10冊目:万物の記録(アカシックレコード)010頁
◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇
秋も中盤に差し掛かったある日。
久しぶりに実家に戻っていたら、弟の千隼が酷く混乱していたので理由を聞いてみた。
すると『寝てしまう期間』に入ったはずの優也から、千隼のスマホにメッセージが届いたらしかった。
内容を読むと千隼の言う通り日本語ではあるし単語の意味もわかるが、何となく話がずれているような、不思議な感覚に陥った。
直感としては『優也の代わりに誰か別の人間が送信している可能性』が頭によぎる。
しかし今、優也は蓬莱大学附属病院の7階で『寝ている』はずで、あそこに出入りできる人間は限られている。
千隼が会いに行くというから、明日会いに行く予定ではあったが俺も同行することにした。
夕方から病院に行くバスは本数が少ない。
最近取ったばかりの免許ではあるが、バイクで向かうことにする。後部座席に千隼を乗せ、蓬莱大学附属病院に到着した頃には陽がすっかりと落ちていた。
カードキーを取り出し、7階へ向かう。
千隼に届いていたメッセージは、こうだ。
"知らない建物に閉じ込められてるみたいだ。助けてくれ"
"人工呼吸器のある普通の部屋?に寝かされてた。部屋の外の造りは病院だと思う。薄暗い廊下が続いてる"
"結構高い建物みたいだ。多分、うちに近い建物だと思う。位置情報を確認しても、うちの病院内にしかならないんだ"
どう考えても7階だろうというツッコミを入れざるを得ない。
優也は酷く寝ぼけた状態だと訳が分からないメッセージを送り付けて来る。
中でも本の内容と現実が入り交じった、奇怪な話は少し楽しみだった。今回もその類かとは一瞬思ったが、それにしては文章がはっきりとしている。
1年も前の記憶にはなるが、いつもはもっとこう、本当に誤字も多かったはず。
それを『起きた』優也とお菓子を食べつつ振り返り、笑いながら物語として脚色していくのはとても楽しかった。
けれど、今回は何かが違う気がする。
エレベーターが7階に到着すると同時に、優也の自室へ向かう。
そこに居たのは『寝ているはず』の優也だったが、少し様子がおかしかった。
俺と千隼が並んでいたら、まず俺に飛びついてきて、拗ねた千隼にあとから抱きつくという流れがお決まりとなっていたのだが、今回は違う。
「千隼!!来てくれたんだな!!」
多少ふらふらとはしていたが、最初から千隼に抱きついた後「理久兄さんも!ありがとう!ここ、何処だか分からなくて。ふたりが普通に来たってことは……誘拐ではないんだな?」俺を見た。
やっと、違和感の正体がわかった。
この優也は紛れもなく本物だ。そして、寝ぼけている訳でもなく、何かしらコミカルな出来事で記憶をなくしたとかそういうことでもないだろう。
抱きしめられて考えることを放棄している千隼の横で『万物の記録』を取り出し、優也に問いただす。
「優也、お前は……『どの世界の優也』だ?」
優也が首を傾げた。『万物の記録』に少しずつ記述が増えてゆく。
「えっ、えっと……どうしたんだ?理久兄さん。それに、なにその手品」
「まさかお前は『契約者になっていない優也』か?」
「契約者?なんの契約だ?」
「順を追って説明する。……その前に、千隼に送ったメッセージ、他は誰かに送ったか?」
「えっと……お父さんと、兄さんと流成に。お母さんに送ろうとしたけど、連絡先に無かったから、お母さんには送れてない」
思わず、変な声が出そうになった。
『目の前の優也がどの世界の峰岸優也なのか』が分かってしまった。
この優也は『家政婦に虐待を受けなかった平行世界の優也』なのだろう。
優也には、俺の能力に対してほんの少しだけ嘘をついていた。
俺の『万物の記録』は、現実世界では俺の日記にしかならないと伝えてはいたのだが、おそらくペアを組んでいる状態で獲得した能力だからだろうか、記憶が戻ってからは優也の記録も確認することが出来た。
優也の記録は物心つく前から酷い虐待を受け、身も心もぼろぼろになっていくものばかり。正直、読みたくないものだったが何度も気分を悪くしながら読み続けた。
砂の量が多すぎて過大解釈された結果、優也が覚えていないと言っていた『契約した瞬間の記憶』が何故か俺の中に蘇ってしまい、その状況をきちんと把握しておきたかったのである。
だからこそ、親友の過去を勝手に盗み見た。
そして、優也自身の記憶が戻っていないかも確認した。
結果として、優也自身には記憶が戻っていないことを含め、知りたいことは知れたものの、以前『守護者』が言っていたように危険な願いではあったし、知りたくないことも沢山知った。
現実逃避ではないけれど、上手く使えば『平行世界の出来事』も知ることが出来ることに気がついてからは色んな世界の優也の記述を読んでいたのだが、まさかそれが、こんなところで役に立とうとは。
とりあえず拓矢さんが来ると面倒なことになる。急いで探偵ごっこをしていたら間違えて送ってしまいました、なんて誤魔化しのメッセージを送っておいた。
やはり医院長という立場は忙しいのだろう、優也のスマホから送信メッセージを削除する際にも確認はしたが、既読は付いていなかった。
流成君にも似たような内容で誤魔化しておく。
しばらくして、慌てた様子の親父さんが7階にやってくる。
この演技派俳優からどう解決策を引き出そうか考えていると、優也が先にふらふらと危なっかしい足取りで親父さんに抱きつくと「ねえ、ここはどこ?お母さんが料理しようとしてたから、急いで止めなきゃ」ややこしくなる話を先にしてくれた。
ほら、親父さんがすごく困って──「ああ、母さんの料理なら、父さんが止めといたよ。安心しなさい」あれ、話を合わせた?
