第十七話 葛藤
そこから数日、ソラは一切ルクバトと喋ることはなかった。
元々少なかったコンタクトは完全に絶たれ、彼が襲来したあの夜以前の静かさが戻ってきた。
しかし全てが元に戻ったわけではない。
現にソラは何食わぬ顔で送る学校生活の裏で、密かに精神をすり減らしていた。
噂なんてすぐに過ぎ去る。仲良くもない相手なら尚更だ。高校生の話題の鮮度はメロスより速い。
そんなことはソラ自身も理解している。しかし理解をしていても、『少しでもそう思われた』と認識してしまえば、彼女にとっては地獄だった。
元々思い込みや被害妄想の激しい性質だ。
近くで誰かがヒソヒソと話していれば、それは陰口ではないかと認識する。誰かが自分を見ていれば、何か自分が変なことをしているのではないかと顔が熱くなる。
普段見た目や姿勢を気にするでもないくせに、こういう時だけセンサーは繊細になる。変なところで神経質なこの性格を、誰よりも本人が嫌っていた。
そしてまだもうひとつ、彼女の心を苛むものがある。
「(──────言い過ぎた……かも……?)」
それは、少しの後悔。
割合でいうなれば、むしろこちらの方がソラにとっては重要であった。
ルクバトの提案を拒んだことは、ソラ自身間違っているとは思っていない。どれだけ不愉快なことをされたって、自分の都合で他人に害を与えるなんてやってはいけないことだ。
しかし、ルクバトはそもそも常識がない奴である。常識のない人外が目的を達成するまでの間、人のモノマネをしているだけ。
加えて、星を集めるにはソラのプラスの感情がカギになっている。不安定でマイナスに塗れている状態では、星を集めるなんて不可能だろう。
つまり、何がいいたいかと言えば。
「(あれが、あいつなりの気遣いだったなんてこと、あったりする……!?)」
否、気遣いとまで言わなくても、マシンが長く使えるように行う定期的なメンテナンスというか。
ストックホルム症候群と言われれば否定はできない。しかし。
嫌なことがあったなら、その大元を消せば万事解決。普通に考えれば飛躍甚だしい暴論、だがルクバトが言うなら言ってもおかしくはない。
実際、こうして離れてみてわかったこともある。
彼のあの不思議な立ち振る舞いは、ソラにとってある種の気晴らしになっていたことだ。
彼の突拍子もない行動を嗜めれば「自分は正しいのだ」と無意識に思うことができたし、彼に振り回されていれば他のことを考える余裕もなくなる。
とはいえ、自分から話しかけるのも難しい。
ソラは上手い仲直りの仕方なんて知らない。そもそも仲直りが必要な程深い喧嘩をしたことがないのだ。いつも適当に返事をして、気に入らなければむくれて、時間に任せて曖昧に濁してきた。
「はー……マジで、嫌だほんと。 帰りたい」
校舎の裏で一人ソラは頭を抱える。
考え事はエネルギーを使う。あの噂が収まるまで、こんな疲労感と付き合っていかなければならないのか。正直午後の授業も危うい。しかし以前────ルクバトを突き放したあの日、ソラは午後の授業をすっぽかしてしまっている。
流石に同じ授業を二階もすっぽかすのは無理だ。授業についていけなくなる。ノートを見せてもらえる友達もいない。木下だって今は無理だし、と考えていたソラの目線が、ふと近くのグラウンドへ移った時。
「……あ、」
帰ってくる途中の木下と目が合った。
「(……きまず)」
なんだかもうすべてが気まずい。
ソラはすぐに目を逸らし、その場を離れようとする。昼休みも残り時間が多いわけではないから、丁度いいと言えば丁度いい。
「花崎、!」
しかし。未だ校舎の陰から出もしないうちに、ぱし、と手を取られる。奇妙なデジャヴで身体が軋んだ。
「ごめん! なんつーか、噂が変に流れちゃったみたいで、」
「……別に」
ソラはげっそりした表情でそう返した。
