第一章・第二話 闇夜の失踪05
「そう言やあ、お前武術扱えるのか?」
「いいえ。あまり得意では無いです。身に付いているのは護身術程度ですから」
「ゴシンジュツ? …ああ。女が男から身を守る術か」
護身術と言っても、由那が覚えている型は生半可なものでは無い。と言うのも由那は、家庭事情からこれまでに何度か誘拐されかけた事がある。実際に誘拐されてから以降、身を守る術を学ぶ必要があった。
だから男性を軽い力で倒せる程度には、護身術は身に付いている。だが所詮は対人間用の技だ。護身術でトラやライオンを倒せと言われても無理であるように、ましてそれよりも凶悪な魔物を倒せるはずが無い。あくまで護身の術だ。
「ふーん。じゃあ魔物と戦うのは無理でも、カイルを倒す事くらいはできるのか?」
「そう…ですね。出来ると思います。
その『倒せ』という言葉がどの程度の事を言うのか分かりませんが、とりあえず悶えさせて逃げる事なら可能です」
言い終わると同時に由那はカイルを見てにっこりと微笑む。
「はへ?!」
その含みのある笑みに、今まで気を抜いていた様子のカイルが素っ頓狂な声と共に飛び上がる。
「さすがに致命傷を与える事は出来ませんが、急所と呼ばれる場所を巧みに突いて相手を悶絶させることは出来ると思いますよ」
「…つまり、殺傷することは出来ないが、金的でもして悶絶させる事はできるってことか」
それは身も蓋も無いが、一応そういうことだ。しかし由那の学んだ護身術はそんな禁じ手を使う技ではない。テクニックだ。
禁じ手は最後の手段だ。それに成功する確率が低いし、まだ相手の鼻に頭突きを食らわせる事のほうが確実だ。これは抱きつかれた時の技だ。とは言っても、正面からと後方からでは対処の仕方も色々と違ってくる。
由那は今のような簡単なものから技術の必要な難度の技まで、一通りパターンに合わせて色々と学んできたのだ。
「へ、へぇ…。ユーナ、末恐ろしい技覚えてるんだな…」
すっかり顔が青くなったカイルに思わず笑ってしまう。エイブがやってみろと言ってくる性格なのか、すごい怯え様だ。
これから由那の護衛を務めるという人物が情け無いったらない。
「カイルが変なことしなければ使わないから安心して。それに、私に何かあったらシャオが黙ってないから大丈夫」
由那に手を出そうものなら、彼女に付き従うこの霊獣が烈火の如く怒り狂うだろう。カイル自身、それは身を持って経験済みだ。
引きつった笑みを浮かべているカイルはさておき、由那はエイブから捜索隊のメンバーの名前と強さや経歴などをざっと説明してもらった。とは言っても彼が所属する自警団の団員がメインで、そのほかに参加するのは由那のような特殊能力持ちと、あと特殊事情持ちだけだ。
それは由那を含めて三人で、一人は由那の護衛のカイル。そしてもう一人が町の巫師だ。あとは皆、自警団員なのだそうだ。
「あれ? 女性の方もいるんですね」
由那は不意に目に止まった、唯一の女性と見える人物を見ながら不思議そうに問いかける。
「ああ。あいつは隣の国から仕事でこの町に滞在しているヤツだ。一応ここの自警団所属にはなってるけどさ。
ってかスゲーよな。さすがは大国ルティハルトの使者だけあって、女でも剣技が上手いんだぜ」
「………そう、なんですか」
ルティハルト。その名を聞いた瞬間、由那は一瞬だけ動きを止める。しかしそれに気づいた者は一人としていない。いるならば、恐らく一匹。そう。シャオウロウだ。
由那がここで生きていたときにも存在していた国。それがクルド皇国の西に位置する大国、ルティハルト国だ。まさか現在まで存続していたとは。
一瞬だけ由那の瞳に影がかかる。しかし本当に僅かな間で、由那自身がそれを誰にも悟られないように意識したため、彼女の異変を感じていたシャオウロウでさえその色に気づかなかった。
数秒瞳を閉じて完全に色を消す。そうすれば誰にも分からなくなるだろう。
