8冊目:守りたいもの006頁
それからしばらく学校に通ったのだが、やはり津川想真の存在そのものが消滅しているような気はした。
流成はどうやら俺が小瓶を使ったことも一緒に忘れているらしい。ちょっと悲しいかな。
俺はというと、本も読めるようになったし、ご飯も沢山食べられるようになった。父さんはまだ点滴を3日に1回打ってくるけれど、数値上はもう殆ど問題は無い。
ただし、怪我や痣が津川想真の存在が無かったものになった時に周りに認識されてしまい、父さんが学校に抗議しに行ってしまったことは想定外だった。
当然ながら犯人は分からず、また千隼が冤罪で処罰されそうになってしまったので、俺が階段から転がり落ちたのだと説明して何とかひと段落ついた状態となった。
縄跳びの紐で鞭のように叩かれた跡に関しては、こっそり二重跳びの練習をしていたのだと伝えた。すごく怒られた。
ちなみに、俺の保健室へ行きたいという要望を阻止した先生は津川の願いとは無関係だったようである。
理由はそんな病気あるはずがないと思ったからだとか、医師からの診断をもってこいだとか色々と言っていたらしい。俺の父さん、医者なんだけどな。
穏やかな学生生活の中で、ゆっくりゆっくりと迫ってくる刻限に怯えていた。夏休み中は『起きていた』から、ひと月ほど学校に通えばもうすぐ俺は『寝てしまう期間』に入る。
流成や千隼に、そのことを伝えようかと悩んでいる間に体育祭の日になってしまった。
7階で本を読むのもいいけれど、皆と時間を共有したいと強く思うようになってしまった。
ずっと人と関わってこなかった癖に、人と関わるようになったら途端に寂しがり屋になってしまう。
こうなったのも理久のせいだ。責任とってもらわなきゃ。
体育祭の結果を流成から電話で聞いて、優勝した事を知る。
皆凄いな、なんて思いながら耐え難い眠気に襲われてしまった。
勝敗を知れてよかった。これから俺は『寝てしまう期間』に入るらしい。
この時期に『寝てしまう』と、何故か年末まで『起きる』ことが出来ない。
そして、思った通り気がつけば、12歳になっていた。
楽しみも全部、全部俺は『寝て』逃してしまう。
慣れたことなのに、悲しくなった。
年越しの雰囲気が落ち着いた頃には、小瓶の砂が3割ほどの量になった。
何度も本の世界で怪我をした。
何度も本の世界で怪我をさせられた。
時々死んだし、殺された。
身体中に痣ができて凄く痛い。痣が何度も出来たところは血が出てきた。絆創膏を貼って隠した。
無理をし過ぎたとは思っているが1年ほどで俺の瓶がここまで貯まるとは思わなかった。
寝不足で少し辛い。けど、あと少しだけ頑張ろう。
津川想真のおかげでひとつ、小瓶の願いの仕様を理解出来、入手が困難だと思われた情報を手に入れることが出来たのだ。
砂を少し使って怪我の中で酷いものだけを治す。
そして、貯めた砂の殆どを使って、願いをひとつひとつ口にしていく。
さあ、俺のかいた脚本を、演者をそろえてはじめよう。
7階から離れる時は必ずペンダントを部屋に置いて来るようにしている。
そのせいで1階のレストランへご飯を食べに行くのでも、かなり体力を使ってしまう。
途中の椅子で少し休憩していると清掃員のお兄さんから声をかけられた。
「やあ優也君、これからご飯かい?」
「うん」
「怪我が、また増えていないかい?」
俺の怪我を心配してくれる清掃員さん。彼は谷崎さんといって、以前カーテンの掃除を手伝ってくれようとした人だ。
「……誰かに、痛い思いをさせられているとか、そういったことはないかい」
「ううん。俺、よく転んで怪我するだけだから大丈夫だよ」
「それはそれで……」
谷崎さんはとても心配そうに俺を見ている。
「大丈夫だよ。俺は元気!……今日は絶好のお散歩日和だから、ハセガワに見つからないようにお出かけもしちゃうくらい!谷崎さんも、一緒にお散歩する?」
「ほう。時間はいつくらいかな?」
「うーん。お昼ご飯を食べたら、かな。ハセガワが夕方に来るから、それまでには戻ろうかなって」
「丁度今日は午後から休みだからね。御一緒しようかな」
「やったぁ!じゃ!ご飯食べたら裏の駐車場で待ち合わせね!」
「ああ」
椅子から降りる。レストランへ向かった。
昼食を軽めに摂ったあと、待ち合わせ場所で谷崎さんを待っていた。
ひとりでいる時に感じる悪寒がするが、今回は気にしない。
裏の駐車場は見通しが悪く、確かに危険ではあるが逆に院内から見えないから俺はよくここから外出している。いつもどおり、なにも不自然な所はない。
谷崎さんは午後から休み。そのことは最初から知っていた。
そして、谷崎さんは車を持ってきた。
「せっかくだから、徒歩で出かけられない散歩コースにでも行かないかい?」
谷崎さんの提案に賛成し、車に乗り込んだ。
なんでもない会話をふたりでしながら、車はあちこち複雑な道を通って、人気のない山へ入る。
小さな小屋の前で車は停まった。
「山の中あるくの?俺、登山とか初めて!」
「そっか、良かったな。でも、歩かなくていいんだよ」
突然、谷崎さんが俺の両手を掴んだ。
「やっと、やっと現実世界の『聖剣士』が俺のところに来てくれた!!!」
「……えっ…なに、なにを」
「あはは、そんなに怯えた顔しないでくれるかい?可愛い、可愛いよ優也君」
俺の座っていた席の扉が開いた。
突然現れたもう1人の男性が、俺の身体を掴んで服を脱がせてきた。
「は、はなして!やめて!!」
必死で抵抗するが、成人男性ふたりにかなうはずもなく、下着を含めて全て脱がされてしまう。
谷崎さんは俺に顔を近づけて、静かに笑った。
「現実世界では、はじめまして、だね。『キラー』だよ」
首についていた発信機がするりと外れた。
「なんで外れるのか、って不思議そうな顔してるね。医院長の部屋から、キーをくすねてきたんだ。確か靴や洋服にも発信機がついていたよね」
「ま、まさか……」
「そっ。ぜーんぶ外してあげたんだよ。これから優也君は俺とヘルと一緒に暮らそう」
「お、俺は寝ると息ができないの!死んじゃうの!だから!!」
「ごちゃごちゃ煩いんだよ」
強く頭を殴られた。
「んぅ………」
頭がぐらぐらする。気持ち悪い。
焦点が定まらない視界で、キラーを見る。
「そうそう、その顔。可愛いなぁ」
頬を触られた。
抵抗はしなかった。




