの目には、すでに何も見えていなかった。否、見えているのに見えていない。黒く、白く、灰色で、藍色。微炭酸の夜を揺蕩うようで、羽毛のような気体に頬を撫でられている。視界が受け取った情報を脳味噌が処理しておらず、これが『感覚だけを信じること』かとソラはぼんやり考えた。
「あのね、僕は別に、きみっていう入れ物に好感を抱いてたわけじゃないよ。 性格が好きってわけでもない」
「、……じゃあなんなの、魂とか?」
「んー、きみたちの言葉で言うとそんな感じ? 今の人間の価値基準じゃ、あと何万年経ったってわからないかも」
詳しくはわからない。しかしソラはぼんやりと、その言葉の意味を考えていた。
つまりルクバトにとって、人間の見た目や性格は模様のようなものである、ということ。もしくは商品を包むラッピング。美醜は理解しているが、中身ほど選り好みをするようなものでもない。そういうことなのだろう。
「出会ったときに言ったろ? 感覚だけを信じることに慣れてないんだよ、君たちって」
「……」
「きみは好きに理由を求めたがるけど、きみが納得する基準の中に僕の感情はない。 仮にすべて話せば理解できるとしても、僕はまだ色々なことが話せない。 だからきっと、ずっとこのままだよ」
その感覚は微睡みに似ていた。
眠りに沈む前の、中途半端に意識が浮いているあの時。抽象的なルクバトの言葉さえ、意味を咀嚼できなくなった他人の声のようで。
「僕は多分きみの感情と同じものを返せないし、きみには僕の好きが理解できない」
「、ッ」
「でも僕はきみ以外を見ることはないし、名詞で縛ってきみが安心するなら喜んで縛られてあげる。 僕は僕のまま、僕の価値基準できみが好き」
だからきみも、きみのままでいいんじゃない?
価値基準が違うから、ルクバトはソラに期待しない。
期待しないまま自分の好意を遠慮なく注ぐ。失望することもなく、ありふれた見返りを要求することもない。
無上のアガペーだ。ソラはそんな安堵が好きなくせして、価値基準は人間のままだから『同じ気持ち』(わかりやすい証)を欲しがってしまう。ルクバトはそれを返しようがないとわかっているのに、。
「は、……」
吐いた息が重かった。
底の方に沈澱した十六年ものの自己嫌悪が、ぎゅるりとかき混ぜられて晒される。
ほんの少しだけ寂しくて、小さく笑ってしまうほどには気持ちが良かった。
「それにしても、なーんできみってばそんな好意を受け入れにくいのかな……」
呆れたようなその声に、ソラは顔をむずがらせる。
そんなもの自分だって知りたい。こんな面倒くさい性格になんてなりたくなかった。
「見ても良い?」
「……今更、?」
「表面的な思考は何度も見たけど、内面深くは今回が初めて。 見たことないよ」
「いーよ、」
今更、見られてもどうもない。
その返事と共に、ぬろりと違和感がソラを襲う。
「(あ……覗き、込まれてる、)」
表皮から染み込むように、水が喉を滑っていくように、『侵入されている』ということが感覚として理解させられる。
「……ああそうか、波立つのが嫌いか」
ぽつりとルクバトは呟く。
「変化するのが嫌なんだろうな。 知っていることの繰り返しで満足できるし、新しいことに順応するのはエネルギーが足りない。 自己肯定感も低いね。 自分が好かれることなんて想像できなくて、周囲の人間すべてが時々気持ち悪く見えたりする」
積み上げられるルクバトの言葉に、ソラの呼吸が微かに逸る。
内臓を丁寧にかき混ぜられているような心地だ。耳をふさいでしまいたいのに、優しい安堵がそれを許さない。
「幸福になってる自分が嫌い。 グロテスクだね、自分が不幸じゃないと安心できないんだ」
「……なに、同情でもしてる?」
「ううん、復唱」
「キッツ」
ソラは喉に引っ掛けるみたいに笑った。
自分の醜さがただ開陳されている。咀嚼すらされていない。ソラが今まで煮詰めた煮凝りに対して、ルクバトは本当になんとも思っていない。
「……そうだよ。気持ち悪い、全員。わけわかんない」
吐き出すように、ソラはそう呟く。
ずっと、息苦しかった。
皆何も考えてないくせに『普通』ができてて、バカなやつほどさらっと人の輪に入っていく。
かといってそんなバカになるにはちゃちなプライドが許さなかったし、そもそもやり方もわからない。
「中二病とかじゃないんだよ、ほんとに、さあ」
「うん」
「本当に、意味が分かんない。 なんでみんな笑ってんの。 何にも面白くない、何にも楽しくない。 それが青春なの? なんかいかにも、自分らが普通ですぅみたいな顔して」
「ふふ、」
「だって普通なんて、なんでお前らの普通が私はわかんないの。皆嫌い、肉の塊が歩いてるだけじゃん、全員死んじゃえ。その方が、」
「本当に?」
「、……そこで、気の利いた言葉言えないんだね」
勝てない、と思った。彼の前では欺けない。見られて出来たひび割れから、内容がどんどん溢れていく。いつだって素っ裸を見られていて、それがつらいのに本人は何の感慨すらも抱いていない。
「嘘、嘘だよ。っていうか、……冗談? とにかく本気じゃない」
「そう」
「もう寝る」
ルクバトの拘束がほろりと溶ける。
ほどけるようにソラの身体が解放され、ゆっくりとベッドの上に下ろされた。
「おやすみ」
ソラは返事をしなかった。それまでの感覚がそのまま本物の眠気に変換されて、瞼を開けるのすら億劫だった。
窓が閉まる。寂しさが鳴る。
眠りに落ちていく心の中、かき混ぜた傷口が痛かった。しかしそれと同時に、終わった後の脱力感が清々しさにすら感じて心地良かった。
次回の更新は3/28(金)の予定です。




