9冊目:白銀の聖剣士006頁
昼食が終わったあと。最近は食後がすごく眠い。お腹いっぱいたべるせいかな。
そういえば食べる量も増えたような気がしなくもない。理久や蓮の量には到底かなわないけど。
うっかりそのまま寝てしまうと危ないので、眠気は酸素マスクをつけて『迷魂狩り』に利用することにしている。
今日もまた、ベッドに横になった。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇
目を開けた。
とある恋愛小説の中の『迷魂』を回収しに来たのだけど、目の前に『猛獣の姿をした迷魂』が居た。
聖剣を手の中に呼び出し、構えようとした瞬間「おおぅい!ちょっと持ってくれやい!」間の抜けるような声が聞こえた。
一瞬、目の前にいたというのに声の主に気が付かなかった。
「……と、虎が喋った?」
「虎だって喋るさ。物語の基本だろ」
「そんな基本知らないし」
虎は俺から少し距離をとるとコミカルに後ろ足で立ち上がり、そのまま腕組みをする。
「お前さんは俺を砂に変えたい、俺はこの本で繰り広げられるキュンキュンの恋愛ストーリーを楽しみたい。うーん、困った」
「……今、なんと?」
「いやぁ、オレサマ気に入る恋愛話を探していたらいつの間にかこんな姿になったんだ。タマシイ捧げても良いような気に入る恋愛話がありゃあ、オレサマ満足して砂にでもなってやるんだが」
何だろうこの虎。とりあえず切り伏せちゃえば良いかな?
剣を構えようとしたら、再度虎が口を開いた。
「お前さん『特異体質』って奴だろう?外の、他の奴らと少し違う。酷く弱っちゃいるが、どちらかといえばオレら寄りだ」
「……どういう意味?」
「なんっつうかなぁ……あっ、いい事思いついた!姿変わんねぇなら、絶対お前さんモテモテだろ!だったら、いっちょ最高のラブストーリーでも教えてくれよ」
「………は?」
「そうしたら、お前さんを見逃してやんよ」
「見逃されなくても、俺はお前を斬れるけど」
剣を虎に向かって振り下ろす。
キンッと高い音がして、一瞬で俺は地面に横になっていた。
あれ。今、何された?
身体強化で動体視力も強化されているはずなのだけど、全く何が起きたか分からなかった。
「力任せの動きじゃあ、オレサマは斬れねえよ?バターにでもすれば違うがな。さあ、お前さんのラブストーリーでも教えてくんな。甘酸っぱい青春って奴でしか得られない養分がある」
剣の位置を確認する。幸い、そこまで遠くは無い。
「……俺は、そういうのわかんない」
「告白されたり、したり、ないん?たとえばホラァ、チョコレートもらったりとか」
「告白?チョコレート?」
告白されたかどうかと聞かれると、千隼と英寿には告白されたことはある。
チョコレートは学校で沢山もらったけれど、体調があまり良くなかったこともあってハセガワに全部渡した。
包みを開けることも食べることもなかったけれど、それなりに美味しいお返しのチョコを用意してもらって渡したはず。
俺は結局のところ恋愛とかはよく分からないことを伝えて、どちらもふたりに友人として接してもらっている。
「あるって顔だな?で、どうしたんだ?」
食い気味の虎。この流れなら体を起こしても自然かな。
ゆっくりと起き上がる。
「……愛とか、恋とか、分からないから。俺は首を縦に触れなかったよ」
「ほう、それで、それで?!」
立っても問題なさそうな気がする。虎の様子を見ながら立ち上がり、服に付いた砂を落とす。
「それだけかな。男同士だから仕方ないねって言われ──」
「あー、そっちは専門外だわ」
突然、虎が動き出した。
身体強化能力を最大まで引き上げる。何とか虎の初撃を避けられたが、追撃を避けきれず、腹の中に爪がくい込んできた。
ざっくりと抉るように腹の肉が切り裂かれる。虎から離れ、剣を拾い上げた。
「ぅ………」
ぼたぼたと流れる赤い液体。急いで治癒能力を引き上げるが、なんだか酷く効きが悪い。
虎が再度爪を振り上げてきた。
──避けきれない。
殺される。そう思ったのに、虎の爪が俺に届くことは無かった。
虎の爪が腕ごと切り離され、地面に落ちて砂になる。
俺と虎の間に、いつの間にか女性が立っていた。えっ、だ、誰だろう。
何が起きたか分からないのは虎も同じようで数秒の間があったあと斬られた事に気づいて悲鳴を上げ、切断面から崩壊してゆく腕を切り落とし、再生させていた。
怒りに満ちた声で虎が訊ねる。
「貴様、何をした…?」
女性は静かに、銀色の剣を構える。
「何も?」
「答えないなら、仕方あるまい。何度も通用すると思うな!!」
再度振り下ろされた爪を女性は持っていた剣で弾く。勢いをいなし、そのまま虎の胴体へ剣を突き刺し、斬り裂いた。
びりびりと割れた虎の叫び声が頭の中に響く。あまりの声量に頭がくらくらした。
虎が完全に砂に変わり、目の前に天辺が俺の身長の倍もあろう高さの大きな砂山が生まれた。女性は振り向き、俺に笑顔を向けてくる。
「大丈夫かい?」
「は、はい…」
砂山は女性の瓶に回収されているようだが、なんか違和感。回収されているのに、砂山が減っていない?
