8冊目:守りたいもの003頁
あまり会話したくはないが、『迷魂の入った本』を俺ひとりでは見つけるのが難しい。
こればかりは『テラー』の力を借りるしかなく、クリスに尋ねると近くに気配があると教えてくれた。
案内してもらい、モヤのかかった本を手に取った。
ちょっとだけ、本を返したくなった。
この本、ホラー・ミステリー小説である。
ミステリー小説に入り込んだ『迷魂』の回収は非常に厄介だと思う。
トリックの肝になるものをうっかり壊してしまう事、よくあるんだよね。なんで丈夫に作ってくれないんだろう。
「とりあえず…頑張ってみようかな………」
ベッドに移動し、軽く本を読んだ。
もう一度、布団を被っておやすみなさい。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇
目を開けると、建物の中にいた。外は雪景色になっている。良かった。また凍死するところだった。
舞台は雪山にある煉瓦造りの建物。
趣もあり行楽として訪れるのであれば、とても素敵な場所になるのだろう。
白紙の本を確認すると、登場人物達は漸く到着して玄関に居るらしい。
俺の身体強化能力はハズレの部類の能力だが、それはファンタジーの世界だったらの話。現実的な世界なら、使いやすい力ではある。
とりあえず隠れながら『迷魂』を探そう。
そう、隠れながら──と思ったのだけど。
何故か、俺は今、ヒロインの白石美凪と準ヒロインの粟津梨花に挟まれて、頬を触られたり、頭を撫でられたりしている。
登場人物のひとりに見つかってしまい、本来貸切であるはずなのに子どもがいるということで問題になってしまったのだ。
このままでは俺がミステリーになってしまうので、仕方なく『親とはぐれて寒くて困っていたら見つけた建物の中に入った男の子』として彼らの前に現れる事にした。
この本で起きるトリックや犯人は頭に入っているから、自分の身に危害を加えられることは回避できる。
しかし、俺という本来シナリオに存在しない役者が現れた時点で話の内容が大幅に変わってきてしまう可能性は高い。
俺の存在そのものが有り得ないものではあるが、それでもシナリオが崩壊しないのは、俺の体質が厳密には『本の世界に入るもの』ではなく『本の世界にちょっとだけ受け入れて貰うもの』であるから。
流れに任せて行動していれば、白紙の本にも影響は出ない。問題はシナリオに組み込まれて、多少シナリオの強制力が発動する辺りか。
この建物中で、事件は起こる。
別に死人を出さないように振舞おうとは思わないし、物語の進行に必要不可欠な演出は邪魔しないつもり。
だから最初のトリックのようなものを壊さないように、なんて思っていたのだけど。
「………どうしよう」
先程、外にある薪を取りに行くという使命を仰せつかったのだが、うっかり躓いて途中にあった雪だるまをひとつ壊してしまった。
雪だるまの中に道具が隠される事は覚えていたのだが、まさか躓いた先にあった雪だるまがそれだとは。
他にも雪だるまはあるんだから、わざわざ俺が転ぶ先に置いてなくてもいいじゃない。
何か金属のようなものがついたロープがちらりと見えている。
………見なかったことには、出来ないよなぁ。
できる限り同じような雪だるまに戻そう。よしそうしよう。
欠片を集めて、何とか元の形に戻す。うん、これで大丈夫……かな?ロープも見えない見えない。
「よし、完全に同じ…かな?」
あとは顔になる部品を整え──
「ユウちゃん、さっきから何やってるの?」
主人公の八潮邦陽が背後に居たらしい。びっくりしすぎて喉から変な声が出た。
彼は謎解き側の人間で安全な人物ではあるのだが、今このトリック気付かれたら不味くない?
「え、えっとね、雪だるま…首が取れちゃったの!ごめんなさい!」
八潮邦陽は俺の両手を優しく握ると「こんな手を真っ赤にして……これ作ったの誰だったかな。俺も一緒に謝ってあげるから、部屋に戻ろう」にっこりと微笑んだ。
ロープは胴体部分に入っていたから、首が取れたと製作者である高萩景に謝ると、別に気にしていないと言われた。八潮邦陽は一緒に謝ってくれた。いいひとである。
まあ、本当は木っ端微塵に壊してしまったのだけど、大丈夫だよね?
