5冊目:生きる世界006頁
理久が帰ったあと、虫干しの本を回収した。
いつも通り夕食の時間まで本を読んで過ごし、理久が作ってくれていたものを温めて食べた。
キラーに待ち伏せされて襲われたせいで少し怖いが、やはり確認しないといけないと思う。
寝支度を整えたあと、理久が『実際に器として借りた黒田棗』が存在する本を軽く読んで、布団に入った。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇
目を開けると、廃病院の中だった。
一般的に薄暗い病院なんてものは恐怖の対象となるらしい。俺にとっての感覚は、ほぼ家という感覚だから、ここは散らかっていて汚いという認識になる。
この話は最初に『黒田棗の死体』が出てくる。
そう、理久が『黒田棗』を借りた本の世界だ。
理久が行ったように代わりの死体を用意すれば残り時間をゆっくりすることが出来るので、時々この本の『棗お姉ちゃん』とは示し合わせてのんびりと時間を過ごすことはあった。
ただし『クロネコワルツ』はパラレルワールド的な世界観の作品であるせいで、よく主要人物が死んでしまう。
状況が状況なのであまり和やかに過ごすことは出来ず、なるべく穏やかな話に入るようにしていた。
出入口で何やら騒いだ後、各々が行動し始める。
暫くして周囲に他には誰もいないことを確認し、外を眺める『黒田棗』に声をかけた。
「お姉ちゃん。ごめんね、来ちゃった…」
「……だれ?」
最初の一言で十分だった。
現実世界に連れ出した時点で、シナリオの『黒田棗』と『棗お姉ちゃん』は完全に乖離してしまったのだろう。
きっと、棗お姉ちゃんはその事に気付いていた。
だからこそ、あるか分からない方法を探すより、俺との時間を大切にしてくれた。
「………ごめんなさい。人違いみたい」
頬に、水が流れる感覚があった。
「……泣かないで」
黒田棗から、頭を撫でられた。
彼女からすれば俺は不思議空間に現れた謎の小学生のはずだ。こういった世界であればまず、警戒してもおかしくない。
けれど、理久の記憶がなくても黒田棗という人間はとても優しいのだと思う。
なんとか、頑張って笑顔を作った。
「……こわくない、こわくない。あなたもここに、閉じ込められたの?」
この廃病院に閉じ込められて怖がっている男の子だと思ってくれたらしい。
「うん、そうみたい。でも、大丈夫だよ」
今回の、この舞台は俺が壊そう。
暫くして黒田棗を襲ってきたツギハギの男を斬り殺した。
驚く黒田棗に笑顔を向けた。
「ごめんね。舞台、壊しちゃった」
白紙の本を取り出し、ペンダントを突き刺した。
さようなら、棗お姉ちゃん。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇
暗い自室で目が覚める。酸素マスクを外して、クッションに顔を埋める。
喪うくらいなら最初から要らない。
それなのに、理久と出会って欲が出てしまった。
俺は関わった人を殺してしまう死神なのに、寂しいという感情を理解してしまった。
ひとの温もりを知ってしまった死神は、死を振りまきながら周りを殺していく。
『棗お姉ちゃん』を殺したのは俺だ。
優しくしてくれた人、みんな、みんな居なくなっちゃう。
コピー紙を取り出した。四角く、細長く折ってゆく。
俺は、理久も、兄貴も、父さんも、ハセガワも、みんなを殺したくない。
エレベーターのカードキーを射し込む穴に折ったコピー紙に封蝋を垂らし、突っ込んだ。これで7階には誰も来られない。
理久はもう、俺が居なくても近いうちに瓶をいっぱいにできるはず。
だから、もっと死にやすくなるこれからを俺と一緒に居ちゃ駄目。
寝室に戻って、朝が来るのを待つ。
翌朝。凄まじく心配された。
データを回収しに来たハセガワがエレベーターの異変に気づき、父さんを呼んだらしい。
非常階段の存在をすっかり忘れていたというか、いや、覚えてはいたんだけど、非常階段から7階に入る事ができる存在が俺以外に居ることは知らなかった。父さんが非常階段を経由して6階から7階に入ってきて心底驚いた。
非常時以外は網膜認証とパスワード、それからダイヤル式の鍵で7階の非常階段は開けられない筈だったのだ。ダイヤルは本当に緊急時のために父さんも知っていたが、パスワードは定期的に変えていた。
7階の非常階段の扉の制御装置は7階の部屋側にあるから、ハッキングも、何もかも出来ないはずなのに、どうしてパスワードがわかったの?
