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時の息吹  作者: 立羽
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第一章・第四話 リスクードの湖畔09

 完璧に朝食の代わりとなったティータイムを過ごし、もう少しだけ庭園を鑑賞して行くという流れで、傍らに寝そべっていたシャオウロウを連れだって由那が席を立とうとしたちょうどその時。肌にビリビリと響く、非常に強い怒気が肌に痛く走った。

「!?」

「……っ!!」

 咄嗟に周りを見渡すと、シャオウロウやフィスフリークのみならず、給仕をしていたメイドたちも直に衝撃を感じ取ったようだ。

 いや。むしろ巫術に耐性の低い彼女らの方が、受けたダメージは強いだろう。

 フィスフリークは少なからず巫の力を有しているため、それほどではない。むしろ彼は、巫師としても十分大成できる能力がある。力の扱いもそれなりに修練を積んでいるらしく、自分のみならず周囲の人間も自らの力で庇っている。むろん、彼が庇いきれない者たちは由那がフォローをしている。

 しかし、突如として発生したこの禍々しい怒気。強大で強い影響力のある、だが同じくらい大きな粗もあるこれは、言わずもがな。ギガルデンのものだ。

 一体何が起きて再び暴発したのかは知らないが、何やら昨日よりも怒り心頭の様子。少々急いだ方がよさそうだ。

「シャオ。行ける?」

『む。仕方あるまいに』

 なんとも世話が焼ける、とぼやきながら背を傾けたシャオウロウに乗ろうとした由那は、ふと視界に入ったフィスフリークを見て軽く息をつく。

 特に何も発していない彼だが、その視線を見てしまえば何を言わんとしているのかが分かってしまう。

 静かなる要望に、諦めて頭を振った。

「シャオ。彼も一緒に乗せてもらえない?」

『この小僧もか?』

 不可解と不機嫌な顔。はっきり乗せたくないと顔に書いてある。

 それもそのはず。主人である由那ならまだしも、よりによってルティハルトの王族などたまったものではない。口にせずとも、沸々とその文句の様が聞こえてくる。

 でも他ならぬ主の頼み。多少不満は残るものの、由那の望みに沿いフィスフリークを伴って大地を勢い良く蹴る。

「シャオ、悪いけどもう少し急いで。今回はちょっと本気みたい……」

『――…承知』

 まったく、とでも言いたげに、でも逆らわずシャオウロウは速度を上げる。

「本当に、どれだけ世話を掛けさせたら気が済むのかしらね」

 伝わってくるギガルデンの怒気よりもぞくりと怖気のする雰囲気。彼女の中ではきっと大風が荒れ狂っているに違いない。

 目がまったく笑っていない微笑みを浮かべ、由那はこれから向かう先をじっと見据えた。





 由那たちが昨日の場所、ギガルデンが修繕を行っていた城の屋上に到着した時。そこにはすでに常人では手の施しようのないほどの怒気が場に充満してた。

 怒りに我を忘れているギガルデンと相対していた者は二人。

 一人は昨夜夕餉を共にした、所用でフィスフリークから離れていた宮廷巫師のエフィナ。そしてもう一人は面識のまったく無い少年。輝かしい金髪と青と赤の相反するオッドアイの瞳を持つ15、6の年の頃の少年だった。

 ギガルデンの怒りは、どうやらその少年に向けられているようだ。凄まじい殺気の籠る視線を睨めつけている。

「ギール、一体何をやっているの。今すぐ怒りを抑えなさい。城の人たちや、いいえ。この勢いなら恐らく、その周辺まで被害が及んでしまっている。このまま放出し続ければ人々に影響することくらい、あなたにだって分かるでしょう」

 シャオウロウの背から飛び降りた由那は、慌てて少年とギガルデンの間に割って入る。

 だが態度とは裏腹に、由那は昨日と同様、落ち着いた様子でギガルデンを諭す。

「忌まわしい人間のクソ餓鬼がっ! その魂、塵すらも残らないものだと思え!」

「…………」

 しかし怒りの矛先である少年がいるせいか、彼はその怒りを簡単に収めない。むしろ相対している少年を鋭く睨む始末。

 これにはさすがに、温情ある余地を残しながら説得する由那の表情にもひびが入る。今すぐ鉄拳制裁してしまいたい衝動に駆られたが、原因を明らかにしなければ事態を収束することが出来ないことも配慮に入れている。

