6冊目:約束 006頁
………ここ、何処だろう。
川沿いの高架下。元々土地勘のない場所でもあるし、全くもって何処なのか検討もつかない。
家への戻り方も分からない。
寒さで麻痺しているといっても、流石に血だらけで腫れている状態を痛くないというのは無理がある。実際すごく痛い。
いつの間にか手首の端末が外れているし、どうやらフェンスを抜けた時に聞こえた音はチョーカーが外れた音だったようだ。
怪我をしているのは足の裏なのだけど、足全体が酷く痛む。
とりあえず小瓶で治そうかな。
全身を突き刺すような悪寒が、さっきから気持ち悪い。早く誰かいる場所に移動しないと。
小瓶を召喚しようとした時だった。
突然、周囲を10人ほどの男性に取り囲まれた。
リーダー格と思われる男が俺の前に立つ。
「おやおや、その足は痛そうですねぇ。手当をしましょう。峰岸優也君、我々の元に来て頂きますよ」
「嫌だ、って言ったら?」
「拒否権はありません」
周りの男たちが俺の体を掴んでくる。身動きが取れない。携帯用の酸素マスクに似た何かを口に押し当てられた。
「少し、眠ってくださいね。呼吸は安心してください。きちんと用意はしていますから」
プシュッと音がして、すぐに意識が遠くなった。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇
ゆっくりと目を開ける。
俺は眠る直前に読んだ本の中に入る体質だ。
直前というには少し時間が経っている気がしたが、入れたということは一応直前で良いのだろう。
この本は、外国語で綴られた本。
ファンタジーな世界なので、魔法使いのような見た目の人間も歩いている。
ちなみに、外国語で書かれているからといって何か特別な仕様がある訳では無い。
俺は元々理解できるから問題ないが、仮にあまり習得できていない言語だったとしても本の世界では勝手に母国語の様に変換され、理解して意思疎通が出来るから、迷魂狩りを行う場合でも特に支障はない。
今、俺は絶賛誘拐されている最中のはず。白紙の本に剣を突き刺せばすぐに起きることは出来るけど、周りに誰かが居ればまた眠らされてしまうだろうし、最悪の場合、完全に起きれずに寝てしまう可能性もある。
そうなれば今度こそ起きる手段がないし、こうやって自由に行動もできない。
小瓶を召喚した。
栓を抜いて、願いを口にする。
「《死神のレターセットをふたつ頂戴》」
目の前に物騒な名前とは裏腹に白くて透かしの入った綺麗なレターセットが現れる。ふわふわと宙に浮くそれに、羽根ペンを召喚して文字を書いていく。多少インクとして砂を消費してしまうが、本のシナリオを書き換える訳では無いので気にしなくていい量である。
ふたつの封筒にそれぞれ宛名を書き、ひとつの封筒に全てを入れ、ついでに一緒に俺の髪も数本入れておく。封をすると光の筋を描いて手紙は消えていった。
宛先は、名前しか知らない人間。
彼は自分のことを『肉屋』だと言っていた。お肉屋さんなのかもしれない。
彼は永年活動している『契約者』ではなく小瓶の願いを自力で叶えたせいで小瓶の底が抜けてしまって砂を貯めることが出来ない『契約者』である。
そんな彼の『契約者としての能力』は、簡単に言うと『相手の現在地を知る』というもので、現実世界では髪の毛や相手の体の一部を持って能力を使えば相手の周囲の様子を俯瞰して見ることができるらしい。本の世界では名前で対象を見つけることが出来る能力だった。
このレターセットの存在を教えてくれたのも彼。宛名として利用する名前は本名でないといけないし、中に入れられるものは『かみ』だけという制約はあるが、このレターセットを使えば、たとえ本の世界からでも相手へ届く。
髪の毛が許容範囲だとは普通思わないが、髪フェチと言われていた『肉屋』らしい気付きである。多分彼は『美容師』とかの方がいいと思うが二つ名なんて元々は『器の姿』に毎回変わってしまうせいで誰が誰だか分からないからと、俺を目印にしていた周りの人達が自分達で名乗り出したものであり大した意味は無い。
それが今は、何故か強さの象徴になっているだけなのだ。
暫くして、同梱していた封筒での返事が来た。
中には久しぶりの手紙に対する歓喜の言葉と、俺を心配する言葉。2枚目には現実世界の俺の居場所について書かれていた。目を疑った。
「びょ、病院……?」
『肉屋』は俺の病気のことも知っているし、普段病院で暮らしていること、そこがどんな場所か、それからよく誘拐されることも知っている。
だからこそ『閉鎖病棟の様な場所』という文字に驚愕する。
そこで俺はベッドに拘束された状態らしい。きちんと酸素マスクはつけているし、足も拘束のついでか手当はされているらしい。
点滴のようなものと尿瓶のようなものがつけられているから、もしかすると点滴の中になにか混ぜられている可能性があると書かれている。
『肉屋』は部屋の外、場所の手がかりになるような物も沢山書いてくれていた。
これを誰かに伝えられればいいが、この手紙の仕組みを知っている人間は居ない。
これ以上できることは何も無い。
白紙の本が何度か場面転移を繰り返し、シナリオ終了の光を放ち始める。
ほんとに、何も無い?
いちかばちかではある。でも、それでも。
「《死神のレターセットを頂戴》」
出てきたレターセットに、慌てて文字を書く。
『肉屋』が俺の居場所を書いてくれた便箋と、簡単に状況を書いた便箋を入れた。
少し文字が乱れたが、多分読めるから大丈夫だろう。
宛先にはハセガワの名前を書く。えっと、確かハセガワの下の名前って、珍しい名前なんだよな。たしか、こう。
封筒が光を纏って消えるのと、この世界が終わるのはほぼ同時だった。
多分、このまま俺は起きる。そして、意識を取り戻す前に、眠り続けるように混ぜられた薬のせいで、すぐに寝てしまう。
死にたくないな、なんて思った。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇
何か、声が聞こえた気がした。
「優也、しっかりしろ、優也!!」
強く体を揺すられて、ぼんやりとした世界を眺める。
「……と、……さん?」
父さんが酷く慌てた顔をしながら俺を見ていた。
拘束されていたはずの体は解放されていて、酸素マスクは父さんが用意してくれたらしい携帯型のものが付けられていた。
必要な量の酸素が体に入ってくる。
部屋を見ると、見慣れた酸素をくれる機械が片隅に置いてあった。
助けるのが遅くなったと沢山謝られた。
強く、強く抱き締められた。




