86 大変まずい事態ですわ!
絶望的な状況のなか、ドクトルの部屋のビジョンに信じられない光景が映し出されました。
お嬢さまが唐突に立ち上がられ、もうひとりのお嬢さまを投げ飛ばして意識を取り戻されたのです。
「お嬢さま……ッ!」
なぜ投げ飛ばしたのか、理由は定かではありませんが、これだけはハッキリしております。
ドクトルの人格転写装置の呪縛を、あのお方が打ち破ったのです。
もうひとりのお嬢さまに手を差し伸べられるお姿に、歓喜の涙すら浮かんできます。
「……素晴らしい。素晴らしいよ、これはッ!!!」
……ドクトルの方も、なぜか感涙しておりますね。
なにを考えているのでしょうか。
「理論上、人格の転写を打ち破れるはずがなかった! だのにッ、いったいどういうことかッ! 興味深いッ、非常に興味深い現象だよこれはァ!!」
声が裏返っております。
やかましいことこの上ありませんわ。
「しかぁしッ! 装置の出力をさらに上昇させ、再起動すればいいだけのことッ!! 少々生命の危険がともなうが仕方ないねェ!!」
「させるとでも?」
ドクトルが操作盤に触れる前に、勢いを乗せた回し蹴りをヤツの顔面に叩きこみます。
「ぐあォッ!?」
きりもみ回転して吹き飛び、部屋のすみに積まれていた資料の山に突っ込むドクトル。
間髪入れず、今度は操作盤にめがけて渾身のかかと落とし。
「はぁっ!!」
ドグシャァァッ!!
操作盤となっていた大きなデスクが真っ二つに破損し、中の部品が飛び散ります。
これでもう、装置の作動などできないでしょう。
「あ、あぁぁぁ……っ! なんということをしてくれるゥ!!」
悲痛な叫びと共に、頭からダラダラと血を流したドクトルがすごい速度で這いずってきました。
正直、おどろきです。
あの一撃で確実に気を失ったと思ったのですが。
「今しかチャンスがないんだ、今しかッ! 偶然に偶然が重なってととのったこの状況! 今を逃せばふたりのお嬢に逃げられてしまうッ!!」
「人生、諦めも肝心でございます。大人しくお縄につけば、国王陛下と旧知の仲と聞くあなたのこと、極刑までは言い渡されないでしょう」
「そんなこたぁどうだっていいんだよッ! 俺の夢をかなえるチャンスがいま、ここにあるッ! あぁぁ、まだ直せばなんとかなるか? 部品は足りるかァ……?」
破損した部分に頭を突っ込んで修理を始めましたね。
見上げた執念。
ですが万が一にでも直されてしまえば、またお嬢さまに危険が及ぶかもしれません。
もう一度、今度は確実に意識を奪っておきませんと。
バチっ、バチチっ。
……?
なんの音でしょう。
ドクトルが上半身を突っ込んでいる部分から聞こえる、火花のような音。
修理の音、ではないようですが――。
「漏電しているのかァ……! だったらまずはここの配線をつなぎ直して……。それから……」
「――もし。危険な予感がいたします。すぐに離れた方がよろしいかと」
「危険ン? そんなこたぁわかってるんだよ! だがね、夢を目前にして諦められるわけがないじゃぁないか! 待ってろ……、すぐに修理して」
ボォンッ!!
