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時の息吹  作者: 立羽
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第一章・第一話 再びの大地02

「ただいま…帰りました」

 普段通り『ただいま』で終わらせなかったのは、玄関に見覚えの無い男性の靴と女性のヒールが並べられていたからだ。それは来客ではなく、もっと厄介だから始末が悪い。

 その声に、由那の帰りを待ち構えていたかのような男性がにこやかにこちらを見る。実際、待ち構えていたのだ。

「お帰りなさい、由那さん。お電話したとおり旦那様と奥様がお帰りですよ」

「そう。じゃあ、面倒だから上に行ってもいい?」

「何言ってるんですか? まあ気持ちは分かりますけど、由那さんのためにわざわざお帰り下さったんですからちゃんとお迎えしてあげないと駄目ですよ」

 にっこりと圧し通ろうにも目の前の人物にこの手は効かない。むしろ微笑み返され、しっかりと牽制されてしまう。

「柳田さん、もし私が具合悪いって言ったら通してくれる?」

「まさか。ありえませんよ」

「…だよね」

 由那以上ににっこりと微笑みを浮かべる男性、柳田樹は両親から由那を任された『お目付け役』というものだ。年齢は30代前半で、昨年に同じく家で働く使用人の女性と結婚した。その女性は由那とも仲が良く、少しは丸くなってくれるかと思ったが全然だ。

 由那が幼かった頃から専属のお目付け役を言い渡された彼とはかれこれ15年ほどの付き合いになるのだが、この男には言い合いで勝った例がない。由那にとっては兄のような存在であり、むしろ実の両親よりも親らしい存在だ。

 柳田の方も由那の事を妹や娘のように思っており、恐らく彼がいなければ由那は恐ろしいほどに性格が歪んだ人物に育っていたであろう。それは環境以外にも由那の本質的問題があるのだが、それはまたの後の話しだ。

「このままだと埃っぽいけど、服も着替えさせてくれないの? それと、二人が帰ってる間だけ直すその気味の悪い口調は止めてほしいんだけど…」

「では早めに着替えを済ませて下さい。それと、俺はいつもこの口調ですよ。由那『お嬢様』?」

 ぞくりと、由那の背筋を冷たいものが流れる。それと同時に顔が引きつったが、諦めて着替えて来ることにする。

 本当にこの人には一生勝てないような気がする。いや、勝てないのだと思う。だが同時に、このテクを学ばせてもらってある程度知恵は付いたから感謝をしてもいるが。

「せめて面倒なことはフォローしてよね、柳田さん」

「ああ。早く言って来い」

「……はい」

 そう言っていつもの口調に戻る柳田。有紗以上に気心の知れた彼であっても、由那は心にある『影』を語ることは出来ない――。



「お久しぶりです。お父様、お母様。お忙しいでしょうに、私の誕生日のためにお帰り頂いてありがとうございます」

 内心では『誕生日ごときで帰ってこなくてもいいですよ』と思っていてもぽろっと出さないように微笑む。そして恭しく上げた視線で滅多に帰ってこないワーカホリックの男と夜遊び浮気女、もとい父と母を見る。

 がっしりした体躯で凛々しい父、豊満な肉付きで妖艶な母。そのどちらにも似ていなくて本当に良かったと由那は思う。ちなみに彼女は華奢で聡明なタイプだ。多少性格は歪んでいるが。

「ああ久しぶりだ。暫く見ないうちに随分と大人びたものだな。若い頃の母さんにそっくりだよ」

「ありがとうございます」

 美しくなったよ、と言う父ににっこりと微笑む。こういった時の笑みはまず作り笑いである。

 由那の父は外国暮らしが長いために容姿やら何やらをストレートに褒める。性格も趣味すらも合わない母は父のこういった所に惚れたのだろうか?

「暫く帰ってこられなくてごめんなさいね。うふふ、確かに私にそっくりの美人になったわね。でもその凛とした表情はあなたそっくりですわよ?」

「ああ確かにそうかもしれないな。

 それより由那、こちらに来て掛けなさい。今日は皆で食事をしよう」

 由那以上に顔を合わせていない二人はそれでもまだお互いに愛情はあるようだ。傍から見ていればバカップルの褒め合いを見、由那は表情を崩さないように必死だ。

 本当、真面目に馬鹿みたいだ。

「…はい」

 多少ぎこちない微笑みなっただろうか。それでも感情を完全に打ち消した由那はタヌキ、もとい見事だったと言えよう。守備は常に完璧なのだ。

 横で控えている柳田なんかは、ちょうど視線が合ったときに大笑いしそうな勢いの表情を軽く見せてきた。

 あとでたっぷり文句叩きつけてやろうと思うほどには腹が立った。


「それでお話は何でしょうか?」

 昼食にしては少し遅く、3時のティータイムにしては少し早い時間。お茶で言うMiddy Teaのようなものだ。

 久しぶりに家族そろっての食事を始めてすぐ。由那自身はまだ手をつけていない状態でにっこりと両親を眺めた。

 食事が運ばれてくるまでの間でこれを問わなかったのは、彼らが逃げないようにするためだった。

「お忙しいのにわざわざお二人で、それも私の誕生日にお帰りになるなんて。

 婚約か何かのお話ですか?」

 ぴくりと父の手が止まる。この反応は当たりだ。

 内心で盛大なため息を付きつつ、由那は表情だけは崩さないように笑みを貼り付けておく。むしろ機嫌の悪さがにじみ出ている今の状態では、その微笑みの方が怖く見えるかもしれないが。

