第一章・第四話 リスクードの湖畔06
所作優美なフィスフリークのエスコートのもと、由那が案内されたのは、当たり前に大広間の、過度に装飾が施された椅子が30席ほど並ぶ長テーブルに、香り立つ花々や豪勢な食事が並ぶ亜空間だった。
「………………」
驚きを通り越して、もはや呆れ果て、あまりの馬鹿さ加減にあんぐりと口を開いた由那に、フィスフリークは自然な動作で椅子を引く。
さすがレディーファーストが身に付いていて、まったく違和感がない。
一応ドレスの類は着慣れている由那は、座る際も違和感を感じさせないスムーズな動作で腰を掛ける。
歩く時もそうだが、普段着とこうしてドレスを着ている時とでは、当然動作に違いが出る。
裾を踏まないように、かつ、不自然にならないよう淑やかに歩き、同じく裾を不自然に敷いてしまわない様に、巧みな仕草で瞬時に座りやすい裾の長さを調節する。
一見簡単そうに見える動作だが、流れるようにやってのけるには実はかなり訓練がいる。一朝一夕では身につかないものだ。
それを難なく自然にこなす由那に、恐らくフィスフリークは気付いている。
「エフィナ」
フィスフリークのその合図で、彼が腰掛けた席の近くで待機していた女性が手近のワゴンテーブルからボトルを手に取り、テーブルに用意されたグラスに注いていく。彼女は確か、ギガルデンと相対した時にいた亜麻色の髪をした巫師風の女性だ。
先ほどと衣服が変わっているので雰囲気こそ違えど、彼女の持つ巫の力は十分に分かる。エフィナと呼ばれたこの女性は、相当な力を持っている。
ボトルの雰囲気と注ぐ入れ物がワイングラスであることから、恐らく中身はワインなのだろうと予想していた由那は、その注がれた液体が異様なほどに真っ青なものであるのを見て驚く。いくらここが異世界だからとて、ワインは地球のものと同じくブドウに似た果物から生成する。もちろんそこから出来る液体は赤か白だけだ。
しかし今、グラスに注がれている液体はブルー。
「ん? アスルノは初めて見るか」
青い液体が注がれたグラスを女性から受取ったまま、視線が固定している由那を不思議そうに見やる。
中身が沈澱しているわけでもないのに、見事に二層に分かれたスカイブルーの美しい色のワイン。
観賞するには打ってつけの美麗な配色だが、しかしこれを飲むとなると話は違ってくる。
地球上の自然界では、青色の自然食はあまり多い方ではない。そのため、人は青色の食物に食欲を掻き立てられることがあまりなく、むしろ、青は食欲を抑制する働きがある配色として知られている。青色の食物のほとんどが着色料であるという理由も、無きにしも非ずだろう。
そういった理由から、由那がこの手渡されたワインに戸惑いを持つのは、地球に転生した人間として当然の反応と言える。
「失礼ながら、フィスフリーク様。
アスルノはリスクード周辺の町の特産ですので、国内でもあまり知られてはおりません。ですから、こちらの方がご存じないのは当然かと思います」
他に給仕をする数名の女性とは違い、エフィナと呼ばれたこの女性はまったく物怖じせず仕える主君であるフィスフリークに意見している。
どうやら彼女は、相当な立場にいる人間なのだろう。
「ああ。そうだったな」
改めて思い至った、と適当に相槌を打つ様子に、小言を言いたそうに不機嫌な顔つきになったエフィナから平然とグラスを受け取り、フィスフリークは面白いものでも見るようにグラスのワインを揺らす。
ふっと微笑する彼の、なんと麗しく様になる仕草か。
口調は、その身分相応に偉そうな硬い口調だが、女性のように中性的な容姿、絶世の美しさと相まって、その不釣り合いなバランスがむしろ絶妙な雰囲気を醸し出している。
彼のような容姿の人が特別タイプだという訳ではない由那でも、思わず惹きつけられる魅力がある。
「アスルノは普通のブドウ酒と違い、巫術を使用して生成している。ゆえにこうして美しい青色が付く」
「巫術で、ですか?」
「ああ。この城から最も近い村で、ロゼラという村がある。そこに住む巫師が生成法を編み出した貴重なものだ」
ロゼラ。それは確か、レハスの町から荷馬車に乗せてくれた行商の男性が向かうと言っていた村だ。
由那はその周辺で、何か理由をつけて男性と別れるつもりでいた。
「うん? ルティハルト国内からこのリスクードへ来るには必ず通る村だが。其方はもしや、クルドから国境を越えて来たのか?」
「はい。レハスの町から行商の荷馬車でこの国へ」
「そうだったのか。では其方は行商人…、いや。とてもそうは見えないが」