「どうも初めまして。私はティエーネと言います。君が旅の巫師?」
由那たちが噂していた事に気づいた女性は自ら歩み寄り自己紹介をしてきた。とても友好的な女性らしく、人懐っこそうな微笑みを浮かべている。
セミロングの整えられた髪は、彼女が良い家柄の出身だと言うことが分かる。その立ち振る舞いもそうだが、とても艶のある整えられた髪だ。多少は解れた感じを出していても、庶民はここまで手入れの行きとどいた艶は出せない。
それにしても彼女の容姿には驚く。人懐っこく品の良い彼女の容貌とは相反し、なんと彼女は紫の髪と瞳なのだ。珍しいと言うよりは珍妙だ。
まずこのような色をした人間を由那は知らない。いくらここがリヴィルだからと言っても、それにも限度がある。
金や銀の瞳をもっている者は見たことがある。それでも吉凶を心配されるくらいに物珍しい存在だ。彼らでもまだ異端だと言うのに、紫の瞳はありえない。
なぜなら紫は魔物の象徴ともされている色だ。魔物のほとんどがくすんだ紫の瞳を持っている。もちろんそれ以外の漆黒や金や銀、そして真紅などの瞳の魔物もいる事はいるが、人里に下りてきて害を成す輩は8割方が紫だ。彼らの血の色が紫だと言う理由から、ほとんどが紫の瞳をしているのだと言われている。
それは世界の常識なので、この女性がいかに相当な苦労を強いられてきたかが覗える。ここでの滞在も彼女がきちんと大国出身の身分証明を出来ているからこそ、変な目で見られることが無いのだろう。それ加えて、この町の人たちは異端視する者が少ないという事もあるのかもしれない。寛容な町でなければ、まずティエーネや由那のような『よそ者』が事件の犯人として疑われているはずだ。
それでもそんな様子を一瞬たりとも見せず、微笑んでいる彼女はとても強い人なのだと由那は思った。
「ええ。由那と申します。初めまして、ティエーネさん」
「よろしくユーナ。私の事はティエで構わないよ」
「分かりました。ティエさん」
「呼び捨てでも構わないんだけどな」
クスクスと微笑むティエーネは、女性だと言うのにとても長身だ。その言葉遣いと相俟って、綺麗な顔の男性にも見える。彼女とは20cmは差があるので、日本の平均身長ほどの背丈しかない由那は大きく見上げる形になってしまう。由那の背丈はこの世界ではかなり小さい方であり、カイルには最初12、3歳、つまり小学生に間違われた。
しかし由那に言わせれば、見た目が幼い自分より中身が幼いカイルの方が年下に見えると思う。事実、嫌味を込めて穏やかな口調でカイルにはそう言って差し上げた。
その事は置いておくにしても、カイルとハンナに自分は17だと言ったらひどく驚かれたように、由那はここでは身長が低い。確かにリヴィルの平均身長は、女性は165cmで男性は178cmが平均だ。日本のものより5〜10cmほど高いくらいが平均なのだ。
「この髪と瞳の事、気になる?」
「え…あ、いえ。そういうわけじゃ…」
うっかり呆けていたせいで、悲しげな表情をさせてしまった。変に弁解するのもどうかと思うが、誤解は解いておきたい。
「ただ、背が高くてうらやましいなと」
「え? ああ。そうだね。女性にしては…少し高いかな私は」
「いえ。私は背が低いのでうらやましいです。私、これでも17歳なんですよ。見えますか?」
「え、17歳?」
由那の告白にティエーネは目を見開いている。やっぱり年相応に見られていなかったらしい。
「ごめん。ちょっと見えなかった。14、5かと」
「いいえ。私も変にじろじろ見てましたからお相子です。だから気にしないでください」
そう言って微笑むと、ようやくティエーネも微笑み返してくれた。由那はティエーネの容姿を全く気にしないという事を分かってくれたのだろう。
