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時の息吹  作者: 立羽
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第一章・第三話 復活の儀式08

「何故…っ、あなたが……」

 感情的にも、苦い表情すら浮かべる事ができず、ただ呆然とひどく乾いた言葉を吐き出す。緊張に強張った口元は、驚くほどに震えていた。

 それを悟られぬよう努める冷静さすら欠き、まるで戦場の最中に無防備にも鎧も兜も着けず、ただぼんやりと佇んでいるような、そんな愚かな様をさらす由那はひどく混乱している。それもそのはずだ。

「分からぬか? 最強と呼ばれた存在も落ちたものだな」

 蔑むように笑う。その憎々しい様に、ようやく由那は苦しげに眉根を寄せる。それに促されるように、固まっていた全身が溶け出すのを感じる。止まっていた時が動き出した。

「……彼は。オークルードは、ただ…利用しただけ、なの…?」

 乾いた唇に紡がれた言葉は、案外あっさりと言葉をこぼす。どうしてこんなにも冷静でいられるのか、不思議なほどに。

「無論。それ以外に価値など無かろうに」

 何を戯言を、とでも言うように軽蔑の視線を送るオークルードの真紅の瞳が、今は青色に染まっている。

 深く。海よりも深い青。その懐かしくも苦い感情が沸き起こるそれを、由那は直視する事ができない。

 悲しく、そして仄暗い感情が由那の心を支配する。それでも動かなかったのは、先ほどの影響でまだ完全に呪縛が解けきれていなかったから。そうでなければ、由那は確実に我を忘れていただろう。そもそも、こうして冷静に質問を投げかけていること自体が奇跡に近いのだから。

「ならば早急にその体から出て行かれよ。さもなくば、私は強制的に浄化を始める」

 その存在そのものが浄化の対象だと言わんばかりの鋭い声音。相手は特に気にも留めず、まじまじと由那を見据える。

「変わらぬな、貴様は。まさにあの頃のままだ」

「それは確認しなければならないことですか? 私は、私以外の何者でもない。たとえ器が変わっても。それは周知のはず」

 皮肉った問いかけに、同様に嘲りの言葉をかける。ギロリと睨むように見つめると、初めて青の瞳と視線が合った。

 はっとするように再び逸らす。警戒しているのは、その瞳が持つ蠱惑こわくの能力だけでは決してあるまい。

「そういきり立たずとも、このような穢れた存在になど長く留まりたくもない。これは挨拶に過ぎん」

「挨拶…? これが挨拶だと言うの?」

 語尾が震える。そこで初めて怒りを露わにする由那に、嘲笑うように笑みを浮かべる存在はしきりに嗤うと満足したように一つ息を吐く。

 異様なほどに伸びた爪を自ら胸元に食い込ませるように鋭く立て、ぷつりとそこから滴る自身の赤い液体を甘美な雫でも味わうかのように淫らに舐め取る。

 その様はまるで獣。人というよりは、むしろ獣に近い。

「…っ――!」

 奥歯をかみ締め、今度こそ鋭く相手を射殺さんばかりの殺意を向ける由那の様を、楽しむようにくつくつと喉を鳴らす相手。その様が不快でならない。

「下等な種族に成り下がった哀れな神よ。貴様はもはやジンですらない」

 冷たく身の毛がよだつほどの鋭利な視線。この魂を持たなければ、恐らく簡単に葬られていたに違いない。

 それほどに醜悪で、悪意に満ちた絶対的な力を持つ相手。

「興が冷めた。後は好きにするが良い。もっとも、それが出来ればの話だがな」

 心底皮肉った醜い笑み。沸々と怒りを、そしてそれ以上の喪失感を感じさせる笑みを携えた相手は、拳で自身の胸を強く打つ。それと同時にオークルードの『中』から抜け出るように仄暗い光が霧散した。

