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時の息吹  作者: 立羽
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第二章・第一話 盟約の導11

「しかし、ホントに何なんだろうね、この女」

 結局、男の詳しい情報はこれといって表には出て来ず、二、三言葉を交わした後に二人の視線は再び由那に戻された。

 しかし当の由那は視線を浴びても未だ腕をまくられたままピクリともせず、傀儡のように虚ろなままだ。

「それはこっちも同じだ。香の被害に遭っているどころか、彼女がディヒルバの紋章の刺青を入れているなんて予想外なことだらけだ」

 苛立たしげにジェフィスは吐いて捨てる。由那と話していた時とはかなりのギャップだが、あれは営業用だったのだろう。由那も由那であり、お互いさまといえる。

 息も荒く頭を掻いているジェフィスと、じっと射抜くような視線を注いでいる男。これまでの彼らの会話を聞く限り、二人が今回の事件の真相に限りなく近い者たちであることは明らかだ。

 もうそろそろ行動を起こすべきなのだろうか、と由那はあまり焦った様子もなく平静と考える。

―――もう少し詳しく探りたかったけど、これ以上は無駄話ばかりでもう発展しなさそうだし。むしろここで動かなきゃ、より彼らが逃げやすい状況を作ってしまいそう。―――

 人間、時には引き際を見極めるのも重要だ。今がちょうど程よい頃合いということだ。

 ふう、と由那は小さく息を吐くと、おもむろに漆黒の瞳を伏せる。

 初日にフィスフリークと町を散策した時と同様、由那は瞳の色だけは髪色や化粧とは違って変えなかった。いや、変えられなかった。

 いくら由那が有能な術師とはいえ、巫術とてそう万能ではない。男を女、女を男にすることが不可能なように、体の構造を無理やり変化させるような術は由那でもかけることは出来ない。それでも前述ならば、そう見せかける幻をかけることは可能だ。しかし、実際に触れてしまえばそれが不確かなものだと分かってしまうし、完全に欺くことはやはり難しい。特に、瞳は髪と違って術が掛けにくい組織で、一瞬ならまだしも長時間屈折率を変えることは不可能なのだ。

 普段はやや下目線でいたことや、店内が落ち着いた明るさだったのも一役買っているだろう。しかし、なんの策も講じずに今日まで漆黒だと気づかれなかったのは奇跡に近い。

 それを今、由那はバレるリスクを冒して彼らを見据えようとしている。あまりに危険すぎる行為だが、しかし、もう彼女がその色を隠す必要はない。ならばこの色を最大限に使うべきだ。

 やや下向きの虚ろだった漆黒の瞳が、しっかりと男たちを捉える。まっすぐ見据える力強い視線。だが互いに牽制し合う二人はそれに気づかない。

 彼らがまじまじと漆黒の双眸を受け止めたのは、耳障りな言い合いがふと途切れた、静かな沈黙が場に落ちた時だった。


「「………」」

「…………」

 妙な沈黙が両者の間に流れる。

 それもそのはずだ。さきほどまで人形のような、虚ろで無反応な様を映した瞳を晒していた人物が、いきなり光の宿った強いまなざしを向けているのだから。

 タイミングを計っていたのか、それとも偶然か、由那はにこりと形の良い唇をつり上げる。それがまさに絶妙なタイミングかつ、絶対的な効果をもたらしている。

 予想だにしない不意打ちを食らって呆然と見つめる男たちを、由那はさらに追い詰めるべく口を開く。

 むろん、手加減するつもりなど毛頭ない。

「女性の肌を無断で晒すなんて、男の風上にも置けない失礼な人たちですね」

 わざわざ刺青を強調するような言葉。見たこともない満面の笑顔がまた末恐ろしい。

「上客に対して『この女』だの、『つまらない』だのと、興味深いお言葉をありがとうございます。これからの対人関係にとても参考になりますよ」

 にっこりと穏やかな調子は崩さない。ただ、いつもと異なる口調に、偽りの彼女を知るジェフィスは若干怪訝な表情になった。

「あら、ジェフィスさん。何をそう不思議がっているんですか? 私の前であなたはあまりそういった表情を見せませんでしたよね。ああ、もしや、いつもと場所が違うからでしょうか?」

