第十五話 夏祭り
「人が……多いッ……」
「そりゃあお祭りだからなぁ」
家を出て数十分。かこかこという下駄の音。
川べりの通路は普段と違い、色とりどりの露店が並び立っている。
夜だというのにその賑わいときたら相当なもので、長蛇の列に道の幅は随分と通りにくいものになっている。
そんな中、石垣の端に立つソラの顔には既に疲れが見え始めていた。
慣れない浴衣に慣れない下駄、行き交う人々の回避に神経を使ってへろへろになっているのだ。普段は同行者に気を使ってそのそぶりを見せることはないが、ルクバトはどうせ気にしないとわかっているものだから、ソラも気にせずに己の疲労を表出させる。
「お腹は減ってる?」
「や、まだそんなに……アンタは?」
「僕はそもそも食事を必要としないし」
「ほーん……」
エネルギー補給は経口ではないのか。
そんな考えが掠める。しかしそんなソラをよそに、ルクバトの手にはいつの間にかりんご飴が。
「……必要としないんじゃなかったの」
「『必要としない』と『できない』は別だよ。 ソラも食べる?」
ルクバトはがしゅりとその赤色にかみつき、そう言った。飴の部分がひび割れ、中のりんごの柔らかな白が顔を見せる。
差し出されたそれに、ソラは少し迷って控えめに噛り付く。
飴の重たい甘さとりんごの爽やかな甘みが、密やかな照れを後押しした。
「……甘」
「苦手だった?」
「や、食べるの久しぶりで」
そういやこんな甘さだったな、と。
唇にくっつき残った飴の欠片をぺろりと舐めとりながら、ソラはそう思う。
りんご飴を、ソラは以前にも食べたことがある。家族でこの祭りに来た時に、今は亡き父に買ってもらったのだ。幼い頃から自分の意見を言わない人間だったが、あのツヤのある赤色に惹かれて、珍しく自分から買ってと強請った。
結局大きすぎ甘すぎで食べきれなかったが。
「たこ焼き、焼きそば、チョコバナナ、……あ、唐揚げもあるね」
「食べ過ぎ……ってかお金あるの?」
ソラのその問いに、ルクバトは黙ってぺろっと舌を出した。
沈黙。
「は、犯罪……」
「まあまあ」
呆れて半開きになったソラの口に、むきゅ、と冷やしパインが突っ込まれる。
冷たい甘酸っぱさがソラの好みで、罪深い味だった。
そうしているうち、不意に向こう岸で花火が打ち上がる。
和太鼓のような大きな音が、生温いばかりの大気を揺らす。
「お……、そういえば、花火もするんだっけ」
「する。 席は事前予約制の有料だし、とってないけど」
「取ろうか?」
「これ以上罪を重ねるな」
冷やしパインをちゃむちゃむ食べながら、ソラはそう嗜めた。
その目はどこか落ち着いて座れる場所を探している。
ずっと立っていては疲れてしまうし、かといって座ることができる場所もない。
そんなソラの肩を、ルクバトはちょん、とつついた。
「何、座るとこあった?」
「ほい」
ルクバトが腕を一振りすると、そこにはベンチがひとつ。何の変哲もないベンチだ。しかしソラは疑問を覚える。
「こんなとこにベンチあったっけ、」
「お手製でーす」
「……公共物」
「人払いもかけてみました」
得意げなダブルピース。
ソラはもはや何も言わなかった。
さて座ってみると、角度や高さ、人通りの具合も完璧で非常に花火が見やすい。そこまで計算ずくで作ったのか、それとも後天的にそうしたのか。
ソラは下駄を脱いで爪先だけを鼻緒の上にちょん、と置いた。慣れないそれは擦れて、指の間や甲の一部が痛くなる。
道ゆく人々はこちらが見えていないようで、横を通っても視線一つ寄越さない。
一発ずつ打ちあがり、空に咲く大輪の光の花。
一瞬大きく輝くのに、夜空の藍色に長くはとどまれず、数秒で消え去ってしまう。
ふと、ソラは夜空から隣へ視線を移した。
控えめに、間違っても気づかれたりしないように。されど予想に反して目線はかち合って、ソラの目元に微かに動揺が走る。
「花火、見なくていいの」
「ッ……、アンタこそ」
「僕はいいかな」
その言葉に、そのいつもと何ら変わりない微笑みに、ぎぐりと脳髄が硬直する。
なんで私なんか見てるんだ、花火見ろ、それじゃごはん食べにきただけじゃないか。
そういうくだらない誤魔化しを口にしかけて、やめる。
何を期待しているのだろう。
数年来の幼馴染の告白は気持ち悪くて断ったくせに、会って数ヶ月の人外のことは憎からず思うのか。
「…………、」