確かにこの問題の根幹には木下がいる。だからといって、彼がすべての元凶というわけではない。
告白の現場を見られてしまったことはどうしようもないし、噂に尾鰭はつくものだ。公的なメディアでもないここでは、重要なのは何よりも面白さ。つまらない噂を誇張して伝える奴もいるだろうし、そもそも自分が誇張しているという認識すらない奴も多い。
したがって、木下本人には何も責任はない。告白されたことによる気まずさはあれど、そこを間違えるほどソラは常識を失ってはいない。
「き、気にしてない?」
「まあ……気にしてない、って言うと嘘になるけど。 でも別に、すぐ……収まるでしょ」
「だ、だよな~よかった……」
「木下ー!」
ほっと胸を撫で下ろした木下の後ろ、突然誰かがやってきて、木下と肩を組む。
クラスメイトの男子だ。クラスの中でも騒がしい方で、木下とよくつるんでいる。ソラとは関わりはないが、確か木下と同じ部活であった筈だ。
彼は木下の陰になっていたソラの存在に気が付くと、二人を交互に見て顔をほころばせる。
「えっなに、お前もう付き合えたん? よかったじゃん!」
「えッ、いや、」
「?」
ああ、こいつも噂で勘違いしているのか。そう腑に落ちるソラと相反して、木下は咄嗟に慌てるような顔をした。
その様子に男子は不思議そうな顔をして見つめ返す。
「つ、ッ付き合うとか、は」
「え? お前自分でキープされてるっつってたじゃん」
「は?」
ソラは目を見開き、木下を見た。
「(キープされてると『自分で言ってた』……?)」
思い返す。茹だるような夏の日。夕暮れに染まった教室での数分間。
ソラはあのとき、確実に木下の告白を拒否した。
キープでもいいからという誘いも無理だとはっきり断った筈だ。
だというのに目の前の男子は「キープされている」と「木下が自分で言っていた」と言っていて、木下はバツの悪そうな顔をしている。
稲妻のように直感。
ということは、この捻じ曲がった噂は。
あの告白の現場を誰かに見られたからというわけでは、なくて。
「あー、なんか……邪魔した? ごめ、俺もう行くわ」
場の空気が凍っていることを感じたのか、男子はそう言ってそそくさと去っていった。
残されたのは、絶対零度の二人。告白どころか、知り合ってから今の今まで一度だってなったことがない雰囲気。
そんな中、最初に口火を切ったのは木下だった。
「あの、……ッごめん、冗談の、つもりで」
「冗談?」
発した言葉は、ソラ自身驚くほど冷たかった。
あ、だめだ。みぞおちのあたりがどす黒く熱を持つのに、思考だけは妙に冷静なまま、ソラの脳味噌がそう呟いた。
酷いことを言ってしまう。このままだと、自分の口が制御できない。
「冗談で、私が人をキープするような人間だって言いふらしたわけ」
「ッち、違」
「何が? さっき自分で言ったんじゃん」
静止は力なく、口調に熱がこもる。
ソラは目の前の生物が人間として信じられなかった。
冗談なら何をしてもいいのか。冗談なら人一人どうなってもいいと思っているのか。
あの話しぶりからして、花火大会でルクバトと居た時の写真も撮られている。
あの激情が、必死に絞り出したあの勇気が、何も知らない馬鹿共に晒し上げられ、笑いものにされている。
「冗談だったら何してもいいってこと? ほんと、何、きっついわそういうの」
「ごめんって、俺その、振られてしんどくて、」
「ねえ同じこと言わせないで。 しんどかったら何してもいいのかって聞いてんの。 『嘘は言わない』とか、『これ言って広まったら相手は嫌だよな』とか、! そういう、……そういうさぁ、幼稚園児でもわかるような、……ッ後のこと考えてない、お前のその想像力の無さがシンプルに死ねって言ってんの!!」
舌がうまく回らない。変な焦燥で言葉選びのレッドゾーンが薄れていく。
死ねなんて言っちゃいけない。冷静な部分はそう呟くだけで、ブレーキにはなってくれない。
