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第十話 帰り道

 


 そうしているうちに、授業終了の鐘が鳴る。

 起立、そして一礼。ソラは慌ててスマホを取り出し、黒板の写せていない部分を写真に撮った。



「はいじゃあ男子全員一組移動して着替えてこい」

「?」



 教師の言葉にきょとん、としたルクバト。

 ソラは密かな声で「昨日のホームルーム聞いてた?」と聞く。



「今日と明日ホームルームはなしで、授業終わったら体操服着替えて校庭集合」

「ああ、そういえば……」



 ルクバトは納得した顔で立ち上がった。そうして他の男子生徒と共に、隣の教室へと移動していく。

 男子生徒がいなくなったことを確認すると、周囲の女子生徒たちも、各々制服を脱いで、体操服に着替えていく。


 何かといえば、体育祭が近いのである。

 この二日間は、教員や実行委員を中心に全生徒で協力して、体育祭への準備を行う。

 とはいえ種目決めなどの重要事項は既に終わっており、ソラ達が行うのはあくまでテントや競技用道具の運び出し程度。一日目にすべて運び出して、二日目にテントなどを組み立てて終了だ。


 ゆえに、一日分としてそこまで時間はかからない。

 体力だってそこまで使わないし、そもそも友人と話しながらやっていればすぐ、という人間もいる。



「花崎さん、これあっちまでお願いしていい?」

「ぁ、はーい、……」



 ソラのような例外も、いるにはいるのだが。


 夕暮れの校庭を、未だ熱を孕んだ風が吹き抜ける。

 ソラは少し荒くなった息をついて、手に持っていた旗を所定の位置に置き、そこに少し体重をかけた。



「ちかれた……」



 準備が始まって約数十分。

 疲れも相まったソラの思考は、こういった行事をすべからく義務として捉え始める。

 楽しむエネルギーもなければ共に楽しむような仲の友達もいない。行事そのものを否定はしないが必要性は感じられず、参加したい奴だけすればいいと思っているのだ。

 だから、だるいだるいと言いながら手を動かさない奴らが嫌いだ。無駄口を叩かずさっさと終わらせて、家で一人で静かにしていたい。


 あんたっていっつも楽しくなさそうよな。


 いつか母に言われた言葉が不意にフラッシュバックする。

 うるさいな。わかってるよそんなの。ソラはかすかに顔をしかめて、倉庫まで戻ろうと踵を返し。


 ふと何か頬に冷たいものが当たった気がして、空を見上げる。



「……え、やば」



 その頬にまた、ぽつ、ぽつと当たる水滴。

 雨が降ってきたのだ。

 最初は軽く当たるだけだった雨は、次第に速度と量を増していく。ものの数秒でバケツをひっくり返したような土砂降りになった。


 生徒達が悲鳴をあげて校舎へと駆け戻っていく。ばちゃばちゃと蹴り上げた砂が湿り気を帯びていて、膝に当たるとかすかに痛い。

 そんな中教員達は大慌てで、グラウンドに出した備品に青いビニールシートをかけていた。



「(うげ……だいぶ濡れてる……)」



 屋根の下に入ったソラは、他の生徒がきゃあきゃあと騒ぐ中、静かにしかめっ面を浮かべる。

 遠い位置にいたせいで、体操服どころか靴下まで随分と濡れており、身体に張り付く感触が気色悪い。髪だってぺったりと随分間抜けなフォルムになっていることだろう。



「雨、随分強いね」



 独り言のような一言がかけられる。

 ソラが振りむくと、すでにルクバトが隣にいる。

 着ている体操服が濡れて、下の白いボディラインが微かに透けていた。しかしそれにソラが羞恥を覚える暇もなく、塗り替わるように布地が乾いていく。

「これくらいならいいだろ」と言うから、「私のもしといて」とソラが頼めば、あっという間に冷たい布の不快感がなくなる。



「先生が、もう今日は準備切り上げるって」

「?それどこから」



 ソラが言いかけたとき、微かにひび割れた声で、本日の準備の中止、そして下校をするようにという校内アナウンスがかかる。一気に湧く校内。明日に持ち越されるとわかってはいても、『予定よりも早く帰れる』はテンションが上がるのだ。



