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最終話

 そして翌年の夏の盛り、エンリが初めて来た年の夏につくった向日葵畑も今年で六年目、大いに賑わい花は号令をかけられたように太陽を見ている。エンリも満足そうに向日葵を毎日眺めていた。


 アルメダは夏の暑さに体調を崩し、ベッドの上で生活していた。エンリがなにかと世話をしようとしてくるが男のすることではないと撥ね付け、叱った。悄げたような拗ねたような顔で部屋を出ると代わりに部屋には婆やが入ってくる。

 

 「あら……エンリ坊ちゃま。お可哀想に。なにも追い出すことはございませんのに」

 「男子があのようにせせこましく動き回るものではありません」

 「それだけアルメダ様が心配なのですよ。婆や母上は大丈夫? と日に何度も聞いてくるほどです」

 「……叱る材料が増えましたよ」

 「これは、余計なことを申しました。しかしお叱りになるときはそのお口の笑みは消した方がよろしいかと」

 

 アルメダは慌てて口元に手をやってみる。確かに口角が上がっているようだった。バツの悪い顔をして、せめてもと婆やを睨む。

 婆やはどこ吹く風で花瓶の花を取り替える。

 「それにお叱りになるにはまずお体をしっかり回復させてくださいませ」

 「もういいです。下がりなさいっ」

 あぁ婆やにかかっては形無しだ。もう眠ってしまおう。しっかり眠って体力を回復させよう。


 どれくらい眠っていたのだろうか、表がなんだか騒がしくて目が覚める。


 目が覚めたと同時にドアがノックされ応答すると婆やが入ってきた。

 「どうしたの、なんだか騒がしいようだけど」

 「はい、お客様です。ツァイス様がいらっしゃいました」

 「ツァイスさん? カルミアも一緒かしら」

 「いえ、お一人です。アルメダ様にお会いしたいとのことですが如何しましょう? 」

 「すぐ用意致します。お待ち頂いててください」


 「おまたせ致しました」客間にアルメダが入るとツァイスは立ち上がり、頭を下げる。

 顔に生気が感じられない。なにか尋常なことではない出来事が起こったのだ。カルミアが一緒に居ないことも気にかかる。


 「いかがなさったのです? カルミアは一緒じゃありませんの?」

 アルメダが尋ねてもツァイスがしばらく答えようとしない。沈痛な面持ちで目を瞑っているだけだ。

 アルメダも来訪の理由が気にかかり、苛立ちが募る。もう一度声をあげようとしたときにツァイスが口を開く。

 「やはり私からはなにも言えません。これをご覧ください」

 そう言うとツァイスはアルメダに手紙を渡した。

 「カルミアからです」

 そしてツァイスは椅子に深く座りまた目を閉じた。悪夢に苦しむ老人のような顔をしていた。アルメダは不吉なものを感じ取る。確信したと言っていい。恐れていたことが起きたに違いない。むしろそう思い込むことで衝撃を和らげようとしていた。

 

 その筆跡はカルミアのものであることは間違いなかった。しかし常ならぬ文字の形であり、その筆運びは震えていた。

 一文字一文字、慎重に字を読み進めていく、知らず知らず息を詰めており、ときたま思い出したように深く呼吸をする。そして恐れていた文章が目に飛び込んできた。

  

 【流行病を得、身罷りました。今私自身もエーデンと同じ病に侵され、あるいは命を失うことになるかもしれません。私は命は惜しくはありません、ただエンリに会いたい、そして腕の中で私の命ある限り慈しみたい。エーデンを亡くした私にはもうエンリしか居りません。子をお産みになってない姉上にはお分かりにならないでしょうが母親にとって子とは半身も同じなのです。エンリをお返しください。お願いします。いつも私の味方をしてくださった姉上ならこの願いをきっとお聞き届けくださると信じております。】


 アルメダは息を大きく吐く、やはりと思わずにはいられない。なんと勝手な妹なのだろうか。血が頭に上り目の前が眩むほどの怒りを感じる。だからあれほど念を押したのだ。もう返してほしいと言ってもそれは通らないと言ったのをこの男も聞いているはずであった。