真っ赤に腫れた手を見て、白石美凪がホットココアをいれてくれた。あたたかくて美味しい。
俺にとってはこの世界は夢だから何かを食べても仕方ないのだけど、このあたたかな飲み物は昔から好き。
飲んでると眠くなっちゃう。
一瞬寝ちゃいけない、なんて思ってから、この世界が本の世界であることを思い出した。
時々、今どちらの世界にいるのか分からなくなってしまうのだから危ない。現実世界でやらないように気をつけなきゃ。
「ユウちゃん、眠いの?」
「ううん、平気」
そうかそうか、と笑う八潮邦陽。頭を撫でられた。
まだ、現時点では何も事件が起きていないが、先程のロープを使って彼の仲間がひとり殺されてしまう。
もし、止めてしまえばシナリオは完全崩壊する。
だから、ものすごくいいひとだけど八潮邦陽には辛い思いをしてもらう事になる。
これだからミステリー系は嫌い。
下手に感情移入すれば、罪悪感ばかり残るのだから。
日が暮れてから事件は起こる。もし、阻止したければそれまでに『迷魂』を回収するしかない。
ホットココアを飲み切って、マグカップを洗おうとした、その時だった。
建物全体に反響するほどの悲鳴が聞こえた。
恐らく、最初の犠牲者である西川唯衣の死体が見つかったのだろう。
マグカップを流しに置いて、悲鳴のした方へ向かった。
死体が見つかってから、警察に通報しようとすると、当然のように乗ってきた車のタイヤはパンクしており、電話線は切断され、暗くなった山は吹雪に襲われている。
うん、下山も連絡も出来ないだろうな。
流石に見せられないからと八潮邦陽が俺の目を塞ぎ、すぐに死体から遠ざけてきたので俺は何も見ていない。
まあ、2階の部屋で首の斬られた死体が見つかって、誰がどうやってなんのために殺したのか、という話になるんだけど。
皆で西川唯衣を見た時間の後、何処で何をやっていたかを話し始める。
マグカップを洗いに行ってから悲鳴までの間はそう何分も時間があった訳では無いので八潮邦陽と高萩景はずっと一緒に居てくれたと思って良い。
必然的に自由に動けたのはヒロインの白石美凪と粟津梨花、石岡竜司の3人となる。
白石美凪は長身で少し派手な女性。
粟津梨花は小柄で大人しめな印象の女性。
石岡竜司は大柄で筋肉もかなりご立派な体格の良い男性。
最初は外部の人間の仕業を疑った一同だが、外部の人間が西川唯衣を殺害するのかという疑問から皆、それぞれを疑い始めた。
白石美凪は人間の首を切断するような事を女性にはできないと主張し、石岡竜司を犯人扱いした。
石岡竜司は何かしら道具を使えば女性にも可能だろうという主張と、西川唯衣を殺す動機が白石美凪にはあるが自分には無いことを主張する。
粟津梨花にもどうやら動機になりうる事象があることを石岡竜司は指摘する。
内気な女性はそんなことはしていないと首振った。
本来ならばここに八潮邦陽と高萩景も容疑者としてそれぞれ疑いをかけられる。
しかし、八潮邦陽と高萩景は一緒に行動しており、読者側からはふたりの疑いは晴れている。
そして1番疑わしくない人物であるはずの高萩景が犯人だったりする。
ずっと一緒にいて、犯行が不可能だったはずなのに犯人は彼。
確かに何度かトイレに席を立ってはいたが、トイレの出入口は共有スペースから見ることができるし、トイレの窓は狭く、俺ですら通ることは難しい。
完全に遠く離れた場所から西川唯衣を殺した事になるが、奇術のような仕掛けがいくつもあることにより不可能は可能となる。
さて、謎解きは八潮邦陽に任せるとして、俺は『迷魂』を探すことにしよう。
俺の本来の目的はそちらである。トリックも全部知ってるんだから、俺が謎をとけば最速の名探偵が爆誕してしまうし、それこそシナリオの崩壊を引き起こす。
俺と八潮邦陽がアリバイに利用されているせいで、高萩景は犯人の疑いから外れてしまうし、外部犯の仕業に見せかける為の仕掛けもいくつかあり、これから登場人物たちは山に潜む何者かに怯えつつ雪が止むのを待たなければいけないのである。
しかし、八潮邦陽は邪魔をしなければそのうち気付いてくれるはずだ。
俺は邪魔をしないように『迷魂』を探してまわるが、見つからない。
