第一章・第三話 復活の儀式02
「まったく、呆れる騒ぎ様さね」
「本当に、心底呆れますね」
「…………」
盛り上がりが最高潮になり、男たち(主に酔っぱらい)が、これ以上ない馬鹿騒ぎをしている。それを傍から見るハンナとティエーネのその冷めた表情といったら、それはそれはぞくりと底冷えがするほどのものだ。
ある意味息の合っている二人に挟まれた由那は、げっそりとした顔をしているのは言うまでもない。
そんな二人に囲まれているせいか、昨日とは打って変わって、被害者たちの家族などに囲まれる事は一切無い。やはりハンナ効果はすごい。
功労者の中でも当然と言うべきか、巫師である由那は一番に崇めるべき対象とされていた。そんな中でカイルが由那の活躍をとくとくと喋るものだから、余計に火が付いてしまって大変だったのだ。後でその事を知ったハンナにしばかれていたので、由那が直接手を下さずとも憂さは晴れた。
今宵の宴の席で、ティエーネが由那から終始離れないようにしているのも彼らから由那を遠ざけるためだ。しかしこうして二人に護られているとは言え、それでも周りは何とかして由那に話しかけようと隙を狙っている。まったく凄まじい根性だ。
由那もそれに気づいているから、周囲に凍えるほど冷めた視線を送る二人から離れる事が出来ない。理由さえなければ、この二人からすぐさまにでも距離を取っている。
「若い娘たちをいつまでこんなくだらないバカ騒ぎに拘束しとくんだか。これだから男ってのは駄目なんさね」
「まったくその通りですね」
「…………」
もう何とも返す言葉が見つからない。彼女たちも少しお酒が入っているように見えるのは、由那の気のせいなのだろうか。
由那と違って普段からストレートな物言いをする彼女らだが、明らかに険悪で不機嫌なオーラを漂わせる二人に、触らぬ神に何とやら状態の由那は放っておくに限るとでも言わんばかりに問題を放棄する。それにいちいち抵抗するのも億劫だ。
「それだけ嬉しい事だったんですよ。みんな無事に戻ってくるなんて、本当に奇跡のような出来事だったんですから」
それは由那の声ではなかった。
突然響いた第三者の声に、促されるように三人は声の主に視線を向ける。そこにいたのは、くせのある亜麻色の髪をなびかせた可憐な女性、フラーラだった。
深く印象に残る濃い茶色の瞳に穏やかな色を映しながら、彼女はゆっくりと由那に歩み寄る。
「あの、ユーナさん…でしたよね。本当にありがとうございました。失踪した者の中に私の親戚もいたので、今回の事はとても嬉しく思っているんです」
「いいえ。それは私だけの力では無いです。皆さんの頑張りがあって、今のこの結果が生まれたんですから。それに、私も巫師として当然の事をしたまでです。
それにしても、本当にもう大丈夫なんですか?」
「はい、おかげさまでもうすっかりと。本当にユーナさんには頭が上がりませんわ」
ほんわかとした可憐で淑やかな女性。あのカイルには勿体無いくらいの人だ。
倒れているところを発見して今日までフラーラはずっとカイルの家に滞在している。忙しくてあまり話す機会は無かったが、カイルよりも2つほど年上なのだそうだ。
「そんな事ありません。むしろ私は責められるべきです。巫の力を持っているにも拘らず、予兆を何も掴む事ができなかったんですから」
「いえ、そんな…。あなたがいて下さったからこそ、こうして事件が解決したのではありませんの?」
「そうさね。何言ってるんだい、まったく。あんたがいたから、こうしてみんな無事だったんじゃないかい!」
「本当に、二人の言うとおりだよ、ユーナ。私たちだって君に助けられたものじゃないか!」
悲しげに苦笑した由那の言葉に、三人は猛抗議する。うち二人の凄まじい反論っぷりに思わず目を剥く。
あまりの力説に堪え切れず、思わず吹き出した由那は徐に下を向く。その不可解な様子をよく見ると、由那は口元を押さえて肩を震わせている。普段冷静な由那にしては珍しい行動だ。
堪えきれない笑いの渦に声を出さぬように必死な由那だったが、不意に息を吐くと、その笑いを苦笑に変える。さきほどまで自嘲に走っていた自身の思考が、またぶり返してきたようだ。
「ありがとうございます。そう言って頂けるなら、私も嬉しいです」
しかしまだ笑い足りないようで、締まりの無い表情を浮かべたまま、由那は苦笑とも微笑ともつかない表情で微笑んだ。
『主よ、無事か?』
「……これで疲れていないなら、大したものだと思うけど」
どさりとハンナ宅の自室のベッドに倒れこんだ由那は、げっそりした声を出す。
事件が解決してもう五日。宴が開かれたのは翌日の四日前なのだが、あれから連日連夜ぶっ通しでお祭り騒ぎが続いている。と言っても、今はもう騒ぎたい者たちが勝手に騒いでいるだけだが。
しかし由那は違った。
由那自身はもちろん騒ぎたいなどと微塵も思っていないのだが、町の人に崇めたてられ、失踪した者たちやその家族に拝みたてられ、それはもう否応無く大変なお祭り騒ぎに引き込まれてしまっている。
さすがのハンナやティエーネもここまで大きくなっては庇いきれず、由那も既に諦めた。
もう正体がばれるばれないの話ではない。由那はもう、ある意味神のような存在として、一部の町人たちに崇拝されつつあるのだ。
「も…ねむ、い」
目を閉じた瞬間に規則正しい寝息が聞こえる。四六時中『ユーナ様! 救世主様!』などと崇められていればこうもなろう。
