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時の息吹  作者: 立羽
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第一章・第四話 リスクードの湖畔01

「もう国境近くまでは来たかな? ねえ、シャオ」

 荷馬車の僅かに開いた隙間から、ゆっくりと進む外の風景を眺める由那は満面の笑みを浮かべる。

 はっきり言って、彼女のこういった微笑みは不気味でしかない。底冷えがしておぞましくさえ思う。

『う、うむ。恐らくは、それ付近まで近づいておるだろう…』

「……そう」

 最悪の機嫌の悪さに、シャオウロウでさえびくびくしている。彼も由那同様、怒りたいのはやまやまなのだが。

 まだこの荷馬車に乗り合わせた者がいないことだけでも幸いしていた。それでなくとも由那の機嫌は最悪だが、これ以上煩わしいものがないことが唯一の救いだと言えよう。

「でもこの調子だと、あと一日はかかりそう。まったく、本当に、とんでもなく厄介な事になったものね」

 ぶすっとした表情。普段は本心を隠すことに長けた由那が、ここまで機嫌の悪さを表に出すのは珍しいことだ。

 それを厭わないと思うほど、現状況が由那にとって非常に不本意なのだということだろう。

『我とて同意見だが、ようやく了承して送り届ける気になった者たちの好意を無碍には出来ぬゆえにな』

 シャオウロウの正論に、由那は気を緩めるとそれしか出てこないと言わんばかりに深いため息を付く。

「それでも、こうして旅立つ事を承諾してもらえただけでも大収穫なんだろうけど」

 頬杖をついて光の射す荷馬車の後方を静かに眺める。その先はレハスの町がある方角だ。

『少なからず滞在した町だというのに、案外あっさりした別れであったな、由那よ』

「そんなこと言って、実はシャオの方が切ない気持ちなんじゃない?」

 シャオウロウの何かを問いたそうな視線には答えず、切り返し見事な由那は茶化すように微笑む。後ろに悪魔の尻尾を生やしているように見えるのは、恐らく幻覚ではなかろう。

 からかうような視線に、心底不機嫌な表情になった霊獣を面白く眺め、由那はふと愁いた表情を覗かせた。

「これで良かったの。これで。

 私は――ううん。私たちは。一つ所に留まるべき存在では無いから。だから…、これで良かったの」

 ぽすっとシャオウロウの頭に手を置き、静かに撫でる由那はそっと瞳を伏せた。





 さて。これより時間は少し遡る。

 それはちょうど、由那とシャオウロウが町の虚け者巫師、もといビレフを発見した事をディックたちに報告した後のことだ。

「シャオ。この町を出よう」

『由那…』

 寝不足と疲労が薄く残る表情のまま、何の気なしに開かれた言葉。

 まったく意図せず唐突に切り出されたにも拘らず、シャオウロウはさして驚いた様子は無い。むしろ、由那がそう口にする事を分かっていたようだ。

 由那も由那で、その反応を見るとくすりと笑う。だが、その軽い笑みが消えるとき、一瞬だけ影を帯びた。

 しかしそれはほんの一瞬のことで、すぐさま笑みを貼り付ける。まるで飾り物のような、無機質で完璧な微笑みを。

「ゆ、ユーナ様。こ、これは、おはようございます。早朝からあなた様にお会いできるなど、何たる幸福でしょう!」

「おはようございます。今日もいい天気ですね」

「は、はい! とても晴れた良い天気で」

 すれ違った信者の仰々しいあいさつを軽く流して会釈を返す。例の一件で大人しくなったとはいえ、彼らは隙あらばこうして狙ってくる。由那が朝の散歩を始めたことが周囲に知られると、偶然を装ってその姿をひと目拝もうとわざわざ早起きしてやってくる始末。本当に懲りない人たちだ。

 気配に気を配る心配がなくなったとはいえ、基本面倒なことには変わりないので、適当にあしらっておく。それでも諦めない所がすごい。

 こう言っては何だが、由那は信仰や宗教に関心がない。神の生まれ変わりがこうでは前世の彼女を信仰している者たちは立つ瀬がないが、信仰される側だった由那にとって、神の救いがどうのと説いても意味がない。彼女自身が『救う側』だったのだから。

 ある意味自分信仰というべきかもしれないが、それとは訳が違う。

 たとえ神に願おうと、『救う側』の彼女はそれをどうすべきか知っている。叶う事、叶わぬ事の判断も当然つく。だからこそ由那は、私情を挟まず理性的に、まさに機械的な是否を下す。

