6冊目:約束 008頁
7階と比べれば、家の本は少ない。
というのも俺が7階で暮らすようになった時に全ての本を持っていったから、所蔵されているのは最近こちらで読んだ本が主になるせい。
昔から本には困らない生活を送らせて貰っているので文句は無い。
書庫で本を選ぶが、車椅子ではどうしても限度がある。そろそろ足を治したいが、バレたあとの怪我を治したら、それはそれで面倒でタイミングが難しい。
取ろうとした本を高月さんが取ってくれた。
俺の家からの使用人をつけるという話は流れたはずではあったが、自分のことはそっちのけで俺の事を守ろうとするハセガワの負担が大きすぎるのが気になって、俺から交代制に出来ないかと頼んだ。
数日寝なくても平気と本人は言っているし、父さんや兄貴は男でも女でも危険だからと近づけたくないと結託するしで、人選を3人が行うということで折れてくれたが本当に大変だった。
今のところ高月さんだけが3人の厳しい審査に合格しているが、選ばれた理由は一応俺と同じくらいの歳の息子が居て、父さんと馬が合ったから、らしい。兄貴曰く2人でひたすら親馬鹿を繰り返していたのだとか。
書庫から持ってきた本。これには『迷魂』特有のモヤが出ている。さて、どうやって回収しよう。
俺の自室で本を読んでいた理久も、俺が何を悩んでいるかわかってくれたらしい。
俺は読んだ後適当に眠くなったとか言いながら寝ればいいけれど、理久が本の世界に入る様子は見られてはいけない。
この誘拐事件が落ち着くまで、ひとりで回収するしかないのかな。
とても悲しくなっていると、理久が高月さんに尋ねる。
「あの、凄く心配なのは分かりますけど、家の中だけでもその、俺と……優也の、ふたりの時間って作れませんか」
高月さんは自分の一存では決められないと、すぐに父さんに確認してくれた。
結果として、俺がどれほど理久のことが好きかわかっている父さんだから、理久とのふたりの時間は許可された。
自室に鍵をかける。今回の本も、読んだことがある本で良かった。軽くぱらぱらめくって読んだ後、理久に手渡す。
「いつも通り、やりましょうか」
「おう」
『借りる器』が決まるが「優也は今から急に寝れんの?」理久から当然といえば当然な疑問をぶつけられた。
永い間『迷魂狩り』をしているせいで、条件反射的に部屋を暗くして横になっていれば昼間でも眠れる様な体になってしまっているから眠れる時は眠れるが、眠れない時は眠れない。
今回は眠れない時である。
「眠くて、でも寝れないって時、すごく苦しい状態がずっと続くからね。その時に使うお薬がある。それを使うよ」
引き出しから錠剤を取り出す。一応かなり強めの睡眠導入剤だと説明する。ラムネの容器に入れてるけど、間違って飲まないでね?
「お前って苦労してんのな」
「そうだね。ひとより少しだけ大変かも」
グラスの水を口に含んで、薬を飲んだ。
「すぐに向かうから、先に行ってて?」
理久の姿が消えたのを確認したあと、酸素マスクを手に取った。きちんと顔につけて、ベッドに横になる。
すぐに薬の効果が出た。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇
目を開けると、そこは水中の世界だった。
一瞬どきりとするが、溺死を心配する必要は無さそうだ。水の中に街があり、人々が生活しているようす。
俺の体質は眠ると直前に読んでいた本の世界に受け入れて貰えるものだから、簡単にいえば登場人物達が溺死するような世界でなければ今回のように突然水中世界に放り出されても溺死しない。
とりあえず近くに居るはずである理久を探そう。
合流場所に行くまでもなく、理久はすぐに見つかった。どうやら既に役割も終えているらしく、あとは自由に行動できるらしい。
この本での問題は『白紙の本が出せない』ということ。
あれは水に濡れる状況では取り出すことが出来ないので、この世界に入った『契約者』は途中退場が出来ないことになる。
この世界ではごく一般的に魔法があり、各々が何かひとつだけ特別な魔法を持っているらしい。
理久の『器の人物』が何の魔法を持っているのか確認すると、一定時間光る泡を出せるというものだった。
ふと、大きめの泡を出してもらって、泡の中に手を突っ込んでみた。
瓶を召喚し、白紙の本にしようとするが出来なかった。流石にそこまでうまくはいかないか。
少し残念だけれど仕方ない。これからは記憶を頼りにシナリオを把握する必要がある事を理久に伝えると、いつもと同じではないかと指摘された。そうだっけ?