女性は首を傾げた後底の抜けた小瓶を取り出した。
「私は集める資格がないからね。《峰岸優也にこの砂を譲渡する》これでいいだろう」
すると俺の瓶へ砂が回収され始め、みるみるうちに砂山は形を変えて消えていった。
「え、あの、えっと…」
小瓶の底が抜けた『契約者』が、本の世界に入ることは本人にとってはなんのメリットもない。
ましてや、願いを叶える砂を俺に譲渡する時、この女性は俺の本名をはっきりと言った。
「……あなたは、だれ?」
俺の『契約者としての能力』そのものはありふれたもので珍しくもない。
しかし、これに聖剣が加わり他人へ力を一部貸し与えたりなどが出来ると非常に珍しい部類のものへと変わる。
剣のデザインは雪の結晶のようなモチーフと異なる点はあるものの、俺の聖剣と同じように女性の持つ剣の柄の部分からは長めの緑色のリボンがひらひらと舞っていて、銀色の本体とよく映えている。
この女性の能力は、俺と同じものだったり──
目が回った。地面に打ち付けられる寸前に女性に支えられた。そういえば、自己治癒能力、あんまり上手く使えてないんだった。血がぐっしょりと服に染みているのがわかる。
おかしいな、怪我が殆ど治ってない。
「優也、しっかりしなさい!!」
慌てる女性。なんか、ものすごく寒いや。
目を閉じた。
気が付くと、俺は綺麗に掃除の行き届いたアパート的な部屋に居た。
服はぶかぶかではあるが、以前キラーとヘルに着せられた服とはまるで違う清潔そうなものに着替えさせられているし、体にあった傷は綺麗に治っていた。
血は洗われていたというよりは綺麗に拭き取られているという方が正しいのかもしれない。ちょっと鉄臭いもの。
ゆっくりと体を起こすが、自己治癒能力をどれだけ強めても、失った血液の再生は少し時間がかかる。
貧血で吐き気と目眩がする中、ぼんやりとした頭で周囲を見渡した。
ペンダントも首にかけてもらっていたし、あまり警戒する必要は無さそうだが、念の為クリスに寝ていた間のことを確認する。特に何かされたという訳では無いと知って安心した。
ゆっくり、寝かされていたベッドから降りる。ここはどこだろう。
小瓶を取り出すと、砂がかなり増えている気がした。あの『虎の迷魂』はやはり、強い方だったのだろう。
少し歩いて扉を開けると、その先はリビングと思しき部屋に繋がっていた。
丁寧に掃除が行き届き、物が整頓されている。慎重に部屋の中を捜索していると、俺が使った扉とは別の扉から部屋着姿の女性が現れた。女性の髪は少し濡れていて、どうやらお風呂上がりの様な雰囲気を醸し出している。
俺が言葉を口にする前に、女性は「ミルクでも飲むかい?温めてあげよう」優しげな笑みを浮かべ、マグカップに牛乳を注ぐと電子レンジを操作していた。
確かにホットミルクは好きだけど、この人は何者なのだろう。
豊満な胸を彩るように銀色に煌めくペンダントは俺の聖剣のペンダントとはまた少し異なる形をしているものの『契約者としての能力』はもしかすると同じなのかもしれない。
「はい、温まったよ。少し熱いかもしれないから火傷しないように気を付けなさい」
女性が差し出すマグカップには、湯気をほんのりと出す牛乳が入っている。
「警戒することはいい事だ。しかし、私に対しては不要だよ、優也」
優しく優しく、女性は微笑みながら見つめてきた。
優しい人間ほど、この世界では裏がある。
「俺には、お前が誰なのか分からないから。今まで俺と同じような能力を持った『契約者』は見たことないし、聞いたこともない。俺はお前を信用出来ない」
剣を構えた。俺より女性の方が数段強いことはわかっている。
女性は悲しそうな顔をした後「そうだな。それでも私は、優也に危害を加えるつもりは無いよ」マグカップを両手で包み込むように持った。
「どうすれば優也の信頼を得られるかな?」
「どうもこうも『契約者』は警戒するようにしてるの」
女性はしばらく目を瞑っていたが突然何かを閃いたようにぱあっと明るく笑うとマグカップをテーブルの上に置いて、自身の首からペンダントを外すと俺の前に突き出してきた。
「じゃあ、はいこれ。同じ能力を持つ優也なら、この意味は分かるだろう?」
「……それ、少し離れてても大きさ変えるくらいはできるだろ」
