9冊目:白銀の聖剣士001頁
最近、クリスが近くにいないことが多い。
元々俺のすぐ後ろに居るせいで視界にあまり入らないし、姿が見えない状態になることもあるから普段からあまり居るという認識はない。
それでも俺が『契約者』となってからはずっといてくれたような気がするのだけど、最近はその気配もない。
見えないのではなく、本当に居ないような気がする。
あまり話したくない気持ちは変わらないので『迷魂狩り』の時にいてくれればそれでいいが、なんだか変な感覚。
今日は流成と千隼が見舞いに来てくれた。怪我の具合を聞かれたから、殆ど傷は塞がったことを伝える。
痕が残らないよう小瓶に願ったから、手首に巻いた包帯と一緒で絆創膏をとったら綺麗に見えるはず。
中身はあまり変わらないけれど、本を読むには支障がないから別にいい。
しばらく話をしていると酷い眠気に襲われた。
さすがに人工呼吸器を見舞いの度に隠す訳にはいかないし、流成と千隼には寝てしまうと息ができない事は伝えている。
ふたりが慌てて酸素マスクを押し付けてきた。
「だ、大丈夫だよ。ちょっと眠くなっただけ」
それが危ない、と声を揃えて怒られる。
千隼にはもう少し自分の体の弱さを自覚しろと言われるし、流成には我慢をしすぎるなと言われた。
ふたりはそろそろ帰る時間だとかで俺の顔にしっかりと酸素マスクを固定すると、体が布団の中にきちんと収まったことを確認して絶対安静を言い渡し病室を立ち去った。
なんていうか、なんていうかなぁ……
ゆっくり目を瞑る。
今回の誘拐犯であるキラーとヘルは、俺が砂を使って過去にまで干渉する願いをかけていたものにまんまと嵌ってくれたおかげで、今まで砂で誤魔化してきた犯罪も少しずつ明るみになっていっている。おそらくは一生塀の中だろうという話だった。
キラーの自宅からは俺を題材とした手製本の小説のようなものが大量に見つかったらしく、どれもこれも内容が酷いものだったとは伝えられた。
裁判では証拠のひとつとして扱われるらしい。
創作物と創作者の人格を結びつけるのはどうなのかと思うが、流石に実在するひとりの人間を執拗に描写し続け、残虐な行為を延々と繰り返す話をかくのは異常だろうと言われると反論はできないし、今回は擁護するつもりもない。
……本のこと考えてたら読みたくなってきちゃった。
布団から這い出して流成と千隼が持ってきてくれた本を手に取った。
いつの間にか寝てしまっても平気なように、マスクをつけたまま読み始める。
2冊ほど読んだ時、部屋に再度来客があった。
面会時間はとっくに過ぎているので、外からの来訪者ではなく、院内を移動してきた余田英寿である。
彼は『契約者』だから『迷魂の痕跡』というらしい特有のモヤを見ることが出来る。
読んでいた本に『迷魂の痕跡』がないことに気付くと、不思議そうに俺を見てきた。
「また優也は本呼んでるのか?なんで?それ『迷魂』居なくない?」
「英寿は『迷魂がいない本』は読まないの?」
「俺、元々本はそこまで好きじゃないんだ」
「そう。俺は元々本が好きだから読んでるの」
「そっか、優也は本が好きな方の『契約者』なんだ」
「うん」
英寿はどうやら、俺と同じくらいの歳で『契約者』となったらしい。
産まれつき肺と心臓に病気を抱えており、あまり運動はできないことに対して酷く不満に思っているようだ。
小瓶の願いも教えてくれたが《宇宙飛行士になりたい》という願いだった。
当時は本気で願っていたらしいが、今現在は別の将来の夢があるのだという。なんなのか聞いたら、電車の運転手だった。
そのせいで、小瓶の砂に対しても集めるのは消極的。時々お菓子を食べたいとか、ちょっとした願いを叶えたい時に砂を集める程度らしい。
あまり砂を貯めると病気が悪化する可能性があって怖いのだとか。
病気を治そうと思わないのかと聞くと、本来の願いではないせいでどれ程集めれば治るのか、それとも自分の瓶で病気が治るほどの砂を集められるのか分からないから、それまで本を読んで貯めるのは元々読書が好きではない英寿にとっては苦痛でしかないのだという。
本を読むことが苦痛に感じるとは。千隼ですら面白くないというだけで苦痛とまでは言っていなかったのに。
読んでいた本に栞を挟み、閉じる。
英寿は自分の『契約者としての能力』を教えてくれた。
彼の能力は、現実世界では『触れている相手の思考を読み取る・自分の思考を送る』というもの。実際に使われると読み取られた時は何も感じなかったが、送られた時は不思議な感覚がした。
本の世界での能力は一言では言い難いらしく、イメージとしては複数人何処からでも何人でも通話可能な携帯電話を持つようなものらしい。
優しく、優しく英寿が俺の頭を撫でてきた。
な、何も考えません!
「心を無にすんの止めてくれない?」
だったら、俺の考えてること読まないで。
(優也の事ならなんでも知りたいんだよ)という思考が流れ込んできた。うう、むず痒い。
(ほら、英寿だーいすきって言ってみて?)
