ある小説家の構想
そう【想】
①おもうこと。考えること。考え。
②文学・芸術などの組み立てについての考え。
③五蘊の一。感受したものを表象する作用。
対象を思い浮かべること。
[岩波書店 広辞苑第五版より引用]
これが俗に言うスランプなのだろうか。今、一部の人以外には理解してもらえない想像を絶するほど悩みを抱えている。それが既に通常の生活に支障を来たしてしまっていた。
私は小説を書いていた。
そもそも書き始めたのは、高校の図書館にあったライトノベルがきっかけだった。
ライトノベルが高校に置かれるなんて適切だとは思えないが、その割に充実した品揃えだったことは覚えている。
私の家庭は貧乏で小遣いが少なく、少年週刊誌を買うだけで精一杯だった。しかしそれだけでは少年の心は満たされず、だからと言って金のかからない遊び方も限られてしまっている。新たな娯楽を求めて図書館に通い、その中でライトノベルに手を出すのは、自然なことだったのかもしれない。
漫画のような映えたイラストが描いてある表紙に釣られて手に取るような、CDのジャケット買いの感覚に近いものだっただろう。しかし私は出会ってしまったのだ。初めて取った本が私の感性に命中してしまった。
それまで新聞のテレビ欄くらいしか進んで文字を読まなかった私が、貪るようにその本を読んだのだ。
新鮮だった。
衝撃だった。
幻想だった。
取込まれた。
魅了された。
虜にされた。
運命の出会い、と文字に表せば月並みな表現だが、そうとしか言い表せない感動がそこにはあった。最初に手に取った本のシリーズはまとめて借りて寝る間も惜しんで、何回も何回も細部まで読み返した。
それからというものの、昼休みは食事を素早く済ませて図書館に通いきりだった。ライトノベルと出会って高校を卒業するまで、それは心が満たされ充実した時間だった。
私は高校を卒業、大学に進学したが、また新たな問題に直面した。
高校の図書館だけが特異だったのだろう、大学の図書館にはライトノベルの類は存在しなかったのだ。
私を大学に行かせるだけで精一杯の両親に、小遣いを上げてくれとはどうしても言えなかった。
しかし、私の脳裏に一陣の風が吹く。
無ければ、自分が書けばいいのだ。
書くのに多大なコストは必要ない。自分の脳みそと紙と鉛筆さえがあれば足りる。
早速私は行動に移した。
まあ紙と鉛筆ではなく、父が仕事に使っている少し古いパソコンを貸して貰い、執筆活動に取り組んだのだが。
なかなか素敵な妙案が思い付いたとその当時は喜んだが、よくよく考えてみれば、アルバイトをして稼いだその金で本を購入すれば良かったのだろうが、そこまで思い至らなかった私は相当の阿呆だったらしい。
兎に角、私はあの感動を再現するために小説を書き始めた。
自分の思考/嗜好を言葉で表すのは思いのほか難しいことで、何度か折れた心を真っ直ぐに曲げ直しながら紆余曲折、私の処女作はこの世に生まれ落ちた。
完成したのは誤字脱字だらけの、私が最初手に取ったライトノベルを模したファンタジーの拙い作品だった。
今にして思えば、パクるのは『若さゆえの過ち』という奴(と、自分で言い訳)だが、間違いなく私の手で産まれ落ちた最初の作品には違いなかった。
浮かれ気分でA4用紙にプリントして改めて読んだところ、高潮した気分は底辺に落ち込んだ。気分グラフで見ると、見事な断崖絶壁を為していることだろう。
理想と現実が違うと思い知らされた日だった。
改めて確認するとつまらない。起承転結もなっていないし、誰が何を喋っているのか分からなくなる。それに盛り上がりに欠けるのが駄目だ。欠点を挙げればキリがない。
未熟だ。
思ったのはその一言。しかし、そこで立ち止まっては筆を取った意味がなくなってしまう。
私はあの憧れを幻想から成果へ近付けるために、ネットで小説の書き方を調べ始めた。
プロット。文章作法。説明文の入れ方。描写。他にもある。
それを踏まえた上で作品を作り上げる毎日。その一つを大学の友人に見せて、感想をくれと言って手渡した。
そして翌日、友人――最初の読者に「面白かった」と言葉を貰ったのだ。
嬉しさで胸がいっぱいになった。次の作品も面白くしようと、頑張りたくなった。そうなると人間もっと欲が出る。私はもっと他の人に見てもらいたいと思った。
現在は『小説家になろう』というサイトに作品を投稿している。
私にとって小説を書くことは趣味でありライフワークであり、今や中毒や習慣を通り越して私の重要な内臓器官の一部だろう。私の頭の中を開いてみればその器官は生命維持に直結する部分と連動しているのが分かるのではないのだろうか。
通勤の途中でも、授業の合間でも、更には食事の最中でも、果ては夢の中でも、常に小説のネタを考え続け、そのアイデアを反映させてきた。私と小説は切っても切れない関係になっていた。
しかし、大きな壁にぶつかってしまったのだ。
今までも幾度となく障害は私の前に立ちふさがったが、これほど困窮した事態は初めてだった。
頭の中にあるアイデアが――上手く組み立てられない。
浮かんでは消え、浮かんでは消え――ある時は霧散し、瓦解する。
こんなことで瓦解するとは私はなんて脆弱なのだろう。既に家事や学業に手が付かなくなり始めている。これが死活問題になる前になんとしてでもこれを解決しなければならない。
私はあらゆる方法を試した。
頭を一度空っぽにするためにトラックを何週でも走り、座禅も組んでみたがどうにもならない。DHAを摂るためにマグロの頭を食べるということもやってみたが、果たして効果があるのだろうか。『小説家になろう』内部の作品や本屋で売っているライトノベルを読んで脳に刺激を与えてみたが、一向に良くならない。
その頃には睡眠不足になっていた。アイデアを得る源泉の一端を喪失してしまった。目に隈ができ、友人からも心配された。
もう一度情熱を取り戻す為に、私の小説家人生を変えるきっかけとなった図書館で出会ったライトノベルを読んでみた。
確かに何年経とうとも面白かったが、特効薬とはならなかったようで依然として頭の中は胡乱としたままだった。
悩みに悩み抜いた末、引退という二文字が見えるようになってきた。
私の脳内に苦悩が埋め尽くす。
――いや。
もう決まっているではないか。
苦悩しか頭にないのならそれを文に起こせばいい。構想が纏められないなら、その苦悩自体を小説にすればいい。
逆転の発想だった。
私は書いた。
この私が最初の小説に触れてから、今に至るまでを最後まで書き殴った。
するとどうだろうか。キングストン弁が引き抜かれたかのように今までバラバラだったピースが組み上がってきたではないか。
安心した。
私はまだ書き続けることができると。
そうそう、画竜点睛を欠くところだった。
この小説のタイトルは――
『ある小説家の構想』
私がテーマ募集をかけたところ、にも先生が応えてくれました。
テーマは前書きにあるように「想」。
この小説はフィクションですが、ある程度私の経験も入っているかもしれません。
小説の締めは自己言及に走ってしまいました。
まだまだテーマは募集しています。スリーSに短編のお題を吹っかけて困らせたいという方は、この小説の感想欄かメッセージボックスに記入してください。