10冊目:万物の記録(アカシックレコード)005頁
久しぶりの自室。
あれからというもの父さんは、やたら気にかけてくれてはいるが過干渉という程ではなくなった。
時々怪我の具合を見ようとはしてくるので、そこはお願いしている。
のんびりと本を読んでいると、来客があった。
千隼と、理久である。
千隼はお見舞いにと本をくれた。古本屋で色々と探してきてくれたらしい。
理久は少しだけ恥ずかしそうに目を伏せた後、何か甘い匂いのする箱をくれた。
開けてみると、中にはクッキーが沢山入っていた。どうやら手作りらしい。
口に入れると、甘くて、さくさくして、ふんわりと香ばしくて優しい香りが広がる。
「おいしー!!これナッツ?お店のみたい!」
思わずもう1枚口に入れると、理久はにこりと笑った。
「口に合ったみたいで良かった。何となく、ナッツ系好きなんじゃないかと思って……」
「うん。クッキーの中でいちばん好き!」
「やっぱり?」
久しぶりに堪能する理久の手料理。食べてしまうのが勿体ないけど、美味しいんだから仕方ないよね?
せっかくだから、ホットミルクと一緒に……でもこの体じゃ持って来る間にこぼしちゃう。残念。
少し落ち込んでいると、理久が心配そうに顔を覗き込んできた。
「……どうした?」
「なんでもないよ。飲み物とか用意できなくてごめんね」
「あっ、お構いなく!流石に怪我してる奴に運ばせる訳には」
理久が慌てた様子でバッグから小さい水筒を取り出す。
「ほら!ちゃんと持ってきてるし!」
一瞬よく分からなかったが、そういえば理久と千隼は一応客人だ。そういえば俺、客人にお茶も出していない。
理久は記憶を失う前はそれはもう自宅のように俺の家で勝手にお茶をいれていたから、もてなす事はなにも考えていなかった。
千隼は特に冷蔵庫の中から好きに飲み物を取っていくし、お菓子も食べて寛いでいく代表格といって差し支えない。
そんな彼は俺の考えていることをしっかりと見抜いていた。
「優也は自分で飲もうとしたんだと思うよ。ついでに僕達のも用意しようとしただけ。どうせホットミルクがあればいいなぁとか思ってたんじゃない?」
「せ、正解……そこまでわかってるなら、ふたりとも冷蔵庫から好きな飲み物取って飲んでいいよ。おもてなしとか、しないから」
「じゃ、コーラ貰うね!」
千隼が台所へすっ飛んで行った。部屋には理久と俺が残される。
何を話せばいいのか分からない。
この理久は、理久であって理久じゃない。
分かってはいるのに、こんなクッキーを貰ったら期待してしまう。
理久、大好きだよ。ずっと大好き。
でも今の俺は理久にとって『弟の友人』であり、『契約者』であって『親友』では無い。
さあ、理久の新しいお願いを叶えてあげなきゃ。
きっと、大切な人なのだろう。
きちんと見つけてあげなくては。
「ねえ、理久が探しているのって、理久と同じくらいの歳の人なんだよね?」
理久も何を話すべきかと悩んでいたようで、俺が話題を振るときちんと答えてくれた。
「ああ、少なくとも高校生か…同級生くらいの人間だと思う」
「その根拠は?」
「勘……かな」
「そっか」
これは中々に難問だと思った。唯一の情報源が勘だとは。
何かしらの情報があった上での勘なのだろうけど、多分複雑なものなんだろうな。
確かに理久は勘がいい方ではあったけど、これは困る。
「……やっぱり、俺の砂あげるから、願いを叶えれば良いんじゃないかな」
「それじゃダメなんだ!!」
突然理久が大きな声を出した。一瞬びくりと体が震える。
「ああ、ごめん……でもほら、その砂は優也君が貯めた砂だから俺が貰うべきじゃないと思うんだ」
「別に気にしなくていいよ。現実で会うって約束は果たしてくれたんだし」
理久は眉間に皺を寄せ、少し唸ったあと小瓶を召喚した。
小瓶の中には何も入っていないように見える。
「……それで願いを叶えたとして、探し人に会えた時、相手はどう思うだろうか。それに、俺は探し人のことを思い出せても優也君のことを忘れてしまうだろ?」
「それはそう、だね」
「願いは自分の力で叶えたい。だから、優也君の砂は受け取れない」
「……そういう律儀なところ、嫌いじゃないけど少しくらいは曲げてもいいと思う」