 自分と他人の境界を読むことと同じように、感情を抑えて冷静な判断を選択する。それが彼女には当然であり、わけないことなのだ。

『して由那よ。我に異存は無いが、あの者らにどう告げるのだ?』

「そう。問題はそこなのよね…」

 微苦笑する由那は思わずため息を付く。ただでさえ魔物討伐のことで頑なに反対した彼らだ。そう易々と由那たちを見送ってくれることはまずありえないだろう。

 彼らが由那を家族同然に思ってくれている事を由那は知っている。そして気に入られている事も自覚している。もちろん自惚れではない。

 半ば強引に滞在を進められ、仕方無しに受け入れた不本意な生活。しかし、その中で培った人を思いやる気持ち。人との温かな繋がりや相手を気遣う優しさ。食卓を囲む料理を共に作る楽しさや、そして、家族で食卓を囲む温かみ。

 本当に数え切れないほどの温かさを彼らに教えてもらった。それこそ、本当にかけがえのない時間だった。

「二人には、納得してもらわなければいけない。…ううん。納得させる」

 どうやって説明をするべきか。と、それに心底頭を悩ませているかと思いきや、由那は意外と強気だった。

 いや。町を出ると決断した時点で、二人の抗議はまるで意味を成さないかのように由那の決意は揺らぐことがない。もう完全に腹を括ってしまっている。これは覆ることのない決定事項だとでも言うように。

「本当は、もっと早くこうしなければいけなかった。でも、どうしても。思った以上にここは居心地が良くて……。どうやら離れる事を惜しいと思っていたみたいね」

 悲しげな瞳を一瞬だけ浮べ、それでもすぐさま打ち消す由那の隙のないこと。

 まるで弱さを見せる事を禁じているようだ。

 恐らくそれは間違っていまい。現に彼女は、これまでも辛い時や悲しい時、決まって気丈に振舞おうとしていた。取り乱すまいと己を固く律していた。

「私は、この世界ではただの『人』ではないのだと。ここへ来てしまった時点で、もっと強く自覚するべきだったのだと。

 あの時…、初めて思い知らされた…」

『………』

 ぽつぽつと言葉を紡ぐ由那は、自嘲に満ちた笑みを浮かべる。

 不意に遠くを見据えるその横顔は、ひどく脆く、しかし不思議と気高くも見える。その飾らない口調のせいもあってか、ひどく神々しくさえあった。

 そう。本当はもっと早く気づくべきだったのだ。

 たとえ今は人に転生しようとも、この世界で由那は暦道のイブリース以外の何者でもないという事を。由那の持つ強大な力は、大きな幸福と共に更なる不幸をも呼び寄せてしまうことになりかねないという事を。それをもっと深く、強固に自覚すべきだった。

 だが。あまりにも温かな居場所に、あまりにも優しい人たちに、いつの間にか甘えてしまっていた。ここにいたいと思うようになっていた。

『…由那』

 弱い部分を必死に隠そうとするあまりに脆く儚げな主に、シャオウロウは思わず声をかける。その声にハッとして、少しは冷静さを取り戻したのか、由那は一つ深い息を吐いた。

 心を静めるように深く、より深く。腹の空気をすべて吐ききるように、長い時間をかけて全部吐き出す。その行為は、己の中に溜まった弱さをすべて吐き出しているかのようにも見える。すべて吐き捨て、そして意識を転換するように大きく息を吸い込む。

 その動作を二、三度繰り返し、ようやく落ち着いた様子の由那は幾分かすっきりした表情を浮かべた。

「カイルにハンナさん。ティエにエイブさんや、それにディックさん。他にも町の人たちには本当に良くしてもらったから。とても親切にしてもらったから。……だから」

 言葉を区切り、由那は空を見上げる。今日は雲ひとつない、心地よく澄みわたる晴天の空だ。

「だからこそ、私の事で彼らを巻き込みたくない。大切だから、私のせいで悲しい目にあわせたくない。

 暦道の名を持つ私は、どれだけ大切に思っていても、どれだけ皆を愛していても、いつかは必ず彼らを傷つけることになる。私のこの名は、決して人と相容れることは無いから…」

 由那の持つ暦道の字は、確かに彼らを守護する大きな存在となろう。しかしそれ以上に、由那の帰還を悟った同胞たちが由那を、そしてレハスの町の平穏な生活を脅かすだろう。当然、由那がこの地にいるせいで。

 こうして最後まで言い切ることは、由那にとってどれだけの負担だったか。どれだけの覚悟を要したのか。微かに震える彼女を見ればそれが良く分かる。

 本当に、ここまで良く言い切ったものだ。人となった身には潰されてしまうほどの負荷も、かたく心に留め、すべてを受け入れた。

 そう。由那がすべき事は受け入れること。

 すべてを受け入れ、そしてあるべき道を辿る。それがどんなに困難な道であろうとも、それが彼女の唯一の存在意義。唯一の宿命なのだから。

「………――。行こう、シャオ。ハンナさんたちの家に」

『……うむ』

 家に帰ろうと言わない由那の覚悟をしかと見届けたシャオウロウは、すくっと立ち上がると了承の意を示す。

 思い返せば、由那は今の滞在先を一度も家と呼んだことはなかった。どうあっても、彼女が家と呼べる場所がこの世界には決してないことを、無意識にも自覚をしていたのだろう。

