61 わたくし、貴族は捨てましたの
わたくし、貴族というものに嫌気がさしておりますの。
生まれにあぐらをかいてふんぞり返って、民を見下しプライドと世間体を何より優先する。
お父さま――いいえ、ミストゥルーデ公のような清廉な貴族がいることは否定いたしません。
しかし大多数の貴族が、そのようなくだらない生き物でしかない。
ミストゥルーデ家の人間として生きてきた十数年間、嫌というほど痛感し続けてきて、今また自分のルーツに関わる話を知ってさらに思いを強くしましたわ。
この貴族という制度は、あまりにも長く続きすぎた。
河のふちに溜まってよどんだ汚水のように、鼻をつまみたくなるような腐臭をただよわせている。
誰かが変えなければいけませんの。
それがたとえ誰かにも、わたくし自身にも、痛みを強いることになろうとも。
……ですからこの程度の痛み、どうということはありませんわ。
信頼していた腹心がじつは裏切り者だった過去を持っていたとしても、そのことを黙っていたとしても。
「セバス」
「……はっ」
神妙に頭を下げますわね。
いまは揺るがぬ忠誠を誓っている、とでもいうのかしら。
……もうどちらでもいいわ。
「ひざを折らなくて結構。貴族の立場も、ソルナペティの名前もとうに捨てたわ」
「それでも、あの日に誓ったのです。死ぬまで『お嬢さま』に忠誠を誓い、お守りし続けると」
「いまの私はワーキュマーの首相、シャディア・スキニーよ。貴族でも、王でもない。統治をしても君臨はしない」
これ以上、誰かと顔を合わせていたくない。
ひとりの時間が――頭を冷やして飲み込む時間がなにより欲しくて、セバスとドクトルを置いて足早に部屋を出た。
「やぁ」
……なのに廊下に出て早々、さっそくのお出ましですわね。
カベにもたれかかって片手にひらいた恋愛小説を持ち、ウインクを投げかけるクシュリナード。
軽薄な男。
思わずため息がこぼれそうになりますわ。
「ごきげんうるわしく……はないか。あのようなことを聞かされては、ね」
「あなたも聞き耳を立てていた、と。趣味が悪いわね」
「愛する女性の一大事だ。気になってしまうのも当然だろう?」
「歯の浮くセリフをぬけぬけと。元凶があなたの祖父だと聞いたでしょう」
「あぁ、聞いた。胸が痛むよ」
パタン。
本を閉じ、こちらにやってきたクシュリナード。
相変わらず距離が近いですわね。
「だが、キミの胸の痛みはそれ以上だろう? その痛み、僕が肩代わりできればどんなにいいか」
「肩代わりなどしなくて結構。ひとりにしていただけます?」
「つれないなぁ。ま、どんなにつれなくても構わない。それがキミの魅力でもあるからね」
「……聞こえていないようね。これにて失礼」
もう無視して帰ることにするわ。
するりとわきを抜けて、早足でその場を立ち去――。
「おっと」
ガシっ。
……腕をつかみましたわね。
無礼だわ。
「逃がさないよ、お嬢さま」
そのうえグイっと腕を引かれて、カベを背中に腕ごと体を押さえつけられたわね。
無礼千万だわ。
「どういうつもりかしら」
「話を聞いてほしいだけさ。僕はね、キミのためならなんだってできる。肉親を手にかけることすらいとわない。世界だって敵に回して、キミのことを愛し抜いてみせるのさ」
……顔を近づけてきたわ。
接吻でもするつもり?
わたくしの唇、そんなに安くありませんことよ。
上半身の動きが封じられていても、下半身なら自由な状態。
足をバネのように跳ね上げて、クシュリナードの足のあいだに叩きこむ。
「ふんっ!!」
ドグシャァッ!!