 右手を口元にあて、くすくすと可笑しげに笑う。

 皮肉めいた言葉に反応しないあたり、もう何に対して反応すべきなのか分からなくなっているのだろう。いや。あまりの衝撃に機能停止しているというべきか。

 ぴくりとも動かなくなったジェフィスをしばらく見つめ、しかしあまりの無反応さに飽きたようで、由那はまったく興味なさげな色を宿しながらジェフィスの横に立つ男へと視線を移す。

「あなたとはお店では会ったことありませんでしたね。でも、いつも店の奥にいらっしゃったのは分かっていますよ。休憩室…というよりは、香を管理するために籠っていただけのようですね」

 そしてあなたの仕事はこれだった。と、由那は香を目で指して言う。

「そう言えば、挨拶をしておかないといけませんね。別に不要かもしれませんが、一応。私の名は由那と言います。あなたは確かザイハと呼ばれていまいたね。まあ、それも別にどうでもいいですが」

 ざっと挨拶をし、やる気のない姿勢のままさっさと事を進めていくが、ジェフィス達は状況を把握しかねている。もちろん、由那はそれすら分かっていてスルーしている。

 真面目に取りあうことが面倒だということもある。だが一番は、彼らに考えさせる猶予を与えないということだ。決して余裕を与えさせない。

「これを見たのならば、恐らく察しはついているでしょう。しかし、私を香の餌食にと考えた愚かさは少しばかりいただけません。正直、交渉をと思う気がそがれます。あなた方の浅慮と、人を見ることのできないその目のなさに」

 ちくちくと辛辣な物言いをする由那に、二人はどちらとも渋顔を浮かべる。

 ジェフィスは由那を騙していたことの後ろめたさから。男はせっかく転がり込んだ好機を逃してしまったことに。

「でも、そうですね。こちらの要求を呑んでいただければ、再考の余地はあります」

 ぱっ、と顔が明るくなったのを由那は見逃さない。冷静に彼らを見、気づかれないようにこっそり口角を上げる。

 どちらかといえば、圧倒的にこちらが不利だったのだ。それをどうやって崩して交渉へと持ち込むか。由那はずっと頭を悩ませていた。

 フィスフリークには勝算は十分あるだの、香に対しての防御には絶対の自信があるだのと言っておきながら、実のところ彼らとの交渉には妙案などまったく思いつかないまま乗り込み、これからどうしようかと出方を探っていたのだが、どうやら運が向いて来たらしい。

 むろん、この好機を逃すつもりなどない。このまま一気に叩いてしまうが吉だ。

「お互いの事情や詳細については詮索不要で、というのは裏取引をする者としては常識中の常識だと思いますが、それについては異存はありません。余計に詮索などして手間を、そしてそれ以上にお互いに得とならない場合も多いですからね。

