19 好かれる覚えがありませんわ!
衝撃的な宣言に、思わず口があんぐり。
アイシャさんも目を丸くして、パチパチさせています。
……いやいや、今はとりあえず置いておこう。
命の危機、去った……ってことよね?
「ソルナ嬢、アイシャ嬢。怖い思いをさせてすまなかった。クリス兄は用心深い。勝利を確信するまで絶対に油断しないとわかっていたからね。この状況に持ち込まなければ、追い詰めることすら叶わなかっただろう」
「そ、それはいいのだけど……。あなた、ソルナのことを……っ」
おっとアイシャさん。
いまソコを気にしますか。
「愛してしまった、だと……! ふざけるなッ!!」
クリュッセードの怒号が森にひびく。
ものすごい形相でクシュリナさんをにらみつけてるわね。
視線だけで殺しそうな勢い……。
「マシュート家の誇りは、名誉はッ! どうでもいいというのかッ!! この兄よりも! その女の方が大事だとッ!!」
「すまない、兄さん……。だが、尊敬しているのは本当だ。本当に、心の底からあなたを誇りに思ってる」
「だったら今すぐこの鎖をほどけ! 首輪を外せッ!! 騎士どもにそいつらを殺せと命令しろ――ッ!!」
「尊敬しているからこそ、手を引いてほしいんだ。今ならまだ間に合う、すべてをなかったことにできる。頼むクリス兄、暗殺なんてあきらめてくれ……!」
真剣な表情で説得をこころみるクシュリナさん。
いつもつかみどころの無い彼の、本当に心の底からの気持ちが伝わってきます。
「あきらめる……? すべてをなかったことに……っ? ……ならない。戻らないんだよ、クシュリナード」
「兄さん……!」
「ひとたび傷ついた名誉は、威信を示すことでしか取り戻せない……!」
「兄さん……ッ!!」
「……いいだろう。ならば手を引いてやる」
「……っ! クリス兄、本当かい?」
「今すぐ作法にのっとり、互いの名誉と誇りと命を賭けてソルナペティ嬢と決闘を行えば、な。そうしてお前が勝つことで、マシュート家の誇りと面目は保たれる。一方的な婚約破棄を受けてなお、ヘラヘラと笑っていられるお前のせいで傷ついたッ、我がマシュート家の誇りはなァッ!!」
「……そう、か。僕のせいか」
「そうだ……! お前の尻拭いをしてやっているんだぞ……」
「どうしても、手を引くつもりはないんだね?」
「くどいぞクシュリナードッ!」
「わかってもらえなくて、残念だよ」
クシュリナさん、とっても悲しそう。
彼が右手をスッと上げると、騎士さんたちがジリジリと間合いをつめてクリュッセードを取り押さえにかかる。
「兄さん、安心してくれ。この件は秘密裏に片をつける。マシュート家の恥の上塗りにはしない。だから――」
「恥、だと……っ。お前がっ、お前が私を恥だとォォォォォ――ッ!!!」
キ、キレた……!?
クリュッセードが暴れ出して、鎖をもってた騎士さんたちがバランスを崩す。
そのうちのひとりが鎖から手を離してしまった。
「しまっ……!」
「うおおぉぉぉぉぉぉっ!!」
拘束がゆるんだ瞬間、ものすごい馬鹿力で鎖が引きちぎられる。
あ、あんな力、いったいどこに……!
「私を甘く見たなッ! あらかじめ身体能力強化の魔法を自分にかけておいた! 念には念をいれてなァッ!!」
あのパワー、もしかしたらチヒロといい勝負かも……!