「えっ…そうなのか?……あ、本当だ」
突然大きくなった剣に突き刺されるなんてのは出来たら遠慮したいと思ったのだが、テーブルの上にペンダントを置いて剣の大きさを変える女性を見ると、なんというか『本当に使い方を知らなかった』様な印象を受けた。まるで、自分の能力では無いと言っているかのような印象。
『契約者としての能力』は誰かに説明されるまでもなく扱えるものではあるが、例外はある。
「それ、あんたの『ペア相手の能力』なんだな」
女性はぴたりと動きを止めて、俺を見る。
「そうだよ。私が愛した、とても強い女性のものなんだ」
愛おしそうにペンダントを持つ女性。そこに偽りのようなものは感じられなかった。
「そんなペンダントを、俺に渡そうとしたの?」
「優也にだから、預けられるんだ」
目の前の『契約者』が誰なのかは分からない。
理久本人が居ないので『意識を視る』力を扱うのは難しい。うん、失敗した。無理みたい。
完全に『視えた』わけでは無いから「完全に信用したわけじゃない。お前が剣を向けない限りは俺も剣を向けないことにしただけだからな」少なくとも敵とは思わないでおくくらいで留めよう。
剣の能力がペア相手のものだということは、もうひとつ能力を持っているのだから完全に信用することは出来ない。それはきっと女性もわかっているのだろう。
それで十分だと女性は笑い、湯気が見えなくなったマグカップを手に取った。
「……そうだ、もうひとつの能力をきちんと見せておこう」
「えっ、なんで?」
女性の発言に、思っていることがうっかり声に出た。慌てて口を塞ぐ。
どうしたのかと首を傾げる女性に、恐る恐る『契約者としての能力』を他人に開示することの危険性の話をした。
女性は「それだけで優也の警戒を解いてもらえるなら、安いものだよ」微笑んで、透明な円柱状の細いグラスに電気ポットからお湯を注いだ。
持ち手のないグラスは中に入ったお湯のせいですぐに熱を帯び、触れなくなることは容易に想像がつく。
「よく見ていなさい」
「見てるけど。……あれ?」
触れる場所がなさそうだったグラスの湯気が消えた?
「私の本来の能力はね、ありとあらゆるものを移動させる能力なんだ。今は『熱』を移動させた。優也の怪我を治したのと同じようにね」
女性が能力を説明してくれる。
「怪我を移動させたの?どこに?」
「普段は人形に移動させるんだけどね。優也本来の治癒能力が酷く落ちている状況だったんだろう。今回は用意する時間がなかったから私自身に移したけれど……ちゃんと治ったようで良かった」
熱湯に近い温度の牛乳が入ったマグカップを渡される。あちちち。マグカップを落としてしまった。
「あぁ!やっぱり温度の移動は分割が難しくて苦手なんだ!!火傷してないかい、大丈夫かい?」
「え、えっと、うん」
あまりに慌てられるものだから少し驚いてしまった。この人、本当に警戒する必要ないのかも。
……いや。そうやって騙されたこと、何回あったかな。その度に聖剣が無ければ死んでいたような怪我をしたのに、また繰り返すつもりなのかと捨てかけた警戒心を取り戻す。
「……お前は、なんの目的があって俺を手当して、ここまで運んだ?この家はあんたが『借りた器』、教師の湯河原 麻耶の家だろ」
「あ、ああ。そうだが……」
「何故その教師を選んだ?俺に何をさせるつもり?」
『湯河原 麻耶の器を借りた契約者』は、少し返答に困った様な素振りをした後俺の頭を撫でようとした。
一歩下がって、睨みつける。
目の前の『契約者』はしばらく呆けた顔をしたあと、にっこりと笑った。
「そうだなぁ。目的があるとすれば、これから優也を可愛がるくらい、かな」
俺を、可愛がる?
考えるよりも先に、剣を突きつける。
「……やってみろ。その前にお前の首を切り落とす」
「なにか勘違いしてない?」
剣を向けられているにも関わらず『湯河原 麻耶の器を借りた契約者』は俺に近づいてくる。
脅しのつもりだったが仕方ない。俺と同じ能力なら腕が切り落とされた程度、すぐに治せるだろう。目の前の人物に危害を加えられる程の技量が俺にあるかはさておき。
身体強化能力を引き上げ、跳躍しっ……
床に飛び散った牛乳で滑って派手に転んだ。