 頭の中で何万語と罵詈雑言が飛び交い、腸が煮えくり返る思いがする。


 「……なにか、おっしゃってはいかがですか」

 しかしアルメダの口から出てきたのはそんな言葉であった。怒りを抑えたわけではない、胸がつかえせいぜいそれくらいしか言えなかったのだ。


 「そもそもすべて私が至らぬことから始まっている。職を辞したこともエンリを王都へ連れて行けなかったことも、乳児期の無理な生活がたたり、成長してからもエーデンは体が弱く、流行病に罹り身罷ったのもすべて起こりは私にある。……そして、貴女とのことも」

 「やめてください、わたくしのことはよろしいのです」

 「貴女が病に罹り、結果として私は逃げ出した。家族の圧力に屈し、義父上の無理をすることはないという言葉に甘え。共に生きると誓った貴女の前から姿を消した」

 「お願いします。言わないで……」

  

 涙こそ流すことはなかったがアルメダは両手で顔を押さえがくりと肘をつく。聞きたくなかった。逃げたというならわたくしも同じこと、わたくしもずっとツァイス・レンガという男と向き合うことをせず逃げてきた。


 「私は、貴女にただ一言詫びたかった。それがこんなにも時間が掛かった。アルメダ・ファーラン……本当にすまなかった。許してくれ」

 「わたくしは貴方が去ったとき女の喜びはすべて投げ捨てました……恨み言を申しているのではございません事実でございます。そんな貴方がようやく見つけたわたくしの幸せを、次はエンリを連れて行くのですか? 二度も私から幸せを奪うと言うのですか? 」

 

 そこでアルメダの瞳から涙が零れた。怒りと悲しさが混ざり合い凝縮した一粒の涙がテーブルへと落ちて滲む。


 「……それは、貴女にお任せしようと思います。私どもはエンリを貴女に託しました。エンリは、いい子に育っているようです。あの子を今更返せだの寄越せだの言えるはずはありません。私達はただ伏してお願いすることしかできません」


 それを聞きアルメダは椅子を蹴倒さんばかりに立ち上がり「卑怯者! ! !」と叫んだ。なんて卑怯な連中なんだ。あまりの怒りに歯が噛み合わない、吐き出す息に炎でも混ざっているかのように熱い。


 「そのような卑怯者にエンリは渡せません! ! !」

 欲しいなら欲しいと力任せに奪っていく、そこまでの覚悟があればまだ良い。だがそんな投げやりに貴女に任せる好きにしろだと? 馬鹿にするな!

 

 「私は、私達は本当に貴女に感謝しています。貴女のおかげで命を拾い、今の地位を得ました。なのに、ままならないものです。私と貴女の道はどうしたって交わらないないようにできているらしい」


 ツァイスの悲しげな瞳が揺れる。この人も悲しい人なのだ。みんな悲しい人間だ。子を失ったツァイス、カルミア。幼くして死んだエーデン。親に捨てられたエンリ。そして病を得、子を設けることも誰かと縁を結ぶこともできなかったわたくし。皆が悲しく、やるせなく、虚しさを抱えている。


 飴玉を返すときが来たのか? 嫌だ! 渡したくない! これは私のだ! 私が育て! 私が導き! 私が教えて! 私が! ! !

私の、私だけの、かわいいエンリ……。


 強烈な吐き気がおそってくる。思わず身を折り吐き気に耐えるわたくしを心配してツァイスが近付き背をさすろうとするがそれを撥ね退ける「触るな!」と思わず叫んでいた。

 何だわたくしのこの様は、まるでヒステリックな十代の女子のようだ。


 そこでドアの隙き間から心配しそうにこちらを見つめる目があった。エンリだ。

 見たこともないわたくしの醜態に怯え、案じ、涙を溜めた目でこちらを見ている。


 エンリ、わたくしのエンリ。今あなたはわたくしを心から想い、そのかわいい目をいっぱいに見開いてる。

 わたくしがこの子を守らなければ……わたくしわたくしわたくし、気が付けば自分のことばっかりじゃないか。

 あんな身勝手でワガママな妹の振る舞いが気に入らないと思っていながらどうだこれはやはりわたくしたちは姉妹なのだ。違う、違うはずだ。冷静になれ。

 わたくしのことはいい。ツァイスやカルミアのこともいい、エンリだ。エンリの意思だ。これが一番大事なことだ。

 