「ええ。私は行商人ではありませんので」
「そうか。では旅か何か――。いや…、失敬。少し不躾だったかもしれないな。其方のようにまだ若い女性が一人旅をするなど、何かよほど特殊な事情もあるのだろう。
それはそうと、この辺りにはこのリスクード城があるだけだが、何故日が暮れかかった頃に王族所有のこの地へ?」
「……………」
まるで腹の探り合い。というより、一方的な尋問だ。雰囲気こそ不躾にならないよう注意を払っているようだが、されていることは尋問とさして変わりはない。
じろじろと眺めるようではなく、至極穏やかに水面下で相手を探る瞳の動き。
必要以上に相手を見過ぎず、かといってそれとなく由那の動きを、自分が話した話題への反応を見ている。
さすがは大国の王族。
侮りがたし威厳と油断のならない観察力を持っている。
しかし、だからと言ってただ観察されることは頂けない。それは由那の矜持であり、プライドだ。
いや。ただ単に、この彼に負かされたくないだけとも言える。
「いいえ。こうして国を代表される尊い方にお近づきになれたことはとても光栄なことです。私の方こそ失礼のないようにお答えしないといけません」
凪いだ水面に荒波が立つ。
それもそのはず。由那はなんとも命知らずで不遜な宣戦布告を返したのだから。
だが、いくら王族だか身分のある者であろうと、最初に喧嘩をふっかけて来たのは向こう。由那はただそれを受けて立ったに過ぎない。
それがどんなに礼儀を欠いた傲岸な態度であったとしても、それでこそ由那。むしろ、受けずに引くなんて殊勝な態度のほうが異常だ。
そう簡単に相手の手に屈してしまっては面白くないというもの。それではつまらない。
「………」
にっこりと美しく涼しげな表情を返す。その裏ではしてやったりと、なんとも黒い微笑みを浮かべているのは当然。
一瞬呆気にとられた表情を見せ、その後に至極面白そうに表情を和らげたフィスフリーク。そして、同じく呆気にとられた後、みるみる不機嫌な表情で睨みつけてきたエフィナの視線を浴びる。
もちろんエフィナのそれは、完全な威嚇ではなく、一応客人である由那に配慮した控え目なものだ。
だがその内心は、なんとも不躾な女だと散々文句でも募らせているのだろう。王族であるフィスフリーク以下、自分たちの命の恩人でなければつまみ出してやると言った表情をしている。
その複雑な心情、態度が、とても面白い。
「ふ…。そうか。これは一本取られたものだな。其方は竜の手綱だけでなく、人の手綱引きも得意と見える」
それは皮肉か? と、言い返すことなく、ただ笑って答える。
しかし何故だろうか。彼は端から由那のことを普通の女性としてではなく、まるで対等の、手強くも崩し甲斐のある交渉相手でも見ているかのような警戒心を見せている。まあ恐らく、出会いが出会いなだけにそうせざるを得ないのだろう。
彼がこんな調子だからこそ、由那もいらぬ経営者魂に火が付いてしまう。
どこまでいっても自分はあの父の血を継いでいるのだと、要らぬ確認をまざまざと感じさせられた瞬間だ。
「いえ。決してそんなつもりではありません。少々誤解のある発言をしてしまったようです。とても非礼な物言いをしてしまって申し訳ありません。
ただ、私は――。私はただ、自らの心に従い、私自身のありのままをお話しすべきだと思っているのです」
「………」
ここで自らの心に従うと付け加えている辺りが実に由那らしい。
それは質問次第で応答が変わってくるということを暗に意味しているのだから。
それでも、これ以上の激化はらしくないと歯止めをきかせる。彼とこのままやり合うのも実に楽しそうだと思いつつも、事態を収拾させる自制心もちゃんと残っている。
「いや、こちらこそ失礼な物言いをした」
「いいえ。最初に礼儀を欠いたのは私ですから。先ほどの、ギールのことでまだ気が落ち着いていないようです」
はにかむような苦笑を浮かべる。
実に見事なタイミング。それこそ由那というもの。
「ギール…。すまないが、そのギールとは、銀の殺戮竜のことだと思うが」
「ええ、そうです」
こくりと頷くそれに、フィスフリークはまたなんとも答えにくい質問を投げかけてくる。
由那の言葉で遠慮は無用だと思ったのか、あまりに急な転換だ。これはもう、そう問いかけることを狙っていたとしか思えない。
「何やら見知りの様子だったが、何故其方はあの悪名高い銀の殺戮竜とまるで対等…、いや。それ以上の存在のように接しているのか」
