10冊目:万物の記録(アカシックレコード)008頁
夏休みが始まって2週間ほど経った。流成は相変わらず部活で忙しいみたい。
夏休みになってから、千隼はいつにも増して頻繁に遊びに来てくれる。
千隼は遊びにくると最初に必ず抱きついた後、暫く手を握ってくる。
くっ付かれるのは暑いし、手を握るのも少しくすぐったいけれど不快では無い。
千隼に触れられていると何か食べている訳では無いのにお腹がいっぱいになるような、不思議な感覚がするのは何故だろう。
最近、千隼から理久のようないい匂いがする。やっぱり兄弟だから同じ柔軟剤を使うよね。なんの匂いなんだろう。
両手を繋いで暫くじっとしていたら、千隼から突然「ねえ、流成と何かあったの?」聞かれたくないことを聞かれた。
「特に、何も無いよ」
「優也は嘘が下手っぴ。喧嘩でもした?仲直りなら手伝うよ。優也、最近ずっと悲しそうな顔してる。流成の話もしてくれない」
俺はそんなに感情が表に出るタイプではないと思うんだけど、なんで千隼は分かるんだろう。
「……別に、喧嘩した訳じゃないの」
「じゃあ、どうしたのさ」
どう伝えればいいのか分からない。
とりあえず、昼休みには毎日流成のクラスへ遊びに行っていたこと、そのせいで流成に迷惑をかけていたこと、偶然その話を聞いてしまい、距離を置いたことを説明した。
途中から涙が出てきて、上手く説明出来ていない気がした。
千隼は最後まで話を聞いてくれたあと、首を傾げる。
「ねえ、流成がどう思ってるか直接聞いた訳じゃないんだよね?」
「う、うん……」
「流成が優也のこと迷惑だって思ってるって話を直接聞いたわけじゃないなら、本当かどうか怪しいよ」
「で、でも、流成のクラスメイトが言ってたから……」
「優也は僕とそのクラスメイト、どっちを信じるのさ」
「どっちと言われても、状況が……」
「どっち?」
「…………千隼のほう、かなぁ」
「なら決まり!流成に確認するよ!」
千隼が両手を離した。携帯電話を取り出し俺の倍以上の速さで文字を打ち込んでいく。
「待って、やめて」
慌てて止めに入るが、千隼は文字を打つ速度を変えない。
「確認しなくていい。確認しちゃって、本当に、本当に迷惑かけてて、流成から嫌われてること、わかる方が怖い!」
文字を打つ手が止まった。
「……それが本音だよね。『嫌われてるかもしれない』が、『嫌われた』と確定するのが怖いから」
「そうだよ。だから俺は、曖昧なままにしておきたいの」
千隼は暫く目を伏せた後「手が滑っちゃったー!」さっきまで打っていた文章を流成に送信してしまった。
「ちょっと千隼!!」
「大丈夫だよ。だって流成だもん」
文章そのものは見えなかったけれど、それなりに長かった気がする。今なら、読まれる前に消せるはず!
「消して!送信取り消しで消えるから!」
「しないよ、優也は嫌われてるかもって怯えながら流成が遊びに来た時は過ごすの?」
「そ、それは……」
「流成のことだから、ひとつのことしか頭にないだけだと思うよ?だってお馬鹿だもん」
言われてみて、確かにと思った。流成は何かに興味を示せば、それにばかり気を取られる性格をしていた。
猪突猛進というべきか。それしか考えず、周りの空気を読むという事もかなり苦手だと思う。
そういえばペンダントが盗られた時、なりふり構わず殴り合いの喧嘩をしてくれたのも流成だ。
千隼がまた手を握ってくれた。
「さ、お返事はすぐ来ないと思うから、その間にお兄ちゃんが作ってくれたおやつでも食べよ?後でシェフも来るけどさ」
「……わかった」
理久が作ってくれたカップケーキの味が、あまりよくわからなかった。
返事はその日の夕方にきた。
というか、流成本人が俺の家にきた。
家に来たこともそうだけど、会った瞬間胸ぐらを掴まれたのでびっくりした。
そして第一声で「この馬鹿野郎!嫌われたかもしれない?それは俺の台詞だ!!大馬鹿野郎!」罵倒された。
さすがに掴みかかるとは予想してなかったとボヤきつつ千隼が仲裁に入ってくれる。
「流成、気持ちは分かるけど優也が苦しそうだから放してあげて?優也の体にあんまり負担かけちゃダメ。優也は元気でも危ないの」
「……それもそうか。お前普段病人らしくねぇから」
流成が手を放してくれる。く、苦しかった……
「毎日来てたのに、なんで来ないのか考えた。すっげー考えたけど、わかんなくて。俺、なんか優也の気に障ることしたのかって不安だった。なんだよ、なんなんだよもう……」
流成が鼻を鳴らしながら、目を擦っている。
俺も視界がぼやけてきた。
「……ごめんね」
「夏休み、空いてる日教えるから覚悟しとけ!!」
「わかった」
流成が拳を突き出してきた。
俺も拳を突き出して、こつんとあてた。
満足そうな千隼から、お風呂に入らないかと提案された。3人で流し合いっこしよう、との事らしい。