それでも、由那は彼らを振り払う事ができない。彼らのこの喜び様や、向けられる好意を無下に出来ないということもある。しかし、それ以上に最もな理由がある。それは、彼らの恐怖心を少しでも緩和させるというものだ。
当然というべきか、魔物の仕業と聞いて怯えない人間はいない。その恐怖の象徴たる存在を看破・撃退した由那の存在は、どれだけ彼らの支えとなっているか。こうして連日の騒ぎを続けているのは、ただ失踪した者たちの無事を祝うだけではないという事くらい、十分すぎるほどに分かっている。
そう語った由那に、主の押しの弱さにシャオウロウは呆れ果て、もはやため息すら付くことができない。もちろん由那もそんな自身を苦笑していたが。
『人を思い、憐れむ所はまったく変わらぬな。主よ……』
本来ならばこうなる前にシャオウロウが止めていた。しかし由那の、主の性格を理解しているからこそ、止めるに止められなかった。
『我は時折、それが危うく思えてならぬ』
額に息を吹きかけても寝息一つ乱さずに深く眠っている主を、シャオウロウは憮然と、そして呆れたように眺めた。
「あ、起こしちゃった? おはよう、シャオ」
『………うむ。疲れは取れたのか、主よ』
清々しい微笑みを携え、昨日の疲労の様が嘘のように平静と振舞う由那に、シャオウロウの方が狼狽える。
それにしても早い。おはようと言うには些か時間が早いだろう。外はまだ白み始めてすらいない。
「まだちょっと残ってるけど、大丈夫。ありがとね」
ぽん、とシャオウロウの頭に触れ、由那は大きく背伸びをする。
そんなことで疲れが取れるわけではないが、すっきりと気持ちが真っ直ぐになった気がする。
「さて、と」
掛け声のような声とともに立ち上がった由那は、さっと素早く身なりを整える。こんな朝早くから何処かへ出かけるのだろうか。ただ下へ行くだけにしてはずいぶん着込んだ格好だ。
その様子に慌てたシャオウロウは思わず声をかける。
『主。何処へ行くのだ』
「ちょっと散歩でもしようかと思って。シャオも行く?」
何の気なしの言葉。何故そんなに陽気なのか不思議でならない。
『無論だ。主の許しがあるならば、我は何処へでも供する』
「ありがとう。じゃあ行こう」
終始穏やかな由那に調子を狂わされっぱなしのシャオウロウは、訳が分からないまま彼女の散歩に付き合うことになった。
しかし。それは彼女が向かう先を知るまでで。
『あ、主! 夜も明けておらぬうちに森の奥まで入るのは危険ではないか?』
「平気よ。事件は解決しているんだから」
『…………』
にっこりと微笑んで進言をまったく気にしていないその様子に、シャオウロウはあからさまに苦い顔をする。無理もないだろう。
「何かあってもシャオがいるんだし、たまにはこうして二人きりで散歩するのも悪くないでしょ?」
シャオウロウが文句を募るよりも早く、由那はそう言って怒りの矛先を逸らしてしまう。そんな事を言われては、文句を言うに言えない。
以前と似ているんだか似ていないんだか。処世を身に付けた由那はまさに人間らしい。シャオウロウも主のそういった所を掴みかね、どう対処すべきなのか迷うのだ。
そんな霊獣の心情などいざ知らず、由那は軽い足取りで森の散歩を楽しむ。
数日前の出来事など無かったかのように、警戒心がまるで無い。平時そのものだ。
『主よ、こうも無防備すぎるのは…』
「由那」
少しは警戒すべきだ、と忠告しようとしたシャオウロウの言葉が遮られる。
「由那でいいよ。そう呼んで」
歩みを止めた由那は振り返って微笑する。だが、光を宿す瞳は思いのほか真剣な色を宿している。
しゃがみ込んだと思うと、じっとシャオウロウを見つめる。
「今の私は由那。だから名前で呼んで」
感情の読み取れない表情。喜びも、悲しみも、何一つ感じ取れない不可解な漆黒の瞳。しかし、抗えない強い何かを感じさせられる。
『だが、主よ…』
「いい。私が許すと言っている」
『………』
決して命令するわけでは無いが、ひどく強制力を感じさせる笑みを浮かべた由那。ますます分からない。
力ある者が名を呼ぶことは、その者を縛る事にもなり得る。まさかシャオウロウが由那を縛るような真似をするなど、天地がひっくり返ってもある訳がないし、由那もシャオウロウの名を呼んで縛るような事をしない。だが本人たちにその意思が無かろうと、それでも力ある者同士が名前を呼び合う事は危険なことだ。それに、主人だけならまだしも、従属が主の名を呼ぶなど例が無い。
それなのに何故突然、こうも強硬にそれを主張するのか。呼び方など今さらだろうに。
「シャオ、呼んで。いいえ、呼びなさい」
頑ななその態度に、ついに由那は命令口調で諭す。しかし決して強引で強制力のある命令の仕方はしていない。だが、同時に逆らう事を良しとしない強い言葉だ。
『良いのか、主よ』
「構わない。私がそう言っているんだから、ね?」
『…承知した。……ユ、ユーナ』
戸惑いながらも、一応シャオウロウは共通語での呼び方をする。が、しかし。
「由那だって。由那」
『う、うむ。由那』
やはり指摘されてしまった。本気で名を呼ばせるつもりなのだ、これは。
「うん」
シャオウロウに名前を呼ばれたことに満足そうに笑う由那。本当に彼女の意図が分からない。
暫く黙り込んで考えていたシャオウロウは、結局答えが出せないまま早朝の散歩を終えたのだった。
閑話02.5があります。