第一章・第四話 リスクードの湖畔13
夕餉の後。やはりフィスフリークに振り回されたのだろう、げっそりした顔のウィラルーアとエフィナを置いて、由那たちは予定通り庭園へと赴いた。
昼間とはまた雰囲気が異なる、静寂に包まれた庭園。
やわらかな月光に照らされ、静かな夜のひと時を安らぐ花々を存分に堪能した後、二人はポーリアの咲く区画へと向かった。
「足元に気を付けて。ここは少し足場が悪いからね」
「はい」
「さあ、ここだ」
「――っ、ぁ……」
足元に注意が集中していた由那は、フィスフリークの呼びかけと共に顔を上げる。そして、目にとめた途端、周囲を彩るポーリアのあまりの美しさに言葉を失ってしまった。
月の光を浴び、自らも淡く青白く光を放つ花々。昼の間は沈黙を保ち、強すぎる陽の日差しから隠れるように蕾を閉じていたポーリアの花たちが、一斉に天を仰ぎ、光を注ぐ。光自体はそう強いものではなく、人の陰で消えてしまいそうなほど儚いものだったが、その神秘的な光に思わず目を奪われた。
「姫君のお気に召したかな?」
はっとして仰ぐと、満足そうに花以上にインパクトのある美しい微笑みを浮かべたフィスフリークと視線が合う。
「ええ……。あまりの美しい景色に思わず見惚れてしまいました。どこか懐かしく、いいえ。幻想的で、とても素敵です。凄く胸がドキドキしていて、なかなか収まりそうにないです」
胸元に手を当てながら、興奮の冷めやらぬ由那はため息を一つ吐く。感動を噛みしめながら瞳を閉じてしまえば、特に深く追及はされなかった。
「あ。そうでした。誘ってくださってありがとうございます。フィスフリークさんがお勧めして下さったとおり、とても素敵な場所ですね」
「それはよかった。本当は昨日の、満月の夜がもっとも美しく映える時だったのだけど、そう言ってもらえると誘った甲斐があった。それに私としては、花よりももっと素晴らしいものを見られたことでもあるし」
「?」
「そろそろ移動しようか。少し風が出てきた。ここはとくに冷えるから、あまり長居はすべきじゃない。向こうの室内のベンチならこの庭も鑑賞できるし、寒さも防ぐことが出来るからね」
「――……、そうですね」
含みのある顔を向けられたことに対する疑問を、さらりとかわされてしまったことに少し不服感を持ちつつ、深く突っ込んでも答えてくれそうにない彼に諦めて頷く。色々とつついて藪蛇になったら目も当てられない。
実は、この場へ来る前に少々険悪な雰囲気になったこともあり、気まずい流れに持って行くことを避けるためにも、由那は極力踏み込まないことを選択した。
「少し疲れさせてしまったかな」
「いいえ、そんなことありません。とても素敵でした。本当に楽しかったです。ありがとうございました」
「こちらこそ。このように可憐なご令嬢とのひと時を味わえたことは、紳士として光栄の至りだよ」
「くすっ。フィスフリークさんはお世辞がお上手ですね」
「これは参ったね。本心からの言葉なのだけれどな」
「ふふふっ」
くすくすと笑いながら、外づらモード全開の由那は可愛らしく口元に手を当てて見せる。引き続き、『永遠に少女』のあの人モードだ。
「失礼」
エスコートしていた手を外し、フィスフリークは胸元に飾られていたハンカチを取り出す。
一体何をするのかと思いながら見ていると、それを素早く庭園のベンチに敷き、再び手を取るとそこに促し由那を座らせた。とても些細なものだが、素ではなかなか出来ない心遣いである。
気障と思われがちで、やれば引く引くと女性は言っている行動でも、実際にされると意外と細やかで嬉しいものだ。好意を持つかどうかは別にしても。
由那の周り、特に理美や真希が海外の俳優に憧れていたのは、こういったレディーファーストの精神が惹かれた理由でもあるのだろう。むろん、顔も然り。
彼女たちは暇さえあれば由那と彼らとの付き合いを妄想して、あれやこれやと勝手に騒いでいた。当然ながら、本人には迷惑極まりないものだったことは言うまでもないが、下手に手が届く家柄の生まれだったために、余計に始末が悪い。いったい何度、彼女らの妄想で多大なる迷惑を被ってきたことか。
今思い出しても気分が悪くなる。余計なことを思い出してしまったことに軽くかぶりを振り、早く払拭するため、由那は行く途中で綺麗に修繕されていた城内の様子を話題にふる。
