第一章・第四話 リスクードの湖畔12
会場とウィラルーアの有無こそ違えど、二日前の夕餉の席とさして変わらないメンツがそろった朝餉の席。
着席しているのはフィスフリークとウィラルーア、そして由那の三人だが、給仕には変わらずエフィナ、そしてギガルデンの話に涙していたメイドたち。なんだか、もう馴染みの顔だ。
「しかし、ユーナが銀の殺戮……、いや。ギガルデンと顔見知りで本当に助かったよ。ユーナにはまったく頭が上がらないね」
「兄上。兄上がそこまでおっしゃられずとも良いのではないでしょうか。本来、お礼を申し上げるべきは俺なのですから」
「兄……? ああ、やはりお二人はご兄弟だったのですね」
煩わしく憂鬱で、気分はどん底まで低下していたが、少しでもよい流れへ持っていこうと話題に食いつく。
その容貌を見れば、一目瞭然とばかりに二人の容姿はそっくりだ。だが、由那はあえて少しオーバーに驚いた素振りをして得心する。もちろん、その先の反応が分かってこその質問。
「兄弟も何も、見れば普通にわか――」
「ウィラ。レディーを前にして、その口調はどうかと思うが?」
「い……っ!」
すかさずフィスフリークの窘める声がかかる。さりげなく、由那からは見えない位置を狙って抓られた腕が痛そうだ。手が伸びた時点で、聡い由那は気づいていた。
しかし、どうやら彼は、まさに完全なる由那属性であることが明らかになった。そして弟のウィラルーアも、完全なるカイル属性である、と。
はあ、と心の中で落胆しながらも表情は平時のまま。上品に朝餉を頂き、さり気なく、かつそつのない由那は朗らかな視線を向けた。
「こうして湖畔と、そして綺麗な花たちを眺めながらの朝食は良いものですね。何という名前でしたっけ。アナンシア大陸の国が原産の」
「ポーリアだよ。ああ。昨夜は申し訳なかったね。せっかく満の月夜で絶好の日だったというのに」
「いいえ。昨日は色々とお忙しかったでしょうから、あまりお気になさらないでください。わざわざ使いの方を伝えて下さって、かえってお気を煩わせてしまいました」
「まったくそんなことはないよ。ああ、そうだ。それならば、私に名誉挽回のチャンスを与えてはくれないだろうか。今宵こそ其方と月下の下、ポーリアの花を鑑賞する幸福をぜひ私に」
弟へのどつきをかすりもせず、続くのは少々芝居がかった台詞の往来。そのやり取りも嘘くさく、形式ばった会話でしかない。
大袈裟なくらい優雅な仕草で胸に手を当てる道化師、もとい、この国の王族。
彼の仕草に半ば本気で呆れながらも、どこか可笑しげに由那は笑う。挑戦的ににやりと、相手を挑発する期待のまなざしを向ける。
「ええ。今宵月下の下、ぜひ私をエスコートしてくださいな」
ちょっとお嬢っぽく両手を膝前で重ね合わせ、あまりけばけばしくならない程度にしなを作る。
自分こそが愛でられるべき花。そう思っている、まさにこの世界の姫君のような心持で挑む。直接姫という人種に会ったことはないが、たぶんこんな感じだろう。もともと家族に似たような人種の人がいた。
とはいえ、自分自身に悟りを開かねばちょっと口に出来無い台詞だ。よくあの、『永遠に少女』のあの人は、あのままで平気に歳を重ねてこられたものだと、彼女が生粋の日本人だったかと余計な事まで疑ってしまう。
あまり楽しくない回想に少しばかり眉間にしわが寄る。
はっと慌てて正したのは、一瞬のうちだったので、よほど観察されていなければ気づかれることはないだろう。
「ああ。是非に」
特に気付いた様子もなければ、突っ込まれることもなく、お互いが口角を持ち上げたところで会話は打ち切られた。決して笑っていない視線を、にこやかに合わせながら。
「――…、あ。そうだ」
そこはかとない気まずさを感じていたらしいウィラルーアが、場に落ちた沈黙を破る。
見つめ合っていた由那とフィスフリーク、それに静観しているエフィナたちまでもが彼に視線を送る。
「セテが、いやセテだけじゃないけど、あまり長く王宮を空けられるといい加減に困るとかガミガミと文句を募ってて。俺が城から出立する際も、それはもう散々と聞かされました」
「そうか。あれは少し過保護だからね。他の候たちはともかく、セテの説教は長いから勘弁してほしいな」
げっそりした風でウィラルーアが告げると、ふぅ、と苦笑するアズライトの瞳は、まんざら嫌な風でもなく肩をすくめる。落ち着いた声音は、どこか親しみが込められている。
