第一章・第三話 復活の儀式01
「おおっ。よく無事で! よく無事で…!」
「ああっ! よく帰ってきてくれた!」
「よかった。本当に、本っ当によかった!」
由那たちが魔物の討伐を無事終えたその日の朝。町は歓喜の声で溢れかえっていた。
切願していた失踪者たちの無事の帰還。誰一人として命を落とすこと無く、無事に帰ってきた人たちを家族や町の者全員が喜び、涙を流した。
「ありがとう! 本当にありがとう!!」
魔物を倒し、彼らを保護した由那たちは功労者として盛大な感謝をされた。それこそたくさんのお礼の言葉や、感謝の気持ちとして品物を届けに来る者まで現れるほどに。
そんな中、最大の功労者として称えられた者が由那だ。彼女は町に滞在するだけのまったくの通りすがりの存在でありながら、その類稀な巫の力によって魔手から失踪者たちを救った。感謝しても仕切れないくらいだ、と。
まるで神でも崇めるような勢いに、さすがの由那も引きつった笑みを浮かべながら、その歓喜の渦を適度に対応していた。
「でも本当によかった。皆さん特にこれといった怪我もなく、精神的にもそれほど影響はなく安定していたから」
そう言いながら微笑む由那の言葉とは裏腹に、彼女とその霊獣だけが知る実際の状況はとても深刻なものだった。
由那はそれを、まるで呼吸でもするかのように簡単に解決してしまってはいたが、彼らの受けた肉体的、精神的ダメージはかなり大きいものだったと言える。最悪、あの洞窟内で失踪者全員が命を落としていても不思議ではない状況だったのだ。
そんな切迫した事態だったことを露とも表に出さず、ディックやティエーネたちが応援を呼びに戻ってくる僅かな時間だけで彼らの治癒をやってのけた事実を知ってこそ、彼女がこの件の最大の功労者であることを真に称えられるというものだろう。まあもちろん、由那はそれを決して明かしはしないが。
それこそ知らぬ存ぜぬで、駆けつけた総勢150名の自警団員たちが迅速に失踪者たちの保護を進めていく様を静かに眺めていた。その傍らにいたシャオウロウも、当然彼女と同じ様子だ。
そして、およそ1時間の後には約50名に上る失踪者たちは全員レハスの町にある自警団の医療施設へと収容された。そこには討伐で負傷したエイブたちも含まれている。
「そうだな。本当に無事で何よりだ」
由那の隣に並ぶティエーネも少し疲れた顔をしている。彼女も色々と町の人たちに揉まれて来たのだろう。
魔物との戦闘よりも体力・気力ともに消費する歓迎っぷりに、深夜の討伐をこなした由那たちの疲労は極限まで来ている。失踪者たちの帰還に喜ぶのは勝手だが、そろそろ解放して欲しい。
失踪者たちを町へと運んできたのは日が昇り始めた早朝だ。それが今はちょうど真上に移動した昼ごろ。つまり、由那たちは6時間近くもこの群衆に拘束されているということだ。
いくらディックでも、歓喜に狂う群衆はどうにも出来ないようだ。もう彼らの成すがままだ。
「ユーナ。やはり、疲れているみたいだけど大丈夫か?」
お祭り騒ぎの群集にげんなりしている由那を心配そうにティエーネが問いかける。それに曖昧に微笑んだが、確かにそろそろ休みたいとは思う。由那の場合、休息というよりは睡眠が取りたい。
魔物を浄化した術に、失踪者たちを治療した術。高位の巫師が慎重に術式を組んで、やっと行使する事が出来るほどの術を連続して使ったのだ。いくら桁違いの力を保有している由那でも、肉体は平均的な少女のもの。当然術の疲労は蓄積してしまっている。
その上、この狂ったような歓迎っぷりに囲まれてしまい、ろくに休む事も出来ない。もう眠くて眠くて仕方が無い。
「ほらほら、あんた達! 嬉しくて騒ぎたくなるのは分かるけど、そろそろうちの子を返しとくれ」
町のお祭り騒ぎに呆れたようなハンナが群衆を掻き分けて由那とティエーネの腕をむんずと掴む。そして有無を言わさず二人を連れ去ってしまう。
どうやらこの騒ぎが町外れのハンナの家まで届いていたらしい。なかなか帰ってこない由那たちの身を案じ、こうして助けに来てくれたようだ。
しかし群集に未だ囲まれている彼女の息子はほったらかしで良いのだろうか?
