第一章・第三話 復活の儀式06
「さて、と」
日が上る時刻よりも随分と早い時間。まだ夜空に星が輝く黎明に、身なりを整えた由那とシャオウロウは動き出す。
冬季の明け方は、いくら雪の降らない地域だと言っても肌寒い。
由那はハンナの店で買った服の中から藍色のコートを取り出す。それはただのコートではない。巫師が着る服、巫の礼装だ。魔法で言う魔道着のようなもので、己の力を込めた防具としての役割を担う重要な装備でもある。大抵は略して礼装と呼ぶことが多い。
素早く羽織ったそれは、青系のよく似合う由那にとてもしっくりきている。
『礼装か』
「うん、そう。用心するに越した事は無いから」
じゃらりと礼装に施された腰に巻かれた飾りを揺らしながら立ち上がる由那は、その装備を確認するように見回す。元からこの服に付いていた装飾もあれば、由那が後から付け足したものもある。それの設えを過不足なくチェックする。
こんな事を言っては何だが、そう広くない辺境の町にこれほどの装備が眠っていた事に由那は感嘆する。この礼装は古式ゆかしき伝統あるその筋の職人が作った品。とても貴重な装備品で、かつ実用的なものだ。
施された装飾品もそれはそれは良いものばかりで、本当に希少価値の高い品である。
『場所は…遠いな。転移すべきか?』
「ううん。出来るだけ森の変化を探りながら行きたいから飛行術を使って行こう」
ここで敵にばれないように徒歩で行こうと言わない辺り、由那の黒さが計り知れる。
由那にとっては、敵にばれてもばれなくても関係ない。結局は敵を討つことに変わりは無いのだから。
「でも、保険のために森へ入るまでは歩きだね」
『………』
いくら皆が寝静まっている早朝だからとは言え、誰かに見られるのはいただけない。そういう所はしっかりと割り切っている主人に、シャオウロウは改めて彼女の性格に感服する。
「シャオ、準備は出来た?」
『うむ』
気合を入れた由那が示す方角を、同じく厳かに視線を向けたシャオウロウが頷く。
そして次の瞬間。佇む二つの影は、まるで暗闇に掻き消えるかの如く目にも止まらぬ早さで森へと掛けて行った。
「わぁ…。いかにも、って感じの場所だね」
『館か』
流れ出る気配を追ってたどり着いた森の奥。歪められた空間を無理やりこじ開けて着いたその先にあったのは、まだ日の差さない時刻だというのにも拘らず、ほんのりと自ら光る館が一軒。シンメトリーの風情ある森の洋館、と言えないこともないが、歪んだ気配に取り込まれたそれは、むしろ仄暗い明かりに照らされた不気味な廃墟と言ったほうが的確であろう、ある意味風情のある館が佇んでいた。
静寂の森にひっそりと佇むこの館。本来ならばそれこそ情緒ある神秘的な風景を映し出したことだろう美しい情景も、これではそんな雰囲気も台無しというものだ。
「闇夜に不気味な光を纏う森の館。そこには寂しさゆえに人を攫う幽霊が――」
『……』
両手を前に垂らして幽霊のお決まりのポーズをとってみせる由那だが、シャオウロウはいたって平常だ。いや、どちらかと言うと冷ややかな表情をしている。
「…なんて。そんな簡単なものなら良かったんだけど」
舌をぺろっと出しておどけてみせる由那は肩をすくめる。しかしこのシャオウロウに冗談は通じない。それは当然のこと。
この世界には、純粋な霊魂だけの幽霊は存在しない。存在するにはするが、それらは遅かれ早かれ例外なく魔物たちに取り込まれる事になるからだ。元来、魔物は妖獣と表されるだけあり、恨み辛みのある霊魂の集った存在が恐ろしい力を持ってしまったものも妖獣に区分されている。