 それに、今の彼はいくら説得しても怒りを収めそうにない。

 どうするか悩んだ挙句、何故こんな事態を起こしたのかをとりあえずギガルデンから詳しく聞くことにした。

「はぁ…。一体何があったの? ここまで怒り、暴れ狂うのにはそれ相応の正当な理由があるからなのでしょう。まさか本当に私の意思を忘れて通り名のような殺戮者になったというのなら、問答無用で制裁するけど」

「んな大事なこと忘れるか! 俺様だってそこまで落ちてねぇよ。

 この餓鬼は、この下等な餓鬼は俺様の同胞を無残に斬り殺した敵だ。我ら気高き竜族を斬ったその罪は海よりも深いものなんだよ。えぇ!? このクソ餓鬼が!」

「待ちなさい、ギール!」

 言い終わるか否かで、いきなり少年を襲おうと臨戦態勢に入ったギガルデンを寸前で止める。

 彼が人型を保っていなければ恐らく少年は塵と化していただろう。いや。そうなる前に、不本意だろうとシャオウロウが止めに入ってくれはしただろうが。

「そう。分かった。この金髪の彼があなたの友人を殺したのね。でも、彼だってなんの理由もなく竜族を殺しはしないでしょう。竜族を殺すことも、人を殺すことも同じ罪。何か理由がなければそんなことしないはずなんじゃないかな」

 そうでしょう? と、落ち着いた口調で、由那はギガルデンに迷いを持たせる。

 こんなところでギガルデンに最終奥義でも放たれては堪ったものではない。今はとにかく諌める方向性で話を進める。

「彼の言い分をあなたは聞いたの? ねえ、ギガルデン。もしかしたら、あなたは何か誤解をしているだけなのかもしれないでしょ。彼には何らかの理由があったのかもしれない。それに、この少年はあなたの友の最期の声を聞いているかもしれない。

 ねえ、ギール。そんな理由を聞かずに、あなたは本当にこの少年をその爪で殺めてしまうの? 何かを知っているかもしれないこの彼を、その情報を得ることなく永久に闇に葬り去ってしまうというの?」

 実に恐ろしいことを淡々と揶揄する由那に、その話の矛先である少年は思わず息を飲んでいる。

 まさか助けに来たであろう少女が、己を殺そうとしている竜に加勢するとは思ってもみなかったのだろう。由那自身にその気はなくとも、この言い方ではまるで、『情報を聞きだしたら好きにれ』と言っているようなものだ。

 少年を庇うように彼の傍らに佇むエフィナ、そしてシャオウロウの背から降りたフィスフリークも、これには唖然とした表情だ。一体何を言っているのか、と。

「そんなもの聞かずとも分かりきっている! あれは、わが友エルグインは、禁を犯した人間共の一掃を担う竜族だ。本来ならば八つ裂きにするべき禁足地への侵入を、その懐深き心で許し、下等種族にも慈悲を傾けて来た尊敬すべき竜族だ!

 その友を、このクソ餓鬼は…。この下等種族は…っ!!」

 再び少年に牙をむこうとするギガルデンを抑え、由那は深々と息を吐く。

 ほんの少し、軽く脳震盪を起こす程度に鉄拳を食らわせ、とりあえずこの馬鹿は黙らせておく。そして、若干すっきりとした面持ちでくるりと向き直ると、今にも倒れそうな面持ちで硬直している少年を見つめる。