白紙の本を確認すると、八潮邦陽もあちらはあちらで外部犯であった場合に備えて色々なものを準備している様子。
あちこち探し回っていると突然、肩を叩かれて喉から変な声が出た。
振り返ると八潮邦陽が心配そうに俺を見ていた。
「驚かせてごめんね。でもユウちゃん、ひとりでいると危ないよ」
「え、あ、うん……」
今のところ八潮邦陽を『契約者』が『器』として借りている様子は無い。
他の登場人物も借りられている様子は無いので、この本あんまり人気がないのかな。
八潮邦陽に連れられて、共有スペースに戻ってきたら『それ』を見つけてしまった。
暖炉の前に、モヤを纏った雪だるまが腰掛けていたのだ。
聖剣を召喚し、一気に雪だるまへ斬りかかろうとした瞬間、にぃっと雪だるまが笑った気がした。
突然の地響きに、思わず膝をついた。
転んでもいるはずなのに、登場人物達は地響きに気づかない。
これは、この雪だるまがこの本のシナリオに触れた為に起きたもの。
周囲の物が文字に変わる。変わった文字は雪だるまに集まってゆく。
『言霊』を大量に喰らいながら『雪だるまの迷魂』はどんどん大きくなってゆく。
何とかして、あいつを斬らなきゃ。
身体強化能力を引き上げて、何とか立ち上がる。床を蹴り上げ、剣を振る。
『雪だるまの迷魂』を、縦に斬り裂いた。
雪だるまは砂になって瓶に回収されてゆき、地響きは収まった。
慌てて廊下に出る。どこかに隠れなきゃ。
喰われた『言霊』は元に戻り、シナリオは再開する。
そのシナリオの中に『ユウちゃん』は居ない。
さっき回収した砂はそれなりの量だったけれど、俺の瓶に目視で確認できる変化は見られない。
とりあえず今回の回収はここまでかな?
瓶の形を白紙の本に変えた、その時だった。
突然、聞き覚えのある声がした。
「やぁ、久しぶりだね」
顔を上げると、理久の姿があった。
「……また、あんたか」
『アラクネ型迷魂』と戦った時にも現れた『他人の姿形を真似る契約者』。
「この男の子のことが大好きなんだろう?でも、もう会えないんだよね?ほら、姿をとってあげたから、こっちにおいで」
優しい顔で手を広げる彼は、外見上は理久そのものである。
頭では分かっていながらも、理久に会いたくて会いたくて仕方がない気持ちが邪魔して、偽物だと分かっていても騙されそうになる。
優しく微笑む理久の姿。
一瞬、駆け寄りたい衝動に駆られたが、自分の頬を強めに叩いた。
理久と目の前の人物は匂いが全然違うんだから、騙されないんだからね。
「俺に、何をする気?」
目の前の理久は、くすりと笑った。
「裏切られても、可愛くて仕方がないんだ。また昔みたいに過ごせたらいいなって思ってね」
「………お前、もしかして」
嫌な予感がした。剣を握る。
昔から疑問に思っていたことがある。
幼い頃受けていた虐待。
俺がどんなに無知で、盲目的だったとしても医療関係者である父さんが俺の身体の異変に気付いていなかったことは不思議だった。
家政婦のなかのひとりが、何かしら砂を使って父さんが気付けないようにしていたとしたなら、納得出来る所が多い。
必死で呼吸を整える。
「そんなに怯えなくて良いんだよ。さあ、おいで」
「言われなくても、行ってやるよ!」
剣を思いっきり振り上げた。
しかし、偽物の理久に当たる直前で止まった。
「偽物だって解ってても、斬れないでしょ?大好きな人の姿なんだから」
「こんなの、卑怯だ…」
偽物の理久の手が、俺の頭を撫でた。
身体を、もう片方の手で抱き寄せられる。
「さあ、剣を下ろして。いい子だね」
理久の姿なのに、いいにおいがしない。
そう、これは理久じゃない。解ってる。解ってるのに。
「理久の姿を勝手に使わないで…」
震える手で剣を偽物の理久に突き刺そうとしたが、避けられた。追撃するも避けられる。
「危ない危ない、うーん、この姿ならと思ったのに……まあいいか。また会おう」
『姿を変える契約者』は姿を煙に変え、消えていった。
偽物だけれど、久しぶりに理久の声を聞いた。
月に1度の通院日に、理久の姿を遠くから見ることはあったけれど、あんなに近くで顔を見れたのは久しぶりだった。
理久に会いたい。会って話をしたい。
泣きそうになったのをこらえて、白紙の本を出す。
ペンダントを本に突き刺した。