「そういえば、城内もけっこう直ってましたね。この調子なら明日にはすべて終わりそうです」
「そうだね。しかし竜族の仕事は本当に早いものだね。その直情的な性格が影響しているのかな」
「ええ、ギールの場合はきっとそうでしょうね」
面白いことを言うフィスフリークに、由那もすかさずそれに乗る。どうやら、本当に二人は性格や思考パターンが似ているようだ。話していて苦ではなく、とても興味深い。
「修繕が終わったら、どこか向かう予定でもあるのかな? あのときは少し急いでいたように見受けられたのだけど」
「いいえ。特にはないですよ」
遠くに見えるポーリアや城の外観を楽しむ由那は、この時かなり油断していたと言っていい。ごく自然に問われた質問に、何の警戒心もなく自然と答えていた。
ついとコサージュの付けられた髪をつつく。先ほどから、これが気になって仕方がない。
夕餉の少し前、食後にフィスフリークと庭園の散歩へ出かけると告げた由那に、給仕のメイドさんたちが力を入れて着飾らせてくれたこのドレス、もとい衣装。由那としては動きづらくてかなわない代物でも、彼女たちやエフィナ、そして目の前のフィスフリークにも絶賛されては、じぶしぶでも着ていなければならなくなる。正直なところ、鬱陶しくて仕方ない。
食事中の格好も不敬にならない程度に気遣ってそれなりのものを、ウィラルーアが訪ねてきた朝の時から着ていたつもりだったが、どうしても実用性を考える彼女のそれは、他者の目からすれば少々飾り気の少ないものだったようだ。
散々、彼女たちからああだこうだと言われ、挙句の果てに着せ替え人形にされてしまった。
はぁ、と数時間前を回想して愁いのあるため息をついた由那に、彼女の心中など知る由もないフィスフリークは、さらりと新たなる爆弾を投下した。
「そうか。では、せっかくだし、このまま私と共に王都へ来ないかな?」
「!?」
迂闊だった。
ぶはっ。と、思いっきり吹きそうになる。油断していただけに、その破壊力は相当なものだった。
辛うじて防げたのは、由那の日々鍛え上げていた並々ならぬ精神力の賜物だ。
流れが、格段に悪い方へと進みだした。
「あ、の、それは……」
「うん。それは?」
まるっきり警戒心のない、穏やかな眼差し。木漏れ日のような朗らかな微笑みを浮かべられれば、続けるべき言葉が出てこない。
「………」
つくづく自分と彼は似ているらしい。その憎らしくも整った面差しを見つめ、顔をしかめたまま暫し物思いに耽る。
言ってしまったものは今さらどう取り繕っても撤回することは出来ない。特に自分と同じ性格ならば、これを機に一気に攻め落とす気でいる筈だから。
深々と嘆息する。先が読めてしまう自分が憎い。現状をどうすべきか分かってしまうこの思考回路も。
「――…そう、ですね。見て、みたいです。ルティハルトの……王都」
震える声で返答する。言いながら泣けてきた。地でトホホと嘆いている気分だ。
「それは良かった。少し断られる予想もしていたからね」
しゃあしゃあと言い切るその憎々しさ。
恨めしげに、飄々としたその整った顔を睨みつける由那は、今度こそ深々と肩を落とした。
『なっ! 由那、それは真か!?』
「ええ。そうでぇしょうとも」
カッと目を見開く霊獣に、荒みきってしまっている少女はけっ、と一笑する。由那のみならず、女性として些かあり得ない悪態っぷりだ。
「にしても、えらく急じゃねえか? 何でんなことになってんだ?」
「お願いだから聞かないで……」
頭を抱え、うー、と唸り声を上げながらベッドに寝転がりもがいている様を見て、彼女の眷属たちは何となくその状況を悟る。これで判断できるほどには、彼らの付き合いは途方もなく長い。
危険な橋は決して渡らず、叩く前にまず転移して元から危険を回避する。そんな捻くれた思考を持つ由那の配下である彼らだ。こんな時は必要以上に突っ込むことはしない。それが絶対の鉄則。生き残ることが可能な唯一の道だ。
ぽすぽすと長枕に拳を叩きこむ由那。その代物が日本円にして一体どれほどのものなのか。今の彼女にはまったく頭にない。
近隣の町から離れているとはいえ、まがりなりにも王族の城に置かれている品だ。下手な二流品など置いてあるはずもない。とにかく触り心地が良い上質な生地を使用している。
「ふ、ふふふふ……。ふふふっ。ええ、良いわ。行ってやろうじゃない。こうなったらもう、腹くくって地の果てでも行ってやるわ」