 オークルードを包み、その肉体を支配していた気配が消え去った事にほっと息をつく由那は、力を失ったことでがくりと倒れこむ彼の体を支える。

 触れる瞬間、若干残っていた思念にその身を震わせながら、彼女はここではない遠くを静かに眺める。その先にあるものを、その果てに待つものを睨み据えるかのように。

「――…」

 苦々しく呟いた、微かな声音。音として取るには本当に僅かな、呼吸よりも静かな声。

 それが一体何を意味するのか。残念ながら誰にも聞き届けられることのなかった声は、落ちて――消えた。





 暗く、静寂に満ちた回廊。果てまで続くその長き回廊に、シャオウロウはただ一つの場所を目指して駆ける。

 そしてふと立ち止まったのが、何の変哲もない回廊の途中。庭を臨むために開けられた吹き抜けの、特にこれといって何もない場所。

 だが、シャオウロウはそこへ向かって強力な一波を投げつけた。

『いたな。我が主を煩わせる無礼な輩よ』

 低い声。

 ガラガラと、まるでそこに壁でもあったかのように景色が崩れ去る。透明の、まるで空気に風景を映すかのように歪められた空間。どうやらここにも術がかけられていたようだ。

 それを見事に見破り、いとも容易く破ったシャオウロウはしかし、厳しい表情を向ける。

『我が主を煩わせる者は万死に値する』

「それはこちらの台詞でございます。白狼の長よ」

 とても丁寧な『声』。淡々と、だが確かに響くその声音は、どうやら人のもの。それに微かな驚きを感じつつ、シャオウロウはその声の元へと歩んでいく。

 彼の予想では、目の前に相対する存在は人外のはず。それが人語を操れぬというわけではないが、この声質は明らかに人間のものだ。

『貴様は…』

「まるで幽霊でも見ているようですわね。暦道の王の眷属たる君よ」

 驚きに目をむくシャオウロウに、その人物は可憐に微笑む。

 取り乱したのは一瞬で、はっとするとすぐ平時の表情に戻る。伊達に暦道のイブリースの眷属をやっていたわけではない。そもそも、この人物には由那はもちろんのこと、シャオウロウも疑ってかかっていた。

『やはり貴様が手引きしていたのか。紅蓮の炎。…否。それとも、フラーラと呼ぶべきか?』

「………」

 そう。彼の目の前に映る人物。それは、くせのある亜麻色の髪に濃い茶色の瞳を携えた人間。シャオウロウも良く知る、カイルの唯一無二の恋人。

 しかし、何故かと問うことは決してしない。もちろん確信があったから。

 由那が設置した印に眠っていた。それだけで疑う対象になる。もはや白であるはずがなかったのだ。

『貴様が家に留まって我らを監視していたことは知っていた。だが我らとて、そう易々と手の内など明かすはずもない』

「ええ。本当にその通りでした。あなた様方を出し抜くことは思いのほか難航いたしましたわ」

『愚問だ』

 煩わしそうに思い返しているフラーラを、シャオウロウはただ一言で斬って捨てる。こそこそと探られて良い気をする者などいはしない。煩わしかったのはシャオウロウたちとて同じだ。

「酷いお言葉でございますね。わたくしとて暦道の王には最大級の敬意を払っているつもりですのに」

『貴様…。それを真に言っているのならば我は容赦はせぬぞ!』

「おや恐ろしいですわ」

 右手の甲を左の口元に当てて嫌煙する素振りをしてみせるフラーラは、普段とは別人のように顔を歪める。いや。明らかに性格からして違っている。

『その肉体は我らに気配を悟られぬための策か』

「さすがですわ。ええ、その通りでございます」

 ふふふ、と気味の悪い笑い声とともに、フラーラのふわりと柔らかいうねりを帯びる亜麻色の髪と茶色の瞳が赤く、徐々に赤く染まってゆく。

 まるで血のような臙脂の髪と瞳。直毛に変わった髪質、そして優しげな面差しすらも険しく変化する。

 それはもはや別人。人の域すらも脱してしまうその変容振りに、しかしシャオウロウは微塵も驚かない。

『申し遅れました、白狼の君。わたくしは古の一族、サー・エヴァンの当主に代々使役されし精霊。古の時代、始祖たる主オークルードと血の盟約を結んだジンでございます。

 下位のわたくしに名など存在しませんが、我が今代のマジュヌーンよりイズと名を頂いております』

 マジュヌーンとは、ジンと契約を交わして使役する巫師やジンの加護を受けた人間の事を指す。ジンから呼ぶ場合は主に対する敬意、または畏怖や嫌悪を意味する場合もある。このジンは当然前者である。

 えらく丁寧に説明するフラーラ、もとい彼女に憑依しているイズは、その容姿が変化すると同時に全身を炎で満たしている。力の制御は出来る実力者のようだが、巫の力など皆無なフラーラの体では、この負担をいつまでも堪えられはしないだろう。

 現に皮膚が徐々にやけどを負い始めている。

『白狼の君には申し訳ございませんが、わたくしとて主の邪魔をする者を黙って見過ごすわけには参りません。我がマジュヌーンの邪魔立てをなさるというのなら、全力で阻止いたします』