通常なら世界の秩序を司るジンが死した人の霊魂を掬い取るのだが、現世に未練のある魂、いわゆる幽霊となってしまった霊魂はジンに保護される前に魔物に取り込まれてしまうケースが高い。そして一度取り込まれてしまえば、魔物が滅び去るまで闇の淵で苦しむ事になる。最悪の場合、解放される前に苦しみに食い尽くされて消滅してしまうこともある。
もともと、巫術はそういった哀れな魂を救うために作られた術だ。それが派生し、現在の状況になったまで。
浄化術こそ巫術の基盤。自然の理を熟知し、生ある命を慈しみ、そして全てを受け止める心を持つ者こそが巫師のあり方だ。
『巫山戯た事をしている場合ではない。我は早急に事を達したい』
「はいはい。そうだね」
おちょくるような返事で微笑する由那は、しかし次の瞬間すっと表情を消した。今まで微笑んでいた事が嘘のように真剣な瞳で前を見据える。その漆黒が捉えているのは敵の破滅か、それとも館の崩壊か。
いずれにしても、彼女にとって悪い未来ではない事は確かだろう。
「外門は思いのほか簡単に突破できたけど、エントランスはすんなり通してくれるのかな?」
『うむ。難航するやもしれぬ』
明けぬ闇夜よりもダークな微笑み。まったく、これではどちらが正義なのか分からない。
「うーん。駄目。やっぱり開かないみたい」
外門から開けた庭園を抜けたエントランスまで50mは距離があるが、それをひらりと華麗に飛んで越えると何の躊躇いもなく扉に手をかける。押しても引いても開かない事を確認した由那が軽くすくめて振り返ると、ひどく驚いた表情のシャオウロウが間近に迫っていた。
「ど、どうかしたの?」
あまりに鬼気迫った表情で迫られているために、思わず後ずさる由那。何故彼がこれほどまでに怒っているのか理由が分からない。
『何故こんなにも無用心なのだ、主!』
「え…何?」
すっかり困惑してしまっている由那に気を取り直す隙を与えず、シャオウロウは間髪を入れずに捲くし立てる。
『もしこの扉に仕掛けが込められていたら如何するつもりか! 防御も何も発動させぬとは一体何を考えておられるのだ!!』
「や…あの、シャ、シャオ…?」
『敵の根城を前にしてこうも無防備とは考えられぬぞ! 我は肝を冷やしたと言うものを…!』
「………」
一度こうなってしまったシャオウロウを止めるのは至難の業。怒らせたら由那よりも性質が悪い。彼の怒りは、噴火が収まるまで止むことはない。
これは覚悟を決めて彼のお説教を聞き続けるしか無さそうだ。諦めるよりほか無かろう。
しかし、敵前にして味方からお説教を食らう羽目になるとは。なんとも笑える状況である。
『聞いておるのか、主よ!』
「由那。…由那だって。そう呼んでって言ったでしょ?」
静かな声で穏やかな、それでいてちょっと悲しげな微笑みを携える。それは止め処なく文句を募っていたシャオウロウをも黙らせてしまう威力だ。
思わず押し黙るシャオウロウの頭を撫で、由那は前を見据える。この表情からいって、恐らく扉を吹き飛ばす算段でも考えているのだろう。
「面倒だから吹き飛ばしちゃおうか。ねえ、シャオ」
やはりと言うべきか。にこにこと扉に向かって手を翳す由那は楽しそうだ。
『………――。我は一向に構わん。…由那』
先ほどまで責められていた者の態度とは思えないほどけろりとした様子に、ちっとも堪えていない主を見てシャオウロウは一気に脱力している。
「そう? じゃあ…」
遠慮なく。とでも続きそうな濃い笑みを浮かべた瞬間。
ドオン!!
