8冊目:守りたいもの008頁
目を開けると、兄貴が俺の手を握っていた。どうやら助かったらしい。
周囲を確認すると造りは似ているが俺の部屋ではない。集中治療室のようだ。
身体を起こそうとするが、動かなかった。
ペンダントの効果も無いから、身体能力は同年齢の子以下。更には大怪我をした後なのだ。
とりあえず瓶を召喚した。
見ると『理久』と別れた時とほぼ同じ量、ふたつまみ程度しか残っていなかった。
ここから、どれだけ貯められるだろう。今回の無茶をする為に、1年近くかけて無理矢理貯めた砂を使い切った。
もう少し切り詰めれば、同じ量とまでは行かなくてもすぐにまた貯められると思う。
俺は、昔から誘拐されやすい。
もう二度とチハヤが誘拐されて殺されなくていいように、『峰岸優也』という餌で誘拐犯をおびき寄せよう。
そして、ひとりずつでいい。砂を使った犯罪を繰り返す『契約者』を捕まえていこう。
しばらくして、兄貴が目を覚ました。
「優也!良かった!目が覚めたんだな!」
俺の手に頬ずりしてきた。
「……心配してくれたの?」
「当たり前だろ!お前は俺の弟なんだから!毎年誘拐されやがって!!!」
涙目になりながら、兄貴は笑顔を作った。
「…ご、ごめんなさい」
頭を撫でられた。理久ほどでは無いが、気持ちがいい。
兄貴は『契約者』ではないから、理久の願い事が叶った時に理久との記憶を失っている。
間を取り持ってくれた理久がどう兄貴の中で処理されているのかは分からないが、少なくとも俺と兄貴の間の誤解は消えていると思う。
撫でられていると、いつの間にか寝てしまっていた。
数日は起きてもすぐに眠ってしまったりと大変だったけれど、何とか意識も安定し、集中治療室から出る際、一般病棟か自室か選ぶように言われた。
さすがに何かあった時に看護師さんを俺の部屋に呼ぶわけにも行かないので、一般病棟を希望する。
痛みはだいぶ落ち着いたが、腹部と手首に傷痕は残るかもしれないらしい。
傷物になると餌としての価値が下がるかも。それは困るな。後で砂を使って消しておこう。
父さんは一般病棟に移る時、一度だけ様子を見に来た。忙しいのだから無理しなくていいと伝えると、そうはいかないと言っていた。むしろ来れなくてすまないと謝られた。
……本当に、理久がいなければ、父さんや兄貴と、ここまでの話は出来なかったと思うし、俺は父さんのことも兄貴のことも、ずっと恨んだまま七階で暮らしていたと思う。
理久は俺の恩人だから。
だから、俺が守る。理久が俺の事を覚えていなくても。
いつもと違うけれど同じベッド。
個室を用意してもらったが、やはり本がない。あるけど少ない。
カードキーを持っていない時の7階への入り方って面倒くさいんだよな。
壁に手を付きながら、ゆっくりとエレベーターへ向かった。
棟が違うから移動も面倒くさいな。ハセガワにカードキーを持ってきてもらうべきだったかも。
やってきたエレベーターに乗り込み、橋がある階を押した時だった。
先に乗り込んでいた、俺と同い歳くらいの男の子に話しかけられた。
「お前、だれ?子どもの患者が最近入ったって話も聞いてねぇぞ」
病院着を着ているから、入院している子ではあると思う。
「……知らないだけで居ると思うぞ」
「俺ずっと入院してるけど、初めてお前を見たぞ!!」
長期入院の患者って、だいたいなんでも知ってると思いがちらしい。あーうるさい。
「そう。俺もお前は初めて見たから、偶然会わなかっただけだろ」
エレベーターが3階に到着したことを告げる。
降りようとした、その時だった。
やはり身体能力が凄く落ちていた。
エレベーターの扉の隙間に足を引っ掛けて、思いっきり床に打ち付けられた。
「いっ…………」
打ち付けた痛みより、腹部が痛い。
目を開けると、淡い色の病院着にじんわりと赤い血が滲んでいた。
「おい、大丈夫か?!」
多分傷口が開いただけだから平気、なんて言おうとして、言葉が出なかった。痛い。
そうか俺、物凄く体の弱い12歳そのものなんだな。
男の子が慌てながら大人を呼んできた。
偶然近くに居た大人。それは俺の知っている人間だった。
俺の顔を見て、その大人は冷静さを失っていた。
「優也!しっかりしろ!!!」
「とう…さん?」
「なんで病室から出た!!傷が!ぁあ…早く治療を!!」
「落ち着いて。そんなに血は出てないから。縫い直せば大丈夫」
「しかし、しかし……空いてる処置室は!ああ、もう、私が直接………」
「落ち着いて…大丈夫だよ、父さん」
男の子も一緒におろおろしている。もうこれどうしよう。
とりあえず冷静さを失っているこの病院のトップを落ち着かせなくては。指示が支離滅裂になりかねない。
父さんの頬を触った。少し血が付いちゃうけどまあいいか。
「父さん、落ち着いて。ただ傷口が開いただけ。出血は多くないから、縫い直せば問題ないよ」
「あ、あぁ………」
少しだけ落ち着きを取り戻した父さんは、俺を抱えると「処置室まで運んでやるからな!」歩き出した。
「えっ、そっちの方が心配なんだけど」
「父さんを甘く見るんじゃありません!」
「自分の歳考えて?」
「優也は軽いから大丈夫だ!!」
無理しないで欲しい。もう定年なんてとっくの前に過ぎてる歳でしょうに。
ふと、違和感を感じた。
父さん、ものすごく痩せてる?こんなに骨が出てたっけ。
本当に傷口が開いただけで、中身には特に影響がないことを知った父さんは安心して仕事に戻って行ったらしい。
自分が縫う、なんて言い出すから色んな医師たちに止められていた気がする。ご迷惑おかけしました。
そんな感じで麻酔も切れて、目を覚ました俺は片足に付いていた異物を暫く観察していた。
痛くないようにふわふわとしてはいるが、鍵のついた枷が付けられており、ベッドへと繋がれていた。鍵はなんと、電子錠である。
簡単に壊せそうなものでは無いし、紐自体も多分簡単には切れない紐だと思う。精神病棟から持ってきたのかな。
というか壊したら怒られそう。
確認したが、部屋の扉までは枷の長さが足りないし、看護師さんの入退室の様子から部屋の鍵までしっかりとかけられているようだ。厳重すぎる。
本が無かったから部屋から出たと言ったせいだろう。段ボール箱に入った本も一緒に部屋の中に閉じ込められたらしい。
別に砂を使えば簡単に外に出られるけれど、流石に今度はどうやって出たのかと聞かれると困るので大人しく閉じ込められることにする。
何もすることがないし、本を読み続ける。
段ボール箱の本は早々に読み切ってしまった。もっと読みたい……
暇を持て余していると、かちゃりと鍵があいた。食事の時間らしい。
血液を少しだけ取られたあと、なにか不自由していることは無いか聞かれた。本が足りないと伝えた。
看護師さんは段ボール箱に入った本を見たあと、再度俺を見た。別におかしなことは言ってないんですけど?