『そうか。ならば話し合うまでもなかろう』

 臆することなく己が目の前に立ちはだかるジンに、シャオウロウも不敵な笑みを浮かべる。

 暦道の名を負うこの霊獣に立ち向かう。それがジンにとってどれほど無謀で命知らずなことなのか、どんな知れ者だろうと理解している。しかしそれでもこの者は引かないのだ。その覚悟には感嘆する。

 これは敬意を持ってほふるべきだ。

『その覚悟、しかと受け取った。それを評して我も十二分に応えてやろう』

 にやりと一笑し、シャオウロウは素早く動く。今回は力を隠す必要はない。ただ手加減は多少必要であろうが、そこはシャオウロウとて了承済みだ。

 全てを焼き尽くす業火の炎。その一波を難なく避け、中空に浮いたまま自慢の毛並みを揺らす。

『逃げてばかりでは決着は付きませんですわよ、白狼の君。それに、ぐずぐずしていると“この体”が先に朽ちてしまうのではありませぬか?』

 鮮やかに酷薄な笑みを浮かべるイズは、炎に焼かれて徐々に剥がれ落ちる自らの肌を指す。己が肢体ではないがゆえの余裕の笑み。

 本来、力では圧倒的に不利な彼女の絶対の自信はこれだ。

 力を制限されてしまうデメリットがある憑依だが、それを盾にすれば補えるというもの。卑怯な手段だが、現にシャオウロウは全く手を出せないでいる。

『わたくしには手も足も出ませんでしょう? 白狼の君。

 ふふふ。それもそのはず。あなた様の主であらせる暦道の王は、誰よりも人間に慈悲を掛けられたお方。その精神を継ぐあなた様もそれは同じでしょうから』

 愉快な声を上げて侮辱するイズに、壁から壁へと移り逃げるシャオウロウは全く動じない。それどころか逆に余裕の笑みを溢し、相手を威圧する一言を投げつける。

『ふむ。…どうやら、貴様は相当鈍いようだな』

『な、何?』

 ギロリと睨むシャオウロウの視線を追うようにイズが周囲を見渡した時。それを合図とするかのように中空に散りばめられた無数の針がイズを目掛けて襲い掛かる。

『ぎゃああぁぁあ!』

 突然襲い掛かった回避不能の攻撃に、イズは防御もままならず、ただ悲鳴を上げる。

 針。というが、正確には針ではない。それはシャオウロウの体毛。彼の力で極限まで鍛え上げられた剣のように鋭い白銀の針。

 しかし見た目ほど実際のダメージはない。現にフラーラの体からは血の一滴も出てはいない。

『ぐ…っ、この程度の攻撃など…!』

 先ほどの微笑みようが嘘のように顔を歪めたイズはすぐさま反撃の姿勢をとる。が、体勢を立て直そうとした彼女の肢体はふらりとよろめく。

 倒れてもなお立て直そうとするイズに、笑みをすっかりと消したシャオウロウが告げる。その表情は、獲物を捕らえた獣のそれ以上に非情な表情にも見えたことだろう。

『我の攻撃を侮っては困る。その針は我の毛並み。それを突き刺した対象より力を吸い取るなど造作もない』

『なっ…、くっ…!』

『抵抗するだけ無駄だ。足掻けば足掻くほどその針は貴様から力を奪う』

 いつの間にか針から四肢を縛る枷へと変化したそれから逃げようと無駄な抵抗を試みるイズに、至極冷静なシャオウロウの声が落ちる。

『貴様のことばどおり、我は主の精神を継いでいるのでな。無用な殺生は好まぬ』

 今にもイズを食い殺しそうな勢いだった表情をすっと和らげる。さきほどのイズの嫌みを、これ以上ないとどめの言葉として告げる。

 そしてゆっくり。一歩ずつゆっくりと、シャオウロウはイズに近づく。

『しかし。我が主に楯突く輩を、そう易々と生かすほど我も寛容ではないという事を忘れるな』

『!!』

 ギロリと睨みつけるシャオウロウのあまりの威圧感に、一瞬震えを伴ったイズの肢体は次の瞬間、がくりとその場に倒れこむ。その拘束によるものも然りだが、これは彼の威による影響だ。

『由那の手を煩わせおって。この知れ者が…』

 がばり、とイズを飲み込むかという勢いで口を開いたシャオウロウはしかし、彼女が纏っている衣服を口に挟むと、そのまま無造作に引きずりながらその場を後にした。


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