 けれど、私は要求させてもらいます。詳細を、とは言いません。互いに身分を明かせというつもりもなく、ただ、香を作る段階を見せてほしい。それだけです」

 すぱっと、もったいつけるでもなく言い放つ。

 その意外な言動に、気を取り直した二人は再び怪訝な表情になる。

「所在地を明かせないのなら巫術で不可視の術をかけてもらって構いませんよ。極秘の場所でしょうし」

 あまり下手に出てもつけ上がらせるだけなので、これ以上は言わない。ジェフィスはまだしも、男の方は妙な悪知恵を思いつきそうだ。

 あくまでもこちらが上なのだと。そこを強気に提示させておけば問題はない。

「それほど難しい条件ではないと思いますけれど。少々現場を見せるだけで、国内外多くの市場を抱える貿易会社とのつながりが出来るのなら易いものでしょう?」

 実際には提示できるはずもない条件。

 確かに由那の親は貿易会社の社長だが、それはこの世界のどこにも存在しない会社だ。彼らが勝手に解釈しているだけとはいえ、これはれっきとした詐欺である。

 しかし、幸か不幸かここでは法に触れる行為ではない。ならば存分に利用しない手はないだろう。

「「…………」」

 由那の意図を測りかねているのか、ジェフィスも男も無言で凝視し続けたままだ。

 あまりに理解力に欠けた男たちに、さすがの由那もため息を禁じえない。

「回答は『はい』か『いいえ』のどちらかに。端的かつ速やかにしていただきたいです。私、こう見えても気は長くないですよ?」

 イラついた様子を思いっきり表に出し、彼らの回答を促す。これ以上待たせたら返事を聞かずこちらで勝手に解釈するぞ、と語らずしてプレッシャーをかける。

 ついでに軽くテーブルを叩く。さほど大きい音でもないそれだけで、大の男二人が思いっきり肩を震わせた。

「……それで、返答は?」

 挑発する鋭利な視線と余裕綽々な微笑み。容赦ないせっつきにようやく観念したのか、甘ったるい香の煙が充満する部屋の中で、男たちはおずおずと決断を下した。





「…………」

 コツ、と足音を響かせ宿の廊下を無言のまま進む。

 あれから話をまとめ、むろんこちら側に有利となるように事を進めたのはいうまでもないが、三日後に彼ら組織との対談を強引に取り付けた由那は、足取りも軽く宿へと帰還した。

 いつも通り報告をするべくドアをノック――しようとした瞬間、扉は由那を迎えるかのように自然な動きで開かれた。当然、手は見事に空振りとなる。

 扉を引いた人物はといえば、いきなりのことに目を瞬いている由那を認めるなり、弾かれたように詰め寄ってきた。その勢いがまたすごい。

「ユーナ、無事か!?」

「! た、ただいま、帰りました。……あ、あの?」

「ああ、ご苦労だった。いやそれより、とにかく無事で何よりだよ」

 上から下まで由那を見回し、異常がないことを確認するとほっとした様に息をつく。そのいつになく慌てた様子に一瞬うろたえた由那は、しかしはっとして何があったのか悟る。

「何か問題が起きたんですね」

 疑問ではなく断定形。

 鋭く見抜いた由那に、肩に置かれた彼の手がより一層力が込められる。

「ああ。実は隊の一人が情報収集中に組織の手の者らしき輩に目撃された。彼らに我々の存在が知れるのは時間の問題だろう。もしユーナが彼らと接触している時、すでに報告が行っていたら――。と、そう思うと気が気ではなかった。本当に、無事で良かった。恥ずかしい限りだが、この件の落ち度は私にある。本当にすまない」

「バレたのですか? え、でも……」

 由那はもちろん、二人の眷属たちもそんな不穏な視線は感じなかった。目撃されたのは店に寄る少し前のことだというが、もし彼らにそれが伝わっていたのなら、交渉時にもう少しそれらしい態度を取られているはずなのだが。いや、むしろ由那の交渉自体が無効になっていてもおかしくはない。

「とくに不穏な雰囲気は感じませんでしたけど。それに、たとえ情報が入っても、すぐに私とリークさんたちとを結び付けられることはないと思いますよ。むしろ私は、国軍の敵とさえ捉えられているでしょうから。そこは安心してくださって大丈夫だと思います」

「それはどういう? いや、そもそも其方は今日何をして……」

「他の方と同じく、香のカモになってさしあげただけです。まさか、敵の罠に簡単に嵌まるような失態を、国軍の者がするとは彼らも思わないでしょう。私はまんまと罠に嵌まった金蔓とでも思われているでしょうし」

「そ…そう、か」

 強引な捻じ曲げたが、嘘は言っていない。

 まだ彼らと交渉した時の毒気が残っているのか、由那の辛辣な発言に若干顔をひきつらせていること以外、そう不審には思われていないのをひそかに確認する。

「問題の香の効果は、私が作成した空気清浄機で防げることも無事確認できましたし、彼らも香の被害を避けるために対巫術用の道具を着用していました。これでひとまず魔物などの人外の干渉ではないことは確かですし、印については確かに高い技術ですが、修練を積んだ高位の巫師なら辛うじてかけることが可能でしょう」