「あなたは竜殺しをなさったのですね。でも何故そのようなことをしたのか、理由を話してはもらえませんか?」

 由那はことさら丁寧に問いかける。その理由は追々分かることだが、それはひとまずこの事態を収束させてからでも遅くはなかろう。

「そ、それは…」

 少年からギガルデンが見えないように少し立ち位置を変えたことも幸いしたのか、穏やかに促す由那の問いかけに若干震えた口調で少年はぽつぽつと答え始める。気が動転していることも含め、彼の話は要領の得ない説明となったが、掻い摘んで話すと恐らくこういうことだ。

 この少年は確かにギガルデンのいう竜を殺めた張本人で、しかしそれは不可抗力のものだという。彼が進んで竜に手を出したのではなく、それよりまず先にエルグインと呼ばれた彼の竜が人々を手にかけ、人里に相当な被害を及ぼしていた。

 里の者が禁足地に入り込んだのは事実だったが、何故かその時エルグインは禁を犯した人を無傷で返したそうだ。しかしその数日後、竜が禁を犯した者のいる里を襲い始めたらしい。

 あまりの被害に王都からの救援も派遣され、竜族と意思疎通が可能な巫師の必死の説得もなされたが、エルグインはまったく耳を貸そうとせず、人々を手当たり次第に襲い続けた。

 止める術なくただ無残に引き裂かれていく人々。それを何とか止めようと少年は民を守るため、死闘の末に止む無しと竜に止めを刺したのだそうだ。

「人を無作為に襲う竜を、だと? …んな、そんな出任せ信じられるわけねぇだろうがっ!」

「ギール!」

 再びかっと血が上ったギガルデンを、いい加減にしなさいと由那は先に牽制する。

「…っち。あいつは禁を犯した下等種族に当然の制裁を与えてやったんだ。そんなんに理不尽もクソもねぇだろ。惨殺されようがなんだろうが、禁を犯したんだから当然の罰だろうが。勝手に話作ってんじゃねーよ、洒落臭せー」

 由那の手前、少し抑えた口調だったが、口汚く言い募る彼を何とも哀れなものを見るような目で静かに見つめる。その視線に気がつかない彼は腹立たしげにギロリと少年を睨む。人型を取っているだけまだマシな方だが、この場を満たす鋭い怒気は人には辛いものがある。

 ちらりと様子を覗うとフィスフリークやエフィナ、そして怒気を一番に受ける少年はとても辛そうな表情をしている。

 もっとも、その矛先である少年は青ざめた顔と言うほうが的確だ。

「う、嘘は言ってない。た…確かに彼の竜が暴れていて、俺は仕方なく…」

 ギガルデンの発する怒気に呑まれたのか、少年は唐突に身の潔白を訴える。

「!?」

 まさか由那もここで少年が口を挟んでくるとは思わなかったので、これには目を見開く。

 ただ純粋に驚いたのではない。何故今、このタイミングで言葉を返すのか。ようやく下火になりつつあったギガルデンの怒りに、まさかの油を注がれたことに対して驚愕だったのだ。

「――…っ、くたばりやがれ! 下等な虫けらがぁ!」

「まっ…、ギール!」

 当然、火炎となった怒りは一瞬にして爆発した。由那の制止も耳にせず、彼は少年目掛けて襲いかかろうとする。

 だが。

 ギガルデンが少年の胸倉をつかもうとしたその瞬間。ぱん、と何かを叩いたような鋭い音が辺りに響いた。

「……っ?!」

 じんと痛みが現れたのは、その少し後。恐らくギガルデン本人も、その衝撃に初めは困惑しただろう。しかし、その衝撃が止まない内にもう一度、今度はその反対側に鋭い衝撃が走った。

 ぱしん、と何かを強くぶつ音。

 それは、由那が平手がギガルデンの頬を強く打った音だった。



「あ…るじ?」

 由那が叩いた痛みなど、竜族である彼には微々たるもの。しかし勢いよく叩かれた頬の衝撃に、ギガルデンは呆然と頬を抑えながら由那を見つめる。

 いつ如何なる時であろうとも、常に穏やかな微笑みを携えた由那。だがその表情が一切消え、彼女は悲しむように怒りを露わにしていた。

「ギガルデン!」

 全身が小刻みに震えている。腹の底から怒りが湧きあがる。体の芯から強く鋭く響く声で、怒号の怒りをギガルデンに向ける。

 悲しく、もちろん怒ってもいた。

 しかしそれよりも。やはり最も大きかったのは、悔みだった。

 キッとギガルデンを睨み据える。その目に涙は浮かんでいない。だが、揺れる瞳がひどく弱々しく映る。

「私は…、私はあなたに何と言った!? まさか古の誓約を忘れたとは言わせない!