「ほんと?よかった。……あれ?なんだか俺、すごく眠い……」
突然、優也の体から力が抜けた。
素早く酸素マスクを装着させ呼吸を確保すると「理久君、これは一体どういう事なのかわかるかい?」俺を見て微笑んだ。
なんでこの人、俺が分かると思ったのだろう。
「……お話しますが『契約者としての話』になります。大丈夫ですか?」
「構わないが、場所を変えようか」
7階にある応接間。
千隼は優也のそばから離れないと言って聞かないので置いてきた。あいつには後で説明しよう。
俺と親父さんで向かい合うように座って本題から話を始める。
まず、俺の能力から説明した。
親父さんは少し驚いたあと、俺が表示した平行世界の優也の記述を何種類も読んでいた。
平行世界の記録は殆どが5歳くらいの歳で終わっている。長くて7歳。
記録が無いというのは、それ以降生きていないという意味。原因は虐待による他殺と衰弱死が主だが、いくつか自殺もある。
13歳目前の今まで生きている平行世界は、この世界を合わせても片手で数えられてしまう。そのうち何処かの世界から分岐した世界が発生する可能性はあるが、今のところはその兆しもない。
これは極めて低い可能性を奇跡的に当て続けて繋いできた命であることの証明。
親父さんに、今の優也は平行世界上で唯一存在する『虐待を受けなかった世界の優也』のはずだと説明した。
この世界は他の世界と決定的に違う点、優也のお袋さんが生きているのだ。先程の言動からも、お袋さんの存命は確実だろう。
親父さんはお袋さんが生きていれば虐待を受けることがなかった事実を知ると、どんな選択肢を取れば良かったのか聞いてきた。
配偶者を亡くさず、優也も救えた選択肢があるならば当然、この人はそちらを選んでいた筈なのだ。
しかし、それは優也のお兄さんである『大宮拓矢を峰岸優也が産まれる前に引き取る』という、かなり無理のある選択肢。
そこからしか発生しない分岐、可能性が優也とお袋さんを救っていた。
その可能性とは『一般人』だと思っていた羽瀬川さんが『願いの小瓶』の砂を貯め切り『契約者』ではなくなることだった。
この人が小瓶にかけた願いは優也の親父さんとお袋さん──《峰岸優叶と峰岸美也子が親子で幸せに暮らせる未来》を願ったものなのである。
羽瀬川さんが『契約者』ではないかとは前に疑ったことがあった。しかし、優也の話では巻き戻した世界も含めて一貫して『一般人』として振舞っていた。だから、騙された。
いや、最初から騙されていた。
流石に親父さんには伝えられないが、優也の話を聞く限り、羽瀬川さんは非常に優也のことを大切にしてくれる素敵な人間だと誤解せざるを得なかったし、俺からもそう見えていた。
しかし、どうやら優也が産まれてから虐待が発覚するまでの間、羽瀬川さんは虐待から守るような行動を時折取りつつも黙認する側についていたようなのである。
色々と家庭環境が複雑らしい羽瀬川さんにとって優也のお袋さんは母親同然の存在であり、その人物が死ぬ原因となった優也にどう接していいか分からなかったようだ。
当然ながら優也を殺してもお袋さんは返ってこない。
そんなことは分かっていても、心が追いつかなかった。
そんな葛藤をし続けていたら数年経っており、虐待に気付いた親父さんが泣いているのを見て酷く後悔したらしいのだ。
だから、ずっと羽瀬川さんはできる限り現実でも本の世界でも『守護者』として優也のことを守っていた。
彼なりの贖罪だったのだろう。
絶対に感謝される訳にはいかないからと徹底して『一般人』として振る舞い、場合によっては自分が死ぬことになろうとも、その秘密を守ろうとした覚悟は俺には想像できない。
今の優也が別の世界の優也であること、それからどういう状況の優也なのかを説明したあと、解決策を提示する。
「これは優也が『起きれば』元に戻ります。そう『万物の記録』にも記述があります。優也は、今こちらに居る優也と意識が夢として入れ替わっているだけ。だから──薬で長期間眠らせるのは、今回はやめませんか?」
「な、何を」
今まで落ち着いて話を聞いていた親父さんが明らかに動揺した。
「不思議には思いつつ、優也はまだ気付いていません。優也にとって誕生日はお袋さんの命日。幼い頃に酷く錯乱してしまったから、この時期に『寝てしまった場合』は薬で少し長く眠らせていたんですよね?」
「……ああ、合っているよ。本当にその本には全てが書かれているんだね」
「そうですね。親父さんが『契約者』ということも、これで知りました」
「……理久君と出会った年はタイミングがずれてしまって出来なかったけれど、去年はそうした。今年は十三回忌だから、その予定だった。けれど、このまま寝かせ続ければ、今こちらにいる優也にとって楽しみなものでしかない誕生日を奪うことになるんだな」
「そうなります」
親父さんはしばらく黙った後、恐ろしいことを言い始める。
「つまり、このままであれば優也に母さんとの思い出を作ってあげることもできるわけだ」
「いや、それは駄目に決まってるでしょう」
「し、しかし…あの子にも幸せな時間を用意してあげたい。いけないことだろうか?」
親父さん、最近少しおかしいとは優也から聞いていたけれど、どちらかというと優也の事に関してなりふり構わなくなっているといった感じだろうか?
「優也に幸せな時間を過ごさせてあげたいという気持ちは俺も同じです。でも、優也が俺と同じなら……優也にとっての幸せは、こちらの世界にしかありません」
親父さんはしばらく黙ってはいたが、ため息をついて「それなら、今回は理久君に全て任せよう。必要なことがあれば『一般人』として、できる範囲で手伝おう。……優也の所へ行ってくる」部屋から出ていった。