石と人の間のもの
太古の昔、大地に転がる石には精霊の宿ることがあった。精霊たちは岩石が大地に最も古く根付いていたことを根拠に、他の生き物をたいそう見下していた。精霊たちは森へ行って樹木を適当に選ぶと、「木とは古いものぶっている傲慢な存在だ」と罵り、魔法で腐らせることが慣習となっていた。
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そんな世の中が数億年に及んで続いたが、ある日精霊たちの住む洞窟に人の集団がやってきた。人は洞窟の中で偶然いくつかの水晶を見つけると、手に持っていた石鎚で根元を砕き、拾った。そこへ居合わせた水晶の精霊は岩陰に隠れ、物珍しそうに眺めていた。人というのは最近出現した生き物であるため興味はなかったが、水晶をわざと砕くところは初めて見たのだ。
「美しい!」人が歓声をあげた。彼の仲間たちも、その水晶を何かに使おうと勧めた。
人々が洞窟を出ていくと、水晶精はあとをつけた。途中、他の石に呼び止められ、何をしているのか聞かれると、「人が私を持ち去ったので、見にいく」と答えた。
やがて人の集落を見つけると、住民たちが輪になって水晶を眺めていた。水晶を手に持つ男が手を空に掲げると、水晶が日光を屈折させて輝き、いよいよ人々の興奮が高まっていた。
騒ぎを聞きつけ、他の石の精たちも集落のそばへやってきた。精霊たちは、水晶が美しい、美しいと言われるさまをまじまじと見つめたのだった。
数日後の昼下がり、水晶精が思い立って魔法で人間の姿となり、人の集落に近づいた。精霊は人がうまく採取できなかった水晶の残りの部分を彼らに捧げて、集落の一員となった。
それからは、水晶精にとって愉快な日々だった。人々が自分の美しさを讃え、取り合っている様を毎日のように見ることができた。
その後、水晶精にならって人間にわざと見つけてもらい、採掘されて人の集落に入り込むものが続出した。精霊たちは自身が美なるものの中に類しているとは知らなかったため、石の中に美を見出した最初の存在であるヒトを尊敬するようになった。
その後、ほとんどの精霊の日頃の行いが変化した。ある精霊が森を通ったとき、木々は精霊を恐れ、また我らを枯らしにきたのかと問うたが、「いいえ」と返し、岩石はたいへんに美なるものであり、お前たちの美はほとんど無視できるため、枯らす価値もないと答えた。
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その後、幾千年もの時が経て、人と精霊は共に暮らすのが普通になった。人はいくつもの集落で交易を行い、何度も死んでは新たに生まれるため、岩石の美しさは飽きられることがなかった。いつまでも老いることのない精霊たちを見て人もさすがに人ならざる住民に勘付いたが、追放されるようなことはあまり無かった。
次に大切な出来事が起こる。長い時が経って、あるとき神々の国で争いが起こり、彼らの魔法の糧となるために地上の生物が1種類だけ犠牲になる必要に駆られた。決断の晩、奈落の国へ征く方舟が地上によこされた。
そこで人が名乗りをあげた。彼らを尊敬していた石の精たちは反対した。なぜ、あなた方のような知と美学に富んだものが最初に去らなければならないのかと。しかし人の長は、それこそが自分たちの旅立つ理由なのだという。
長の言うには、まず、人は知と美学に長けているから、神々の国のために犠牲になるとはどういうことかを理解しており、その最期に英雄的な誇りを持つことができるのだという。
「そして」と長が言って、精霊を見た。「我ら以外の生き物は代えが効かないが、どうやら我らならば精霊が意志を継ぐ力を持っている」と言った。
精霊は戸惑った。確かに、石の精は数千年、人と生活を共にしたが、本当にそのような力があるだろうか。人が言うならばそうだろう、と楽観的に考えるものもいたが、水晶精が挙手して異を唱えた。
「人には我らに無い力があります。石を見て美しいと思うのは、あなた方にしか無い力によるものです」
ほとんどの精霊はそれに同意した。しかし、長の妻が出てきて言った。「それは違います」精霊のひとりに鏡を手渡してこう言った。「ご覧なさい。美しいでしょう」
鏡に精霊の顔が映った。精霊なりの身だしなみの整った顔は確かに、いつだって自惚れの材料だった。
「確かに、美しいです。しかしこれは人に化けた私であり、石の私ではありません」と精霊は返した。
「そうではありません」長の妻が言う。「その鏡は、私たちが洞窟で見つけた銀を鍛えて作ったものです。美しいでしょう」
その言葉が精霊の頭を揺さぶった。それでは、さっき自分が美しいと評価したのは、自分の顔だったのか、銀の鏡だったのか?
精霊たちは困惑して、鏡を確かめるため殺到した。鏡のそばに輪を作って、ひとりが鏡を高く掲げて辺りの景色を映してみた。月の光が反射して輝いた。「美しいです」精霊の誰かが呟いた。
その晩、精霊たちはかわるがわる鏡を手にすると、美しい、美しいとそれを讃えた。たった一晩で、石の精たちはお互いの美しさを、すなわち岩石の美しさを讃える力を身につけた。
夜が明ける頃には、人は姿を消してしまっていた。しかし、気にするものは居なかった。石の精たちは、人の代わりとなるための最後の能力を会得して、これから人の世の在り方を決める資格を得たのである。
その後の展開は激しかった。精霊たちは人よりもさらに石の特性を理解できたため、石を使った文明を高めて力をつけ、短期間でより激しく愛し合い、より激しく殺し合った。
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数千年が経ち、たくさんの石に名前が付けられた。ルビー。ガラス。真鍮。コバルト。シリコン。今や岩石の支配する世の中である。国中に金属の糸が張り巡らされ、その中に魔法の力が流れているし、少量の貴金属をアルミ質の板とガラス質の板で挟んで、スマートフォンを作り出した。
精霊たちの寿命も、人の代わりとなるために相応しい長さになった。もう誰も、自分たちの生い立ちを正しく覚えてはいない。
石として産まれ、人として生きる、中間に位置する精霊たちのことを、人の間のもの、すなわち人間とはよく言ったものだ。(だから、ここまで人のことを人間とは呼ばなかった。時間があれば確かめてほしい)