第一章・第二話 闇夜の失踪06
「それじゃあ各自、担当区域へ向かってくれ」
詰め所で行われた説明が終わって直ぐ。60名ほど集まった者たちの編成が無事決まり、1班それぞれ4人のチームで捜索が開始された。
由那たち第11班はレハスの町の北側を捜索区域として見回りを始めた――のだが。
「おい、カイル! お前、今俺の足踏んだな!」
「踏んでないって。お前の気のせいだろ!」
「んだと? カイルのクセに生意気な!」
「俺のクセにって何だよ。甘く見るのも今のうちだぞ!」
取っ組み合いを始めたのはカイルとエイブ。その横を止めずに通り過ぎた二人は普通に話を始める。
「本当に良かったです。ティエと同じ組になれて」
「そうだな。だがあの二人は止めなくていいのか?」
「大丈夫です。勝敗は決まってますから」
エイブとはティエーネとそう変わらない付き合いの長さだが、カイルの性格は1ヶ月あまり一緒に過ごしているから分かってきている。
彼は基本的に争いはあまり好まない。要領は悪いが頭の良い彼は、負ける戦いを受ける事はしないだろう。
「ったく。もう止めだ。勝手にそう思ってろ」
エイブからすり抜けて土で汚れた服を払う。少し不満そうだが、やっぱりカイルはカイルだ。
「ね?」
「ははっ、本当だ。しかし君はカイルのことを良く知ってるんだな」
「ええ。彼の家に滞在して1ヶ月以上は経ちますから」
シャオウロウを紹介した時に彼が『バカイル』と呼ばれていた訳も今では良く分かる。彼は変な所で意固地にこだわる所がある。初めて会った時のあの聞き分けの無さがそれだ。
一度思い込んだら頑として譲らない。これはお店に命をかけるハンナ譲りなのかもしれないが、それにしても一直線と言うか単純と言うか、阿呆と言うのか。鬱陶しい存在と言うべきか悩む。
「困った兄だね」
「――…ええ。本当に」
ティエーネはそんな由那の心情を悟ってくれたのだろう。くしゃりと由那の頭を撫でると微笑んだ。
出会ってまだ数時間も経たないと言うのに、彼女とは不思議と打ち解け合えた。恐らく過去の境遇が似ているからだろう。二人は考え方や感じ取り方がとても良く似ている。
彼女はその容姿のせいで。由那は過去の記憶で。
他人と自分は違う。その悩みをずっと抱えてきた二人だから、一緒にいると何だか安心する。相手の何処まで踏み込めるのか、その線引きをお互いに十分見極めているのでとても楽なのだ。
それが良いことなのかは分からない。けれど今だけは。ほんの少しだけ、それに甘えていたかった。
「おー、カイルにエイブじゃん。お前ら捜索隊に入ったんだって? ご苦労なことだな」
レハスの町の北側は田畑が多くある場所。そんなところで珍しい人が声をかけてきた。たらし優男ことテッドだ。
彼はこんなところでも何故かキラキラと甘いオーラを纏っている。ある意味、隙の無い男である。
「まあ、お前ほどじゃないと思うけどな」
呆れたような顔でカイルはテッドか引き連れている総勢7人の女性たちを見てげっそりしている。既に注意する気すら無くしたカイルの横にいるエイブも、似たような表情で心底うんざりしているようだ。しかし彼はカイルとは違った。
「お前な、俺らの仕事増やすなよ。こんな町外れにそんな引き連れて、全員失踪でもしたらどうすんだ。女たらしの考え無し野郎が」
「はぁ。俺のこの魅力が分からないなんて…。これだから筋肉馬鹿は嫌だな」
「けっ! 軟弱ひ弱な優男よりはマシだぜ。そんなひょろっこくてお前、実は女なんじゃねーのか?」
ようやくカイルとエイブの言い合いが済んだのに、今度はエイブとテッドか。しかし面倒なので止める気は無いが。
横でぎゃあぎゃあと騒いでいる人達を無視し、由那は不意に瞳を閉じる。そして大きく息を吸い、神経を研ぎ澄ませる。
