7冊目:願いの代償011頁
『兎型の迷魂』の砂を回収した事により『ザレイン』を演じていた『理久』の小瓶がいっぱいになったらしい。
本人が召喚せずとも現れた小瓶は少し光るとタグとラベルがついて、ふわふわと宙に浮く。
幻想的な半透明の砂が美しく見えた。
良かった。最期まで理久を守りきれた。
「これからは俺、優也の手伝い頑張るからな!」
理久が嬉しそうに笑う。俺もつられて笑った。
「……ありがと。その前に、お願い叶えておこう?」
「そうだな、早く叶えないと!」
理久の願い事は、弟を生き返らせること。しかし当然、死んだ人間が年月を経て生き返るなら気になることがあるだろう。
「なあ『テラー』、人間を生き返らせるとき、年齢ってどうなるんだ?」
理久の『テラー』は首を傾げ、代わりに俺の『テラー』であるクリスが答える。
「亡くなった年齢から、生き返らせるまでの期間の年月が経過した年齢で生き返るわ。それに合わせて世界も、生き返った人間を受け入れる為に少し変わる」
「へぇ。それなら優也と同い歳だな。……でもその間の本人の記憶とかは?」
「勿論、世界が受け入れるために用意する。死ぬ原因になった記憶は全部消えてしまうけど」
「そっか。なら……千隼の中で怖い記憶も無くなるんだな。良かった……」
安堵の表情を見せる理久。そうだよね。『迷魂』として現れるくらいに残酷に、心残りを持って殺されたんだから、そんな記憶は無い方がいい。
「あ、優也。俺の願いは死んだ弟を生き返らせることなんだ。千隼っていうんだけど、弟とも仲良くしてやってくれよな!」
「うん」
上手く、笑えたかな。
「優也、どうした?」
「う、ううん。なんでもない。ほら俺、学校あまり行けないから、友達になれるかなーって」
「そんときは、俺が連れてくるよ」
「ありがとう」
すごく嬉しそうな理久。俺も理久が願いを叶えられるの、とっても嬉しいよ。
「なあ『テラー』。願いを叶えるとき、どうすればいいんだ?」
「瓶ノ栓ヲ開ケロ。願イヲ言エ」
「こ、こう…か?」
理久がぎこちなく栓を開けた。
「優也。今度千隼と一緒に、三人で出かけような!」
「そうだね」
「《俺の弟、斉藤千隼を生き返らせてくれ》」
瓶の砂がきらきらと輝きはじめ、消えてゆく。瓶そのものも輝きながら、溶けるように消えてゆく。
ああ、終わってしまう。
そう思った瞬間、泣かないでいようと決めていたのに我慢できなかった。
「優也、どうした……?」
泣いていることに気づいた理久が心配そうな声を出した。
「…………理久。ごめん、ごめんね。三人でお出かけは、出来ない」
「どうして?」
「願いが叶った『契約者』に『契約者を続ける』って選択肢は無いんだよ」
「……まさか」
理久が、小瓶を恐ろしいものを見る目で見て、慌てて掴もうとしていたが、空を切るだけである。
残念ながら、一度起動した『願い』は取り消せない。
「だから理久とは、ここまで。願いを叶えた『契約者』は『テラー』を含む一連の記憶を失うから『契約者として知り合った峰岸優也という人間』のことも忘れちゃうの」
「おい!『テラー』!これ止めれないのか!」
「ナゼ、止メル?」
「優也のこと、忘れるとか聞いてねぇぞ!!」
「優也ニ、言ウナト言ワレテイタ」
どうして、と混乱する理久。
「理久は優しいから。俺と千隼君、どっちかって言われたら絶対悩んだでしょ?」
「当然だろ!!だって、お前は、親友で、弟みたいなやつで、相棒で……」
小瓶も砂も、もう殆ど残っていない。
「うん、だからね、俺は黙っておくことにしたんだよ。俺にとって理久は、大切な人だから。その願いを邪魔したくなかったの」
「優也、お前……絶対許さない!!絶対思い出して、ぶん殴ってやる!!!」
「……ばいばい。元気でね」
無理矢理に笑顔を作って、手を振った。
瓶が最後の砂が光になって消えると、理久の姿も綺麗に消えた。
終わった。終わってしまった。
声を出しながら泣く。
泣いても、喚いても、理久は帰ってこないけど。
クリスが俺の頭を優しく撫でてくれるが「人間は時々、理解に苦しむ行動を取るわね。どうして優也は理久と離れたくないのに、願いを叶えさせたのかしら」彼女は根本的なところで違う存在だと思い知らされる。
「じゃあ、俺はどうすれば良かった?理久に千隼君の事を諦めて、ずっと一緒にいて欲しいって言えばよかった?」
「理久なら考えてくれたと思うのだけど」
「だからだよ。俺の勝手で理久の願いを諦めさせる事なんて出来ないからに決まってるじゃん」
「どうして?願いなんて、もともと自分本位。死んだ人間が生き返るなんてこと、普通は有り得ないのだから良いでしょう?」
「普通に叶わない願いだからだよ。理久の願いは、理久の瓶で叶える以外に方法は無いのに、なんで俺が諦めて欲しいなんて言えるんだ」
「どうして言えないのかしら」
