第十四話 浴衣
予定時刻からめちゃくちゃ遅れました。
申し訳ない。
「ねえ、お豆腐ないから買ってきて」
「えー……」
「あと味噌、醤油安売りだからそれも。 卵おひとり様ひとパックまでのやつもお願い。 それから」
「多い多い多い」
夏も盛りを僅かに過ぎて、木陰の色が濃くなる頃。
ソラはメモを片手に、自転車に乗って外へと出てきていた。
理由は冒頭の通り。買い物を(半強制的に)頼まれたからである。
「あづい……死ぬ……焦げる……溶ける……」
乗っている自転車のギアは5。休みの間の怠けが祟って、踏むペダルは以前よりずっと重い。「お菓子をひとつ買っていい」という言葉で釣られると思われているらしいのも、憂鬱な気分に拍車をかけていた。
「もう、休みも終わり、なんだからッ……っはぁ、……休ませてくれりゃ、良いのにッ……」
休み中しっかりと休んだ人間の言うセリフではないが、事実夏休みはもうすぐ終わる。
休みばかりでは落ち着かないという人間もいるものの、ソラのような人間にはただ物悲しいばかり。
「ッだめだ、死ぬ……休憩、」
一度自転車を止め、でろりと籠にもたれかかる。
止まってしまえば再び漕ぎ出すのが余計億劫になることはわかっていた。が、現在のソラはもはや虫の息。衆目の中ゲロをぶちまける羽目になるよりかは、多少なりと帰りが遅れる方がマシだろう。
はあ、と熱い息を吐く。
額に滲んだ汗が、鼻筋を伝って手首へと落ちた。
服の襟元で乱暴に顔を拭くとどこか煙ったい。視線を上げれば、商店街の掲示板。
そこに貼られたチラシを見て、ソラはふと思った。
「(……あー、)」
もう、そんな時期か、と。
八月末。もっと言えば今日。暑さがピークを迎える夏休みの末に、付近の川沿いで夏祭りが行われる。
花火大会も兼ねた盛大なもので、出店も多ければ来る人も多い。
そして時期と場所を兼ね備えたそんなイベントに、高校生が食いつかないわけがなく。
「……お、?」
スーパー、お菓子コーナーにて。
子供連れの主婦を横目に買い物かごにお菓子を放り込んだ時、不意にソラのスマホが震える。
籠を落とさないように抱えなおし、ソラはスマホを取り出した。
発信元の表示は『木下』。
「……もしもし」
「あ、もしもし、ソラ?」
少しの気まずさをにじませながらソラが出ると、木下はなんでもない風の声色で応答した。
「今いい?」
「あー……時間かかる? 買い物来てて」
「あ全然。 すぐ済むから」
「ん、何」
「えーとさ、……今日夜、夏祭り、あるじゃん」
「……おお、」
「……行かん?」
沈黙。
「その、さ。 好きとかそういうの関係なく、前みたいに普通に」
「えー……ごめん。 ちょっと無理」
いや普通に無理だろう。
一度振った相手と夏祭りなんて気まずすぎる。
ソラはものすごく嫌そうな顔をして液晶画面を見直した。
そもそも木下自身も明らかに気にしている。声色はいつも通りだと思っていたのに、擬態が解けるのが早い。
本当に気にしていない奴はわざわざ蒸し返したりしないのだ。
そんなお互い気まずい状態で夏祭りなんて楽しめるわけがない。
十中八九楽しむ気持ちより気まずさが勝つ。そして気を張ってぎこちない会話をし、家に帰った時残った疲労感で肩を落とすことになるだろう。
そもそもソラは夏祭りに行く気があまりなかった。
夏休みのあいだ全く音沙汰がないとはいえ、影狼の件もある。いちいちルクバトに随伴を頼むというわけにもいかないが、用心をしないわけにもいかない。
昨年までだって、着の身着のままふらりと寄って、雰囲気だけ味わってすぐに帰っていた。場合によってはベビーカステラなんか買っちゃったりして。そうして帰り道、遠くなっていく祭囃子を背にもそもそと食べながら歩く。ソラにとってはそれだけで十分なのであった。