「ありがとうございます、ハンナさん。助かりました」
「感謝します。ハンナ殿。彼らの気持ちは分かりますが、抜けるに抜け出せなくて大変でしたよ」
「いいさね。そんな礼なんて。
それよりあんた達、少し休んだ方がいいね。顔色が悪いよ」
ほっとしている由那とティエーネにハンナは微笑みながらも心配の色を浮かばせる。
気を使って蒸しタオルまで持ってきてくれたハンナからそれを受け取り、二人は汚れた顔を拭う。タオルの温かさがじんわりと疲れた体にとても穏やかに効く。
由那は群集から少し外れたところに退避していたシャオウロウを呼び、今回の功労者である彼にもそれを宛がって労わる。彼は助けられなくてすまないと謝っていたが、これは仕方の無いことだ。
今ではシャオウロウの存在にもすっかり慣れた町の者たちは、彼を見ても驚かなくなった。それに今のこの状態では、たとえ彼に怯えている者がいても歓喜の渦で掻き消えてしまっていただろう。
「さて、そろそろ帰るかね」
「はい。あの、でも、ハンナさん。カイルはいいんですか?」
「ああ、構うもんかい。どうせすぐ帰ってくるさね」
由那たちと違って、あれでも男だから頑丈さね。と、そんなことを言いながら彼女は豪快に笑う。
どうせたいした役にも立たなかっただろう? と、カイルの事を見抜いているところはさすが母親だ。変なところで感心してしまった由那は、そのままハンナの言うとおり放っておくことにした。
「これは…、すごいと言うか、なんて言ったらいいか…。ねえ、ティエ…」
「ある意味、すごいな」
今日はどこぞの大国の建国祭か、と目を丸くするほどのお祭り騒ぎ、もといどんちゃん騒ぎ。
ゆっくりと休息を取った翌日。由那たち功労者はレハスの町の町長から直に徴集がかかり、一体何の用件かと各々が出向いたところ、今の状況が出来上がっていた。
ここは自警団の比較的広い一室。
「いやいやいや…。今回は本当にご苦労じゃった」
改まって礼をするのは、還暦を過ぎた年の頃のレハス町長。そして近隣の町の町長らも揃っていた。
最も被害が大きかったカノルムの町長はあまりの嬉しさに号泣しながらお礼を言い募っている。まあ気持ちは分からないでもない。
町の住民から相当ひどく非難されたのだろう。とても苦労していた様子が一目見ただけで鮮明に伝わってくる。
「町長方自らお礼を言っていただけるのは何とも光栄ですが、一体これは何の騒ぎですか」
功労者を代表してディックが困惑した様子で問いかける。由那たちも同じ様子で、皆戸惑っている。
由那たちが座っている場所。そこは自警団の一室にある普通の椅子ではない。何故か装飾された上座のテーブル。そこに同じく華やかに装飾が施された椅子に、由那たちは腰掛けている。
そして町長たちの背後には、昨日良く見た顔ぶれがぞろぞろと。部屋に入りきらないほどに列を成して集ってきている。
「おお、これか。これは見ての通り、失踪した者たちが皆無事じゃった事と、お主らの働きを労う慰労会じゃよ」
慰労会。これが慰労会の規模か、と叫びたくなる程の盛大さ。呆れるより、いっそ大仰に驚いたほうが爽快かもしれない。
両隣のティエーネと、凄まじい回復力を持って現在ここにいるエイブも顔が引きつっているのが分かる。カイルは少し離れた所にいるが、恋人のフラーラが寄り添うように彼にくっついている。フラーラも無事に全快したようで、それからというもの二人は片時も離れず共にいる。さすがラブラブなカップルなようで。
由那はじっとカイルたちを見る。凝視というほどしっかりとではなく、それとなく視線を流しているにすぎないが。
そんな由那の視線に合わせるように、彼女の足元に伏せているシャオウロウもカイルたちをそれとなく見ているようだ。そんな様子に微苦笑し、由那は進められていく慰労会とやらの進行を他人事のように眺めた。
「今日は功労者たるお主たちを称える意味で呼んだのじゃが、今宵の宴も是非出席して貰いたいんじゃよ」
町長の言葉に、広場で着々と進められている騒ぎにやはりか、と肩を落とす。
ハンナたちの家から自警団の建物へ来る際、それはそれは凄まじい勢いで何かの準備が進められていた。それはそれは嫌な予感しかしなかったが、やはり予想通り。町長たち以下、失踪者の家族や町の者たちは、昨日の騒ぎやこの慰労会だけでは終わらせる気はなかったということだ。
