第一章・第二話 闇夜の失踪03
「おー、カイル。久々じゃん」
「「?」」
カイルを呼び止める声に由那たちはその人物に振り返る。
「あれー? カイルん家にいる子じゃん!」
「はい、ご無沙汰しています」
フードを被っているにも拘らず、さらりと由那のことを言い当てる青年。確かテッドと言ったか。年はカイルより少し上で、25歳くらい。肩まで伸びた少し癖のある琥珀色の髪を軽くまとめた優男風の青年だ。緑色の瞳はいつも胡散臭いくらいの穏やかな笑みを浮かべているのだとカイルが言っていた。
彼はカイルがシャオウロウを魔物と間違えた例の一件で集められた時の一人だ。あれ以来一度だけ、もう一人の友人と一緒にカイルの家まで来た時に会っている。
「久しぶり久しぶり! いやー、会いたかったよ。ハンナさんの家に会いに行って以来、カイルのガードが厳しくって会わせてくれなくってさー」
「え? ガードが…固い?」
「テッドが会わせろ会わせろ煩いからだろ!」
由那が問うよりも早く、カイルが怒鳴りつける。長い付き合いなのか、テッドは気にした様子は無い。
「えー? 俺、そんな煩く言ってないぜ。ま、お嬢さんに会いたかったのは本当だけど」
「それが煩いんだ!」
「………」
ここ1ヶ月一緒にいて、カイルのこんな荒々しく怒鳴る様子は初めてだ。いつも少し抜けていても穏やかに勉強を教えてくれていただけあって、ちょっと驚きだ。
「ね、ね? 名前なんていうの?」
「ゆ――…」
「うっさい! お前なんかに教える名前は無い!」
「お前には聞いてねーよ。ねえ、名前なんての?」
またもやカイルが怒鳴りつける。しかしめげないテッドもすごい。
「いいよカイル。そこまで守ってくれなくても」
「い、いや! そういう意味じゃ…」
カイルやハンナには、滞在するにあたってあまり人に関わるのは好ましくないと伝えているので、それを考慮してくれているのだろう。でも、ここに滞在する事になってからは少し考えを改めている。改めざるを得ない。
こうしてカイルたちと関わりを持ってしまった時点で、一人と関わるのも町全体の人たちと関わるのも対して変わらないのだ。水に投げ入れられた小石によって生じる波紋は、今更止めることなど出来ないだろう。
「自己紹介が遅れました。私は由那です」
「ふーん。ユーナちゃんか。可愛い名前だね」
「よろしくお願いします、テッドさん」
「テッドでいいよ。カイルの事と同じで」
可愛い云々の下りをさらりと無視した事も特に気にせず、むしろにこやかな微笑みを携えるテッド。彼はこの町一番の色男でかつ、たらしだ。
由那の兄のような気持ちでいるカイルとしては、あまり近づけたくない輩である。
「おい。もう挨拶は済んだだろ。とっとと向こう行け」
由那には聞こえないように小声でどつく。しかしこの女たらしは完全、由那にロックオン状態だ。
「ね。予定が無いなら、これからお茶にでも行こうよ」
「あ、いえ。ハンナさんから買い物を頼まれているので」
「そうだそうだ。母さんから用事頼まれてんだよ。お前一人で行け」
「む。用事ならカイル一人で十分だろ?」
テッドを追っ払う口実を作ったカイルだったが、彼も一筋縄では去ってくれない。むしろ口実をカイル一人に押し付け、由那と二人きりにしようと仕向けてくる。まったく、これだから女好きは困る。
「私もハンナさんから用事を言われているので、そういうわけには行きません。すみません、テッドさん」
「あ、そうなのか。うーん、すごく残念だけどそれなら仕方ないね。じゃあ、是非またの機会に」
すごく残念そうなテッドに、何故か勝ち誇った様子のカイル。二人を見比べ、由那は怪訝な表情になる。
色恋沙汰に疎いところは、他の事には聡く要領の良い由那の唯一の欠点だと言える。人はこうまでも疎くなれるのかと思うほどに、由那は自分の恋愛の出来事には気づかない。見向きもしない。
「そうですね、またいつか」
「もう来なくて良いぞ、テッド!」
由那の言葉に軽く会釈してさって行くテッドに、カイルは悪い虫を撃退した、まるで勇者のように生き生きしている。彼も自分の色恋に無頓着だが、たらしには凄まじいセンサーが向くらしい。すごいガードっぷりだった。
「さて。邪魔者は追い払ったし、そこそこ町を見て回ったら買出しして帰ろう。あんまり遅くなると母さんが煩いし」
「うん。行きましょう」
指を指すカイルにわくわくと楽しそうに由那は頷く。久々のリヴィルの町並みなのだ。楽しくないと言う方がおかしい。
人々に混じって穏やかな町並みを楽しむ。こんなにも心躍らせる事は他に無い。
夕暮れまで終始にこやかに、由那はカイルに案内されるままレハスの町の風景を楽しんだ。
不意に。何かの気配を感じた。
「!」
「ユーナ、どうかした?」
ある程度満足に見終わり、ハンナから言いつけられた買い物の品を両手に抱えたカイルが振り返る。カイルの横を歩いていた由那が急に歩みを止めた為だ。
「…ううん。なんでも」
異常を感じさせない完璧な微笑み。それとは裏腹に、由那はそれとなく辺りの気配を探る。だが既に気配の元は絶っている。手繰るのは不可能のようだ。
正常に戻った周囲の気配を感じながら、由那は苦い微笑みをカイルに悟られないように浮かべる。
―――何だろう。ざわざわとして、とても嫌な気配だった。―――
