7冊目:願いの代償008頁
いつの間にか、周りは真っ暗になっていた。
あれ、俺は何をしようとしていたんだっけ?
頭の中でぐるぐると、変なものがまわってまわって、キラーとヘルの体が砂に変わった瞬間、自分がよく分からなくなってしまった。
彼らから流れ出た体液も砂に変わったので剣や服に汚れは無いのだけど、何となく気持ちが悪い。ふと、自分の状況に気がついた。
体に巻き付くリボンが元に戻せない。
聖剣をうまくペンダントに戻せない。
どうしちゃったんだろ、俺。
えっと、えっと、この後は何をすればいいんだろう。とりあえずお風呂に入りたいな。
ぼんやりとしていると、声をかけられた。
振り返ると、そこには俺のよく知る『契約者』が居た。
「あ、理久……」
「その剣、どうしたんだ?」
「うまく戻せなくて」
キラーとヘルに襲われたことを伝えた。何故逃げなかったのかと怒られはしたが、それよりも俺の体に巻きついている聖剣のリボンを何とか外せないかと頑張ってくれる。
今まで、こんな風に体に巻きついてきたことなんてないし、剣を元に戻せないことなんて無かった。
剣と手はリボンでしっかりと固定されていて、引き離すことは出来なさそう。
暫く頑張ってくれたが、全く進展は無い。
仕方がないので剣は理久が着ていた羽織りを借りて隠しつつ、ザレイン邸へと向かった。
明るい室内で、まず最初に理久から指摘されたことは、俺の目の色だった。
「少し紫がかってる……」
「え?」
普段は黒っぽい緑色だが、今はそれに紫が混ざったような色をしているらしい。
丁度『迷魂が放つモヤの色』が混ざっている感じなのだという。
もしかして、そのせいで剣の操作が出来なくなった?
「まさか…本の世界で取り憑かれたのかな…?」
クリスに確認すると、かすかに『迷魂の気配』のようなものはするが若干異なるらしく、更には取り憑かれた様なものでは無いのだという。
理久から使えるか確認しようと言われ、身体強化能力と自己治癒能力を操作する。
自分自身に使う分も、理久に貸す分も、うまく使うことが出来なかった。
「どうしよう、理久……」
「白紙の本は出せるか?」
「やってみるね」
手に小瓶を召喚しようとするが、上手くできない。
小瓶が形を変えたものが白紙の本なのだから、小瓶が出せなければ当然、白紙の本は出せないものになる。
「………ダメみたい」
どうしよう。また理久の邪魔になっちゃう。
涙が溢れてくる。クリスと理久が何かを話しているが、頭に入ってこない。
シャツの袖がぐっしょりと濡れてしまった。
色の変わった部分を見ていたら、突然理久に抱き締められる。
「ど、どうしたの?」
「……ごめん、優也。俺のために怒ってくれたんだろ」
「へ?」
「クリスから聞いた。キラーとヘルが俺を殺そうとしたから、優也が怒って、こうなったって……ごめん。そしてありがとう」
「……俺、怒ってたんだ」
「気付いてなかったのか?」
「とても不愉快で、嫌な気持ちがぐるぐるってしてたのは気付いたんだけど。俺、怒ってたんだね」
理久がさらに強く抱き締めてくれる。暖かくていい匂い。
「理久の匂い、すごく落ち着く」
「そっか」
優しく撫でられながら理久の匂いを嗅いでいると、少しずつリボンが俺の身体から離れていった。
最後にはペンダントの形に戻る。
「……あれ、戻った?」
理久に目の色を確認してもらうと、元の黒っぽい緑色に戻っているらしい。
今度は『契約者としての能力』の制御も十分できたし、白紙の本も出すことが出来た。
クリスにも『迷魂の気配』がないか確認してもらったが、特に無いらしい。
感情の昂りで、一時的に『契約者としての能力』が通常では有り得ない力を発揮する反面、制御できないという状況に特異体質の人間は陥ることがあるらしい。
俺の場合は慣れない『怒り』という感情をうまく理解できなかったせいではないかとクリスに言われた。
「お前はもっと、笑ったり泣いたりしろってことだな」
がしがしと頭を撫でられた。ちょっと痛かった。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇
今回の『迷魂の回収』は、既に『他の契約者』が複数この本の世界に入り込んでいると考えた方がいい。
回収そのものは争奪戦になるし、終われば『契約者同士の殺し合い』になる可能性が高い。
白紙の本を確認する。
どうやら主人公は、まだ最初の街で喜劇を繰り広げているようだ。独り身の旅でありながら、やたら女の子に絡まれている。
『迷魂の気配』がないかをクリスに確認した。近くに気配があるらしい。
最近『変な迷魂』ばかり相手にしていたから、なるべく『普通の迷魂』であって欲しいな。
『ザレイン』の出番は本当に少ないおかげで、今回は自由に動けそうである。主人公の剣の師匠なんて、頻繁に登場するものでは無いから当然といえば当然か。
気配は街の中らしいので、この世界が昼間になれば妙なところを探していこう。
暫くは夜の時間が続くはずだから、その間はこの街の地図を確認しながら──ん?理久がマットレスや布団を出してくれと頼んできた。
良いけど、どうしてだろう。
ザレイン邸の畳の上に、お気に入りのマットレスを召喚する。衝撃吸収かなんかで、すごく気持ちがいいから理久も気に入ってくれるはず。
「……これでいい?」
「サンキュー、完璧!」
突然、背後から抱きしめられる。そのまま理久と一緒にマットレスへ倒れ込んだ。
……えっと、これは?
寝転んだあと、理久は俺の頬を触ってきた。
「添い寝をして欲しいのってお前だけじゃないんだよ」
「ふぇ?」
「会いたいのに会えなくて、寂しかったのはお前だけじゃねーってこと!」
「理久、寂しかった……の?」
「当然だろ。優也のこと、大好きだから。俺の親友はお前だけだから」
俺にとって『寝ていた』3ヶ月という時間は一瞬。けれど『寝ていない』皆にとっては短いとは言えない時間のはず。
忙しい筈なのに『寝ている』俺に会いに来てくれていたことは兄貴から聞いている。
記憶は無いけれど、ぼんやりとした俺は理久が来る度に話を聞きながら、幸せそうに笑っていたらしい。
多分、本当に幸せだったのだと思う。
「俺も、理久のこと、だいすきだよ」
ころりと転がって向きを変え、理久に抱きついた。とても落ち着く、いい匂い。
ぎゅっと強く抱きしめられた。少し痛いけど、嫌な気はしない。
この世界が朝になるまで、のんびりしちゃおう。
もしも『契約者』としてでなく『峰岸優也』として『斉藤理久』と出会えていたなら。なんて考えて、すぐにやめた。
多分それだと、理久はただの知り合いになったと思うから『契約者として』出会えて良かったと思う。