「………」
「史上最凶の竜で、異常なまでに人間を嫌い、本能のまま命を惨殺する非道な竜族。彼の竜の怒りはまるで天災。止める術のない災厄だと言われている者を、其方はまるで…」
途端に黙り、その先にある答えを促すように凝視する。
それが答を欲していることだと知りつつ、しかし由那はしばし沈黙を守る。何故なら、彼女には返せる回答がまだ出来上がっていない。
その視線はフィスフリークのみならず、エフィナや他の給仕の女性からも注がれている。彼らがギガルデンを神の配下に下った神竜と知らずとも、その悪名から畏怖の象徴として恐れられている竜であることは周知のもの。何より、彼がこの城を襲っていた事実もあり、人々が感じる恐怖は何倍にも膨れ上がっている。
そんな彼らが、その恐怖の存在を止められる由那に興味を持つのは当然の反応だ。
「それは、ですね…」
思わずドレスの裾を掴む。まだ筋立てが完全でないストーリーを早急に仕上げる。
矛盾の無いよう、事実とのずれが最小限で抑えられるよう自然に、違和感のない内容を瞬時に組み立てる。
もちろん先ほどの言葉に沿い、嘘はつかない。
ただ、『自らの心に従って』真実を隠し、事実が表に上がらないように上手く誘導するのみ。
そして、筋書きに採用された、『自身のありのまま』を話すだけだ。
「ええと、ですね。
私がギール…、ギガルデンと初めて出会ったのは、レンウェルの隠れ里、ラウトルグです」
「ラウトルグ? 其方はまさか、あのラウトルグの、最強と呼ばれる巫師一族の血を引く者か?」
「…そこに居りました」
今まで下向きだった目線を持ち上げる。フィスフリークのそれと絡んだ途端、由那はにこりと口角を上げた。
頷きはしない。肯定、否定もしない。
けれど、その間をおいた仕草は、由那が肯定しているような錯覚を感じさせる。
「彼は、一族の里を襲った竜族の一人でした。巫術に特化したラウトルグの民としても、そう易々と彼らの侵略を許しはしませんでしたが、その時里は壊滅に近い被害を受けました」
その情景を思い替えいているかのような遠い表情。時折瞳を伏せるなどして、上手くその時を思い出す悲しみを醸し出している。本当に実際に戦った一族の民として話しているように。
だが実際、由那はその戦いに参加している。ただ真実は、由那がラウトルグの人間ではないということと、それが途方もなく遥か昔の出来事だということ。
その二つを除けば、その悲しげな表情も由那の気持ちも本当のものなのは確かだ。
決して偽っている訳ではない。ただ故意に黙っているだけで。
「私たちはとても多くの尊い犠牲を出しながら、謂われのない侵略を防ぎきりました。しかし、美しかった周辺の森は見る影もない荒廃した大地へと変貌し、合戦後の黒く、見るも無残に焼け焦げた同胞を見るのはとても辛いものでした。
人の焼ける嫌な臭いを漂わせた同胞の亡骸、同じく焼けて灰のように風化しつつあった竜族の中に紛れ、唯一命を取り留めた竜族がいました。
その時の唯一の生き残りがギガルデン、彼です」
ごくり、と誰かがつばを飲み込む気配がした。
それから一体どうなるのか。戦いになるのか、もしくはまったく別の道をたどるのか。
妙に緊迫感を孕んだ巧みな語りように、作業しながら耳を傾けていた女性たちの手は、ものの見事に停止している。
「命を取り留めたといっても、とても危険な状態でした。戦うなんてもってのほか。翼で飛び立つどころか、歩くこと…いいえ。呼吸すら自ら出来ない状態でした。
たとえ里を襲った竜族の子であっても、戦いが終わった後は敵も味方もない。里長や老師の意見もあり、私たちは彼の命を救う事にしました」
本当は暦道のイブリースたる由那の意見が最も尊重されたのだが、そこは語らずとも良いこと。
過去と現在では状況も、そして情勢も違う。以前は気軽に名乗った名も、ここでは隠すべきものだ。
先ほどまでギガルデンのことに怯えていた女性たちも、傷ついた子竜の事にハラハラし、由那が最後の言葉と同時に浮かべた笑みを見てほっとしている。まるで、命を脅かされている子竜と、恐れていた銀の殺戮竜が別の存在とでも思っているかのようだ。無論、由那がそう意識して話している点もある。
「そうして疲弊した傷を癒すため、彼は老師の監視下のもと、しばらく里に滞在することになったんです」
それから続きがどうなるのか。
興味津々に見つめてくる彼らの視線を一身に受け止め、由那は自分の思惑通りに事が運んでいることに内心微笑みを浮かべながら、続きを話すべく口を開いた。