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三話

 それから数回半年置きほどにカルミアから金の無心があったがアルメダはすべてに応えてやった。いつも手紙には順調であるということが書いてあるがそれにしては金はないようだった。

 アルメダとてさほど余裕があるわけではないが貯めていたものを切り崩してでも送ってやった。幸せになれ幸せになれとまるで呪詛でも送るように願った。


 エンリと共に暮らすようになってもう五年。

 もう二人は傍から見れば完全に親子としか見えなかった。アルメダにとってもはやエンリはすべてであった。アルメダのこの世の楽しみはすべてエンリに紐付けられている。

 太陽だけを見つめる向日葵のようにアルメダはエンリだけを見つめている。

 

 最近のエンリは婆やと一緒に庭の隅で畑を作っている。素人仕事だから上手くいかないことの方が多いらしい。それでも実った作物をアルメダの部屋まで見せに行くその笑顔は愛らしかった。


 エンリの日々の成長が本当に眩しく太陽のようであった。この小さな屋敷を隅々まで照らし暖めてくれる。

 わたくしがこの子を立派な男に養育するのだと息巻いていた自分がただただ恥ずかしい。子は勝手に成長し、それを見て親が学ぶのだ。

 

 ある時庭をアルメダとエンリが散歩しているとどこから迷い込んだか野犬が牙を剥き出しにしてこちらを威嚇していた。今にも二人に飛び掛からんばかりの威勢であった。

 アルメダは驚き、エンリを守るため前に出ようとすると脇からエンリがぱっと飛出し、道に落ちていた石を野犬の鼻面目掛けて投げた。

 見事にエンリが投げた石は命中し野犬は情けなく鳴き逃げていった。


 「エ、エンリ! 危ないでしょ!」

 自分がエンリに助けられたことは分かりつつも思わず叱るもエンリはヘヘッと笑い「こんなことはまぁわりとありますから」と言った。


 信じられなかった。エンリのことをアルメダは我慢強くて賢い子だとは思っていたがこんな胆力があるとは思ってなかった。もう少し勇気があれば良いのにとさえ思っていた。

 そのことを婆やに話すと「はぁ、坊ちゃまは腕白でございますから」とまた信じられないことを言った。なんでも蛇やカエルを捕まえて投げるなんて日常茶飯事で、そもそも婆やとやっている畑も初めはモグラを捕まえるために土を掘り起こして遊んでいたことが発端となったようだ。


 「坊ちゃまは母上様には言うなというのが口癖でございますよ」


 知らぬは親ばかりだとアルメダは思った。


 それからしばらくが経ち、アルメダは体調不良の日が続いていた。エンリを引き取ってからの気の張り方がずいぶん体に負担をかけたようだ。

 朝の小川での洗面も婆やに泣いて止められてやめてしまった。一人で小川に歩いていくエンリの後ろ姿は寂しそうであった。


 ある日立派な馬車がこちらに向かってくるのが部屋の窓から見えた。

 なんだろうと表に出てみると馬車はアルメダの屋敷の前で停まった。そして中からけばけばしい女が飛び出すようにでて来た。

 「姉上! お久しぶりです! 」

 アルメダに抱きつくようにするとカルミアはニコニコと笑っている。


 「カルミア? 」

 「はい! 」

 

 アルメダは驚いた。カルミアは豪奢な衣服に身を包み、少し太ったようでふっくらとしていた。数ヶ月ほど前に金を無心してきた者とは思えないほど自らを飾り立てていた。

 後からツァイスも馬車から降りてきた。そこで胸騒ぎを覚える。エーデンの姿が見えないのだ。

 

 「あら、エーデンは? 」

 アルメダは何気ないふうを装ってカルミアに問う。

 「エーデンは体が少し弱くてお留守番させてますの。ちゃんと信頼できる方にお任せしてきたので大丈夫ですわ。それより姉上とお会いできて本当に嬉しいわ。中でお話しませんこと?」


 ニコニコと笑い、浮き立つ気分を少しも抑えることなく、カルミアははしゃいでいるようだった。エーデンは体が弱い、という言葉が頭の中で響くが二人を屋敷に案内する。

 ふと見るとツァイスは申し訳なさそうにアルメダに軽く頭を下げた。アルメダはなにも反応しなかった。


 浮き立つカルミアはあれこれと話を脱線させていったが結論としてはツァイスの研究は宰相に認められ大きな国家的事業として扱われるようだ。

 当然ツァイスも然るべき身分と役をもって迎えられた。夫の才能を信じて良かったとカルミアは語った。


 「姉上からのお金に本当に助けられました。ありがとうございます。姉上は私達の恩人ですわ」

 カルミアは珍しく素直に頭を下げた。そこにはなんの打算も思惑もない心からの感謝があった。隣にいるツァイスも同じように頭を下げる。

 アルメダはそれを見てカルミアを見直す思いになった。相変わらずの派手好きは派手好きであるが心にゆとりがあるおかげか性格から角が取れつつあるようであった。

 

