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時の息吹  作者: 立羽
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第一章・第四話 リスクードの湖畔08

 清々しい朝の空気。

 湖畔の澄んだ空気が白亜の城までとどき、穏やかな朝の訪れを告げる。

 庭園を彩る花々は可憐に咲き誇り、青々と茂る草木は大地の香りを運ぶ。空をかける鳥たちは、これから始まる一日を元気よく羽ばたいている。

「清々しくて、なんておいしい空気。湖畔の城の美しい庭園をこうして独り占めできるなんて、本当に贅沢で素敵。ねえシャオ、そう思わない?」

『む? そうだな』

 美しい情景にどんよりと似つかわしくない陰気な雰囲気を醸し出すのは、もちろん由那だけ。

 ケケケと効果音でも付きそうなほど陰気な様子に、少し耐性のついたシャオウロウは以前のような戸惑った様子を見せない。

 もう慣れた、と言いたげな諦めをその背に感じる。

「本当に、本気でありえない。王族公認特別功労者? 褒美としてリスクード城への長期滞在?

 ああ、もう…本っ当に、ありえない! ありえないったら、ありえないっ!」

『…………』

 昨晩のワインがまだ抜けきっていないのか、少々おかしいどころかすでに壊れかけている由那。

 平静と眺めるシャオウロウは完全に放置している。触らぬ神に何とやらだ。

 何故こんな崩壊寸前なほどに荒れているのかは、彼女の言葉でほぼ分かるだろう。昨夜の夕餉、語り部見事な由那の話のあとで決定したことがいくつかあった。

 まず一つ。フィスフリーク以下、リスクード城の使用人を銀の殺戮竜から救ったことにより、由那は王族公認特別功労者という肩書でリスクード城への滞在が決まった。つまり、正式に王族であるフィスフリークの賓客となったのだ。

 次に、これは前記を仕方なく飲んだ由那が肩を落としながら止む無く提案したことだが、自分たちがこの城に滞在する条件として、ギガルデンが破壊した城の修繕を彼自身にさせるというもの。

 さすがに何もせずこんな豪華な城に滞在するのは気が引けると由那案。

 最後に、同性で共に巫師の由那とエフィナの間で技術交換をしないかというもの。

 ただ滞在するだけでは気が引けるとぼやいた由那を気遣っての提案だと思われるが、その実、これは明らかに偵察だろう。相手の顔色を窺うまでもなかった。

 とまあ、そんなこんなで結局、由那の本格的な滞在が昨夜決定してしまったのだ。

「とても素晴らしい庭園ね。どこかの放蕩親たちの趣味を思い出す、あの庭そっくりの滑稽な風景」

 朝もやと湖畔から反射した光のコントラストが幻想的な庭園を目の前に吐く台詞ではないが、その気だるげで刺々しい雰囲気を隠そうとしない由那は珍しい。これは相当きている。

 むろん、鬱陶しいことこの上ない状況を作り出した彼女の眷属は、早朝から容赦なく叩き(半ば殴り)起こされた揚句、見た目穏やかだが怖いくらい冷ややかで美しい微笑を携えた由那に城壁の修繕を言い渡されていた。

 それはそれは反論すらままならない凄まじい勢いだった、ともう一匹の彼女の眷属は語る。

「でも、本当に長閑で暖かい日ね」

 ギガルデンで少しは憂さ晴らしが出来た由那は、穏やかな日差しに軽く伸びをする。

 レハスの町にいた時からそうだったが、この辺りの国々は冬でも雪は滅多に降らない温暖な地域。特にルティハルトは年中通して作物栽培が可能なので、国庫の備蓄には事欠かないほど裕福な国家だ。

 食料の備蓄が十分で国民が飢えることが少なければ、リスクードのように極東の辺境の地にある王族所有の城にも十分な設備が整えられる予算が組めるということ。外はそれでも肌寒いというのに、庭園には香しい花々が競うように咲き誇っているという点からも、この庭園は相応に手が掛けられている。

『由那。あれは昨夜の小僧ではないか?』

「こぞ…? あ、本当。フィスフリークさん」

 シャオウロウの示す先を見、昨夜大敗を喫した相手を認める。

 王に連なる身分の彼にずいぶんと砕けた呼び方をする由那だが、もちろん最初は敬意を表して彼のことを様付けしていた。

 あんな大胆不敵な態度を取っていて今さら敬意も何もないが、礼節はちゃんと弁えている。いくら自身の処遇やその他諸々が大層不満だとしてもだ。

 腹の中のマグマだまりを渾身の理性で抑えた最大限の譲歩だったそれは、しかし本人自らに断られた。しかも手早く即座に。

 『私もユーナのことは名前で呼ぶから、其方も私のことはフィスフリークと呼んで構わない』と。

 フィスフリークには許される事だとしても、一介の旅の巫師である由那が王族を呼び捨てになど出来るはずがない。城の者は事情を知っているとはいえ、この世界は完全なる階級社会。決して許されるものではない。