「そこを曲げたら『探している誰か』に、顔向けできない気がするんだ」
「もう、理久は頑固なんだから」
「悪い。でもさ、優也君とこうして話せる時間は何故かすごく楽しくて、ずっと前からこの時間は俺にとって大切なもので、この時間を大切にしたいって気持ちの方が強いのかもしれないって思ってるんだよな」
「へ、へぇ……」
思わず理久から顔を背けた。なんだか恥ずかしい。顔、赤くなってないかな。平気かな。
窓の外を見ながら、少し悲しいけど俺の気持ちを伝える。
「俺と理久との時間は、まだ会って間もない。だから気にしないで」
「……でも」
「とりあえず、理久の願いは『大切な人との記憶を思い出したい』ってことで、瓶の砂が貯まり切る前にその相手をまずは見つけるってことで間違いない?」
「ああ。それであってる」
少し考える。何となく、感じていた違和感。
理久が小瓶に願ったのは記憶を思い出すことであり、大切な人との再会では無い。
だから、大切な人を探すのは理解できるけど……
「…………ねえ、理久っておバカさんなの?」
「えっ?」
「記憶を先に思い出せば、探す相手の情報、ものすごく増えると思うんだけど」
「……」
ちらりと理久の方を見る。あ、これ考えてなかったって顔だ。理久ってどこか抜けてるというか、おバカさんなんだよね。
「俺の砂を渡す。異論は無いね」
「いや、でもほら、それだと優也君との記憶が……一応願いは『特定の相手との記憶』だから優也君のこと、また忘れてしまう訳で」
「それなら、また出逢えばいいよ。俺と千隼は親友だし…………ほんとは、理久とも親友なんだから、ね?」
「………わかった」
「よろしい」
理久が頷くとほぼ同時に、千隼が飲み物を持って部屋に戻ってきた。手にしたお盆には、3人分の飲み物が乗っている。
ホットミルクを受け取った。甘くて温かくて美味しいなぁ、ってそうじゃない。
千隼に成り行きを説明する。
理久の願いが叶えば俺の事を忘れてしまうのかと不安そうな千隼に、今回は『理久の記憶を取り戻す』だけで、千隼を生き返らせた時ほどの世界の改変は怒らず、理久と俺が本の世界で出会わなかっただけになるはずだと話すと安堵の表情を浮かべてくれた。
しかし不安ではあるらしく、説明したあとから俺にぴったりとくっ付いて離れない。
暑苦しいけど仕方あるまい。段取りを説明する。
まずは理久の願いを叶え、願いを叶えたあと再度出会う。そして思い出した記憶を頼りに人探しを手伝うというものだ。
小瓶を召喚すると、理久も小瓶を召喚してくれる。
「いくよ、ちゃんと受け取ってね」
理久が木栓を外したのを確認し、俺も木栓を外した。
そして「《斉藤理久に、峰岸優也の砂を1粒譲渡する》」譲渡の意思表明をする。
俺の瓶から1粒砂が宙に浮いて、理久の小瓶に吸い込まれていく。
突如、理久の小瓶から砂が溢れ出し、ベッドの高さと同じくらいの砂山が出来上がった。
これは俺の小瓶と理久の小瓶で、見える砂の割合が異なるせいで起きる現象。無事にタグとラベルも付いたみたいだし、問題はない。
驚く理久に、願いを口にするよう伝えた。
「……ありがとう、優也君」
「どういたしまして。でも、まだ気が早いよ」
「そうだな。絶対見つけてみせるから」
「うん」
理久が突然、いつも腰に着けていたサイドポーチから薄汚れた封筒を取り出した。
中からは何度も開いて、何度も読み返したのであろう便箋が出てくる。
封筒も、便箋も、上質な紙で出来た上品なデザインをしていた。
なんだか、嫌な予感がする。
理久が願いを口にした。
「《この手紙の差出人の記憶を、思い出を、俺に、斉藤理久に思い出させてくれ》」
小瓶がきらきらと輝きを放ちながら砂山と一緒に消えてゆく。
光が消えた瞬間、理久の表情が変わった。
「……優也?」
名前を呼ばれ、びくりと震える。
「あ、はい…峰岸優也です」
驚きと喜びと、色々な感情が混じった笑みを浮かべながら、理久は拳を作る。
「……あの、その拳をどうするおつもりで?」
「とりあえず歯食いしばれ」
「やだ!!ほんとに何する気なのさ!!」
「俺、絶対殴るって言ったよな!!」
「そんなことまで思い出さないで!!それに俺、今怪我人だから!!」
千隼が止めに入ってくれなければ、本当に殴られていた気がする。