やはり『テラー』と人間では、価値観が違うという次元ではない、別の何かであることを痛感する。
「……クリスには俺の気持ちなんて分かんないよ。俺が家政婦から虐待を受けてた時も、見てるだけだったじゃん」
「当然でしょう。『テラー』 は人間の物語を見届ける、ただの語り部なのだから」
「しばらく、クリスとは口を聞きたくない」
「今度は、どれくらいになるのかしら?」
「………」
「また何か聞きたいことがあれば声をかけて頂戴。優也の物語は永く続くでしょうから。『契約者の物語』は、長ければ長いほど、輪廻の輪を繋ぐ強い糸になる」
クリスが煙のように消えて見えなくなる。そういえば『理久のテラー』は瓶が消えた途端に姿を消した。そういうものなのかな。
泣き続けて声が枯れた頃。シナリオが終演を迎え、現実世界に呼び戻される。
起きるまでに見た夢は、理久との楽しい思い出だった。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇
ゆっくりと、目を開けた。
睡眠導入剤が過剰摂取気味だったせいか、少し頭が痛い。
理久は、千隼君と会えただろうか。
理久の荷物は7階の何処を探しても見当たらなかった。
俺自身下手くそではあれど料理をするから、理久が用意してくれた調理器具や一緒に下ごしらえした食材は『あってもおかしくは無いもの』として残っていた。
斉藤理久の願いによって、斉藤千隼は生き返った。
正確には、生き返ったのではなく『死んだことを無かったことにした』のであって、死んだという過去そのものがなくなった。
阿麻華恋のように、怪我を治すというものであれば治る可能性を確実なものにするだけだが、今回のように死んだ人間が生き返るなんて有り得ない出来事などは過去を改変して叶えられる事になる。
それに起因する事項は全て、砂と瓶が上手く世界を調整する。
本人たちの記憶でさえ書き換えて、必要であれば作ってしまう。
こんなこと、教えられるわけない。
理久と俺の関係は『本の世界で出会った契約者』という出会いだ。
つまりそれは『契約者としての関係』として、世界が書き換えられれば無くなってしまう関係にある。
斉藤千隼を生き返らせれば、俺のことは忘れてしまうし、俺との時間を取れば斉藤千隼を生き返らせるという願いは叶わない。
そんな選択、させたくなかった。
当然俺の砂を使えば、今の理久に記憶を取り戻すことは出来るはずだが、理久に『斉藤千隼が殺された記憶』も思い出すことになってしまう。
大切な人が殺される記憶なんて、無い方がいい。
わかっていたのに、実際に『理久と出会わなかった場合の記憶』が少しずつ、自分の中にできていくのを感じた。
消える訳では無いが、楽しかった記憶が混ざって薄れていく感覚。無くさないように、手放さないように、しっかりと目を瞑る。
ここでぼんやりしていたら、記憶でしか残らない『理久との思い出』は、新しく出来た記憶に埋もれてしまう。
どちらの記憶も『出来事として正しいもの』ではあるが、理久が居る記憶は比べ物にならない大切な時間だから、見失いたくない。
理久は4年後、管理栄養士としてうちの病院にやってくるはずだ。記憶がなくても、一度方針として決めたことは、過去が改変された後も少しだけ残る。
その時はまた『初めまして』になるけれど、『病院で暮らす峰岸優也』と『管理栄養士の斉藤理久』として出会えればそれでいい。
それまでちゃんと、混ざらないように持っておかなきゃ。
親友には、もうなれないかもしれない。けれど理久の幸せな姿が見られれば、それでいい。
涙が溢れて止まらない。
大好きだよ、理久。大好きだから。俺、待ってるから。
だから、絶対来てね、理久。
泣いていたら、大きな音を立ててお腹が鳴った。
物心ついたばかりの頃は常にお腹が空いていて、何も食べられない日も沢山あったから空腹は平気だった。
食べられるものなら何でも良かった。
7階で暮らす条件として、1日1食は必ず食べるようにという約束をさせられ、時々忘れてハセガワに怒られる程だった。
理久と出会うまで、そんな生活だった。
けれど、今は違う。
お腹が空いたらご飯を食べたいし、食べるなら美味しいものを食べたいという欲もある。
冷凍食品を温めるのも良いけれど、あとは包んで焼くだけにしていた鮭のホイル焼きを完成させよう。焼くだけなら美味しく出来るはず。
でも、焼き加減難しそうだな。
理久は10分焼くって言ってたけれど、10分経つ前に匂いがおかしいことに気づいた。
火から下ろして確認すると、下半分が焦げていた。
時間通り炊き上がったご飯と、焦げた野菜と鮭を口にする。
夕食は全部温かい。
「あはは……美味しくないや」
昔は、温かいものは全部、美味しいと感じていたのに。温かいのに、おいしくない。どうしてだろう。
涙が流れて、止まらなかった。




