第一章・第二話 闇夜の失踪07
「っ、…痛っ!!」
『主!?』
捜索が終わってからいつものように夜に気配察知の術を行使していた時のことだ。
日に日に強まっていく違和感に今日こそ迫ろうと神経を研ぎ澄ましていた由那は、突然の激痛に苛まれた。
『如何した? 無事か、主よ』
「うん、平気…」
突如襲った頭痛に頭を押さえながら、由那はいつになく苦い表情をさらしている。
主の異変に、常に冷静であるシャオウロウは少し取り乱している様子だ。そんな彼の不安を拭うように由那は笑む。
「心配かけてごめん。もう大丈夫」
無事というにはまだ治まっていない頭痛だが、今はそんなことに構っている余裕は無い。反発を受ける前、僅かに感じ取ったあの感覚。あれは確かに『人』の気配だった。
しかし問題はそこでは無い。
ただの人間である人物が、どうやったら由那とシャオウロウの包囲網を欺けるのか。その手段はそう多くない。
その推測が当たっていないことを願いながら、由那はシャオウロウをつれて気配を察知した方角へと走る。今はもうハンナたちは寝静まっているので、多少抜け出しても分からないはずだ。
『主、何処へ行かれる! 闇夜に出歩くなど危険だ』
「大丈夫、別に平気だよ。私は攫われるなんてヘマはしないから。
それより、さっきようやく敵のしっぽを掴んだ。そう言っても感じたのは思念のようなものだったけど、あれは確かに今回の事件を起こした奴のものだった」
『確証はあるのか? 主よ』
駆け出した主を追うシャオウロウは、闇夜だというのにその艶のある純白の毛並みを輝かせて走る。彼は天然のライトのようだ。実際、これは彼の力で光っているのだが。
「あんな異質な気配、この失踪事件の犯人しか考えられない。もし万一に違ったとしても、何らかの手がかりは得られると思う。でもそれにしては随分…」
『うむ?』
「ううん。何でもない」
頭を振り、もう逃がしはしないと嗤う由那は実に楽しそうだ。いや、彼女はこの状況をあからさまに楽しんでいる。
どうやって人々を弄んだ落とし前を付けてやろうか。決して楽にはさせまい。人間の命を軽んじるという大罪を、その身を以て償わせるのは当然だ。
「この私を敵に回すということがどういう事か、犯人にはよく思い知ってもらわなければね」
暗闇に微笑む少女の笑みは、とても鮮やかで底冷えがするほどに残忍だ。
この彼女を怒らせたのだ。犯人はもはや無事では済むまい。
しかし。そんな由那以上に、怒り心頭に発す者がいた。
「シャオ。お願いだから出会ってすぐには殺さないでね」
『む…。努力はしよう』
幾分か由那よりも余裕があるように見えるシャオウロウだが、その実かなり腸が煮えくり返っているのだろう。
主の手を煩わせる不届き者。そして自分たちにその気配を悟られない巧妙な手口。さぞや噛み砕いてその存在を葬り去ってやりたいだろう。
相手が救い様のないロクデナシならば、それでも良いかというほどには由那も腹は立てている。でもそれ以上にその人物に興味がある。それは当然だ。
この由那とシャオウロウに気配を感知させないほどの巫師。実に興味深い。
「さて。どうやって料理しようかな」
近づきつつある気配の方へと向かいながら、由那は人ならざる笑みをその顔に携える。これはもう殺る気満々だ。
しかし、それは目的地に着くまでのことだった。
『それで、ここがそうなのか?』
「そのはず…なんだけど」
世にも恐ろしい笑みを浮かべながら彼らが向かった先は、意外と平穏な森の一帯。こんなところで人を攫うような物騒なことが行われているとは思えないほど清らかな場所だった。
由那は辺り一帯を見回す。正確には辺りの気配を探っていたが、しかし先ほど感じたような異質な気配など微塵も感じ取る事が出来ない。
相手に由那たちが探っていた事がバレてしまったのだろうか? いいや。そんなはずは無い。
確かにこの辺りで感じたものだったはずなのに。それに結びつくようなものが一つも残されていないというのも妙な話だ。
―――誰かに消されている。と、考えるのが普通ね。でも、それにしても何かがおかしい…。―――
いくら由那たちが本調子でないとしても、どれだけ探っても犯人に繋がる証拠どころか、失踪した人たちの思念すら拾えないなんて事はありえない。正体が魔物であろうが人であろうが、必ず淀みが残るはずなのだ。
でもやっと感じた気配を辿ってみると何故かこんな場所へと出てしまう。こんな清らかな場所へ。
やはり変だ。たとえ一万歩譲って犯人が気配を巧妙に隠せる力の持ち主だとしても、数十人の失踪者や、彼らが失踪した場所の淀みを消せるなんて力があるわけがない。人知を越えている。
人知。その考えに思い至った由那は、思いっきり苦い表情をする。
『主よ、一体…』
「今日は帰りましょう。どうやら私の勘違いだったみたい」
険しい表情を問われる前に由那はそう告げると歩き出す。もうここには用は無い。
『主?』
質問に答えなかった由那を当然怪訝そうに見やるシャオウロウに、しかし由那は曖昧な笑みを携えてそれをかわした。
「シャオ、とりあえず戻ろう?」
『……承知した』
一度決めた事は何があっても覆すことをしないのがシャオウロウの主だ。いくら転生したとしても、その根本は変わっていないだろう。