由那は魔物とか色々な迷信に一切関心が無い。興味も無い。もともとがジンであったのだから、人間たちが噂する事の真偽のほどを知っているのだ。だから分かる。紫の容姿をしていてもティエーネは人だ。それは紛れもない事実。
それに由那は偏見も一切無い。多種族との交流はお互いを知る事だと分かっている。この世界に存在する人間以外のもの、霊獣や飼獣、そして魔物。それからジンや、竜族なども良き多文化交流になると考えている。
はるか昔にはいた亜人なども、昔の彼女も差別しなかった。ただ人間たちに差別され、異端視されたために今では存在する亜人は竜族のみになってしまったが。
飼獣などにはまだ少なからず亜人の血が流れている者もいるようだが、自分たちと異なると言うだけで差別視されることはとても悲しい事だと思う。個が全ではないのと同じで、生まれてきた存在は1つとして同じものは無いのだから。
個を尊重すべきだ、差別視はいけないことだ、と頭から強制はしたりしない。しかし、たとえ己と異なる点を受け入れる事が出来ずとも、彼らの存在をほんの少し認める事くらいは歩み寄っても良いのではないだろうか。
「私、ティエのその色、素敵だと思うわ」
「………」
唐突に言ったせいか、ティエーネはひどく驚いた表情をしている。まさか容姿を褒められるとは思わなかったようだ。いや。平然として容姿のことに触れる人間がいるとは思わなかったのだろう。
少し戸惑っているだけだ。由那の言葉が偽りでないことを彼女はちゃんと理解してくれる。受け止めて、その気持ちをきちんと返してくれる事だろう。
「…ありがとう。とても嬉しい」
「ええ」
ぎこちない言葉だった。でも二人はお互いに微笑み合う。
そして少し照れた様子のティエーネは若干赤く染まった頬を隠すように続けた。
「いや、容姿の事を言うならユーナは本当に綺麗な双黒だね」
「双黒?」
「黒い髪に黒い瞳を持つ人物を指す言葉だ。我がルティハルトでは時のジン、特に暦道のイブリース様を崇めているから、彼女と同じ容姿を持つ者は至上の祝福を受けた貴重な人材として特別視される。
特に彼らは総じて優れた一面を持っていて、神官や宮廷巫師にも双黒の者は多い。本人の意思に関係なく、神の化身にされてしまうわけだ」
「そ、そう……なんですか」
苦笑するティエーネに、辛うじて微笑んだ由那は引きつった頬を抑えることに必死だ。今、由那の意識は全てそれに注がれている。
何て厄介な事だ。確かに由那は前世も双黒だったが、隣国ルティハルトではそんな扱いを受けているとは。
これから旅をするにしても、ルティハルトへ行くのは極力避けたほうがいい。と、由那は複雑な思いを抱きながら思った。
「…ところでよ。お前、結構な腕なんだって?」
由那とティエーネが話していたため、半ば存在を忘れられたエイブとカイルが会話に割ってきた。
「あ、ああ。ルティハルトではそこそこの腕だと自称する」
自信満々にティエーネは手を胸に当てる。その笑みはとても好戦的で、何者にも曲げる事の出来ない信念のようなものを垣間見た。
「女性同士なら団長のディック殿が配慮して同じ班にしてくれるかもしれないな」
「そうね。ティエと一緒だったら嬉しいです」
確かに同じ女性同士で組めたら何かと頼りやすい。その腕のほどがちょっと不安なカイルや、格闘好きの気性が荒いエイブよりは組みやすいだろう。
それにティエーネは容姿とはまた別に、何か違和感を感じさせる。それを探るにもちょうど良い。
「私もぜひユーナと一緒に組みたいな」
微笑む彼女の気配をこれとなしに探る。たぶん由那があの時感じた気配ではない。それでも何かを感じさせる気配だ。
―――とにかく、ティエとあの違和感が繋がらないことを祈るしかないかな。―――
そう思いながら表面上は穏やかないつもの微笑みを浮かべて頷く由那。彼女の大捜索はこれから始まるのだ。気を抜かず、何事にも疑ってかからなければならない。
少しでも何かを感じた者は徹底的に。それが町の安全に繋がるのだから。