「ね」

「……でも帰るっていっても」



 窓の外を見遣る。

 雨は相変わらず強いままだ。一瞬降ってはいおしまいとはなってくれないらしい。



「ソラ、傘持ってないの? 入る?」

「……忘れた。 待ってたら上がるんじゃ」

「やば、これ今日上がんない?」

「天気予報ずっと雨」

「だってさ」

「…………」



 近くにいた女子たちがスマホの画面を見ながら騒ぐ声に、ソラは黙り込む。

 ルクバトは傘を振って見せた。近くにはいつの間にかソラの鞄まで置いてある。しかしソラは悩ましい表情のまま、首肯を返さない。

 脳内にあるのはまた幼く余計な心配だ。それこそ、「こいつと相合傘で帰るのは、変な勘繰りを産まないか」などというような。



「それか雲の上から帰る? 良い景色だし、濡れないよ」

「絶対やめて」

「じゃ、入る?」

「……ん」



 まあ、この騒ぎ出し誰も見てないか。

 そう自分を納得させたソラは鞄を持って、ルクバトと二人喧騒からするりと抜け出した。



 帰り道。世界はことさらに灰色で、最近の美しい夕焼けは見る影もない。

 傘のビニール生地に雨粒が当たる。リズミカルと言えなくもないそれが皮膚からしみ込んで、意識を茫漠色に染めていく。傘でカバーしきれなかった雨が脚を伝い、踵や爪先をじんわりと濡らしていっていた。


 ソラは何となく鞄を抱えなおし、そしてどこに意識を向けていいか少し迷う。この距離になったことがないわけではない。距離だけで言うなれば、屋上でのお姫様抱っこの方が余程近い。

 しかしあの時とは状況が違う。ジャンピング・ハイが無く、ソラの頭は冷静で、即ち羞恥を拾いやすいのだ。



「……そういやさ、あんた家こっちなの?」

「ん、家? ないよ」

「ないんだ……!?」

「そこまで作るの面倒だからね、」



 まあそれもそうか、とソラは一人腑に落ちる。

 ルクバトは星を集めるために(そして星の貯蓄場所としてのソラを守るために)学生をしているのであって、別に学業を修めに来ているのではない。ほかの生徒と遊ぶこともないし、そこまで作るのは文字通り要らぬ手間なのだろう。



「(……ん?)」



 そこまで考え、ソラはふとルクバトを見る。

 ソラと違い手ぶらだ。そもそも鞄だって所有しておらず、毎回作り出しているのだろう。

 そして傘を見上げる。恐らくこれも作り出したものだ。家や鞄がないのに傘だけ買うのもおかしな話。



「(これ、こいつにもう一本傘作ってもらえばよかったのでは……?)」

「よくお気づきで」



 しかし気づいてももう遅い。校舎は既に離れている。

 ソラはがっくりと首を垂れた。



「気づいてたなら言ってよ先に……」

「ソラと帰りたかったからちょうどいいと思って」

「はいまたそういうこと言う~」

「ム、星のためだと思われてるな……」



 ルクバトは下唇をむにっと突き出して不服そうな顔をした。

 わざとらしくてわかりやすい『拗ね』の顔だ。

 しかしそんな表情は数秒で、何もない時の無表情へと切り替わる。


 ソラは何となく、その横顔を見つめた。

 完璧なEライン、微かな凹凸すら見えないマットな肌のツヤ。ルクバトは時折、ひどく曖昧な存在に見える。肩にできた雨の染みすら、次の一瞬にはすっかり乾いて消え去っているのだ。

 確かにそこに存在しているにも関わらず、どこかリアリティを失っているような。



「……って、肩。 濡れてんじゃん」

「ん? ああ別に、いいよ」

「よくない、風邪ひくでしょ。そっちにもうちょい傘やりなよ」

「いやひかな……あー、」


「じゃあうん、もうちょいこっち来て」



 その一言と共に、肩を抱き寄せられる。

 月の匂いが近くなる。しゃろりとかすかな音がする。思考が詰まって、誰にも知られないような息を呑んだ。



「……別にそうしろとは、」

「でもこうするとどっちの肩も濡れない。合理的だね」

「…………」



 負けた。ソラは唇を軽く噛んでそう思った。

 何を競っていたというわけでもないのに、妙な悔しさが心臓の底で渦を巻く。

 雨で少し冷えた空気が心地よかった。


 そこからソラの家までの数分間。二人は何も言わずに歩いた。



「じゃ、また明日」

「ッ待っ、……」



 何の用もないのにそう引き止めた、そんな自分に気づいて、ソラは思わず息をのむ。

 ルクバトは振り向き、「?」という表情を浮かべる。

 玄関の段差のせいで、かすかにソラの方が視線が高い。



「……いや、なんでも。じゃあね」



 手を軽く振って、ソラは扉を閉めた。

 ふっと緩むように温度感が変わって、外界の音が遠くなる。



「!」



 そんな時、微かにあったスカートの湿り気がふっとなくなった。

 自然な乾き方ではない。まるで今日の朝に戻ったような心地で、肌の表面の冷たさまで微かに緩和される。

 気遣いだなあ、とソラは思った。それはたぶん当たっていて、なぜだかそれが余計に切なかった。

次回の更新は2/7(金)の予定です。

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