 人とは脆い存在。我らが守り慈しむものである。また、己が強者と自惚れることなかれ。自らにも弱き心があるのだと理解し、力弱くも心強き者たちを思え。思う心はすなわち武力以上に強き力となることを忘れるな。

 …私が再三に説いてきたことをまさか忘れてはいまいな?! 私の思いを、その意志を、忘れたなどとは言わせない!!」

 あまりの怒気に激変し、完璧に我を忘れている。普段穏やかな彼女の口調は、頭痛をおこすほど激しく大声を発する。

 国の要人が見ていることなどすでに頭にはなく、怒り心頭に発している由那はさらにギガルデンを責める。

「再び忌むべき殺戮竜の名で呼ばれ、その上、友の行いを知りながら止めもしないなんて…っ、あなたの行為そのものが愚行だと思いなさい! 結果、逆恨みし、あまつさえ愚行の報いで命を落とした友を、命を奪ったからという理由で正当な判断を下した者の生を断とうとするなんて思い上がりもいいところ。敵打ちなどという勘違いにも甚だしい行いをするよりも何よりも、まずは己が過失を真っ先に恥ずべきでしょう!

 確かに殺すことは罪。彼にも非はないとは言わない。けれど、それ以上に友の行いを止めることが出来なかった罪はさらに重い!!」

「――…っ」

 まったくの正論に、ギガルデンはぐうの音も出ない。むしろぴしゃりと言い当てられたことで、怒りがさっぱりと洗い流された。彼の形の良い眉が歪められる。

 友の命を奪った少年を恨むよりも何よりも、彼の殺戮を止められなかった己を責めるべきだ。そう諭す由那の言葉が胸に鋭く突き刺さる。

 だが、ギガルデンは分かっていた。

 由那が告げるよりも前に、本当はもっと早いうちから、彼自身も心の中ではそれを理解していた。理解出来ていた。

 しかし、それでも。どうしても認めたくはないものだった。

「何故……。何故、あなたの友がこうなってしまう前に、あなたは諌めようとしなかったの。ギール」

 ギガルデンは分かっていない。いや。分かっていて、それでも目をそらしている。

 友を失うこととなった事態を悲しみ、そして怒る事をしていても。彼が決して後悔しないように、後悔など微塵も見せないように、平然と振舞っている。

 悔むことから目を背け、己の感情から逃げている。

 そう。彼は逃げているのだ。その事態を、友を失ったことを悲しみ、そして友を殺した相手を憎むことはしても。出来事から目を背け、彼自身が深い自責の念を抱いていることを認めようとしない。友の死を、それを防ぐことが出来なかった自身を深く悔んでいることを決して晒さない。

「あなたは何故いつもそうなの。本当に愚かで…っ、どうして、何故、分からないの……」

 苦々しく顔をゆがませる由那は、ギガルデンを、そして自分自身をひどく責めていた。

 彼がこんなことをしたのも、再び通り名で呼ばれるようになったのも、元はと言えば自分が彼をおいていってしまったから。彼に、彼らに辛く悲しい過去を負わせてしまったから。

 どうすることも出来なかった事だったとしても、かつて交わした誓約を破り、彼に感情を偽らせた原因は自分にあるのだ。

 それが悲しく、ひどく悔しい。

「ギール……」

 由那はその瞳からこぼれる涙を伏せて隠す。

 分かっている。自分に泣く資格なんてない。泣くならむしろ、ギガルデンの方なのだから。

「ごめん。ごめんね。……ごめんなさい、ギール」

 涙を殺してつぶやいた由那の切なげな声音が、静まり返った空間にひどく大きく響いた。


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