5冊目:生きる世界009頁
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本の世界でひとり、真夜中の学内を歩く女子生徒がいた。女子生徒は手の中にある赤いリボンを愛おしそうに見つめている。
そんな女子生徒に同じ作品の登場人物である屋敷錦が声をかけた。
「やあ、棗ちゃん。なかなかの演技派女優だったね。まさか優也君が本の世界を破壊するなんて思わなかったから、慌てて俺は外の世界に出たけどさ」
「……そう。見られていたの」
棗と呼ばれた女子生徒は、錦から顔を背けた。
「優也君、あの後どうなったと思う?エレベーターを壊して、独りになろうとしたんだよ」
棗が驚いて振り返る。
「……それなら、優也は今」
「いや、あそこは非常階段が使える。非常時には物理的な鍵以外は外される仕組みなんだけどさ、避難訓練を急遽行うなんて方法で無理やり入った優也君の父さんが一番よく効く方法で叱ったみたいでね。修理が終わるまでではあるが、今は実家だよ。家族水入らずで過ごしている」
「……良かった」
「まあ、あそこは優也君が今より幼い頃に暮らしていた家だからな。警備も何もかもが見た目に反して強固だ。家主の使用人嫌いのせいで『峰岸家の直系の跡取り』が暮らすには少し手薄かもしれないが、その基準だと本家以外は何処でも手薄だろう」
棗の知識は本の中の世界で設定されている女子高生の『黒田棗』のものと『斉藤理久の記憶』であるため、理久が知らない事情に関しては外界のことを知らないのだが、錦を借りている人間はそれに気づかない。
以前、理久にぽんこつ扱いされていたことは知る由もないのだろう。
「それにしても棗さんの判断力には驚かされるよ。棗さんが記憶があることを明かしてしまったら優也君は『斉藤理久が借りた器』を誰でも、何度でも外の世界に連れ出そうとするだろうね。特に『棗お姉ちゃん』なんて慕っていたのなら執着していたはずだ」
「……そう」
明らかに興味がなさそうな返しに少し不機嫌になる錦。棗からすれば普通の受け答えであり、むしろ優也の事であれば興味がない訳では無いのだが誤解を受けやすいせいで話題が変わってしまう。
「さて、おしゃべりはこれくらいにして、本題に入ろう。まさか庭園でこっそりと優也君の様子を見ていたら見つかるとは思わなかったが……きみが指定したように『屋敷錦』を借りて、この本に来たよ。なんの話だろうか」
棗は、それはストーカーというのではないかと少し思ったものの、口には出さず同じく本題へ入ることにした。
「……優也が病院に近寄らないなら、暫くは安全。人間というのは無意識で動きの癖が出る。私はそれを見るのが得意。だからわかった。あの病院の中にいた男。私と優也を襲った、優也に執着する『契約者のキラー』が居た」
錦が青ざめる。
「キラー……が、院内に居る?」
「……私が外に出ていた全ての日。遠くから、優也を見ていた。歳はそこまで取っていない。ずっとずっと優也を見てた。優也が危ない」
動揺する錦に、棗はとある提案を持ちかけた。錦はその提案を受け入れる。
「協力、感謝するよ」
黒田棗もといい優也から棗お姉ちゃんと慕われていた女子生徒は、屋敷錦の手を握る。
屋敷錦は女性に対する耐性は殆ど持ち合わせていない設定ではあるが、中身の人間はそうでは無い……とは言いきれない顔をした。
中身の人間も、あまり耐性はないらしい。
「……必ず守って欲しい」
「必ず守ろう。約束する」
傍から見れば、愛を誓い合う男子生徒と女子生徒に見えなくもない光景が広がっていた。