「や゛っ」
……小爆発、でした。
破損部分で起きた小さな爆発。
まったくもって小規模のものでしたが、至近距離に人間がいたならただでは済まないでしょう。
短いうめき声を残して、ドクトルの下半身が力なく倒れます。
上半身は影になっていて見えませんが――おそらく見ない方がいいのでしょう。
「……哀れな最期です。ドクトル――マシャード・ホルダーム」
彼が命を落とした以上、ここにとどまる理由もありません。
あとはもうひとりのお嬢さまも連れて、ここから脱出するだけ。
それだけで、すべてが終わる。
ジ、ジジ……っ。
「……っ! 今度はなんです!?」
先ほどの火花が弾けるような音とはまったく違う音。
音源に目をむけると、小爆発のあと沈黙していたビジョンが動き出すところでした。
しかし映し出された光景は、お嬢さまたちのいる中枢部ではありません。
たった今死んだはずのドクトルだったのです。
『この映像が再生されたということは、非常に残念な事態になった、ということだねェ』
どこかの研究施設のような部屋を背景に、イスに座ったドクトルが大写しになっています。
今現在の映像ではないのでしょうか。
『俺のバイタルサインが消失すると同時に、これが流れるように設定しておいた。さて、あまり時間も残されていない。手短に話すとしよう』
「……音が、遠くからも聞こえてくる?」
どうやらこの映像の音声、アルムシュタルクの内部すべてに流れている様子。
お嬢さまたちも中枢部で、おそらく聞いているのでしょう。
『俺の発明の数々は、ハッキリいってオーバーテクノロジーだ。俺の手を離れて愚か者の手に渡れば、破滅的な結果をおよぼしかねないほどに、ねェ。よって俺の命が尽きると同時、研究施設のある場所を爆破するように設定してある』
「爆破装置……!」
『具体的にはマシュート領の研究所と、現在建造中の浮遊要塞アルムシュタルク』
……かなり前に残した映像のようですね。
それにしても爆破装置とは。
爺やさまの持ってきた資料に無かったのは、城とはまったく関係のない設備だから、でしょうか。
『研究所なら粉々に吹き飛びかねない威力だが、アルムシュタルクの方だったら、中枢部と砲門の全損程度で済むだろうねェ。だが、万が一、お空の旅の真っ最中だったのなら、墜落および空中分解の危険がある。そうならないように、さっさと着陸させることをおススメするよ。俺を殺したヤツを道連れにできるなら、悪い話じゃないがねェ。ヒヒっ』
「なんですって!?」
『爆破までの時間は20分。各地のビジョンにタイマーを表示しておくよ。もしも航行中だった場合、すみやかな着陸、および避難を推奨する。では』
プツンっ。
映像が消え、今度はタイマーが表示された。
残り19分20秒。
「まずいことに、なりましたね……!」
この浮遊城、現在かなりの高度を飛んでいます。
着陸の操作をしようにも、お嬢さまの手によって機能が永久凍結されている。
誰の操作も受け付けることなく、爆発の時まで浮遊し続けるでしょう。
「まずはお嬢さまのところに……!」
すぐに研究室を飛び出し、全速力で中枢部を目指して駆けだします。
一刻もはやくお嬢さま方と合流し、そして脱出しなくては……!
〇〇〇
なに、いまの声……!
ドクトルの声、だったわよね。
アイツが死んで、爆弾が作動した?
あと20分で今いる中枢部が吹っ飛んで、城が墜落する……?
「あ、あわわ、大変ですの、ソルナ様っ!」
「はやく逃げなきゃですわぁ!」
「……えぇ、そうですわね」
必ず帰るってアイシャと約束したんだもん。
こんなところで吹っ飛ぶわけにいかないわ。
「では行きますわよっ!」
「はいですわぁ!」
「ですのっ!」
お二方ともいいお返事。
停泊中の飛行ゴーレムを目指して、勢いよく走り出す。
そして地下7階に差しかかったとき。
わたしたちは急ブレーキを踏むことになった。
なぜなら、ここにいるもうひとり。
わたしとおなじ顔のアイツが、わたしたちとはまったく違う方向に走っていこうとしたから。
「コラ、そこ! 自分の城のはずなのに、道間違えていますわよ! それともどさくさにまぎれて逃げるおつもりかしら!」
「逃げる? このわたくしが? いいえ、その逆ですわ。……今、このアルムシュタルクには200人ほどが乗っているの。兵士に料理人、政治屋まで。わたくしの夢についてきてくれたワーキュマーの国民たちですわ」
「そんなに乗っているの……。って、あ、アンタ、まさか……」
「彼ら、彼女らを置いて、逃げることなどできませんわ」
「逃げることは出来ないって……、じゃあ残っていっしょに死ぬ気ですの!?」
「バカを言いなさい。ひとりでも多く逃がすと言っているの。一国の長にはね、果たすべき責任がありますのよ」