親愛というのか、そんな絶対的な信頼を寄せている相手のように感じたが、口を挟むのは憚られて黙ったまま聞き役に徹する。
「恐れながら、フィスフリーク様。セテ様のお言葉は最もです。王宮を離れてもうじき2ヶ月にもなられては、さすがに臣下への示しがつきません」
「私としてはちょうど良い骨休みなんだけどな」
「2ヶ月……」
エフィナの進言に笑って答えるフィスフリークは、どうみても話半分に聞いている。それがいつものことなのか、エフィナもウィラルーアもあまり呆れていない辺りが、おおよそ外れてはいないようだ。内心、少しばかり二人に同情してしまう。
唯一呆れて眺めているのは由那だけ。周囲にもそう見て取れただろう。だが、肝心の胸の内はまったく違う。
2ヶ月前。それはちょうど、由那がレハスの町に溶け込んできた、町で失踪事件が起こる少し前の頃。シャオウロウが彼奴の気配を感知したと言っていた時の頃だ。
なるほど。と、由那は人知れず口元に笑みを浮かべる。
どうやら目の前のこの青年は、国民をとても大事に思っているようだ。むろん、その弟である少年も。
恐らく彼らは、この2ヶ月間ギガルデンに狙われていた。理由は然り。そしてそれを防ぐ、もしくは犠牲を最小限に抑えるために、こんな極東の王族所有の地へと避難していたのだろう。
なるべく人を巻き込まないために、かつ最低限の抵抗勢力は確保しつつ、竜族との駆け引きを2ヶ月も続けていた。
「フィスフリーク様。ご自分のお立場というものを、もう少し自覚なさって下さい。それに、もともとここへは殿下が避難されれば事足りたのですよ」
「まったくエフィナの言うとおりです、兄上。銀の殺戮竜に狙われていたのは俺なのに、兄上までここへ来られることはなかったんです。それに、兄上がおられなければ中央の統括に不備が起こってしまいかねない。セテが小言を言うのも仕方のないことです」
「そうは言ってもね。最初に目を付けられていたのは私だったじゃないか」
「………」
少々激化し、エフィナとウィラルーアから責められるフィスフリークを盗み見る。だが本人は打って変わってのらりくらりとかわす。ひじ掛けにもたれ掛かり、余裕綽々と微笑みを浮かべるオプション付きだ。
その仕草がまた様になっていて、腹立たしくも妙に脱力してしまう。こんなのを見せられれば敵も増えるだろうに、何故だか刃向かう気が起らないのが不思議だ。彼の人柄、いや。特技といっていい。やはり顔が良いのは得だということか。
しかし、あまりにさらりと言い切るアバウトな物腰に、本当に民のことを考えての避難だったのかを少し疑問に思ってしまう。何だか明らかに私情が上回っているような気がするのは、由那の気のせいならいいのだが。
「案件は全て不備なく処理しているし、書類漏れもなく職務は順調にこなしている。リスクードは多少王宮から離れているとはいっても、必要書類は全て巫術で速やかに伝達、そして保護も万全であるから何過不足なく処理はなされている。中央の政も、王宮にはセテ以下、優秀な部下たちがしっかりとやってくれているよ。彼らは私の信用ある官だからね。何も問題はない。たとえ多少の不備があったとしても、まあ、それはそれで迅速な対処を考え得る事の出来る者たちでもあるしね。
さて。これらの一体何処が王宮にいた頃と違っているのだろうね。私は何一つ違うことなく責務は果たしていると思うが?」
淡々と、笑顔を損なうことなく言い切るフィスフリーク。本人にしたら説明なのであろうそれは、どう見ても脅しにしか見えない。
似たような手段を強いた覚えのある由那も、さすがに傍観とはいかず、ひきつった笑みを浮かべる。その心中は、過去に取った己の行動を見直しているにちがいない。正直、かなり心臓に悪い。
人は、状況を客観視することで初めて見えてくる部分があるというのはまさしく事実で、由那はこの状況に半ば反省のようなものを覚える。まあ、改めようという気は起こらないまでも。
「……あの」
遠慮がちになげた問いかけ。戸惑った素振りを含むそれに、フィスフリークは優しげな視線を注ぐ。
「ああ、すまない。こんな話を朝餉の、それも女性と共に過ごす席で話すべきではなかったね」
エフィナとウィラルーアに目配せするフィスフリークは、とてもじゃないが、そう口で零す言葉を思っている風には思えない。