 本来の立場で言うならば、彼こそ由那に最大の敬意を払うべきなのかもしれない。だが生憎と、由那もそんなことは望まない。第一、彼らに自身の正体を明かす気など毛頭ない。

 そんなことを考えた時、ふと逆にフィスフリークの立場として由那がどうあって欲しいのか、視点を変えて暫し考えてみた。

 結果はもちろん言うまでもなく、由那も彼と同様のことを思うだろう。とは言え、たとえ結論はそうだったとしても、この状況は強制以外の何物でもない。

 何より、この場所を一刻も早く抜け出したいという意識は依然変わらず、かと言ってここを離れる上手い言い訳も見つからない。このどうにもならない煩わしい状況にもやもやと気が晴れず、胃のあたりに相当なストレスを感じる。思えばこの世界に来てからずっと誰かに煩わされっぱなしなような気がしてならない。

 いや。それを言うなら、この世界に来る以前からだったが。

「…………」

 自身の振り回され人生を反芻し、より一層陰りを帯びる。周囲に発する黒く淀んだオーラが、風景との光陰をさらに激しくさせる。

 なんだか、煩わされすぎてそのうち胃に穴でもあきかねないと一瞬思う。

 だがとりあえず、由那はそこまでひ弱ではないし、むしろそのストレスを楽しいゲームとして変換してしまうほどの図太い神経の持ち主であるので、そんな事にはまずならないだろうが。


「……ふ」

 自分が気落ちした姿を想像して少し気分が浮上する。何をバカなことを考えているのか、そんな風に自分を嘲ていると背後から声が掛けられた。

「おはよう、ユーナ。…と、シャオウロウだったか? 昨日はよく眠れたか」

「おはようございます、フィスフリークさん。ええ。とてもぐっすり眠れました」

 いつの間に由那たちに気がついたのか。顔を上げると、彼がすぐ近くまで歩み寄っていた。

「………」

 面差しに、一瞬遠い過去を思い浮かべた由那は感情の隠しきれない曖昧な微笑を浮かべる。

 いつもの彼女なら、すぐさま打ち消しているはずのその僅かな綻び。

 たとえその心中にどんな思いを抱いていても、表面上は割り切った表情を平静と浮かべるはずの由那が、こんな出来そこないの微笑みを浮かべるなど未だかつて無かったことだ。

 本当に、どうしたものか。

 彼には昨日から調子を狂わされっぱなしだ。

「どうかされたか?」

 心配そうな、怪訝そうな表情。

 たしか昨日も、彼にはそんな質問をされた。

「いえ。少し朝日が眩しくて…。

 それより、とても素敵な庭園ですね。色鮮やかな風情をみせる花々に、青々と力強く茂る木々。朝日を浴びてきらきらと輝く湖に、その反射を映すこの庭園も。本当に綺麗」

 眺めていると心穏やかになります。

 と、少し前まで鬱な言葉を毒づいていた人物の台詞とは思えない言葉が飛ぶ。

 笑い損ねた顔を背けるように視線を外し、二、三歩庭の方へ足を運ぶ。じっと花々を見つめながら両手を合わせ、美しい庭園に心躍らせる仕草をして見せる。

 今はこれが精一杯。

「この庭園は少々珍しい品種の花を栽培している。南のアナンシア大陸にあるラスぺリアル国という国が原産で、月下に美しく咲く青色の花、ポーリアなどが特に見事だ」

 そう言ってフィスフリークは今はまだ蕾の花々を指す。

「月光の下で? それは素敵ですね」

「ユーナさえよければ、今宵の夕餉の後に鑑賞会を開きたいと思うが。どうだろうか」

「え? …ええ、是非。喜んで参加させていただきます」

 振り返って一瞬ためらいを覚えた由那だが、せっかくの好意を無下にも出来ず頷く。

 彼の場合、好意以外のことも含まれていそうではあるが、特にこれといって予定もない。暇を持て余しているならばといった所だ。

「そうか。それはよかった」

 了承を得られたことに安心してか、穏やかに視線を返すフィスフリークに答えるように微笑みを浮かべる。

 昨夜のあの攻防が嘘のように平穏な会話が続く。

 穏やかで他愛ない会話をしているうちに、いつのまにか自然な表情を取り戻していることに由那は、彼の読みの深さに内心苦笑を浮かべながら庭園を眺め、朝露に輝くその美しい情景を噛みしめた。





 しばらく庭園鑑賞に浸っていた二人だったが、ちょうど通りかかった数人のメイドたちの計らいであれよあれよとお茶会の準備がなされ、呆気に取られながらも庭園に急きょ用意されたガーデンテーブルに腰をかけた由那は向かいに座るフィスフリークを見る。

「あの、フィスフリークさん」

 無駄のない優雅な様子で庭園を、そして香り立つ紅茶を味わっていたフィスフリークは静かにカップをおいただけで答える。

 その醸し出される雰囲気と普段の口調との違和感は、今のでますます深くなる。だからか、つい口に出てしまった。

「ご自身を様付けしないでほしいと言うのならば、私も一つお願いしたいことがあります」

 一介の旅の巫師が王族に何かを乞うなど、無礼にも程がある。だがフィスフリークは昨夜のような反応はせず、ただその続きを待っているように黙ったままだ。

 それに後押しされるように、由那は続きを紡ぐ。

「私はあなたの家臣ではありませんし、このルティハルトの国民でもありません。王族公認特別功労者だとしても、正式な客人という訳でもないです。だからその、普段の口調で話していただいても構わないと、…その、思っているんですけれど」