食器を下げてもらうタイミングで、数冊ではあるものの、追加の本が現れた。
運んできたのはエレベーターで出会った男の子だった。
「やっほー!調子どう?」
「本が無くて最悪だった」早くその本を下さい。
「お前って、ここの医院長の息子だったの?」
男の子が部屋の隅に本を置いた。そういう無駄話はいいので本が欲しいんですけどー!!
「無駄話って……」
あれ、声に出てた?まあいいか。
「じゃ、読みながら話すから。その本ちょうだい」
「絶対それ、俺の話聞く気ないよな」
「うん、無いね」
本は置いていくから少し話をして欲しいと言われ、渋々承諾する。
部屋には俺と男の子だけになる。
「お前さ、今ニュースになってる連続誘拐殺人犯の被害者ってのほんと?」
「……そうだったら、どうするの?」
男の子は暫く俯いて、そして「なあ、お前。わざと誘拐されて、アイツら捕まえたんじゃないよな?」かなり鋭い事を言ってきた。
「なんでそう思う?」
「あいつらは、都合の悪い証拠や状況を全部『砂を使った願い』で消していた奴らだ。お前『契約者』なんじゃないか?」
「……なんのこと?願い?」
「とぼけないでくれ。病室の名札『峰岸優也』ってお前の名前だろ?」
「……まあ、うん」
「彼らが砂を使って願いを叶えられなかったってことは、事前に『砂を使って願いが叶わない願い』をしていた人間がいる可能性がある」
お前だろう?と男の子は俺に詰め寄る。
「だったらどうするの。俺を脅す気?」
男の子は首を振った。
「俺は、余田英寿。……一昨年の夏、この病院で初めて見た時からキミのことが好きで。本の中の世界でキミのことを見掛けてから、同じ『契約者』って知って、ずっと追いかけてた。俺と付き合って欲しい」
「……はぁ?」
ちょっと理解が追いつかない。
「大切にするから。お願い。俺と付き合って?」
「いや、俺そういう趣味ないから困るんだけど。そういう目的なら、俺はお前の記憶を今日出会った分だけ消してやる」
小瓶を召喚する。彼は大慌てで俺から離れた。
「あー!待って待って、ダメなら全然いいので!!!あの!ペアとか組んで貰えたら嬉しいけど、事実上あれは結婚みたいなものだし、えっと、あの、ダメなら一緒に暫く活動出来ればそれでいいんです!!ちょーっと印象づけた出会いをしてやろうと思ってエレベーターでは生意気言いましたすみません!!!」
「ペアを結婚って捉える人初めて見た」
「事実上の結婚みたいなものだろ、あれ」
それなら、俺は理久と結婚してることになるのか?えへへ、ちょっと嬉しい。
「あれ、他の人とペア組んでたの?」
「うん」
「ど、どんな人…?」
「物凄く素敵な人」
暫く彼は何かを考えているようだったが、首を捻ったあと、話題を変えてきた。
「……あ、そういえば部屋の入口に名前のプレート無かったけど漢字どう書くの?」
「は?」
彼、プレートを見て入ってきたのではないの?
「ほらぁ、医院長の名前って峰岸だろ?医院長がユウヤって呼んでて、ユウヤ君がお父さんって呼んでたから、峰岸ユウヤなんだろうなぁとは思ったけどさ、いやぁ~~中から外は見れないもんね。その足だと更に」
俺、嵌められたのか……
「"優しい"に"也"だよ。これで満足?」
「マジ満足!!俺の字はこう書く!覚えてくれよな!」
サイドデスクに置かれていたメモ用紙に名前が書かれた。
かなり珍しい字の様な気はする。
「はいはい。でも俺、ペアは組めないから」
「問題ないです!」
結局、消灯時間ギリギリまで英寿は俺の部屋に居座った。
本、読みたかったなぁ。
久しぶりにあんなに沢山誰かと会話したな、なんて思いながら布団を被った。
………おやすみなさい。多分、明日も彼は来る。