 「こちらへ来なさい、エンリ」


 エンリを座らせると事情を話した。

 エーデンが死んだこと、カルミアが危ないこと、レンガ家に戻るのを求められていること、王都に呼ばれていること。すべてを話した。

 エンリはまず驚き、そして戸惑った。そんなエンリにわたくしは残酷な選択を突きつける。


 「あなたが選ぶのです。エンリ」

 「えっ」

 「あなたももう十一歳の男です。これはあなたの人生を大きく変える決断になります。あなたが選び、決めるのです」

 

 あぁあれだけツァイスに啖呵を切ったというのにわたくしもまた卑怯者だ。しかもエンリに選択を押し付けた。きっとわたくしを選んでくれるだろうという甘く汚い期待を持って。

 ツァイスはエンリに選ばせると言ったわたくしになにも言わなかった。本当にすべて流れのままに委ねる気なのだろう。


 エンリは目をしっかりと開いて天井をじっと見ている。本当に長い時間なにかを考えていた。

 わたくしを選んでください、エンリ。どうしてもそう思ってしまう。平然を装っているが内心は荒れ狂う大海のようであった。

 

 エンリは迷いのないしっかりとした口調で話し始めた。

  

  「僕は王都に行きます」


  息が止まり、椅子から崩れ落ちそうになる。あなたもなの! あなたもわたくしを捨てるのエンリ! ギリギリで堪えていた最後の堰が決壊するようにわたくしが感情を爆発させようとした瞬間。


 「ただし、僕はエンリ・ファーランとして王都へ行きます! 」

 わたくしも、そしてツァイスも息を呑む、その宣言は決然としており強い意志の力を感じた。


 「僕は、エンリ・ファーランとして母上の教えを守り、カルミア叔母上のお見舞いをし、ツァイス叔父上のように勉強し偉くなって、エーデンのような幼い子供が死なない世の中をつくり、ファーラン家も再興させます。それでよろしければご同行します」


 「よろしいですか?」

 

 しっかりとエンリはツァイスを見つめている。子供の目ではなかった。あぁ知らないうちにこんなに大きくなったのね、やっぱり知らぬは親ばかりなのね……。


 「あぁ、もちろん。それでいいよ。ありがとう、エンリ。なに、レンガ家のことは心配しないでいい、私自身家門と言うものに愛想がつきた。今なら義父上の気持ちも分かる」

  

 ツァイスは晴れ晴れとした顔をしていた。子の成長を間近に感じて憂いを飛ばしたようであった。


 「あとお二人にお願いがあるんですが……」

 恥ずかしそうにエンリが切り出す。わたくしもツァイスもなんでも言ってごらんと促す。


 「まず、出発は明日にしてほしいんです」

 「それは、もちろんだ。そうしよう」

 「それとお母上……」

 「どうしたんですか? なにか食べたいものでもあるんですか? 」

 「……あの、今日は一緒に寝ていただきたいのです」

 エンリは顔を気の毒なくらい真っ赤に染まっていた。わたくしは思わずその頭を抱きしめた。


 その日の夜、二人は初めて同じ寝具で寝て、いつまでも話した。話しても話しても話題は尽きなかった。アルメダ・ファーランのこれまでの人生でもっとも幸福な夜であった。

 

 二人を乗せた馬車が遠くに去っていく。今日は朝霧は出ていない。真っ青な空がどこまでも広がり、向日葵は太陽に向って咲いている。その葉を手のようにして太陽に伸ばしている姿にも見えた。

 

 私の人生に大きく影響を与えた二人を乗せ馬車はわたくしの元から連れ去っていってしまう。もしかしたらもう二度と会えない、なんてこともありえない話ではない。

 しかし寂しくはない。わたくしはどんなに離れていても、あの子をエンリをずっと心の中で想い続け、そしてエンリもそれを感じてくれるはずだ。


 向日葵が太陽を見つめ続けるように。

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