由那は曖昧にはあ、と返事を返すものの、まったく納得していない。彼を追う視線が、尋常ならぬ鋭さを帯びる。
「そうだ。せっかくだし、朝食が済んだら城内を案内しよう」
先ほどと同様、エスコート役をぜひ私にと一礼するフィスフリークに、驚いて見つめ返したのは由那だけではない。
「なっ……、フィスフリーク様!」
「兄上っ! っ、しかし、本日の職務はどうなされるおつもりですか」
由那以上に驚愕の表情を浮かべる彼ら。詰め寄る部下と弟に、本人はいたって平静だ。のほほんとした笑みさえ浮かべ、さらにはトドメの言葉を投下する。
「それならば心配あるまいよ。城の修繕を免れることが出来たウィラがすべて責任を持って片してくれるだろうからね」
「………」
そうだろう、ウィラ。とでも告げている含みのある視線。
兄にじっと見つめられ、心底脱力したウィラルーアの深い、それはそれは深いため息と共に承諾はなされた。
「だそうだから、ユーナ」
「え? あー……、そうですね。では、お願いします?」
「ああ」
もちろん。と、語尾に音符が付きそうな了承に、乾いた笑みを張り付ける。下手なことを言わない方がいいと本能が告げている。
さすがに自分はここまでひどくはないと思いながら、半ば放心気味のウィラルーア、額を抑えたまま深々としかめっ面をしているエフィナを心底憐れむように視線を向けた。
「すみません、フィスフリークさんをお借りしてしまう形になってしまって」
あまりにも不憫で掛けた言葉は、深いため息が返されるだけでそれ以上の反応はなかった。
しかし恐らく。この場にシャオウロウやギガルデンなど、由那の性格を知る者たちがいたならば、皆口をそろえて答えるだろう。
由那もさして変わりはしない、と。
「さて。ではお手を、ユーナ」
すっと差し伸べられた手。色白で細く華奢な、しかし意外としっかりとして骨ばっているすらっと伸びた手に自らの手を重ねた。
その瞬間だった。
「お食事中に失礼いたします。エフィナ様、王都より至急の文が届いてございます」
若干息を切らせながらも慌てた様子を見せない執事風の男がフィスフリークとウィラルーア、そして由那にも礼を取ってからエフィナへと駆け寄る。何やら急ぎの様子で、ずいぶんと荒い仕草で書状を渡している。エフィナも受け取るなり間髪をいれず読み、すぐさまフィスフリークへと向き直った。
「フィスフリーク様。セテ大臣閣下より至急の御用向きです。2ヶ月にわたる一件の報告書を速やかにまとめ、大至急王都へと帰還せよとのことでございます」
量から見るに、つらつらと長く文章が連ねてあるように思えるが、おそらく彼女が添削したのだろう。端的にスパッと言い放った。
その無駄のない言葉に、由那の手を取っていたフィスフリークはくすりと小さく苦笑した。
「はぁ。セテのことだから早いとは思っていたけど、まさかここまで早急に文を送りつけて来るとは思わなかったよ。まったく。城には大変優秀な風の巫師がいるようだ。いや。才が過ぎた者が多すぎるな」
まったく、無粋だね。
諦めたようにつぶやいた言葉は、隣にいた由那だけが聞き取った。
「申し訳ないね、ユーナ。私から誘いながら、また反故にする形になってしまって」
「いえ。私のことなら気にしないでください」
むしろ強引に推し進められていただけだと心の中でのみ付け加える。
「ありがとう。そう言ってもらえると助かるよ。ああ、でも、今宵の約束は必ず守るよ。夜までには終わらせられるだろうからね」
「わかりました。でも、無理はなさらないでくださいね」
「そうだね。無理は体によくないからね。ああ、残念だが、昼餉は共に出来そうにないようだ。すまないね、彼女らに部屋に運ばせるように指示をしておくよ」
「お気づかいありがとうざいます。フィスフリークさんたちも、忙しいからと食事を抜いたりはなさらないでくださいね。食物は人の糧ですから」
「ありがとう。んー、そうだ。なら、夕方には終わらせるから、昼餉は無理だとしても夕餉は共に頂こう」
「………」
『終わらせられる』から『終わらせる』に変わった。しかも、夜から夕餉前に短縮。
分かっているのか、いないのか。この様子では絶対に強行する気がする。彼の所業を予想しているらしい部下二人も、すでに諦めた顔をしている。
彼を仕事に引きとめられたことが良かったのか悪かったのか。その答えは、彼らがその身をもって知ることとなるだろう。