何か。何か感じる気配は無いか。失踪した者たちの心など、何か感じるものは無いか。注意深く探る。
「はぁ……。駄目。やっぱり分からない。犯人はまだしも、失踪した人達の気配くらいは辿る事が出来ても良いはずなのに」
捜索隊に入る前から気配を探っていたのにも拘らず、彼らの気配は探る事が出来なかった。こうして捜索隊に入り、失踪した人達の持ち物に触れて気配を探っても、何も出てこなかった。
そして彼らが失踪した地点でこうして探っても、由那はおろかシャオウロウでさえ何もつかめていない。
「シャオ、どう?」
『分からぬ。我を欺けるものなど、そうは多くいないはずなのだが』
「そう、なんだよね。私はまだ感覚が戻っていないから仕方ないにしても、シャオが探れないなんて普通じゃない」
由那はずっと異世界にいたブランクと、ここへ来て張ったステルスの影響でまだ鋭く探る事が出来ていない。日々鍛錬は欠かさないが、それでもやはり追いつけていない。
一方のシャオウロウも、長い間力を抑えていた不具合によってまだ本調子とは言いがたい。この二人共がこうなのだ。当然捜索もあまり芳しくないものになるだろう。
まあ、由那たちは捜索隊というよりもこれ以上の被害者を出さないための見張り役といった役所である。
だからこそ、テッドのような人間を迅速に人気のある場所まで送り返す事が重要だ。いくら昼間であろうと、こんな町外れにいては攫って下さいと言っているようなものだ。それに、既に街中でも失踪事件が発生している。何時如何なる時に事件が発生してもおかしくは無い状況なのだ。それを分かっていないからこそ頭が痛い。
「あの。テッドさん――」
「君、用もないのにこんな場所へ来るなんて何を考えているんだ。私たちの仕事を増やさないでもらいたい」
「………」
由那の言葉を遮るように続いた声。それは終始穏やかだったティエーネの怒気。冷ややかで周囲の空気が凍るほどの鋭い視線。女性でこれほどまでの殺気を放てる人間がいるとは。
ルティハルトの使者と聞いていたのである程度の技が使えるとは思っていたが、彼女は確実に実戦を経験している。それなりの地位を持っている軍人なのだろう。この突き刺さるような鋭利な雰囲気がそれを指し示している。
これは憶測だが、彼女はルティハルト王に直接仕えている人物なのだろうと思う。その高貴な雰囲気やこの立ち振る舞いといい、謎の多い女性である。
「ああ、君は確か隣の国の使者だったね。うーん…強気な女性も嫌いじゃないが、俺はもう少し可愛げがある方が好きだよ。ほら、俺の周りの子猫ちゃんたちみたいに」
「君に好かれなくとも結構。それより、私にまた同じ忠告をさせる気か?」
「そうは言ってもな、デートなんだ。甘いひと時の邪魔はして欲しくない」
無駄にフェロモンを撒き散らすテッドに周りの女性はきゃあきゃあ言いながらはしゃいでいる。
その様子に小さく嘆息するティエーネは、取り巻きの女性たちの方へ視線を向けた。そしてテッドに勝るとも劣らない、凛々しく高貴な雰囲気をまとう声で忠告する。
「お嬢さん方。ここは例の失踪事件があった場所だ。あまり危険な事はなさらないように」
先ほどまでテッドに夢中だった女性たちは、その優美でいて力強い微笑みに思わず見惚れてしまう。王宮に仕える騎士のごとき気高く高貴な彼女の雰囲気は、同性でも惹かれてしまう何かがあった。
ぽーっと顔を赤らめて夢現な様子の彼女たちは、再びティエーネが『ね? いい子だから』と蕩けるような微笑みで勧めるや否や、それに従うように『は、はい…』と夢心地な返事をしてよろよろと歩き出した。
どうやら彼女たちを惹き付ける魅力はティエーネのほうが上手のようだ。
「ちょ…子猫ちゃんたち?」
大人しく町へと向かう女性たちに慌てたようにテッドが付いていく。これで少しは彼も懲りるだろう。