理久の『借りた器』が役目を終えたタイミング、時間から推測するに、物語は恐らく主人公が魔法の宝石を見つけたところだろう。
この物語は海の中で暮らす水人という種族の物語。主人公が、落ちていた宝石を拾うところから始まり、宝石を巡って様々な事件が起こるというもの。
「その宝石が『迷魂』だったらどうしようか」
ちょっぴり冗談をいうと、ドラゴンとかが守ってなけりゃいいな、なんて冗談を返される。
なにか目に付く不自然なものを探すにしても、水の中の街という存在そのものが不思議なものではあるので、不自然なものばかりである。
水中での草なら何になる?ワカメ?
ちょっとだけ身震いする。『キラー』の能力が少しだけトラウマになっているのかも。
ざっくりと街を歩いてはみたが、明らかに『迷魂』と思えるものは無い。
クリスと『理久のテラー』にも確認してもらうが、近くにいるというだけで正確な場所は分からないらしい。
どれだけ探しても見つからない。
少し疲れたので休憩。ベンチに座っていると、地面になにか、ゆらりとした影が見えた気がした。
見上げると、手を伸ばせば触れられるような距離に『迷魂』特有のモヤを纏った大きなクラゲがいた。またクラゲですかー!!
慌てて剣を持ち、クラゲを斬ると砂になって消えた。頭上のクラゲが砂の塊になったせいで頭から砂だらけ。
すぐに瓶に回収されていくけれど、なんかじゃりじゃりする気がしなくもない。
ふわふわと頭上に浮くモヤをまとったクラゲの大群に、思わずため息が出た。
「……理久、今回は頭の上のこいつらみたい」
「ずっと上にいたの、こいつら」
「そうみたいだね」
水の中だから上下移動もまあ出来る。
理久はカッターナイフでクラゲを刺しているが少し抵抗される場合もあるようだ。治癒能力をできる限り回しているので、なにか毒を撃ち込まれても平気だけど。
俺は剣で反撃の隙も与えず切り裂く。これくらいは簡単。
しばらくして、目につくクラゲは全て砂にすることが出来た。ちょっと疲れた。
とりあえず、残りが居ないかを確認する。
「今回はこれで終わり?」
クリスが首を振る。どうやらこいつらを生み出したクラゲがいるのだという。そういえばクラゲって分裂で増える種類も居るんだっけ?