 アルメダは子供だけではなく大人も成長するのだと思った。

 わたくしはカルミアの健康や美しさを妬み、彼女の持つ欠点だけに強く焦点を当てていたように思う。 

 男たちが美しさの一点に於いてカルミアの欠点を帳消しにしたように、わたくしも嫉妬の心でカルミアを見て彼女の美点を帳消しにしてきたのだろう。

 

 遠慮がちに扉が開き、エンリが入ってきた。

 五年ぶりの親子の対面である。


 「ああぁエンリ、こんなに大きくなって! 可愛らしいわぁ」

 「あっ……は……」

 エンリはカルミアをなんて呼んでいいのかわからないのだろう。こちらをちらちらと見る。わたくしに遠慮しているのだと分かった。

 エンリがわたくしに遠慮している……このことに自分が傷ついているということにひどく驚いた。


 なにを遠慮する必要があるのです。カルミアに母上と抱きつけたければ抱きつけば良いのに、それを見てわたくしが腹を立てると心配しているのですか、バカバカしい。

 「わたくしはしばらく席を外します」

 アルメダが立ち上がろうとするとエンリはおろおろとアルメダとカルミアを交互に見ている。

 「いえ、申し訳ありません姉上。いらっしゃっててください。エンリさん、お久しぶりですね。息災でしたか?」

 カルミアはすっと姿勢を正して改めてエンリに挨拶する。

妹は本当に変わったと思わざるを得ない。初めて体験した苦労を乗り越え芯が変わったかのようだ。

 「はい……あの」

 「私のことは叔母上と呼びなさい、分かりましたね」

 こくりと頷くエンリを見て、カルミアは優しく微笑みエンリからこちらの生活をあれこれ聞いていた。


 夜になり、皆が寝静まった後にアルメダは庭に出て夜空を見ていた。そういえばエンリを養育し始めたとき、あの子はよく今のわたくしのようにして涙を一筋だけ流していたなと想い出す。


 「冷えますわよ」

 「カルミア……」

 カルミアが寝衣に一枚上着を羽織って出てきた。手にも一枚上着を持っており、アルメダに渡す。


 「姉上、本当に姉上には助けられました。私は決して良い妹ではなかったはずなのに手を差し伸べてくれたこと感謝致します」

 「なにを、二人だけの血の繋がった姉妹じゃない。そのようなこと言わないで」

 「いえ、血の繋がりなんて、一見強固な繋がりに見えますがその実儚いものです。良いときにばっかり良い顔して、こちらが躓くと笑って知らん顔。他人と変わりありません、むしろ縁戚親族のそのような振る舞いは血の繋がりがある分だけ憎く思えます。」

 「苦労したのね」

 「姉上だけでした。変わらぬ支援をしてくださったのは。姉上だけが私達のことを心から思ってくださっていた。なんの得もないはずなのに……」


 途中で涙を流しながらカルミアは苦労した時を思い出していたようだった。カルミアの話を聞きながらわたくしは違うのだと何度言いたいと思ったか分からない。

 違うのだ、わたくしは貴女たち一家のことなど考えていなかった。わたくしとエンリの生活を邪魔されたくなくて、わたくしたちのことなど忘れてくれとそう願いながら金を送ったのだ。

 決して、決してカルミアが思っているような無私の心からではない。

 わたくしはなにも言えなかった。よほど辛い目に合ったのだろう妹の生活はどのようなものだったのだろう。


 「ツァイスさんは? 」

 しかし考えていることとは違う言葉を出したて。

 「部屋で狸寝入りしてますわ」

 「狸寝入り? 」

 「えぇ私が部屋から出るときに姉上に会ってくると背中越しに話しかけたら鼾で返事されましたからね」

 「わたくしのことがよほどお嫌いなんでしょうね」

 「いえ、とんでもないわ。あの人も姉上には本当に感謝してます。姉上からお金が送られてくるたびあの人涙を流して申し訳ない、申し訳ないと言っておりましたから。本当ですのよ夫を庇うわけじゃなくてよ」

 「それにしては、わたくしとお話なさりませんね」

 「夫は口下手ですからね。おしゃべりは私の担当なんです」


 そう言って笑うカルミアの顔は少女のようだった。別にちっともおかしくなんてないのになんだか笑いたい気分になってわたくしも笑った。

 こんなふうに少女時代に二人で笑えればどんなに良かっただろう。


 翌日、二人が乗る馬車をエンリと見送った。朝早く出たので朝霧に紛れ霞みながら消えるように去っていった。


 アルメダは馬車が消えてもじっと見るエンリの横顔を見ている。

 「懐かしかったですか?」

 わたくしがエンリに訊ねると「はい」と頷く。

 「でも、すごく遠くに居るような人に感じました。このように去って行かれても不思議と寂しい、恋しいなどとは思いません。僕は冷たいんでしょうか? 」

 わたくしはなにも言わずそっとエンリの手を握ってやった。このようなことをしてやるのは初めてだった。

 エンリはびっくりしたようだが、ただ黙って馬車が消えていった方を見ていた。

 

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