 確認するのに成功したあのアームバンドは、やはり対巫術の印が込められていた。ただし由那作成の空気清浄機とは違い、香を防ぐ機能がなかったことから、どうやら問題は香に刻まれていた印の方にあったようだ。

 むしろ香自体はまったくの無害、いや。多少は睡眠導入効果を持たせてあるだろうが、印さえなければ人体には影響ないと見た。

 ただ、問題はこの印だ。アームバンドの一件で、それほど技術は必要としない術だとは分かったが、そう楽観視はしていられないのもまた事実。やはり早急に犯人を突き止めて解決する必要がある。

「ひとまず、香は焚きさえしなければ印が作動することはないので被害を受けることはないですし、被害の拡大を防ぐためにも近日中にもう一度アットルテへ行こうと思います」

「いや、だが。あまりにも危険だ。こちらの存在を知られてしまった以上、向こうも相当な警戒をしてくるだろう」

「ええ。なので少し日をあけて……、そうですね。三日後にまた行ってみようと思います」

 しれっと彼らに指定した日を提示する。こうも自然に提案されると、まさか狙って言っているとは露とも思わないだろう。

「しかし、ユーナ。依頼したのは確かに私だが、ここまで事態が動いてしまった以上、やはりこれ以上は巻き込むわけにはいかない」

 いつも穏やかな、人を食ったような笑みを浮かべていることが多い彼の表情はとても硬く、真摯な視線を投げかけてくる。

 その表情は焦りをにじませ、動揺しているようにも見える。

「リークさん。……ありがとうございます。でも、お願いします。行かせてください」

 由那が彼の立場でも同じように止めるだろう。でも、ここまで首を突っ込んでいて今さらだ。もう無関係とは言えない。

「心配して下さるのは分かります。でも、自分の受けた任は最後まで責任をもってやり通すというのが私の信念でもあります。いいえ。それ以上に町の、まったく関係のない人たちを犠牲にするやり方は絶対に許せない。

 あの時、町で接触した女性、ローザさんとおっしゃるんですけど、別に私は彼女と懇意の友人というわけではないですし、アットルテに通い始めて知りあっただけのほとんど他人に近い女性です。あの店に行かなければ、本来会うこともなかったと思います」

 そう。この町に、そしてフィスフリークに言い包められなければ、彼女と会うことはなかった。

 でもそれは、フィスフリークたちと何が違うというのか。

 彼らとて、本来会うことなどなかった人たちだ。あの町で、レハスの町を出るときにカイルの厚意という名のお節介を受け取らずに転移していれば。ギガルデンがルティハルトの王族に目を付けていなければ。理由を上げればきりがないが、そもそも生まれた世界さえ違うのだから。

「ただ私は、彼女の輝きを失った瞳がひどく痛いと思いました。意識が混濁した言葉を聞くたびに、耳を塞ぎたくなるとも。あんな風に、あんなことになっている人が、彼女の他にも大勢いるのだと聞いただけで心が締め付けられるように苦しくなります。泣きたいくらいに、ここが、胸が痛くなる。

 今回の被害者の中に、私の知り合いは恐らくいないでしょう。でも、被害を受けた人を間近で見て心を痛めない人がいるはずがない。目をつむってしまえる人間が、いようはずがない。もし、そんな人がいるのだとすれば、その人は人間じゃない。悪魔…いえ、魔物の心を持っている非道としか思えません」

 整った顔を歪ませて言葉を吐きだす由那は、いつもの冷静沈着な彼女ではなかった。理性のタガがはずれてしまったように、感情のまま、心のあるがままに気持ちを打ち明け、被害者たちを憐れむ気持ちで覆い尽くされている。

「危険は百も承知です。でもじっとなんてしていられません。して…いられないんです」

「…………」

「大丈夫です、信じて下さい。決して悪い結果にならないよう尽力しますから」

 だから、お願いします。

 切に願う由那の懇願は、周囲の長い沈黙の末、諦めたように肩をすくめるフィスフリークの頷きによって了承されることとなった。


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