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第十六話 噂と吐き気





夏。しかして暑さもピークを少し過ぎた頃。

休みは開けて登校日。残暑を耐えつつ重い鞄を持って登校したソラを、ある違和感が襲う。



「……?」



クラス全員、というわけではない。が、ソラが教室に入ったその時、一部の女子がちらりとソラの方を見て、笑った。

挨拶をするでもなく、さりとて普段通りでは決してない。普段ならば彼女らがソラの方へ視線を向けることなどありはしないのだ。話もしない、そもそも興味すらないのだから。


不思議に思ったソラが視線を向けると、彼女たちはすぐに目を逸らす。

座って鞄を所定の位置へと置いて、スマホで密かにカメラを起動。設定をインカメへと変更してさりげなく自身の見た目を見るが、おかしな点があるかと言われればそうでもない。いつも通りの仏頂面だ。



「(……なんか、感じ悪……)」



居心地の悪さに浸されながら授業開始のチャイムを聞いた。

ルクバトの方へは、なんとなく目線を向けられなかった。






「はぁ……」



昼休み。謎の居心地の悪さに疲れたソラは、トイレの便座に腰かけていた。

用を足すついでに、一人になりたかったのだ。


あれから昼休みまでの間、授業合間の休み時間。

女子たちだけではなく、何人かの男子もまた同じようにソラを見てきていた。

ほんの少し笑いが混じった目線だ。交友関係の広くないソラでさえ、あの目線があまりいいものではないことくらいはわかる。

個室という他人の目がない状況になって、ソラは今日初めて息を抜くことができたのだ。


そうしているうちに扉の外で、誰かが来る足音が聞こえた。複数人だ。

話し声はきゃらきゃらしていて、甘ったるい。



「(……どっか行ってくんないかな)」



誰かは知らないが、ソラの吐く息は重い。

あの類の話し声は聞いているだけで気力が削られる心地がする。

しかし彼女たちが教室へ戻る様子はなく、話し声は依然としてそこで発せられている。


だめだ。移動しよう。目線には触れるけど仕方ない。

そう決意したソラが仕方なく鍵に手をかけた、その時。



「体育祭で告白されてまだキープなんヤバない?」



ひゅ、と息を呑んだ。



「やでもぶっちゃけさ、」

「うん」

「ちょ、っとね……笑」

「てかさ転校生くんとも最近仲良いじゃん?」



きゅぐ、と喉が鳴った。小さな音だった。



「それなぁ体育祭の前一緒に帰ってたし」

「え夏祭り一緒だったって」

「ああラインで写真来たよね……二股?笑」

「意外〜笑」

「笑うわ」



鍵に伸ばした手が、ゆっくりと下げられる。

生臭いものを無理矢理飲み下したような。そんな息苦しさが喉を突く。耳鳴りがするほど視界が真っ白になって、ソラはその場にしゃがみ込んだ。


彼女達が出て行ってから、ソラはゆっくりと個室を出た。ぼうっとした頭のまま手を洗って、拭いて、そうしてやっとその場から出る。



「ッ、……ふーっ……」



人のいない場所へ。ただそれだけを思いながらソラがたどり着いたのは体育館裏のスペース。

コンクリートの階段に腰かけ、頭を抱え込んでうずくまる。



「(キープ、……って)」



彼女らの声色から悪意は感じ取れなかった。また、どう考えたってソラのことだけれど、明確な名前も出していない。そこそこに笑っていたし、単純に話のネタとして話題に出した、というような軽さだった。