「いやです」
はっきりと言葉を口にして伝えた。
送られてくる思考は、慣れないと自分の考えていることと混ざりそう。
毎回英寿は俺に触ってくるけど(英寿大好きだから嬉し)……ん?
「俺の考えをぐちゃぐちゃにしないで」
手を払い除ける。もう、本当に油断も隙もない!
本を開いて読もうとしたら、勝手に病室に備え付けのテレビをつけられた。
普段ニュースくらいしか見てないし、テレビカードの残数とかはどうでもいいんだけど、なんていうかもう、英寿は俺の病室で好き勝手やるんだよな。
「ほら、優也の事件。またやってるぞ」
指さされた先の液晶画面にキラーとヘルの顔が映っていた。
被害者とされる5歳程度の子どもたちの写真も沢山映る。
「そうだね」
この中に、理久の願いが叶わなければ千隼が居たのだと思う。
理久、今何やってるかな。勉強ちゃんとやってるかな。
同じくらいの歳の友人ができることは、父さんからすれば非常に好ましいことであるらしい。
英寿が俺の部屋でテレビを見ることを知って、父さんはテレビカードを何枚も用意してきた。
今日もまた、英寿は俺の部屋のテレビカードを浪費する。
その横で本を読んでいると、少しだけお腹が痛くなった。
外見上の怪我は綺麗に治ったので7階に戻れるかと思ったのだが、どうやら中身の具合がよろしくないらしい。
最近は熱が頻繁に出るようになった。
理久の体質がどれほど俺の健康状態に影響していたのかまでは分からない。もしかすると最近クリスがいないのは俺がもうすぐダメになるから?
解熱剤が切れればまた熱が上がる状態だけど、何とか本は読める。
だから、だいじょ………う、ぶ………………
段ボール箱から本を取り出そうとして、目が回る。
身体を床に打ち付けた。
床が、ひんやりして気持ち良い。
そういえば小さい頃、熱を出したらこうやって冷たいところを探して頭を冷やしていたっけ。
英寿が慌てて、俺の顔にマスクを近づけてきた。
「優也、しっかりしろ!!」
大丈夫だよ、少し具合が悪いだけだから。
「でも…!!」
英寿が押してくれたナースコールで、看護師さんが来てくれた。
ベッドに寝かされ、機械をいくつも付けられた。
検査用の血を抜かれる。
しばらくして、血相を変えた父さんが病室に来た。入室するや否や、突然服を脱がしてきて触診をするもんだから、もうびっくりしちゃった。
とてもくすぐったいのを我慢していると「優也、ちゃんと食べてるか…?」不安そうに俺を見てくる。確かに少し、肉付きは悪いけどさ。
「ちゃんと食べてるよ。美味しくないけど」
「……どうしても、他の患者と一緒に作るから冷めてしまうのだろうな。今度から優也の食事は特別温めて出すように伝えておこう」
「ちがうの。持ってきてもらう時は温かいよ。でも温かいのに、美味しくないの」
父さんは首を傾げた後、何か思い当たることがあったのか、安心した笑みを向けてくれた。
「そうか、そうか。身体が良くなったら、美味しいご飯を食べような。何がいい?オムライスか?ハンバーグ……グラタンも良いな。他何が好きだって言ってたか……」
この状況、この病院のご飯が美味しくないってトップが認めたことになるのでは、とは言えない。
……あれ?
「俺の好きな物、誰が言ってたの?」
俺ですら認識が出来ていなかったはずなのに、何故知ってるんだろう。
父さんは首を傾げ、しばらく考える。
「そういえば、誰に聞いたんだったか……」
恐らく、理久が父さんに伝えていたのだと思う。
『契約者』では無い者は、書き換えられた後の記憶しか持ち合わせない。
けれど、父さんの中で『峰岸優也の好きな食べ物』として紐付けされた記憶だったからこそ、残りうる事情となったのだろう。
「……いかんな。物忘れも程々にしないと」
父さんは苦笑しながら、服を着直す俺の頭の上に本を置いた。
「本!本読みたかったの!ありがとう!」
早速手に取り、本を開く。ああ、インクと紙のいい匂い。服なんてあとあと!
早速読み始めようとした時だった。
「……近いうち、優也の事を欲しがる人が沢山現れるだろう。拓矢は絶対に力になってくれるから、必ず兄弟で仲良く過ごすんだよ」
突然頭を撫でられた。
「俺のことを欲しがる人?」
医療従事者なら、確かに俺は珍しい病気をふたつも同時に発症している人間だから、欲しいのだろう。
でも、なんだかそういう意味じゃない気がした。
「なにか、あるの?」
父さんは少し悲しそうな顔をした。どうしたんだろう?
「母さんに似て、優也は綺麗だからな。周りが放っておかないだろうって事だよ。既に何組か縁談が来ている。見るかい?」
「本以外に興味無いかも」
「やっぱり、優也はそうだよなぁ」
頬を両手で包み込むように触られる。父さんの手、あったかい。
「……もし、一生一緒にいたいような、本当に好きな人が出来たら、すぐに父さんに教えなさい。約束だからな」
「はーい」
俺の頬から手を離すと、父さんは部屋から出ていった。