高度な巫術でも悟られない程度に力を抑えているとは言え、この由那に気配の追跡を許さない存在。明らかに人ならざるものの仕業と見るのが妥当だろう。
この町周辺に転移した時に感じた違和感はシャオウロウのみ。その他の気配はしなかったはずだが。
しかしシャオウロウも近くへ接近して分かった事も事実。未だこの世界の波長に慣れていないのだろうか? 恐らくそれもある。が、たぶん自分自身にステルスを張っているせいだ。しかし、だとしたら少々危険だ。新たな対策を考えなければならない。
万能な術の思わぬ落とし穴に由那は眉根を寄せる。
―――帰ってから、シャオに聞いた方が良いみたいね。―――
あれ以来、彼と話すのは少し気まずい。だがシャオウロウ自身はあまり気にしていないだろう。主に必要とされて疎む霊獣はいない。むしろ尻尾を振って喜ぶはずだ。彼らにとって主の役に立てる事は何よりも嬉しい事なのだから。
「早く帰りましょ?」
「あ、ああ。分かった」
穏やかな表情を浮かべながらいやに真面目な声を出した由那に思わず驚いたカイルだったが、しかし由那の意見に依存は無く、ぎこちなくも了承の意を込めて頷いた。
『町へ行っていたと聞いたぞ、主』
「え? ああ、うん。ハンナさんから聞いたのね。ただいま、シャオ」
帰るなり、玄関にふて腐れたように寝そべっていたシャオウロウに問い詰められる。少し心配を掛けてしまったようだ。由那は彼に何も告げずに町へ出てしまったから。とは言っても、伝えようにも何処かへふらりと出てしまっていたので伝えられなかったと言うのが正確だが。
それにしてもシャオウロウの放浪癖は全く直っていない。何時も何処へ行っているのかと聞いても答えてくれない。
危険なことをしていないのなら強いて聞くこともないとは思うが、それでもあまり遠くへ行ってしまう事は止めてほしい。もちろん無茶な事もして欲しくない。
「シャオに聞きたい事があるの。いいかな?」
『何用か?』
「この町周辺の気配なんだけど、今何か異常は無い?」
由那は今日感じた気配の事を伝える。するとシャオウロウは何か難しい表情をして考え込む。
「シャオ?」
『否。我は何も感じないが』
「そう…」
シャオウロウでも感じていないだが、何故そのような難しい表情をしているのだろうか?
「シャオ。何か別の事で思うことがあるの?」
『! い、否。我は別に…』
「何を考えているのか言ってごらん? それとも私には話せないこと?」
意地悪くじっと見つめる。言い逃れることは許さないと言った視線に、とうとうシャオウロウの方が折れた。さすが柳田直伝。だんまりを決め込んだら梃子でも動かなかったシャオウロウが、なんともあっさりと白状する。
『彼奴の気配がする』
シャオウロウの答えた言葉はとてもシンプルだった。
彼奴、か。シャオウロウが彼奴という人物は限られる。しかし由那にはその気配は愚か、欠片すら分からなかった。
意識を集中させてシャオウロウの言うように気配を探る。
細く細く。糸のように細く意識の線を伸ばす。上下左右、四方八方を絡み取る意識の線。気配察知の巫術。術を無詠唱で発動させるのはかなりの熟練した技術が必要だ。普通に詠唱すると、相手側や周囲にいる力のあるものには気づかれてしまうのだ。
もともと能力の高い術者はこうして無詠唱で気配を察知するのが当たり前だ。
しかしそれにしても、ステルスの術で自分自身を覆っているからか、結構やり辛い。それに加え、力のあるものはその気配を隠すのにも長けているので探り辛い事もある。
「! 掴んだ。確かに感じた」
『であろう?』
「でも場所までは…ちょっと特定できないみたいね。上手く隠している」
不機嫌な表情をするシャオウロウとは対照的に、由那は過去を懐かしむ微笑みを浮かべる。そうだ。彼とはシャオウロウ以上に長く会っていないのだ。別れる時もシャオウロウよりも早かった。
「っと、それよりも先に異質な気配の方が先ね」
言うなり由那は瞳を閉じると気配察知にその感覚を鋭く研ぎ澄ませる。これからの訓練も兼ね、ステルスを張っていても気配を鋭敏に感じ取らなければならない。
「………」
『主?』
探っている時間がかなり長い。シャオウロウも心配になってきたようだ。
通常なら十数秒で終えるはずが、もう1分近く経とうとしている。それだけ真剣に、詳しく細部まで察知しようとしている結果だ。
「…何か、探れた、かも」
『主!』
ハッと目を覚ますと同時に深く呼吸を数回繰り返す。かなり長い時間を探っていたのだ。術に対する疲労が半端ではない。
いくら最強の存在だとしても、体は生身の人間なのだ。無理もない。
「だ、大丈夫…。それより、何か…異質な存在が、近くにいる」
『異質な、存在?』
由那の様子を心配しつつ、彼女の語った言葉に怪訝な表情を返す。彼自身、由那が探るまで気づかなかったのだ。苦い表情になるのも当たり前だ。
「そう。でも巧みにその気配を隠している。詳しいことは私も掴めさせてもらえない」
『そうか。我も探るべきか?』
「いいえ。これ以上は気づかれてしまう可能性が高いと思う。相手は私やシャオの察知を欺くほどの力の持ち主なのだから。慎重に事を運ぶべきだと思う」
心なしか緊張した面持ちで由那はシャオウロウを見る。そのシャオウロウも硬い表情をしている。
前世イブリースの少女と眷属たる霊獣をも欺く存在。その重大さが、彼らには痛いほど分かっているのだ。
閑話03.5があります。