4冊目:軌跡の時間 006頁
シャワーを浴びたあと、再度においを嗅いでもらった。シャンプーのいい匂いだと言われた。あんまり納得いかないけど仕方ないか。
理久の服は血がかなり付いていたから、泊まりがけで俺の世話をする為に置いていたのであろう兄貴の着替えを着てもらった。
少し理久の方が小柄みたい。とても可愛い。
どうやら理久の話によると、深夜の病院というのは本来怪談の舞台になりやすいらしい。俺にとっては家のようなものなので、あまり実感がないけれど。
それなら真夜中の病院を歩いてみるか、なんて提案すると理久は勢いよく左右に首を振られた。怖いことは嫌いらしい。
理久と俺の小瓶は、ずっとテーブルに隣同士で置いてある。おかげですごく体調はいい。
俺が寝ている間も少しは『迷魂狩り』をしていたらしく、理久の小瓶は半分近くまで貯まっていた。多分、この辺りから危なくなるかな。
本来ペアは同じくらいの貯まり方をする小瓶の持ち主同士で組むもの。だから、こういうリスクの分担はできないのだが、俺なら可能になる。
「ねえ理久。見える砂の量が多くなると、現実世界で死にやすくなる。だから、あのね、理久の砂、俺が預かるのとか……どう?」
「それって、お前にリスクを背負わせることにならないか?」
「そうだけど、俺は割合的には少ないから」
理久が首を振った。
「お前さ、3ヶ月前に死にかけてんの覚えてる?あの量でギリギリ死なずに済んだやつが、さらに増えたら危ねぇよ」
「それは………」
返す言葉がなかった。理久の言う通り、もし砂の量が多かったらハセガワに見つけてもらうのが遅れて死んでいた可能性も十分あった。
「でもほら『寝てしまう』予兆はあるから。ずっとチョーカーはつけたままにするから、だから大丈夫だよ」
額を中指で弾かれた。痛い。
「それでも、誰かに自分の死を押し付けてまで叶えたくはねぇよ」
「わかった」
理久がそういうなら仕方ない。
俺はできる限りのことをしよう。
ある程度なら砂で回避できるから、俺の砂で守ろう。
「あと、俺の為に砂使って何かしようとしたら怒るからな?」
「わ、わかった」バレないように使わなきゃな。
改めて、シーツも変えたし、布団も別の布団を出したし、多分、俺はもう嫌な臭いはしないはず。しないよね?
理久の腕の中に収まる。理久のいい匂いがする。とても、なんだろう……おなかも満たされるような、ぽかぽかする感覚。
触れ合う身体が、回された腕が、とても気持ちいい。
少し、眠くなってきちゃった。寝ないようにしないと、な。
目を瞑る。瞑るだけ。眠く、な──
「おい優也!!!」
理久の焦った声と、乱暴に揺らされて目を開けた。
「あれっ、俺、もしかして寝てた?」
「息しなくなったからマジで焦った」
理久は身体を起こすと酸素マスクを手に取った。
「ほら。また寝かけたら大変だろ」
「そうだね」
酸素マスクをつけて、機械の電源を入れた。悲しいかな、理久の匂いしなくなっちゃった。
少し落ち込んでいると、近くにあった本を渡された。
「本の世界に入るのはどうだ?この本に『迷魂』は居ないから『他の契約者』は入ってこないし」
素敵な提案だと思った。本の世界なら、俺は呪いの影響を受けない。
つまりは、マスク無しで寝ても死んだりしない!