「お゜っ」
よし、クシュリナード悶絶。
拘束が解けたので、優雅に離れさせていただきますわ。
「ほ、ほん……っとうに、つれないなぁ、キミは……。この恋愛小説じゃ、こんな風にされた女子はみんなときめいていたのに……」
「おあいにくさま」
「一筋縄ではいかない……、そんなところもキミの魅力だよ、レディ……!」
「股間をおさえて悶絶しながら歯の浮くようなセリフを吐いても、なんにも心に響きませんわよ」
軽くため息をついて、その場をあとにします。
ともかくいまは少しでも気持ちを落ち着けて頭を冷やしたい。
目的を達成するために、ここからが大事な時期なのだから……。
〇〇〇
爺やが提案した作戦。
それはワーキュマー共和国に単身潜入し、ドクトルの研究所から要塞の情報を抜き取ってくる、というもの。
やる気満々、いますぐにでも飛び出しそうなところを、わたしはいったん押しとどめた。
爺やの腕前なら可能でしょうし、逆スパイがバレてないならやりやすいだろうけど、やっぱり危険がともなうものね。
大事な作戦だし少しでも成功率をあげておきたい。
「爺や、行くなら警備が手薄になる時期を狙いなさい」
「手薄な時期……。ふむ、要人警護に人員が割かれ、国内の警備が手薄になるとき、ということですかな?」
「ご名答、ですわ。さすが爺や」
「なるほど。『会談』の日を狙うんだね」
お父さまも気がついた様子。
うなずいて肯定してみせます。
狙うはクレイド王国の国王と『ソルナペティ』の会談の日。
どこで行われるにせよ、両陣営トップの警備は相当なものになる。
そのぶんワーキュマー国内の警備の方が手薄になるはず。
「わたくしへの忠誠を示すためにあせる気持ち、理解できますわ。しかし捨て石となることを、わたくし望んではいませんことよッ」
「ははっ!」
よし、爺やを説得できたわね。
あとは会談の日取りさえ決まれば、いよいよ作戦開始。
それまで英気をやしないましょう。
「……これでお話は終わりかな? それじゃあソルナちゃん、シーリンちゃんのところに行ってあげなさい」
「そ、そうでしたわね。あの子パニくって自分のお部屋に戻っていっちゃいましたものね」
落ち込んでいなければいいのだけれど。
あの子、なんだかんだでわたしになついてくれているし。
それにわたしの本当に血のつながった妹、なわけだし?
「行ってまいりますわ! ごめんなさいまし――ッ」
シュバッと片手をあげてから、優雅に退室。
それから廊下を通って階段をのぼって、足早にシーリンの部屋の前までやってきましたが、そういえばあの子の部屋に入るの初めてだわね。
(……怒ってきたりしないかしら)
……いいわよね、あの子だってわたしの部屋に勝手に入ってきてるわけだし。
問題ないでしょう。
「シーリン、いますの~? あなたのお姉さまがまいりましたわよ~」
コンコンとノックしつつ声をかけてみます。
が、返事なし。
「シーリン? シーリ~ン!」
もう少し強めにノックしても、やはり返事なし。
お部屋にいなかったりするのかしら。
……いえ、それだけならまだいいわよ。
さっき聞いたばっかりの、わたしが誘拐された話が脳裏によぎる。
開け放たれたマド、姿を消したソルナペティ。
もしもこのトビラをあけたとき、同じ光景が広がっていたら……。
そんなわけない、と思いつつも、一度起こった胸騒ぎは止まらない。
衝動に動かされるままドアノブをひねり、中に飛び込む。
「シーリっ、……ン……?」
そこに広がっていた光景は、さきほど想像したモノと大きくちがっていた。
ちがいすぎていた。
カベ一面に張りつけられたわたしの絵。
デスクの上に置いてあるわたしの髪束。
ベッドの上にはわたしがあげた失敗作のぬいぐるみ。
「な、なん、ですの……っ。この、お部屋……っ」
「見ましたのね、お姉さま」
「――――ッ」
背後から妹の声が聞こえた瞬間、叫びにならない悲鳴が、わたしののどからしぼり出された。