突然。壊れたように狂い笑う。その瞳は強い怒りに燃えている。
やや自暴自棄になりつつある由那に、怯え顔の眷属たちは何も口もはさめずにいる。彼らが出来たことといえば、ただ肩を落とすことだけ。
そんな眷属たちの様子など見ていない由那は、しまいには体をくねらせ、足をバタバタとさせながら激しく暴れ回っている。らしくなく取り乱す様子は、見ているシャオウロウたちを冷静にさせるほどの狂い様だ。
それだけ、フィスフリークにしてやられたことが悔しい。その上、自身が警戒を怠ったという失態も、二重の不覚として捉えている模様。
「はぁ……」
一通り暴れ回った後。まだむすっと不機嫌そうな表情のまま、由那は天蓋ベッドの天井をじっと眺める。ふわりとベッドを包むのは、淡いピンクとオレンジの配色が程よく調和した柔らかなカーテンレース。それを支える柱は白く、まわりの調度品もそれらに合うようにデザインされ、かつ一つ一つが調和を打ち消すことなく、個性豊かな可愛らしいデザインのアンティーク家具が置かれている。
カブリオールレッグのカウチやコンソールを始め、チェストやキャビネット、ブックシェルフなど、それらすべてがロココのデザインに類似している。最初に通された部屋の調度品は、もう少し落ち着きのあるクラシック調のデザインだった。
周りはごてごての姫気分。恐らくこの仕様も、由那の苛立ち、気落ちする原因になっている。
しかし、一体だれの趣味だ。こんなのが趣味なのは、おそらく頭の中お花畑の人種だけ。由那とは十中八九、趣味どころか話すら合わないと思う。
「ねえ、シャオ。ギール」
ぷはっ、と口腔内に溜めた息をはく。見つめるその瞳は、ことのほか真剣な色が宿っていた。
「私、フィスフリークさんの誘いに乗るよ」
「はぁ!? おま、何言って――」
『銀の神竜』
静かに告げられた一言。驚くギガルデンとは裏腹に、シャオウロウはいたく冷静だった。
由那に詰め寄るギガルデンを、彼の字で平静に呼びかける。
「! けっ。何だよ、……白の霊獣」
視線を合わせただけで言い合いになる二人が、その目線を合わせる。
『我らが主の下した結論だ。眷属たる我らは、ただそれに従うまで』
感情を抑えた低い声音。その胸の内、本音をひた隠し、由那の意向を優先させる強い覚悟が窺える姿勢に、眉間に深々と皺を作るギガルデンはちっと舌打ちをする。
まっすぐにスカイグレーの瞳を見据える漆黒に、わーったよ、と言いながら頭を掻く。
整った顔に浮かぶ苦い表情は、もちろん納得していない。だが、ギガルデンはそれ以上何も言わなかった。
「そういう事で……ね、ギール。明日も修繕頑張ってね」
ちょいちょいとギガルデンを呼び、軽く肩を叩く。
含みのある言葉に、思わず顔が引きつったギガルデンに心底満足げだ。
「シャオは荷物をまとめておいてくれるかな。私は朝一にフィスフリークさんに了承の返事をしてくるから」
『うむ。了解した』
気の良い返事に軽く頷き、由那は穏やかな笑みを携えて部屋を出ていく。彼女が向かう先は、隣室のクローゼット。まったく気は進まないが、そこに用意されているであろう明日用のドレスを確認するためだ。
この国の正装がまだエンパイアスタイルに似てるだけ良かった、と思わなければやっていられないほど過度な装飾。けばけばしいデザインのドレスの上にコルセットで締め付けられたら、それこそ冗談じゃない、だろう。
室内に既に用意されていた一着。これは恐らく、先ほど由那を着飾らせていたメイドたちが出したものだろう。明日のセットもぜひ私たちに、と、そのときの彼女らの目の輝きといったら、もう凄まじいものだった。
「………」
思い出し、心底げんなりする。夕餉の支度で玩具にされた時の煩わしさは、相当なストレスとなってしまった。
さすがに明日の着替えは自分でやると言い逃れたが、その時の彼女たちは実に残念そうな表情をしていたので、せめてドレスだけは、とひときわ目立つ一着を用意してくれたらしい。その心遣いは、全然まったくありがたくない。
「うわぁ……」
これ、着るの。と、一人つぶやく由那。びらびらで煌めくそれを手に、彼女はしばらく動くことが出来なかった。
それから程なく。
隣室のシャオウロウたちの耳に、深々としたため息が聞こえたとか、聞こえなかったとか。
閑話13.5があります。