「それなら、入りたい本があるんだけど」
「お?どの本?」
「理久も知ってる本だよ。取ってくるね」
すぐにマスクを外し、ベッドから降りた。本棚へ向かう。
理久と一緒に入った本は、話が気に入ったお気に入りの棚とは別のお気に入りとしてまとめて置いている。
中でも1番大切にしている本を手に取った。
この本は俺の宝物。理久と出会ってから、何度も何度も読んで、繰り返し中に入っている。
この本には『もうひとりの理久』がいるから。
すぐに理久の待つ部屋に戻る。
持ってきた本の表紙を見せると、理久は「これ、お前と出会った時の本じゃん」微笑んだ。
あの時理久は騎士団の青年『アルバート』の器を借りていた。
理久の拝借傾向どおり、名前のない登場人物であり『器として借りられていない時』は理久と言動がまるで違う青年だった。
けれど、優しくて、少し抜けていて、面白くて、芯がしっかりとしているところは偶然ながら同じだった。
今回は別の登場人物にはなるが、あの世界は比較的落ち着いている世界だったから、ずっとのんびり出来る。
ぱらぱらと少しだけ読んで、理久に手渡した。
「今回は誰にする?この人物とかおすすめだけど」
「じゃ、それにしようかな」
名前がなく、一度きりの登場で終わる登場人物を教えた。
理久が本の中に入ったことを確認し、マスクを付けて布団の中に入る。
『契約者』が通った扉は破壊されないようにしなければならない。7階に害ある人間が来られるとは思わないけれど、この本は俺が守るよ。
本を抱いて、目を閉じる。
──待っててね、理久。
目を開けた。
寝ようとしている俺には丁度よく、夕暮れの街だった。
煉瓦造りのファンタジー世界でよくある建物が並んでいる。
街の観察はこれくらいにして、理久を探さなきゃ。『冒険者のひとり』を借りていたから冒険者の集まる場所へ行けばいいかな?
ファンタジーといえば、冒険者。冒険者といえば冒険者ギルド、なんて理久は言ってたっけ。
一応いくつか合流する場所の候補を決めている。候補のひとつ、冒険者へ仕事を仲介し斡旋する施設へ向かった。
施設では沢山の派手な格好をした人達がいて、どう見ても子どもにしか見えない俺を遠巻きに眺めてくる。
理久の姿は無い。ここで待っていようかな、なんて思う。
椅子に座る。暇だなぁ。
訪れては去ってゆく人々を観察しながら大きなあくびをした、その時だった。
見覚えのある姿を見つける。
思いっきり建物の中を走って、彼に抱きついた。
「理久、会いたかった………」
「悪いな。丁度出番だったのと、最初の位置が悪くて来るのに時間かかった」
「大丈夫だよ!」
理久の格好を見る。スピード重視の剣士といった冒険者と思われる軽装だ。騎士の鎧を着た理久も見たかったけど『アルバート』は森に現れた魔物を討伐する為に王都から派遣された登場人物だったから、のんびりしたい俺らには向かない。残念。
理久に手を引かれ『理久が借りた器』が寝泊まりしている宿に来た。
煉瓦造りの建物が多い中、木で出来た少し珍しい宿だ。それなりの築年数はたっていそうだが、内観は落ち着くような造りをしている。
部屋自体は狭めで、ベッドと机がある程度。
ベッドに飛び乗った。
「理久!理久!!はーやーくー!!」
「まず装備外していい?」
「あっ…どうぞ」
理久が防具を外す傍ら、俺は出来ることをやろう。少しベッドが硬いから、寝具を生成してっと。
少し硬いベッドにクッション性の高いマットレスを強いて、上にシーツを被せて……寝心地抜群、素敵な寝具に早変わり。
「理久!準備出来たよ!」
マットレスに手をつきながら、理久は「これ、何万もするマットじゃね……?」何か恐ろしいものを見る顔をしていた。
ごめん、金額はよくわかんないんだ。
それよりも防具を外したなら、もう寝れるなら、はやく寝たい。理久の匂いを嗅ぎたい。
「理久、はやく抱いて?」
両手を差し出した。はやくぅ。
理久は少し何かを考えたあと「なあ優也。その、俺以外に頼むなよ?」変な事を言う。
「父さんと兄貴は?」
「多分、大丈夫かな。羽瀬川さんも多分大丈夫……他の人間には絶対頼むなよ?」
誰にでも添い寝を頼むと思われているのだろうか。ちょっと腹立つ。
「理久だから抱いて欲しいし、寝たいの。誰にでも頼んだりはしないよ」
「そうか……」
何か、理久の反応がおかしい。うーん。もしやこれが嫉妬というもの?
頭を撫でてもらいながら、理久の匂いを嗅ぐ。とてもいい匂い。本当に、心地いい。よだれ出そう。
布団を被った後、ぎゅっと抱きしめて貰った。
「理久、おやすみ」
「はいはいおやすみ」
理久の匂い、やっぱり吸うのやめられない。これはもう本能というやつだと思う。
優しい香りに包まれて。
とりあえず今は、おやすみなさい。