「(キープって、何)」



とはいえ大体の予測はつく。おおかたどこかで噂がねじ曲がったのだろう。ソラはきちんと「付き合えない」と言ったのだから。

学生にはよくあるケースだ。学校が世界の中心であり、その中で目に付いた人を笑い話のネタとして消化する。悪いことだなんて認識していない。それが若さ。それが青さ。


だがしかし、それでも。



「(気持ち、わるい……)」



気持ち悪い、気持ち悪い、気持ち悪い。

木下から告白を受けた時とはまた違う気持ち悪さが、ソラの喉をせりあがる。

生ぬるい。頭が痛い。生々しい。嫌悪が頭の中をめぐり、ぎりぎりのところで踏みとどまっている精神を無情にも責め立てる。

恐らくこの時、ソラは怒っていて、嫌って、そして悲しんでいた。


嫌だ、嫌だ、嫌だ嫌だ嫌だ。全てが嫌だ。

大嫌い、皆大嫌い、。全部、今すぐ、何もかも、──────……





「どうしたの?」



授業の開始のチャイム。

低くなったソラの視界に、一揃いのローファーが出現する。



「ルクバト、」

「授業、始まっちゃったよ」



ルクバトはそう言って、ソラの顔を覗き込む。



「どうしたい?」



その一言に、ソラは硬直する。

いつもと何ら変わりのない、なんの含みも持っていない声だ。だがしかしその普遍さに、ソラは強烈なまでの悪寒を感じ出す。



「ど、うしたいって、何が、」

「どうとでもできるよ」

「だから、ど、どうって」

「文字通り。 言っただろ?」



『君が望むなら、なんだってしてあげる』って。


その瞬間、ザァッと総毛だつ。

ソラはかっと目を見開き、ルクバトの目を見た。

にこりと細められた瞳に『嫌な予感』が満ち満ちている。寒気が毒蛇のごとく身体を駆け上がった。


忘れていた事実が今、ソラの脳の片隅で存在を再主張した。

そうだ。ソラの目の前にいるものは人間ではない。

人をなんの苦労もなく、痕跡すら含めて綺麗さっぱり消せてしまう。どれだけ親し気に笑おうが、そこに良心の呵責などは存在しない。



「あの子たちが消えたって、この世界にはなんの影響も出ないよ」

「黙って、」

「誰にも知られないし、あの子たちがいたっていう『君の記憶』自体を消すこともできる」

「……」



腕の下、微かに在る砂がじゃり、と音を立てた。

無意識に後ずさるソラの身体へ、ルクバトはゆたりと覆い被さる。ついた腕にコンクリートの細かな凹凸が食い込んで痛かった。



「きみのしたいようにすればいいんだ。 僕はそれが出来るし、そうしたいとも思ってる。 だってきみが揺れ動くと切なくなるんだもの」

「ッ、ぅ」

「怖がってる? 素敵だね、消えかけの蝋燭みたいで」

「……やめ、……ッひ」



ルクバトの端正な顔が、不意にどろりと溶けた。

溶けた部分から金色の蔦が這い出て、意思を持った生き物のようにソラへと伸ばされる。パニックになっているせいで、その蔦が絡みついても、ソラの喉からは声すら出てこなかった。

喰われる。脳味噌の底で呟いたその理解が、恐怖と衝動の波に呑まれ、見えなくなる。

かたや情動のままの荒さで、かたや存在すら定かでないような。そんな二人の息遣いが混じる。心臓の鼓動が鼓膜を打って、脳味噌を削るように響いている。



「あ、そうだ安心させてあげようか。 君はそれが好きだもんね」

「ッひ、ひ、ぁ」

「君がここで……いや、この先どういう選択をしても、」

「やめ、ッ助け、誰か」

「『僕は君を嫌ったりしない』」



「、は」



こぼれ落ちるような一音。溶けたルクバトの顔がソラの頬に落ちて、蒸発するように消え失せた。

殆ど息だけのようなソラの声を、ルクバトは優しく、完璧な笑顔で救い上げる。



「僕はきみがどうなってもきみのことが大好きだよ。 世界中の人間を全員殺したって、きみはきみだ。 だから好き」

「ゃめ、てって、」

「あとは君が、それを望むかどうか」

「、やめてってばッ!!!!」



吠えるように叫ぶ。

ソラはルクバトの身体を突き飛ばし、弾かれたように立ち上がった。

ほとんど溶け落ちていたはずのルクバトの顔は元に戻っており、いつも通り能面のような笑顔でソラを見ている。



「……帰る」

「荷物はどうする? 家に置いてきてあげようか」

「うるさい。 暫く話しかけないで」



ソラはルクバトの言葉をそう強く突っぱね、足早にその場を去った。

そのまま見知った道を駆けていく。見える何もかもすべてが、ハウリングしたマイクの音に見えた。

母は仕事、祖母はリビングで昼寝をしていてソラに気づくことはない。自室へと駆け上がるり、そのままベッドへダイブ。シーツの海に潜り込んで、じわりと体温の熱が移っていくのを待つ。


泣くわけではなかった、いっそ泣いて仕舞いにしてしまいたかったけれど。



『なんだってしてあげる』

『僕は君を嫌わない』



ルクバトの言葉を思い出し、ソラは眉を顰めて、きりりと強く瞼を閉じた。

少しでも、その方法を考えに入れてしまった自分が。

そしてその言葉で安堵を覚えた自分が、何よりいやだった。


次回の更新は3/7(金)の予定です。

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