「本体がいるってことか…」
流石に理久も疲れたみたいで、ぐったりとしていた。
「少し休憩しよっか」
理久の手を握ろうとした瞬間、背後から強い殺気のような何かを感じた。剣を構えて振り返る。
剣に何かが当たる感覚がした。身体強化能力を最大まであげていなければ、吹き飛ばされていただろう。
攻撃してきたのはクラゲを擬人化したような不思議な姿の人間だった。
その人間は『迷魂』特有のモヤをまとっている。
「わらわの分体、殺したのはお前らか?」
「そもそも『迷魂』は生きてないだろ」
「……見つかったと聞いて、仕方なく迎えをやったというのに」
クラゲの触手のようなものが大量に襲ってきた。
全てを切り伏せ、出来た一瞬の隙で剣を放り投げる。
「理久!2段階!」
「あいよ!!」
剣を受け取った理久が『迷魂の親玉』の意識を視ながら追加で伸びてきた触手に向かって剣を振る。
何度か能力を貸しているうちに、治癒ならともかく身体強化の度合いを急に変えると扱い切れない可能性があるから、段階という言葉を目印に強化度合いを合わせるように2人で決めた。明確に目盛りがある訳では無いので、感覚的なものではあるが、だいぶ戦いやすくなったらしい。
理久に貸している分の身体強化は使えない。だから、残りの4段階を全部自分で使う。
現実世界の俺の体への負担は2人分、6段階分全部かかるので、なるべく短期決戦で終わらせたいところ。
簡単な護身術はハセガワから教わっているが、当然ながら人間相手の護身術。そもそも触手を想定した護身術なんてあってたまるかとは思う。
あくまで理久へ貸す能力を維持する為に近くに居るだけなので、出来るのは落ちていた鉄の棒で触手を叩くくらい。
本来、身体強化を単体で見た時は『契約者としての能力』の中ではハズレの部類。俺は聖剣があるから戦えるだけ。
鉄の棒が当たっただけで触手が千切れてはいるので威力はあるんだと思うけど、攻撃力は格段と落ちる。
そして、少し太い触手が切れなかった。うねうねと動き、すぐに再生。
「しまっ……」
足を掴まれた。一瞬で世界がひっくり返る。
頭を強く打ったらしく、一瞬意識が飛びそうになったが堪える。身体強化がなかったら多分気絶していただろう。
俺を逆さ吊りにした触手はすぐに両腕を封じてくる。身動きが取れ………ないこともないですよっと。
現実世界ならまず抵抗できない。しかし本の世界なら、これくらいは拘束のうちに入らない。
触手を手繰り寄せ、掴んでそのまま引きちぎった。うん、やっぱり出来ちゃうよね。
足を掴んでいた触手も握り潰し、自由になった体で着地する。ふう。
「優也!大丈夫か!!」
2段階で接戦であれば、もう少し貸せば勝てそうかな?
「平気。それより、もう1段階上げるよ」
「了解!!」
理久へ貸す能力を引き上げた。こちらも触手の攻撃を避けたり潰したりしているので、これ以上貸すのは難しそう。
太めの触手を蹴り飛ばして崩すのとほぼ同時。理久がクラゲ本体に大きな傷を付けた。擬人化クラゲの悲鳴が聞こえる。
傷をつけられて恨めしそうに俺たちを見たあと、擬人化クラゲは高く高く飛び上がる。
水中だから追いかけることはできるが、俺も理久も泳ぐことが得意では無い。
それでも制空権のようなものを奪われてしまうのはまずい。
「理久、とべる?」
「やってみる」
「じゃあ、6段階。お願いね」
理久に身体強化能力を全て貸した。
これで俺は現実世界とほぼ同じ、体の弱い11歳に戻る。
理久が地面を蹴り、擬人化クラゲに剣を突き立てた。
触手で防ぐものの、防ぎきれず人型の部分も一緒にばっさり斬り落とされる。
凄まじい悲鳴が聞こえ、小さなクラゲが大量に産まれる。
忌々しそうな擬人化クラゲの声が響く。
「何故、邪魔をするのだ……!!奇跡的な魂だというのに…!」
小さなクラゲを置いて、擬人化クラゲは姿を消した。簡単に言えば逃げられた。
小さなクラゲは、体に絡みついてくるわ、数が多いわ、それぞれが毒を持っているわで砂に変えるのが大変だった。
全てのクラゲを砂に変えた頃には、もう動けないくらいに疲れた。
近くに『迷魂』は居ない事をクリスにも確認してもらう。居ないらしい。
途中退場が出来ないのでシナリオが終わるまで待つことにする。
水中でも瓶は出せるので理久の砂を確認すると、7割行かないくらいになってるような。やっぱり、あの擬人化クラゲはかなり強い部類だったのだろう。
貯まった砂を嬉しそうに見ている理久。可愛いなぁ。
小さいクラゲですらこんなに貯まるのだから、あの本体を回収出来れば、理久の小瓶は今回でいっぱいになったかもしれない。少し残念だけれど、同時にほっとした。
まだ、一番大事な物が準備できてないもの。
小瓶がほんのりと光り始めた。そろそろ、この水の世界はおしまい。現実世界に呼び戻される。
理久の手を握った。