ソラの目にはいつの間にか涙が滲んでいた。心の底から悔い改めてほしかったし、同じだけ傷つけ、とも思っていた。そんな自分が醜いと感じるのに、後で怒ったことに対して後悔するとわかっているのに、怒らずにはいられなかった。
目の前の人間がひどく価値のないものに見える。吐き気で視界が歪んだ。
「ほんっと、なんていうか、無理。 嫌い、死ねよ」
立ち去ろうとするソラ。その手を、木下は慌ててまた掴む。
涙の滲んだ目でソラは睨んだ。木下は申し訳なさそうな顔のまま、それでも手を放そうとはしない。
「離して、」
「ッお、怒ってる、よな? な?」
「離してってば、」
「怒ってんじゃん、! ごめんてば、許して、」
木下は食い下がるが、ソラは許容の姿勢を見せなかった。もう関わりたくないのだ。
許すという選択肢がなかった。この先なにがあろうと、ソラの認識の中に刻まれた「そういう人間だ」という意識が消えることはない。下がった評価は元には戻らない。
一緒にいれば絶対に蒸し返してしまうし、もっと嫌な言葉を吐いてしまう。それがソラは嫌だった。これ以上嫌いな奴と一緒にいたくなかったし、自分に失望したくなかったのだ。
「待って、」
「ッ、ぐ、」
掴まれている手。ソラは変わらず抵抗する。しかし木下の力が勝ち、がつ、と校舎の壁に押し付けられた。俗に言えば壁ドンだが、ときめきもクソもない。ただ恐怖心と嫌悪感が増加するだけだった。
「い、っだいなァ、!」
「ごぇん、おぇの、へいれ」
「、ぇ……?」
その言葉の歪みに嫌なものを感じて、ソラは伏せていた視線を上げる。
自分のしたことを後悔しているような、それでいてどこか困惑しているような。
そんな表情を浮かべる彼の目元から、不意にどろりと。
黒が、溢れる。
「ソラ!」
同時。上空より、月色が降る。
目の前を横向きの風圧が過った。その勢いに逆らわず、黒色の軌跡を残しながら、木下の身体が真横へと吹き飛んだ。
一瞬後、呆けるソラを知った匂いが包み込む。
ルクバトだ。視界の端で三階の窓から誰かがぎゃあぎゃあと覗き込んでいるのが見える。飛び降りて木下を蹴り飛ばし、ソラを引き寄せ庇いこんだのだ。
「多分あれ首の骨折れてるけど……これは仕方ないよね、うん。 後で直すし、必要な犠牲でした」
「や、っていうか、」
ソラは戸惑いながらも、ルクバトが吹き飛ばした先を見遣る。
藻掻く木下の身体を軸に、影狼がとぐろを巻く。
健康的な肌色が黒に飲み込まれて、ごぎゅん、と嫌な音がする。
「まさかこれ仕組んだのって……!」
「いや、今の今まで彼に影狼の気配はなかった」
つまり、この噂の原因自体は影狼ではなく木下である、ということ。
ソラは少し落胆する。落胆をした自分にもまた同様に。
「……てか待って、ねえどうしよう、アイツ人質ってこと、?」
「それにしても夏休み終わったからって性急だな、……」
「なんでそんな冷静なの!?」
状況は最悪だ。
狭く、おまけに目撃者もいる。目撃者は後で記憶を消せばいいにしても、身動きは取りづらい。
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《⇆※※※ ※⇆※ ⇆⇆※※⇆ ※※ の⇆⇆⇆⇆ 》
《※※⇆※※ ※※ ※※⇆ かこ⇆※※※ ※※ ⇆※※⇆ ないで》
「────────え、?」
理解不能な影狼の声に、どこか聞き覚えのある発声が混じった気がして、ソラの目が瞬く。
「今、何か、……っうわ!?」
「ソラ!」
ソラは身体を傾け、ルクバトの後ろから様子を覗き込んだ。その油断を、影狼は逃さない。
触手状に拡散した黒い影が、ルクバトを無視してソラの身体へと襲い掛かる。
大した抵抗も出来ず、ソラだけがどぶん、と黒に飲み込まれた。
次回の更新は3/14(金)の予定です。