はっきり言おう。この期に及んで、誤魔化しや苦笑が役になど立たないことを、ソラはもう既に知っている。
ルクバトに対する己の気持ちを、ソラは測りかねていた。今にも腐り落ちそうなほど甘酸っぱくて、随分とプラトニックなくせにどこかインモラル。触れてほしいが触れてほしくなくて、世界の終わりまで今のままの関係が続いてほしかった。
多分、今やルクバトはソラよりソラのことを知っている。この気持ちだって知っているのだろう。心を読めるのだから当然と言えば当然だ。知った上で何も言わない。言ってくれない。
それなのに、自分はルクバトについて何も知らない。
「……あのさ、」
ソラはそう切り出した。なんと続けるべきかも決めないままに。
当然その後に言葉が続くことはなく、二人の間に沈黙が訪れる。
しかしルクバトは次の言葉を急かさない。ただ黙って、ソラの目を見つめている。
湿度のないその接し方は気楽で、その分不安になる。
同じ感情なのか、それとも違うのか。そもそも自分の感情がどういうものかも結論がついていないのに、ソラはずっとそうやって答えの出ない問いで感情を酷使し続けている。
自分は相手に何か返せているか、とか。そういうありがちな悩みの遥か前でソラは立ちすくむしかないのだ。
けれど、今日は。今日くらいは。
「これって恋?」
そこから一歩踏み出す。
前向きなものではない。むしろやけくそと言っていいだろう。
「きみっていつも慎重なのに、たまに物凄く大胆になるよね」
「だって」
わからないから。
そうつぶやく必要すらなかった。
「きみが決めればいいよ」
ソラが言葉を紡ぐ前に、ルクバトはそう言った。
ちり、とソラの心の端が焦げ付く。
「その気持ちを恋にするか、友情にするか、それともそれ以外か。 きみが決めればいい」
「……それって、あんたはどれでもないってことじゃないの」
「そうとも言えるしそうじゃないとも言える。 少なくともきみがきみである限り、僕はきみに対していつだって好意を抱いているよ」
「その好きの種類を明確にしろって言ってんの」
「『どれでもない』から『どれにでもなれる』のに、きみはそれじゃあ不安みたい」
「回りくどくして煙に巻くんだ、あんたっていっつもそうだよね」
「でもこれって僕らにとっての最適解なんだよな。 だって何にもならないでいる僕が好きでしょう」
柳花火がバラバラと散る。ソラはルクバトを睨みつけた。弱々しい目だった。
ルクバトの言っていることは全て本当で、即ち図星で、それでもどうしようもない苛立ちがあった。
人間味のない彼を好きになったのに、関係性に名称がつかないと不安。かといってきっと本当に名前がついてしまったら、それをソラは受け入れられない。
中途半端な常識に当てはまらないことが嫌だった。わがままを言って親を困らせている子供になった気分だった。
ソラの手に、ルクバトの手が重なる。
その肌の色の違いにすら嫌気がさして、ときめいてしまう自分が情けなかった。
初めて会った時のように、ぐっと両者の顔が近づく。
「難しく考えなくっていいのに」
「……」
「君が望むなら、なんだってしてあげる。 名前をつけないまま何にだってなってあげる。 君の好きな距離感で、友達でも、家族でも、ペットでも、恋人にでも」
紡がれた言葉に、ソラの目には秘め事のような涙が滲む。
それって、正しいんだろうか。
恋愛って、そういうものなのだろうか。
相手に望むだけ望んで、自分の思う形に歪めて、見返りのひとつも返すことのできない不誠実を。相手から同じだけの熱量が返ってこないとわかっている虚しさを。恋なんて綺麗な名前で形容して良いのだろうか。
じっとりとしたそんな思考を噛み潰す。
そして呆然と、なんだって良いか、と思った。
普通の恋を気持ち悪いと切り捨てた自分が、普通の恋に当て嵌めようだなんておかしな話だ。
自分だってこの関係が続けばいいと思っていた。変わるのは怖い。もともと何もなかった自分には戻れない。戻りたくない。
だからそのまま、そばに居てくれさえすれば、なんだって。
重ねられた手は蠢いて、指と指が絡み合う。
見ないふりばかり上手くなっていく。触れた指先はどうしたって冷たかった。
「……え、やば」
ルクバトとソラ、二人が並んだその少し後ろ。
雑踏の波間、誰かが誰にも聞こえない声でそう呟く。
かしゃ、と音がした。
次回の更新は2/28(金)の予定です。