と、静寂を破るとてつもなく大きな破壊音が響く。もちろん由那がドアを吹っ飛ばした音だ。
『やり過ぎではないか?』
「あ、はは…。思ったより弱い結界だったみたい」
『そのようだ』
むろん全力で破壊したわけではないが、1%の力すらも出していない術程度でこの破壊力。一体どれだけ無用心な結界なのか。これを見る限り、術者はそれほどでも無さそうなのだが。
「でも、どうせ全てを片付ける予定なんだから、あまり気にする必要はないよ」
施されたこの結界に力を一切感じなくとも、由那たちにその正体を掴ませない相手。結界の脆さを侮って警戒を解くつもりはもちろん無い。
シャオウロウもその姿勢を崩してはいない。反論しないという事は、一応納得はしているようだ。
「場所は…やっぱり特定できない。面倒だけど、しらみ潰しに回るしかないね」
居場所を特定されても一向に所在を明かそうとしない館の主に、軽く息を付いて由那は中を示す。
貴族の大豪邸のようなだだっ広いものではないとは言え、これでもかなりの部屋数があるだろう。それを一つ一つ見て回るのはこの上なく面倒である。と、正直そう思うが、他に手がないのだから仕方ない。
気合を入れるように一つ頷き、由那とシャオウロウは館へと足を踏み入れた。
「うーん。なかなか見つからないね」
『うむ。気配はするのだがな』
「いっそ気味が良いほどに薄汚れた思念なのに。意外と強い力で空間が歪められていて、正直言ってちょっと腹が立つ」
エントランスに施された結界とは比べ物にならない強力な術で惑わせるように仕向けてくる館の空間。それを難なく突破しているが、一向に見つからない敵に寛容な由那もそろそろ剥がれかけてくる。
言い終わるか終わらないかのタイミングで、由那の周りの温度が若干低くなったのは決して気のせいではない。それをぞっとした様子で見つめるシャオウロウは、少々身震いしている。
『残るはこの奥くらいだ』
「ん。そうみたい」
やれやれと言った様子で伸びをして関節を鳴らす由那。変に脱力している様子が逆に恐ろしい。まだ不敵な笑みを携えていた方が分かりやすくて良い。
「もう面倒だし、このまま建物破壊しちゃおうか? そうしたら手間も省けるし」
由那の言う手間とは、犯人の目的であろう事の阻止。その破壊。
恐らくこの奥に潜んでいるであろう犯人は、十中八九目的の術式もこの奥で組んでいるだろう。つまり、犯人を炙り出すと同時に奴の目論見をも破壊できてしまう一石二鳥の排除法を行使する。いわゆる手抜きというやつだ。
手っ取り早く確実で、かつ面倒が無くて良い方法なのだが。
『由那よ。それを我は批判すべきなのか?』
由那のちょっとした冗談に、シャオウロウもだいぶ耐性が付いてきたようだ。まさか質問を質問で返されると思わなかった由那は、驚きつつも面白そうな表情を浮かべる。
「ふふっ、そう来るわけ。…うーん、そうね。批判しないべきかな。
批判するならば、私の得々とした口上につき合わさせられるのは必至。黙っておくべきが正解…、ね?」
『………』
転んでもただでは起きない。意表を突かれても、それを更に上回る絶妙な対処を取る。たとえそれで傷を作っても、朗らかに微笑みながら表情一つ変えないだろう。多少の不利など由那にとっては微々たるものなのだから。
むしろ転ぶこと事態を楽しみ、本来ならそれを不本意と捉えるところを、そう感じない図太い神経を持っている。彼女にとっては全てが余興に過ぎない。
不測の事態に、してやられたと息巻いているようではそれまでの器。事態を迅速に捉え、いかに自分の有益となるように働かせるかを練ることこそが賢い者のすべき道だ。
はっきり言って人が悪い。元々が人外ゆえの性格というべきか。いや、違う。以前の彼女はここまで歪んではいなかった。これは今の彼女ゆえのもの。
確かに彼女の同胞たちにも似たような所がないわけではないが、ここまで歪んではいまい。
そう。今の由那はとことん人間らしいのだ。
「シャオ? どうしたの?」
立ち止まってしまったシャオウロウを振り返る純真無垢な表情。それこそ由那の思惑の一つ。
遙か昔の事を思い出し、現状との差にげっそりとしているシャオウロウ。その彼の心情を明らかに悟っている様子の由那は、文句を募る気力すら無くし、無言で付いてくる霊獣を見ながらこっそりと笑みを浮かべた。