自由を取りもどしたクリュッセードだけど、魔力封じの首輪はあのパワーでも外せないみたい。
すぐに外すのをあきらめて、包囲の一角へ突進。
「ぐあぁっ……!」
三人ほどをまとめてはじき飛ばして、森のなかへと逃げていってしまった。
「ク、クシュリナさん! 逃げましたわ、すぐに追わないとっ!」
「……いいや、大丈夫。ここまで計算通りさ」
「えっ……?」
「……すまない、クリス兄。さよならだ」
逃げていく兄の背中を見送るクシュリナさんの目から、涙がひとすじ、こぼれ落ちた。
〇〇〇
『マシュート家のご子息、婚約破棄をされたそうで』
『いやはや、マシュート家ともあろう家柄にも、そのようなことがあるのですなぁ』
貴族院の会合で、顔を合わせた貴族たちの声が脳裏によみがえる。
『弟さん、あっさりと受け入れたのでしょう? 貴族として、どうかと思いますなぁ』
『マシュート家の威信が揺らぎかねますまい? 出来の悪い弟を持つと、苦労しますなぁ』
激しい怒りにかられた理由は、果たしてどちらだったのだろうか。
家を侮辱されたからか?
弟を侮辱されたからか?
『クリス兄! 僕、クリス兄を支えられる男になりたいんだ!』
『お前は本当に出来た弟だな。頼りにしているよ』
幼き日の光景が脳裏をよぎる。
なぜ弟は私を裏切った?
貴族の名誉と誇りを、なぜここまで軽視できる?
「ぐ……っ!」
ずしゃぁっ!
森のなかを走る中で、木の根につまずき転倒してしまった。
身体能力強化の効力が切れてしまったか。
だが、ここまで逃げれば――。
「逃げ切った、とお思いですかな?」
シュンッ……!
まるで煙かそれとも風か。
誰もいなかったはずなのに、その老紳士は私の前に唐突に現れた。
「お前は……ッ!」
「名乗るほどの者ではございませんが、ソルナペティお嬢さまの忠実な従者をやらせていただいております」
「そう、か……! 思い出したぞ、貴様。二度も計画を邪魔してくれたな……!」
「わたくしのような者を記憶にとどめていただけていたとは。光栄の限りですな」
この男の驚異的な戦闘能力はよく把握している。
だからこそ、なんらかの手段で遠ざけておくように、とクシュリナードに言いつけていたのだが……。
「なるほどな……。弟の最後の一手が、お前か……」
「計画の『全容』を知らされたときには、さすがに驚きましたな。さて――」
ザっ。
一歩、老人が私へと近づく。
「捕らえるつもりか……?」
「いいえ、闇へと葬らせていただきます。こたびの計画、その真相もろともに」
「弟の、指示か……!」
「我が主はソルナペティお嬢さま。お嬢さまの利益となることを考え、実行するが我が使命」
「……せめてもの慰めと、受け取っておく」
弟よ、クシュリナードよ。
お前は本当に、出来た弟だ――。
〇〇〇
大丈夫って言っていたけど、本当に大丈夫なのかしら。
騎士さんたち、誰も追いかける気配がないし。
「……そもそも爺や、いったいどこにいるのかしら」
「お呼びになりましたかな?」
「うっひゃ!!」
ビックリした!
いつの間にいるの、爺やさん!
「爺や! あなた、わたくしをほっぽり出して今のいままでどこほっつき歩いてやがりましたの!!」
「わたくしはいつでも、お嬢さまのために動いております」
「そ、そうでしたの?」
「左様でございます」
じ、爺やさんがそう言うのなら、そうなんでしょうね?
よくわかりませんが、きっとそうなのでしょう。
爺やさんがもどったのを見て、クシュリナさんも話しかけます。
「終わった、のかな……?」
「終わりました」
「そう、か……。終わったか」
本当になんなのでしょうか。
意味深なやり取りのあと、クシュリナさんが顔を伏せます。
しかし、それもつかの間のこと。
すぐににこやかな表情をわたしにむけました。
「ソルナ嬢、安心してくれ。危機は去ったよ、もう安全だ」
それはよろしいのですが。
な、なんで肩に手を置くのです?
「ちょっとクシュリナード! ソルナから離れなさいっ!!」
「おっと」
アイシャさん、すっかり元気になったみたい。
すごい剣幕でクシュリナさんを追い払ってるわ。
よかったよかった。
爺やさんの行動とか、ナゾはいくつか残ったけれど、これで事件解決……なのかな。
それにしても、わたし。
クシュリナさんにお兄さんを裏切らせるほど好かれる覚えがないのよね。
そこもまた、なんだか引っかかる部分だわ……。