「そうは言っても、どうやって説得しようかな…」

 覇気の無い笑みをへらっと浮かべる由那は実にらしくない。今の彼女なら、このそよぐ風にも乗って飛んでいってしまいそうなほど儚い。

 華奢な外見にはあっているやも知れないが、はっきり言って気味が悪い。灰色に薄まっている由那など、由那では無い。彼女は漆黒だからこそ由那なのだ。

『ゆう――、否、主よ。我は主に殊勝な態度をとられても、何かあるのかと勘繰ってしまうぞ』

 うろたえた様子も慰める様子も見せず、シャオウロウは冷静な言葉をかける。それどころか、彼は少し微笑んでいるようにも見えた。

「ふふっ…。シャオは酷いね。私はいつも殊勝なつもりなのに。それに、いつも言ってるけど――」

『分かっておる。由那』

「……もう」

 由那と呼ぶようにと注意する前に先手を取られる。どうやらかなり滅入っていたみたいだ。彼女が反論すら出来ないなんて。

 してやられたとため息を付きながら、『戻ろうか』と促すだけで歩み始める。今は何を言ってもシャオウロウに言い負かされてしまう事を悟ったようだ。それを是としないほどには回復したらしい。

 だがそれも、家路に着くまでのこと。



「ぜっっったい反対だ!!」

 いつもどおり食事を終えた後。静かに町を出て行く旨を告げた由那は、当然ながらカイルの大反対にあっていた。

「そうさね。あたしも反対さよ」

「カイル…。ハンナさん…」

 バンっ、とテーブル叩いて立ち上がるカイルに対し、意外と静かに話を聞いていたハンナも、しかし否の答えを出してきた。

 予測できた結果とはいえ、それで引き下がるほど由那の意志は弱くない。むしろ諦める気など一切ない。

 押して押して、これでもかと言うほどに押して、二人の許可をもぎ取る気満々である。

 たとえ二人の許可がなくともこれは既に決定事項。あまり望ましいものではないが、最終手段として夜逃げ、もとい置き手紙をおいて脱走する手段も考えている。これは本当に最終手段だが。

「二人には良くしていただいて、本当に感謝しているんです。旅をしている私には、とても温かな家族が出来たようでした」

「じゃあ何でこんなに急に…!」

 悲鳴に近い声を上げたカイルに思わず苦笑する。

「知らせが来たんです」

「知らせ?」

「はい。同郷の友人からの知らせです」

 ここで手紙と言わない辺りが由那らしい。もし手紙なら、当然ハンナの手に一度渡ってから由那に届けられることになるからだ。巫術を使っての手紙と言い訳をしてもいいのだが、それでは手紙がないと不自然になる。早急に町を出たい由那は、あまり自分の首を絞める発言は慎みたい。ここに滞在する原因となった二件の事例のように。

 だからこそ由那は、風の巫術である伝達術、手紙などを伝達する際に用いる術の応用として言葉なども伝達できる術で知らせが来たと伝えた。これならば手紙を偽装する細工も不要だし、巫師同士の繋がりも想像させることが出来る。

 もちろん知らせなど由那に来るはずがないのだが、それでも行きたい場所は出来た。

「西の地にいるからお前もこっちへ来ないか、と…」

 その知らせとやらの内容を告げることで、あたかも本当に知らせがあったかのように信憑性が増す。普段の由那らしからぬ口調だからこそ、彼らもそれを信じてしまうのだ。

 友人からの誘いならば由那を無理に引き止めるわけには行かない。カイルはむっすりと黙り込み、ハンナは冷静に行き先を問いかける。

「ここから西っていうと、ルティハルトかい? それともミスフ辺りかい?」

 ルティハルトはこのレハスの町と国境を接した西の大国。ミスフはルティハルトの更に西の国だ。クルドから西と言うと、この二国が代表して上げられる。

 由那の巧みな意図もあり、その友人とやらを巫師だろうと判断したハンナは、大国のルティハルト、そして近年巫師の育成に力を注いでいるミスフ辺りだろうと予想をつけたようだ。

「ええ、まあ…。そんなところです」

 アバウトな返答をしておけば、自分から墓穴を掘る事はない。後から『話が違う』と言われても、こちらははっきりと告げたわけでは無いので、知らぬ存ぜぬを通せる。それを巧みに利用し、ここは切り抜けるべきだろう。

 反対されようがはなから出立を取り止める気の由那は、のらりくらりと質問をかわそうと構えていた。


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