なぜエレベーターにそんなことをしたのか、何かあったのかと酷く心配されたのでイタズラだと答えると、怒られるよりも安心された。
俺は極端にイタズラだのそういったことを今までやってこなかったから、少し心配していたのだとか。
元々特注で造らせているエレベーターであり、業者も突然の事で対応できないらしいので、暫くは7階への昇降機能は動かせないことを知らされる。
それは俺の狙い通り。そのまま動かなくていいんだけど。
しばらく何かを考えていた父さんが突然名案を思いついたとばかりに笑顔になる。
「優也、ひたすら悪戯をしていい場所に連れて行ってやろう!」
「へ?」
出かける支度をしなさいと言われた。
7階への昇降機能が使えないだけなので6階からエレベーターに乗る。
ハセガワの運転で車が出され、かなり長い間車に乗ったあと、着いた先は俺が知らない家だった。
庭も建物も、父さん達が暮らす家より大きいというか、なんというか、敷地の端が見えない。
「えっと……ここは?」
「ここはな、優也が産まれた時に…優也のおじいちゃんが作った、優也のための家だ」
………はぃ?
鍵は出雲石の鍵と同じだという。
言われるがまま解錠すると、ずっと使われていないと聞いたのに綺麗に掃除されている。そういえば庭も綺麗に手入れされていた。
「ここなら思う存分、悪戯をして構わないからな!!壁に落書き?なんでもありだ!ここは優也の家だからな!」
「………どうしてこんなことに?」
いや、壁に落書きなんてしないけど、俺、家持ってたの?
ハセガワから渡された書類を確認すると、本当に俺の家だった。産まれたばかりの赤ん坊に何プレゼントしてるんだろう、俺のおじいちゃん。
たしか、俺が2歳くらいの時に亡くなったはず。それでも90近い歳だったから大往生といえるのだけど。
中を案内される。本当に綺麗に保管されていたというべきなのか、綺麗に掃除が行き届いている。
暫く家の中を散策して、リビングのソファーに腰掛けていた父さんに伝えた。
「庭はとっても好きなんだけど、それより本がいっぱいある7階か、家がいい…」
この家、書斎はあっても書庫がない。
ちょっと埃が溜まってる部屋があったり、掃除を諦めた部屋がある、父さんと兄貴が暮らしてる家がいいと伝えると、とても笑顔で残酷な言葉を告げられる。
「それじゃあ、存分にここでひとり暮らしをするといい」
………はぃ?えっ、ちょっと待って?ここ、さっきも言ったけど本が全くないんだよ?
「そんな!本がない家に置き去りにする気なの?死んじゃうよ!!」
「それなら、どうしてあんなことをしたんだい?」
「そ、それは……その………」
「言えないなら仕方ないな、このままここで暮らして貰うか…存分にひとりになれるぞ」
「………あの、実はエレベーター、壊したことすごく怒ってます?」
「優也を叱ったことは今まで無かったからな。どうすべきか悩んだが…こうやって叱ろうかと思ってな」
「ひえっ」
やばい、別のベクトルで父さん怖い!!感傷的になってる場合じゃないってこれ!!
「優也は昔から、何か辛いことがあればひとりになろうとする。『悪戯』は、程々にするんだよ」
「ご、ごめんなさい………」
「父さんは、優也の味方だ。けれど、それとは別で、次に悪いことをしたら、ここに置いて帰るからな」
頭を撫でられた。
すごく怖かった。本がないと死んじゃう。死んじゃうよ俺。
とりあえず、機械は何があっても壊しちゃ駄目。そう学んだ。