千隼らしい考えだけれど、流成が何を企んでいるのかと警戒している。
そういえば千隼と『起きている間』にお風呂に入ったことは無いけど、千隼とのお風呂は……よし、この際だから『寝ている間』のこと、ほんの少しなら覚えてることを言っちゃおう。
「ねえ千隼。俺が『寝ている間』のお風呂、手伝ってくれるのは嬉しいんだけど、出来たら……その流し合いっこは手じゃない方がいいな。あんまり覚えてないけど、くすぐったいから」
千隼が目を見開いた。やっぱり、覚えてないって思われてたのかな、なんて思っていたら「手以外で……どうやって洗うの?」首を傾げられる。
思わぬ返しに変な声が出た。
泡立ちの良いタオルで泡立て、そのタオルで擦るのだと伝えると、さらに首を傾げられてしまう。
「よく分かんないや!みんなで入ればわかるよ!入ろ!!」
ついには考えることを辞めたらしい。
俺は別にどちらでも良いのだけど、警戒する流成に千隼が汗臭いから入った方がいい、なんて言うものだから反対する人間が居なくなった。
ふたりとも俺の家に着替えを常備しているから、そのままお風呂にも入れるし泊まれる。
よく泡の立つタオルに興奮する千隼。それを見て呆れる流成を横目に、軽くシャワーを浴びて風呂から上がった。
リビングに向かうと理久がお風呂上がりのホットミルクを用意してくれていたから、ありがたく受け取る。
今、部屋には俺と理久しかいない。気になっていたこと、聞いちゃおうかな。
「……ねえ、理久は今『契約者としての能力』をふたつ持ってるよね?」
「え?……そ、そうだな」
「『万物の記録』ってさ、いつでも記録されてるの?」
「まぁ…そうだな。でもこれは、前にも言ったと思うが現実世界で記録に使えば俺の日記になるぞ」
「それって、理久が『万物の記録』を獲得する前の記録も見れる?」
「俺が産まれてから、今までの事象が記録されてる」
「それなら、俺が『時間を巻き戻して無かったことにした出来事』とか『小瓶の願いを叶えたから上書きされてしまった出来事』も記録されてる?」
「いや、記憶を失ってた時に試したけど記録そのものが膨大だから、いつ記録されたどんなものかが分からないと……」
「でも、今の理久ならわかるんじゃない?」
「……ちょっと確認してみる」
理久が文庫本程の大きさの『万物の記録』を召喚した。
「えっと、高校3年の時の…夏休み……あっ」
『万物の記録』に二重線で消されてはいるが『上書きされてしまった記録』が現れる。
記述を見せてもらった瞬間、凄くほっとした。
曖昧になっていた記憶は、間違いなく妄想ではなく実際にあったことだったのだ。
確認の方法がない、何も残っていない、無かったはずの本当にあった出来事。
どうして確認したかったのかと聞かれた。
理久にとってはショックかもしれないけれど、でも、ちゃんと伝えないといけないよね。
「ねえ理久。実は俺、殆ど理久との思い出を覚えてないの」
「えっ……」
「小瓶による改変のせいで、殆ど上書きされてしまってる。どれだけ抵抗してもゆっくりと消えて『本当の記憶』は書き変わる。……ごめんね。いちばん大切な、ほんのちょっとを残すので精一杯だった」
「……今も、消えていっているのか?」
「ううん。さっき、少し気を緩めてしまったけれど……消えてないから、多分もう平気」
「そっか。……なあ、ずっと消えないように守っていた記憶って何なのか、聞いてもいいか?」
伝えていいのか、少し迷った。けれど、それが理久の頼みなら。
「……笑わないでね」
「おう」
「花火、一緒に7階で見ようって約束したよね。果たせない約束だって分かってた。でも理久が約束を破ったことはなかったから、期待してたの」
理久は目を丸くして、少し照れたように微笑んだ。
「……そっか。じゃあ、もうひとつの約束もきちんと果たさないとな」
「もうひとつの約束?」
「口閉じて、目を瞑ってくれるか?」
「うん」
真っ暗な視界の中、頬を触られたことを感じた。
「……やっぱり、中身は生意気だけど顔はほんとに綺麗なんだよな」
「何する気?」
「ちゃんと口、閉じてろって」
言われた通り口を閉じると突然、頭の天辺に衝撃を感じた。
「いっ、痛っ~~!!ほんとに何するの!!」
滲んだ視界の中、理久は満足そうに「絶対殴るって約束したし?」俺を殴ったらしき手を軽くさすっていた。
「それは、やめてくれたはずだよね?!」
「大怪我してたから、延期にしただけだ」
「もう、理久の頑固者!!」
「なんとでも言え。俺は約束は破らない主義だからな、初めて会った時も言ったろ?お前を独りにしないって。……忘れちまってるか?」
「ううん。それも覚えてるよ。理久との約束はぜんぶ覚えてる。約束は忘れたくなかったから」
「それなら、来週の花火大会はわかってるよな?」
「うん。7階から見ようね」
後日、理久との約束は形を変えて賑やかに、何も邪魔するものは無い7階で果たされた。