その様子を満足そうに見送ったティエーネは、もう先ほどのような雰囲気は無く、至って穏やかな表情をしている。
「ティ、ティエ?」
「ああ、ごめん。捜索を開始しよう」
半ば呆けて彼女を見つめる三人の仲間たち。これからは彼女には逆らわない方が良いと教訓を得た由那たちだった。
「捜索を始めてもう5日になるのに、行方不明者の発見どころか手がかりはゼロ。警戒を強めているというのに、この5日で失踪者は8人増えた。
ああ、まったく。犯人はどうやって攫っているんだ。そして何の目的があってこんなことをしているんだぁー」
「うっせーぞ、このバカ!」
「あ痛っ!」
「あ? 何だカイル、誰に『会いたい』んだよ?」
勝手にナレーションを始めたカイルに、当然のようなエイブのツッコミ。もうこれは定着した出来事だ。
またいつものように喧嘩になった二人を止めもせず、由那とティエーネは二人で話し始める。
「カイルの話じゃないけど、本当に犯人は何を考えているんでしょうね。誘拐ならただの村人を襲わずに裕福な家の者を攫うと思いますし、魔物の仕業や巫師が生命力を必要としているにしても、そろそろ何らかの術式が発動してもおかしくないはずなのに」
「……あ、ああ。確かにそうだ」
さらりと怖い事を比喩する由那にティエーネは引きつった顔をする。
何らかの術式。それは当然人を犠牲にした禁忌の術であり、術者の目的は何であるにしろ、発動すれば必ず悲惨な末路を辿ることは必至。犠牲者なくしては決して止まることのない危険な術だ。
あまりにも危険であるため遙か昔に禁じられた術式。しかし力を求める者がいる限り、禁忌の術は決してなくなりはしない。
人は自分たちに身近な魔物を恐れる。しかし禁忌の術を恐れぬ人はいない。例え古に絶えた術式とはいえ、その威力は国を一瞬で崩壊させるほどだったという記述は誰もが知っていることなのだ。
それ故に人々はその言葉すら口にする事を恐れる。こんなにもさらりと、まるで日常会話をしているかのようにすんなりと言ってしまえるほどに禁忌の術は易くない。
どれほど恐ろしいことを口にしたのか自覚が無い由那は、特に気にせず話を進める。
「私やシャオが感知する限り、強い巫師の気配は感じません。でも妙な違和感を感じていて」
「妙な違和感? そうか。君はそういうのを察知できるのか」
「ええ。日に日に強くなっていることは感じてはいるんですけど、依然気配は感知できなくて」
難しい表情をしてシャオウロウの頭を撫でる由那をティエーネは冷静に見つめる。そして何を思ったのか、ふとその表情を和らげる。
「焦る事は無い。発見されていないと言う事は、まだ皆生きている可能性だってある。私はそう思っている」
「ティエ。……ええ。そうね」
何だか女性と言うよりは男性に慰められているかのようだ。これほど秀麗で剣の腕が立つ女性なのだから、町の女性たちがその姿に惚れ込むのも分からなくもない。
あれ以来、テッドの取り巻きだった女性の大多数がティエーネに鞍替えしている。例え女性でも、凛々しくて紳士的なティエーネは魅力的なのだろう。
由那はそういった魅力に飲み込まれる事は無いが、とても頼もしい兄が出来た気分だ。そう思うほど、カイルは些か頼りない。
ハンナもティエーネの人柄を気に入ったらしく、カイル共々よろしくお願いしますと由那を預けたほどだ。
「さ、今日も捜索を開始しよう」
「ええ」
力を入れて頷いた由那は、未だに言い争っているカイルとエイブを呼ぶ。もうお決まりのパターンだ。
「ほら、カイルにエイブさん。早くしないと団長さんにサボっていたって言いつけますよ?」
由那の声にカイルもエイブも慌てて付いてくる。団長のディックは怒るとよほど怖い人物のようだ。
二人の良い手綱さばきを得たことに満足しながら、由那は今日も張り切って捜索を開始した。