第62話 前世の世界
涙が出る。
16年ぶりに見る自分の部屋。
埃の臭いが鼻につくが、それでも定期的には掃除されているのだろう。予想よりもヒドイ感じはしなかった。
閉まりっぱなしになっていたカーテンを勢いよく開ける。
陽の光を浴びて、部屋を舞う埃がさらに際立つが気にせずに窓の外を眺めてみると、そこには長年見続けていた景色が広がっていた。
本当に前世での世界に戻って来れるとは思っていなかったので、内心とてつもなく動揺している。
べつに、何かやりたい事があって戻ってきたわけじゃない。
試してみたら偶然できちゃっただけなのだ。
この世界に戻ってきても、私はもう沙川マヤではない……この世界ではルーナ・ルイスに戸籍など存在していない。
せっかく来たのだから両親にお別れの挨拶でもしていく?
いやいや……見た目も全然違う少女にいきなり「私はあなた達の娘のマヤです。今は異世界で元気にやっているので心配しないでください」とか言われて「はいそうですか、わかりました」とはならないだろう。
うん、とりあえず両親の挨拶は無しにしておこう。
ただ『せっかく来たのだから』部分はそのまま採用して、私が死んだ後のこの世界を少し見てまわろう。それくらいはべつに構わないだろう。
柱にかかっている時計に目をやると、時刻は11時30分。
この時間だと皆仕事に行っていて、この家には誰もいない。
いちおう『索敵』のスキルを使ってみるが、この家から人の反応は一切なかった。
というか、この世界でも、ちゃんとスキルは発動するんだなぁ……
まぁちゃんと発動しなかったら、元の世界に帰る事ができなくなって詰むんだけどね。
私は2階にある自室から、1階のリビングへと移動する。
テーブルや椅子など、若干の配置換えはあったが、見慣れた我が家だ。
唯一大きく変化している個所は、私の遺影と位牌が置かれている部屋の隅だろうか。
私は自分の遺影を覗き込んでみる。
そこには、写真を撮られるのが心底嫌そうな顔をしている私が映っていた。
ああ……この表情は覚えている。
私の17歳の誕生日の時に、姉ちゃんが「記念に」と言って、買ったばかりのデジカメを私に向けてきた時のやつだ。
まさかこの時の写真が遺影に使われるとは……もうちょっとマシな写真は無かったのか……いや、無いか。これより前だと、たぶん中学校の卒業アルバムまでさかのぼるハメになる。
私は私の遺影を持ったまま、洗面所に行き、そこにある鏡を覗き込んでみる。
そこに映っているのは、銀色の髪と瞳をした少女であり、黒い髪と瞳を持つ『沙川マヤ』とはまったくの別人だった。
遺影に視線を落とし、そこに映る私の顔を確認し、改めて自分が死んだ事を実感した。
このままここにいたら、涙があふれ出てきそうだったので、私は遺影を元の位置に戻して、そのまま玄関から外に出ようとしたが、踵を返し再び2階へと移動する。
玄関の鍵を開けて外に出てしまっては、再び鍵を閉める手段がないからだ。
いくらなんでも誰もいない家の玄関扉の鍵を開けっ放しはマズイだろう。
そんなわけで、下からだと足場がなくて上るのは困難だと思われる、2階廊下の窓を開けて、そこから外に出る。
もちろん、鍵をかけるのは無理だけど、窓自体は外側からちゃんと閉めておく。
足場がなかったので、指の握力だけで窓枠につかまっての行為だったのだが、異世界でのステータスがそのまま反映されてて助かった。
生前の私では絶対にできない芸当だ。
もちろん2階から飛び降りても平然としていられるのもそうである。
「探索!……標的、姉ちゃん」
特に行くあてもなかったので、探索スキルで姉ちゃんを探して見る。
姉ちゃんだったら、この姿を見ても私だってわかってくれるだろうし、何よりも、2階廊下の窓の鍵が開いている事を伝えなくてはならなかった。
時間的にも、上手くいけば昼休憩中の姉ちゃんを捕まえる事ができるだろう。
姉ちゃんの反応はすぐに見つかった。
距離的にはここから5㎞くらい西だ。
生前の知識を利用して、そこがどのあたりか当たりをつける。
たぶん、ここから500mくらい先にある駅から電車に乗って……ん?電車?
「あ……お金が無い……」
そうだった……私は今、この世界の通貨は持っていないんだった……って事は5㎞を徒歩か……いや、直線距離で5㎞だから、実際はもっと歩く必要があるかもしれない……
時間的に昼休憩中の姉ちゃんを捕まえらるだろうか?この体のステータスがあれば、全力で走ればあるいはいけるか?
何はともあれ、行動しなくては何も始まらない。私は走りだそうと、最初の一歩を踏み出す……
「……え?」
その瞬間、視界に映る風景が一変する。
無限の彼方まで続いているのではないかと思える真っ白な風景。
その中心に、私はいつの間にか立っていた。
「は~い久しぶりですね。そのうち会いに行こうかと思っていたのですが、アナタの方から来ていただけるとは思ってもみませんでしたよ」
混乱する私の背後から、どこかで聞いた記憶のある声が聞こえてきた。
「こうして1対1で話すのは初めてですね……沙川マヤさん……いえ、今はルーナ・ルイスさんと言うべきかもですね」
喋り続ける人物の方へと私は急ぎ振り返り視線を向ける。
「どうも~皆大好きな人気者の神様ですよ~」
そこには、直接会ったら何発かはぶん殴ってやりたいとずっと思っていた、自称・神を自称する私ソックリな少女が立っていた。