少し不満が残りつつも、無駄だと悟ったシャオウロウは主の言葉に従った。
「ユーナ。今日はやけに眠そうだが、大丈夫か?」
「大丈夫。それよりもティエ、今日は私が捜索ルートを決めても良い?」
「え? ああ。それは構わないが」
あくびをかみ殺しつつ、由那は平時の表情を塗りつける。由那たちの本日の捜索範囲は、レハス南のハンナたちの住まいに近い場所だ。奇妙な事に東西、そして北は行方不明となっている人たちが失踪した場所に上げられている所があるが、唯一南だけはそういった情報が寄せられていない。
人家が少ないと言う理由もあるが、些か妙だ。もしかしたら近々ここでも失踪者が出てしまうかもしれない。それはなんとしても防がねばならない。
昼間に人が失踪したという情報はまだ報告されていないが、夕刻時や朝方など夜以外でも失踪したと言う報告があげられているので用心に越した事はない。
「今日はこの辺からハンナさんの家辺りを見回ったあと、ちょっと森の方にも捜索範囲を広げたいと思っているの。昨日ここの担当だった第4班の人たちは森まで手が回らなかったようだし、私たちが見て回りましょう」
「いや、森の中へ入るのは危険だ。我々全員が失踪する可能性だってある」
由那の突拍子もない提案にティエーネは即座に否定する。確かに複数で失踪した例がないわけではない。しかしこれで引き下がる由那ではない。頑固さは天下一品だ。
「少し見ておきたい場所があって。もし危険だと言うなら、休憩時間にシャオと一緒に行こうかとも思っているけど」
「……………、わかった。降参だ」
「ありがとう。ごめんね、ティエ」
由那一人を危険にさらすより、4人で捜索した方がまだマシだと判断したようだ。了承を得て満足そうな由那と、やれやれと言った様子のティエーネ。二人はこの数日でとても仲良くなった。
カイルにも敬語が抜けるまで1ヶ月近くかかったが、彼女とは本当に数日でここまで打ち解けた。由那にしてはとても珍しいケースだ。
「それにしてもシャオ…、シャオウロウだっけか。さすが巫師だな。これほどまでに優美な飼獣を使役しているなんて」
ティエーネは飼獣を見慣れているのか、シャオウロウと初めて会った時も驚かなかった。大抵の女性なら、狼に似たこんな大きい獣を見れば悲鳴を上げ、最悪失神してしまいかねない。
それどころかティエーネはシャオウロウに興味を持っていた。捜索隊が組まれた初日に彼を見てすぐ、色々なことを根掘り葉掘り聞いてきた。それはもうシャオウロウと由那の出会いから、今までの経緯まで。
あまり突っ込まれた事を聞かれても困るので、大体の経緯を話して後は言葉を濁しておいた。
「シャオは私の自慢の飼獣なの。でも、私は彼を使役するなんて言葉では括っていない。彼は私の友人だから」
「それは、すまない」
ぽすっとシャオウロウの艶やかな白銀の毛並みに触れる由那にティエーネはまずい事を言ったというような表情で謝る。
それに苦笑し、由那は瞳を伏せると頭を振った。
「ううん。気にしてないから大丈夫。ただ、私はシャオを飼獣という枠に嵌めたくないだけ。彼は私と対等な存在で、私の大切な旅のパートナーなの」
実際には主従関係で結ばれてはいる。でも、由那はシャオウロウをただの僕としているわけではない。自分と同じ対等の存在だと思っているし、いくら主とはいえ、命令よりも彼の意思を尊重したいと思っている。
誓約の鎖で縛るつもりもない。理不尽な命令を下す気もない。
ただ、彼が間違った事をすればちゃんと忠告するし、由那が間違った事をするならば彼に止めて欲しいとも思っている。
「そうか、パートナーか。いいな、そういう考え方は」
「ありがとう」
二人は目を合わせるとどちらともなく微笑む。やはりティエーネとは意見が良く合う。
「それにしても…」
穏やかに和んでいた由那は振り返る。
「バカイル! てめっ、何処見てんだよ。しっかり探さねぇか!」
「うるさいな。エイブこそ、その節穴どうにかしろよ!」
「………」
初日から相変わらずの二人。カイルは比較的冷静だと思っていたが、彼とはあまり馬が合わないのか喧嘩ばかりしている。
しかしこの調子にもいい加減疲れを覚える。止める気にはなれないが、今のうちに抑えておかなければ後々面倒だ。
「二人とも?」
「うひっ。ご、ごめんユーナ」
「ったく。悪かったよ」
「分かれば良いです」
にっこり微笑みながら鋭い視線を投げつけるだけで収めてしまう由那はさすがだ。
彼らの口論があまりに激しくなった日、見兼ねた由那はディックに直談判したのだ。その後は当然彼にみっちり叱られたようで、この様子を見れば少しは懲りているようだ。もちろん密告者が由那である事を彼らは知っている。
また由那に報告されるのは遠慮したい。ディックは怠惰な団員や規律を乱す者、特に男には容赦がない人物らしい。
「さあ、お昼までは予定通りこの辺りを捜索しましょう。午後は森の中へ入るので、そのつもりで気を引き締めておいて下さいね」
終始穏やかな由那の微笑みほど恐ろしいものは無い。この数日でそれをしっかり頭に刻み付けられた三人は、至上の微笑みを携えた由那の言葉に勢いよく頷いている。
第11班のリーダーは言わずもがな、誰が決めるまでもなく由那に決定した。
閑話07.5があります。