一夜であれだけ盛大に準備が進められているのだ。彼らの気持ちは無下には出来ないだろう。諦めるよりほか無い。
「これほどにも盛大な宴の準備してくださったんだ。私たちとしても、こうして感謝される事はとても嬉しい事ですからな。
――…そうですね、分かりました。参加しましょう。皆もそれで依存は無いか?」
結局折れたのは、予想通りディックだ。やりすぎだとは思いつつも、彼らの好意そのものは嬉しいのだ。それは間違いない。
確認を取るディックの視線に諦めたのか、皆静かに頷きだけを返した。
「それにしても、たった一日でよくこれだけの物を準備出来たな」
「うん。本当にね」
レハスの大広場に場所を移し、夕暮れ時から始まった失踪事件の解決を祝う宴の中心に座る功労者たちの席で、ティエーネの呆れたように感心する声が響く。由那もそれに同意するように頷く。
こんな盛大な宴を開く前に、まずは失踪者たち体を気遣ってやるべきではないだろうか。
由那が治癒術を施した失踪者たちは、ほぼ全員がこの宴に出席している。もちろん彼女の行使した術に不備はないのだから心配はないが、一歩間違えれば死を招くような状態だったというのに、なんとも暢気なものだ。
奇跡に近い出来事で歓喜するのは分かるが、こういう類のものは数日を空けてから開くべきだろう。まだエイブ以外の負傷者たちは床に臥せているのだから。
それこそ皮肉な話だが、由那の術で人知れず回復した失踪者たちとは違い、人目を盗んで術を掛けることが出来なかった4名の討伐隊員たちは軽傷とは言え、まだ動ける状態ではないのだ。
「おーい、女性陣。そんなところに固まってないで、こっち来てくださいよー」
「そやそや。むさい男より、やっぱ若けー女がいいぜ!」
「「…………」」
お祭り騒ぎの中では酒の回りもすこぶる良いらしい。
休養を取っている4人のことを思っていた由那の気も知らず、暢気に馬鹿騒ぎしている連中に呆れてため息しか出なかったが、隣を見て思わずぎょっとする。
「あ…、わっ…。ティ、ティエ! お願いだから早まらないで…!」
「いいや、ユーナ。ああいった輩は早いうちに叩いておかないと付け上がるというものだ」
烈火の如き怒りの炎を纏ったティエーネに、慌てて由那は止めに入る。そうだ。そうだった。ティエーネは浮付いて女性を軽んじる輩が大っ嫌いだったのだ。
テッドの件で懲りている由那は、何とかして彼女の怒りの矛先を変えようと必死だ。ここまで必死な由那の様子は、そうそうお目にかかれるものではない。それほどにティエーネの形相が凄まじいものだということだ。
「せ、折角ですけどごめんなさい。ティエ、あっち。あっちの、ハンナさんたちのところへ行こう。…ね、ね?」
「いや。私はこいつらの捻じ曲がった根性を叩きなおし…」
「う、ううん。それはいいから。だから行こう。さあ、行こう」
がしっと腕を掴み、ティエーネを連行する。
「――…?」
そのまま彼女の手を引いていこうとした由那だが、ちょっとした違和感に一瞬動きが止まる。だが違和感を感じた本人にそれを告げることはせず、由那は気を取り戻すとそのままティエーネを引いていく。
「ユーナ…」
否応無く連れ去る由那に文句を募るものの、ティエーネは無理やり手を払う事はしない。由那の柔な力など、普段から体を鍛えているティエーネにしたら本当に微々たる力のはずなのに。
そのことに由那はちょっと苦笑しながら彼女をいざなう。と同時に、先ほどの違和感を反芻する。
すらりとした身長に違わず、その手足も長いティエーネ。色が白いので剣を扱う者としては線も細く見える彼女だが、意外と腕はがっしりとしていた。
やはり体を鍛え、鋭い剣を扱っているからなのだろう。さすがに本人を前にして逞しい腕だね、などと言うわけにもいかない。ティエーネ自身もそれは恐らく気にしているだろうから。
「………」
「どうかしたか? ユーナ」
「ん? あ、ううん。何でも」
まさか、ティエーネの腕が意外とがっしりしていて吃驚した、などと言えるわけも無く、由那は無理やり笑顔を貼り付けて笑った。