「そ、っか……」
「ごめん」
「や、全然」
後味の悪い会話を終わらせ、ソラは自転車の籠にぱんぱんになった買い物袋を乗せた。大きさが足りなくてわずかに斜めになったが、まあ仕方ない。
店の冷気で冷えた身体が限界を迎える前に、勇み足で家へと帰る。
「ただいまー」
「おかえりー、アンタ今日夜夏祭り行くの」
「いや? 今回は行かんかも」
「そう」
じゃあ夜ご飯いるね。
そう会話の合間、鞄を下ろし食材を冷蔵庫へ。買ったお菓子一つ手に自室へと向かい、ぱたん、と扉を閉める。
「ソラ。夏祭りがあるって本当?」
「おおびっくりした。 なんでいんの?」
ベッドのあたりでふよふよと浮いていたルクバトが、ソラに対してそう声をかけてきた。
ちなみにアポはまったくとっていない。不法侵入である。
とはいえ夏休みの間、ルクバトは宣言通り何度も遊びに来ては意味のない会話をして去っていく、ということを繰り返していた。ゆえに、ソラも言うほど驚いてはいない。
居るはずのない人が自室にいたら驚く、いわば様式美だ。
「あ、お邪魔してます」
「はいどうも」
「で、夏祭り。 あるの?」
「……あるよ、なんで?」
「今日クラスの人たちに誘われたから」
一瞬、ソラの身体はぎくりと軋む。
ラインか、それともどこかで会ったか。ともかくこの男が誘われないはずがないのだ。
「ほーん、んじゃ行ってら」
「行こう、一緒に」
ソラはルクバトを見た。
ルクバトもソラを見た。
「……いや、私行ってもその子ら困るでしょ。 楽しんできなよ」
「? 僕ソラと行くつもりなんだけど」
「だからなんでそんな仲良くもない子らの中に放り投げようとすんのさ。 拷問?」
ため息をついたソラはルクバトが寝転ぶ横に腰かけ、買ってきたお菓子のパッケージに手をかける。ぺり、と音を立てて紙製のそれは簡単に開いた。昔から地味にお気に入り、タブレット型のお菓子だ。
「ふつーにさぁ、誘われてないし。 てか相手誰かは知らんけど話合わんだろうし。 アンタみたいにさらっと入っていけるコミュ力とかないし」
そう言ってソラはお菓子を口の中に放り込み、かり、と奥歯で噛みくだく。
爽やかなヨーグルト味だ。むぐむぐと味わい、飲み込む。少し粉っぽくなった指を擦って、「アンタもひとつ食べる?」。そう聞こうと、ソラは改めてルクバトを見た。
ルクバトはソラの方を見たまま、きょとん、と首をかしげている。
そこでソラは、やっと今の会話の違和感に気がつく。
「……食べる?」
「うん」
「……で、他の子は?」
「? なんで他の子?」
「や、だって誘われてるんでしょ」
「誘われたけど断った。 ソラと行く」
「…………」
沈黙の後、ソラは微かに「あ、そう」とだけ言った。
ルクバトはそれを聞くなりかぱ、と口を開ける。赤い舌がちろりと見えて、思わずくきゅ、とソラの喉は鳴る。
おずおずとお菓子を放り込むと、「ありがと」と言ってルクバトは立ち上がった。
「今日、家まで迎えに行くよ」
「……え、何時?」
「お祭り始まるのが六時だっけ、」
「うん」
「じゃあ余裕持って五時半。 あ、ソラ浴衣着たりする?」
「えー……あれしんどいじゃん」
窓枠へ手がかかる。悪戯っぽい目線。
「期待しとくね♡」という言葉を残して、ルクバトはソラの部屋をするりと抜け出した。
一人になった部屋で、ソラはじんわりと押し黙る。
いつの間にか夏祭りに一緒に行くことになっていた。ソラは同意をしておらず、またあまりにも唐突だ。既に母にも「夏祭りにはいかない」と言ってしまっている。
影狼が来たときのための護衛。もしくは星を貯めるため。あとは自分が夏祭りを楽しむため?