 まったく反応がないどころか、話の途中からぴたりと固まって動かなくなってしまったフィスフリークに、それでも由那は最後まで言い切った。

 これはどうしても言っておきたかったのだ。

 意図的だったのか、それとも無意識だったのかそれは分からないが、様付けしてほしくないというのはこの世界の常識である階級社会のそれのように堅苦しくしてほしくないということだろう。にも拘らず、自身はその口調を崩さない。一方に立ち振る舞いを強制するならば、もう一方もそれにふさわしい態度に改めるべきだ。自分を王族として接してほしくないというのならば、まずフィスフリーク自身が王族たる態度を止めるべきではないか、と由那は思っている。

「これは…手厳しい」

 長い沈黙の末、フィスフリークが答えた言葉がこれだ。

 了承とも否定ともつかない言葉。困ったように苦笑し、一体何を思っているのかまったく見当がつかない。

 じっと、彼の一挙手一投足を逃さず見つめる。

「…たしかに、其方の言うとおりなのかもしれないね」

 再び落ちた沈黙を破ったのは、ふっと苦笑を零しながら穏やかでやわらかく響くフィスフリークの声音だった。

 まさに、美の女神の申し子のような優美で華麗な容姿。暁の陽光が降り注いているかのごとく神々しくも穏やかな雰囲気に、絶妙に合わさる柔らかなその声音。

 今までどうしても違和感のあった彼を成す全てが、やっとぴったりと合わさったように、容姿・雰囲気・口調の三拍子がようやく纏まった気がした。

「ユーナの許しも出たことだし、私としてもこちらの方が神経を浪費しなくて助かるよ」

 だから遠慮なく普段のまま話させてもらうよ。と、今までの堅苦しい口調が嘘のように、がらりとその様子を変えたフィスフリーク。

 彼の本質を見抜いていたとはいえ、その唐突な変貌ぶりに由那は呆然と眺める。

 まさか、彼がこんなにもあっさりとその口調を崩すとは思いもしなかった。

「おや、どうかしたのかな?」

「…いいえ。まさかこんなにもあっさりと受け入れていただけるとは思わなかったので」

 再びカップを手に取り、お茶を楽しむフィスフリークの何気ない仕草に、由那はまだ戸惑った様子だ。

「ええと…、そういえば、エフィナさんはいらっしゃらないのですか?」

 何となく気まずくなった由那はふと、フィスフリークの後ろに静かに付き従っていたあの巫師の女性がいないことに気がついた。

 彼女はギガルデンと相対していた時も昨夜の夕餉の時も、必ずそのポジションに佇んでいたはずだが、今日はどうやら違うようだ。

 お互いの腹の探り合いになることは頂けないが、この世界へ来て初めて出会うまともな巫師のエフィナに聞いてみたいことも色々とある。

「ああ。彼女は今、至急の用で出払っている」

「そう、なんですか…」

 詳しく話せないものなのだろう。由那もそれ以上は追及しない。

 しかし、フィスフリーク直属の巫師だというエフィナが彼の下を離れても良いものなのだろうか。

 ふと気になって周囲をそれとなく探ると、付かず離れず武官らしき格好の男が二人ほど見て取れた。感じ取った気配から、恐らくもう三人は周囲にいるだろう。

 自分で言うのもなんだが、由那はそう簡単に信用されるとは思っていない。

 昨日の当たり障りのない説明で彼らがそうすんなりと納得したとは思えないし、それにこの目の前の青年は勘が鋭いように思える。

 かと言って本当の事を話すつもりは毛頭ないし、それを悟られないよう細心の注意を払っている。

 それに、城壁の修繕が終われば何か理由をつけて直ぐにでもこの城から出るつもりでいる。それは王族である彼に警戒していることもあるし、レハスの町のように親しい人たちを作ってしまえば、その彼らとの別れや己を偽っている事さえも辛くなってしまう。

 自分はあまり人に干渉すべきではない。

 それは自身に再三言い聞かせていることで、前世云々のことでもあり、由那がこの世界の人間でない事でも言える。

 しかし。それ以上に由那は、この国に留まりたくない確かな理由がある。


 心から愛おしく、これ以上ないほど恨み辛みのある土地。


 今こうしてこの地の土を踏みしめている事が、とても複雑でならない。

 いや。この地にいること自体、信じられない思いだ。

「…………」

 風で揺らいだ紅茶を見つめて微苦笑し、胸の内を悟られないように由那は穏やかな微笑みに変える。

 ガーデンテーブルにいつの間にか用意されたお菓子とは別の軽めの朝食。つい手が伸びてしまい、そのままそれが朝食の代わりとなってしまった。

 少し気恥ずく思いつつも、お腹がふくれると共に次第に気まずさも薄れていき、朝の庭園でのティータイムは割かし良好な雰囲気で幕を閉じた。


閑話08.5があります。

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