「やっぱりそうですね? 申し訳ないですけれど私は婚約をするつもりありません」

「でもとても良い方なのよ? 如月財閥のご子息で、誠実でとても優しい子よ」

 如月。たしか1〜2年前の、母の切れることの無い恋人のうちの一人が如月家の親戚だったような。まさかそんなツテで見合い話が浮上したなんて、冗談も休み休み言ってほしいものだ。

 しかし宮永家が如月財閥の人と繋がりを持つことはどうしてもそれ以外に考えられない。

―――またやっかいな事引っ掛けてきて。その異常なまでの恋愛体質いい加減直して欲しいわ、本当に。―――

 この前の見合い話は由那が中学3年の頃だったか。もちろんそれも、この恋多き母の勧めであった。

 既婚者で年齢ももう40代後半というのに、母は常に5〜6人の男性と付き合っている。早い人では数週間、長い人は由那が生まれる前からの恋人もいるそうだが、全くもって困った人だ。

 そんな母は厄介な事に娘の婿探しにもかなり精力的だ。とくに中学に入ってからの頃は酷く、月に1回は必ずお見合い話を持ちかけられたほど。つまり、母が帰る度にお見合い話を持ちかけられていたのである。

 さすがに早すぎると会う前に母に直接断固として断ってそれは免れていたし、高校に上がってからは母も諦めたのかあまりそういった話を持ちかけなくなった。だがそれは諦めたのではなく、久しぶりに相手に本気になった母が男の所に入り浸っていたということが、つい最近ひどい頭痛と共に明らかになったのだが。

 それにしてもその実態を父が知っていることにも眩暈を起こす原因がある。

 そう。父は母の浮気を知っているのだ。しかしそれを止めようとしない。何故なのかは怖くて本当のところを聞いたことはない。

 柳田は自分だったら論外だと母の勝手し放題を宮永家に仕える者として呆れているが、主人の気持ちも分からなくもないとも言っていた。心が繋がっていればまあ十分だし、面倒だから別れる事はしないんじゃないだろうか、と。

 確かに母は最後はちゃんと父の元に返ってきている。面倒になった恋愛で生じた痴情の縺れは、呆れた事に、父に何とかしてもらっているらしい。だが、父も母の家の後押しで今の会社をより拡大できたわけだし、恐らくこれが恋愛上の契約、もといギブ&テイクというものなのだろうか。

 そういう実態を知っているせいか、由那は恋愛、いや。それ以上に、結婚というものに多少なりの誤った先入観が生じていても不思議ではないというものだ。

 だから普段から山のように来るお見合い話を握りつぶし、もとい断っているのはそういった理由もある。断れなくて母に連れられてしょっちゅうお見合いさせられていた中学時代よりも、高校に上がってからの方が見合い写真を見る機会は実のところ多いのだ。母から直接話を持ちかけられる事が少なくなっただけで。

 もちろん由那自ら抹消しているし、柳田や他の使用人の協力も得て縁談は全て断れていた――はずだったのに。

「誠実であろうと、優しい人であろうと、どれだけ条件が良かろうと。私はお見合いをするつもりはないです」

 どうせ『条件がよい』という理由が一番の理由だろう、と由那はもう何度目になるか分からないため息を内心で深々と付いた。

「だが会ってみなければ分からないこともあるだろう。由那が相手を気に入る事だってあるかもしれない」

「そうですね。私に、今想っている方がいなければ会ってみる気にはなったかもしれません」

 しれっとした口ぶりを少し混ぜる。近くで控えている柳田と視線が合い、彼はやれやれといった表情で見つめ返してきた。

「まあ、由那ちゃんたら!」

 母が物凄く嬉しそうな様子で立ち上がる。父も若干驚いたような表情で由那を見つめてくる。それはそうだろう。由那はこの手の話は一度たりともした事がない。というか無いのだ、こういった話が。

 当然食いつきは良く、母親なんかは使用人に赤飯を炊くように注文している始末だ。

「本当なのか? その…恋人がいるとは」

 おい、親父。どこまで一足飛びしている。

 という意味を含んだ冷たい視線を一瞬だけ送る。もちろん直ぐに色を消したために相手は気づかない。

「はい。慕っている方はいます」

「恐れながら失礼いたします、旦那様。

 お嬢様に慕っていらっしゃる男性がいることはこの柳田が証人となりましょう」

 由那に目で合図をされた柳田は、先ほどの口約束を守ってくれた。両親よりも娘との付き合いの方が長い柳田は、なんだかんだと由那の味方なのだ。

 彼の絶妙なフォローに自然と笑みも浮かぶ。それは作り笑いなどではなく、珍しく素直な感情だった。

「それは事実なのか、柳田」

「はい。確かでございます」

 間髪を入れずに返された言葉に柳田は臆することも無く答えている。彼は父の信用の置ける男であるため、ある程度の信頼はこれで得た。

 さすが柳田。さっき言ってくれた言葉はちゃんと行動してくれる所が、口の悪い彼の良いところだ。

「そういうわけですから、このお話は断って下さい。お母様」

 有無を言わさず止めを刺したのは、清々しい由那の一言だった。


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