それらすべてを達成しようとは。なかなかどうして、強欲な奴である。
「(……あつい、)」
そしてそれらの思考がすべて、頬の薄皮一枚下に籠る熱から目を逸らす逃避行動であること。その事実から、ソラは明確に目をそらした。
胸に燻るこの気持ちに、なんという名前をつけるべきかはわからない。
ただなんとなく、残暑に似ていると思った。
「あ、やっぱお祭り行くの?」
「あー、うん。 まあ、……家の前集合って感じで」
「ソラちゃんソラちゃん」
夕方、母にそう報告していると、ソラを呼ぶ声。
ソラが振り向くと、祖母がにこにこしながらソラを見ている。
「友達と行くんなら、浴衣着てきな」
「浴衣って……」
「ほらもう出したから」
「早ッ」
祖母の指がリビングのソファを指している。
そこには押し入れから出してきたらしい、一着の浴衣があった。
「あ、懐かしい。 今でもいける柄だし丁度いいでしょ」
「いやでも丈合わないんじゃ」
「おはしょり調整するから大丈夫」
おいで、と手招かれる。
ソラは祖母を見、そして母を見た。救援を求める目だ。
母は無情にも黙って首を振った。お手上げの顔である。
「(いやまあ、頼もうとは思ってたけどさぁ……)」
脳内で独りごちながら、するりするりと服を脱ぐ。
シャツとアンダースコートのみになると、冷房の風で身体がすうすうする。着物を羽織ると祖母が前に来て、着物の襟を右前に。
「ソラちゃん、友達と行くって言ったことなかったから」
祖母はウエストのあたりに紐を回しながらそう呟いた。
保護者という生き物は、子供に友達がいないと不安になる。理屈はわかるけれど、ソラはその考えがほんのりと嫌いだった。
そうでないとわかっていても、彼女の自意識は『心配』を『責められている』と変換してしまうからだ。
「それは、まあ……ッぅ゛、……帯きつくない?」
「ゆるいと崩れるでね」
ソファに手を置いてソラは圧迫感に耐える。
息が詰まる感覚に時折呻きながら、ソラはぼんやりとあらぬ方向を見つめ、とりとめのない思考に浸る。
浴衣なんて、着るのは何年振りだろうか。
中学では制服の着用を義務付けられていた。守る者は少なかったが、ソラは律儀にそれを守っていた。ルールを破ってまで着たい思いもなかったし、わざわざ動きにくいものを着て動きにくい下駄を履いて、その上何十分も歩くなんて考えられなかったから。
「はいできた。 足長いから柄がよく見えるねえ」
「長くないよこんなの」
促されるまま、ソラは姿見へ視線を移す。
姿見には、着物に身を包んだ中途半端な表情の女の子がいた。
浴衣は黒地で、大輪の青朝顔が咲いている。黄色の帯で腰を締めれば、色が映えて美しい。化粧をしないせいで顔は野暮ったいが。
「(……気合いを入れたって思われたり……しない? しない、か、流石に。 気合い入れてどうってわけでもないし)」
そんな風に思考を巡らせていると、不意にチャイムが鳴り響く。
「あ、来たんじゃない? 友達」
「あー大丈夫大丈夫、自分出るから、」
あのツラを前に、ミーハーでゴシップ好きな母がきゃあきゃあ騒がないわけがない。
ソラは母を押しとどめ、財布とスマホを手に玄関へと出る。扉を開くと、ルクバトはすぐそこにいた。いつもの学ランでも初対面時の華美なブラウスでもなく、少しばかりラフな服装だ。顔の情報量が多く、シンプルなシャツすら上品に見える。
「行こう」
「ソラ、髪結ばなくて良い?」
「あれ、エッ、男の子」
「後であんたやって! ッいってきます!」
背後で色めき立つ母を無視して、ソラは玄関の階段を下りる。
ルクバトは母へ一礼をして、それからソラの後を追った。
「浴衣、似合うよ」
「そう」
「髪いじるね」
「ん」
ソラは進行方向から目線を逸らさず、そう簡潔に返事をする。手も触れないのにソラの髪が浮き上がり、頸の上辺りで結われる。どこから生み出したか浴衣と似た青い花が一輪、結い目に編み込まれた。
「これでもっと可愛い」
ほんの微かにしゃろ、と音がした。
聞かれてませんように、と願っていた。




